怒れる炎姫、蒼風の剣翁 02
後世にて、ナヴァル国境戦役と呼ばれる戦いに参じた勢力の1つ、アードニード公国。その初動は、非常に迅速なものだった、が、それ故に、その後の動きの鈍さには、学者一同、違和感しか覚えなかった。
ただし、その疑問はすぐに氷解されることになる。
――偽龍メルベス。
かの神獣の存在がアードニード公国軍に有ると判明した瞬間、公国の、その奇妙な行動の全てが、理解の範疇に収まったのである。
それと同時に、ナヴァル国境戦役以後、アードニード公国による暴挙と呼ぶ他ない数々の異常行動の裏に、異世界より召喚されし勇者たちの関与があったことが判明。
開戦から数えて10日目に勃発する三つ巴の大混戦、その引き金となった有名な戦いが、如何なる理由で起きたのか、そのことを学者たちは揃って理解することになる。
それは、今なお民衆に愛される、【英雄譚の一幕】。
【ガルディアナ戦記第1章】――ナヴァル国境戦役。
第3幕――怒れる炎姫、【解きし】剣翁。
人口約160名、約40世帯が暮らす集落。
メルベス魔沼北部に近い立地故に、採取や狩猟目的で訪れる傭兵や冒険者たちの寝床を提供する、宿場としての役割が国から課せられている一方で、マッドシープという羊の魔物の変異種であるネブランシープを飼育、高品質な羊毛を特産品として国内外に出荷していることで、名が知られている集落。
それが、ネブラン村である。
そして、現在。
アードニード公国軍の先遣隊である第2軍――騎士に就いた魔装術師で編成されている――魔装騎士団に所属する部隊の1つ、第8中隊によって、ネブラン村は包囲制圧されていた。
(まさか、あの公国が、ここまでするとは……)
村一番の大きな屋敷である村長宅、その地下に、その青年は潜んでいた。彼のそばには、2人の少女。
「みんなは……大丈夫でしょうか……」
「抵抗しなければ、おそらく……」
「お姉ちゃん……」
「ここなら大丈夫……大丈夫よ――」
この2人の少女は、ネブラン村村長の子女である。
では、そんな2人のそばにいる彼は、ネブラン村に縁のある者なのだろうか。
(奴らの手駒といい、公国の動きといい、どう考えてもこれは……さて、どう動くべきか――)
――否。
今から10日前、ネブラン村近くを流れる小川に、傷つき倒れているところを、この2人が発見。すぐに屋敷へと連れて来られた彼は、村の薬師による治療を施されることに。
彼が意識を覚醒させたのは、それから2日後。
「――っ!? リグさん、どこにっ!?」
「――上の様子を見てきます。この場所なら見つかることはまず無いですから、待っていてください」
「……わかりました。ですが……無理だけは――」
「大丈夫、俺の腕前は知ってるでしょう?」
名を明かした彼――リグは、傷がある程度癒えたからとメルベス魔沼に赴き、希少な素材の採取や星銀等級や金等級の魔物をたった1人で仕留めるなど、高位の冒険者や傭兵となんら遜色無い労働力を、治療費代わりに提供する。
傷を癒しながらネブラン村に滞在し、村長一家や村人たち、冒険者や傭兵たちと親交を深めること6日目、つまり――2日前。
ウィロウ公爵領お抱えの伝令士によって、アードニード公国軍侵略の報が知らされる。
すぐさま避難体制を整えるネブラン村。住人は、準備が整い次第、順次、ウィロウ公爵領都キュアノエイデスに向かって出立することになった。
陣頭指揮を執る村長夫婦は、当初、子女の2人だけは先に村から出立させようとしたが、2人が拒否。
悩む時間も説得する時間も惜しいこともあり、手伝いに参加させ、避難の準備を進め始めた。
この時、違和感に気付いたのは、リグだけだった。
村に残っているのは、リグを含めた村長一家と4世帯分の村人たち、護衛を依頼された傭兵と冒険者の合同パーティー1組のみ。
