黒天の内に在りし者 17
ちょい短め。
タイムリミットまで、残り30秒。
当然ながらそれは、マルスの肉体を用いた天拳ウラノスの再現を、シンが開始してから約2分半の時が過ぎたことを意味している。
その間、間違いなく強者に属する実力を有している希望のフェルメイユを完封――その動きを完全に封じていた現実は、シンを大いに戸惑わせていた。
(んー……こいつら相手に相性がいい空撃士とはいえ、いくらなんでも、これはおかしくないか? )
マルスの肉体を駆るシンによる、天拳ウラノスの再現は、確かに成果を上げている、いや、上がり過ぎていると言ってもいいからこそ、シンは、心中で首を傾げていた。
白の救世主幹部との戦いという局面を想定して、シンは、前もってレベリングを敢行した訳だが、その結果は上々。実際に空撃を振るってみて、およそ3分が再現の限界だという結論を出した上で、義剣のルスト誘拐の為に、ヴァルフリード辺境伯軍後陣に潜入したシンは、正直なところ、白の救世主幹部との遭遇戦を五分五分の勝率程度に見積もっていた。
その理由は、マルス自身の素養と年齢にある。
マルスの身体能力は、己の生きる道を騎士ではなく魔道職を選んだこともあり、特別優れたものではない。
確かに、ナヴァル王国における武の名家であるドラゴネス家出身のマルスではあるのだが、母方の血が色濃く現れている現実は、武人としての才能の乏しさを意味しており、だからこそ、自身の才に基づき黒魔法に傾倒していたという背景がある。そこに、今現在13歳であることを加味すれば、身体能力に一抹の不安を、シンが覚えてしまうのも無理はない。
故に、レベリングが必要との判断を下した訳だ。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、このような一方的な闘いとなってしまった訳で――より正確に述べるならば、隙だらけだったので様子見とばかりに打ち込んだ最初の一撃がまともに当たった時点で戸惑っていた、と、そういうことである。
(マジでわかんねぇな……コイツが弱いのか、マルス イン 俺が強いのか、結局のところ、どっちかだとは思うんだが……こんな時、カナタがいたら、すぐに考察やら分析とかしちまうんだけどな……居なくなってみてようやく、そのありがたみに気付く、って奴だな……)
シンの思考力は決して低くない、むしろ常人のそれとは比較にならないほど高い、からこそ、より一層際立つと、シンは痛感していた。
シンの相棒であり、プロゲーマーチームである疾風迅雷の一員にして参謀、そして、超級討伐クエスト初のスリーマンセル討伐成功の立役者。
天拳ウラノス、並びに、天鎌リーファという地球最強クラスのゲーマー2人を支えた、Antipathy Brave Chronicle において七大天と呼ばれし者の1人。
天賢カナタ――本名、桐原 彼方。
魔道職の中でも異彩を放つ、特殊な分岐の末に就くことが可能になる派生職――軍師。それら軍師系統の超級職に就いた者たちの中で、シン同様、頂天に至ったと運営から認められた相棒の凄さや有り難みを、シンは、ユグドレアという異世界で日々を重ねる毎に強く実感していた。
白の救世主幹部の1人、希望のフェルメイユ。
彼女の戦闘スタイルは、とてもシンプル。連接棍または連接棍棒とも呼ばれるフレイルという片手武器を右手に、壁盾とも呼ばれる1m以上の大きさのタワーシールドを左手に携え、相手に突進する勢いをフレイルに乗せて、美しい白銀髪を振り乱しながら全力で振るう。彼女の戦い方は、それを淡々と繰り返すだけの単調なものである。
しかし、ただそれだけしか行動してこないからこそ、実に厄介であるとも言える。
その理由は、彼女自身が人型の魔導器であることを活用した、周囲の魔素を喰らう魔素喰いとしての特性にある。
彼女の場合、自身を中心とした半径50メートル以内の前後左右上下――球状の魔素吸収フィールドが自動で発生、生物を含めた範囲内の魔素を吸収、魔力に変換。即時、膂力と速力を中心とした肉体強化を自身に施す。
その一方で、敵対する者は、魔素を奪われたことによる弊害として、魂魄の機能不全やステータスユニットの機能停止、魔道の行使困難といった、魔素を用いた行動を封じられる。
結果、彼我との戦力差を生み出し、対等以上の者を相手取ったとしても圧倒する。
それが、白の救世主幹部の1人、希望のフェルメイユの強者たる所以――コンセプトである。
だからこそ、その魔導技術が公的に認められることになる時期から約半世紀前の現代ガルディアナ大陸において、圧倒的な強者に類するのが、白の救世主が用いる人型魔導器ということだ。
ただそれは、本来ならば暗躍にだけ終始している筈の白の救世主という組織が、表舞台に程近い立ち位置にまで姿を見せていることを意味しており、明らかに世界線が分岐している――簒奪者による運命の悪戯が行使されたことを原因とした結果だ。
実際のところ、簒奪者の目論見は成功していた。
炎燼の剣然り、義剣のルスト然り。ガルディアナ大陸の各地で数多くの、それも準英雄級の英傑も含めた強者との戦いにおいて、白の救世主の幹部たちが勝ち越している事実こそが、成功の証。
そう、世間に明かされることのない世界や国々の実際の状況や情勢は、裏で暗躍する者たちの方に傾いていた――筈だった。
今日この日までは、確かにそうだった。
だが流れが、潮目が変わった。
天拳ウラノスという名の特異点が、天敵として確立されたことによって変わった――分岐したての世界線を簒奪者側に認識させたことで、歴史の隙間の奥の方へと隠されていた拳士職超級位、即ち、超級職たる空撃士がユグドレアに復活を遂げたという歴史が、あの瞬間に始まった。
それはつまり、遠慮も配慮もすることなく否応無く宿命付けられていた敗北という名の、手前勝手に確定させた因果が解かれ、不確定と同義の猫箱が如き世界線が新生し、粛々と詠み紡がれ始めた、と、そういうことである。
全ては恒常性とも呼べる世界の性質、尊ぶべき中庸――真に対等な闘争の場への回帰、それを成す機能が、ようやく正常に働いたが故に。