彼らは、陽が昇り始めるのを合図に、村から出立する――はずだった、が、その予定は、無意味なものへと変わってしまう。
村を出発し、キュアノエイデスに向かっていた村人たち全員が、ネブラン村に戻ってきたのだ、アードニード公国軍に連れられて。
リグが感じた違和、その正体は――街道封鎖。
伝令士が村に立ち寄って以降、誰も来ないこと自体が不自然であり、では何故、隣村の住人が、街道沿いの集落であるネブラン村に立ち寄らないのか。
その答えは、ネブラン村に立ち寄った伝令士は、街道が封鎖される前に通過し、後続として出立した隣村の住人は、街道が封鎖されていたことで通行できなかった。
つまり、アードニード公国軍は、別働隊によって街道を先んじて封鎖することにより、街道に付随する情報網を含めた交流を止めていたのである。
(流石は魔装騎士団、というべきか……包囲の手並みといい、制圧後の警戒具合といい、やはり手強い……だが…………やはりか……何故、魔導器を使わない……使えない? いや、そんなバカなことが…………そうだな――)
――確かめてみるか。
屋敷奥に配置されている倉庫中央に、穴が現れる――音も魔素の揺らぎも無く。
軽快ながらも音を鳴らすことなく、リグが穴から這い出ると、間髪入れずに、穴に向かって、指で何かの紋様を描く。
すると、何事もなかったかのように、穴はふさがり、倉庫内の光景は元に戻った。
(……俺の目から見て、何の違和も感じさせないとはな。情勢が不安定になろうとも、やはりナヴァルは侮れん……いや、この場合、ウィロウ公爵家を褒めるべきか……まぁ、いい。始めるか――)
音も気配も魔力線も隠蔽したリグは、倉庫の扉横へと身を寄せ、眼を閉じる。直後、リグの影から、糸状のなにかが伸びては地面を奔り、倉庫の扉の隙間から通路へ。そして、巡回していた公国騎士の首筋に、黒い糸が刺さる。
フラフラと歩様が乱れた公国騎士は、やがて床に倒れこむ――と同時に、床に吸い込まれるように通路から、その姿を消失させる。通路に残っているのは、人族の形をした黒いシミだけ。
通路に静寂が訪れるも、長くは続かない――突如として、水面が揺れるようにシミが波打った、次の瞬間、手のひらサイズかつ犬のような姿形となり、現実の動物のそれと同じように歩行を開始、倉庫の扉の隙間を再度くぐり抜け、リグの足下へ。
そして、リグが眼を開くと同時に、黒い子犬の姿は消えさり、その代わりとばかりに、昏睡している公国騎士が姿を現した。
公国騎士が身につける鎧一式を手際よく剥ぎ取ったリグは、倉庫内の縄を拝借し、異世界16英傑の1人が提唱し浸透させた捕縛術において、最も有名な縛り方――亀甲縛りを披露する。
仕上げに、布巾を猿轡と目隠しに加工しては施し、行動を完全に封じ終えた。
さて、ものの見事に公国騎士の姿に扮した青年リグが、ネブラン村にて療養する前、つまり、致死に足る負傷をしていた彼の正体とは何なのだろうか?
彼の名は――リグリット。
斥候職系統の最上級職の1つ――追跡者にして、影に潜む耳と称される彼には、主にあたる存在から賜りし、異名がある。
諜報や暗殺を生業とする者らが潜んでいる暗がり、つまりはガルディアナ大陸の裏側にて、その名は広く知られており、表側でいうところの特記戦力と同義の、ノートと呼ばれる闇名簿に記されているほどの――強者。
人族領域の裏側にて、あの閃光のリザリーと必ず列挙されるほどの、凄腕の斥候職。
(恩には、より大きな恩で報いねば、陛下に叱られるからな……さて、探るとするか――)
彼こそが、ランベルジュ皇国魔導騎士団ヘリケ=イグニスに所属する斥候部隊のひとつ、シャドウハウンド大隊を率いる大隊長――影犬のリグリット、その人である。