迚ゥ隱槭r隱ュ繧?者 蜊5
ぎしっ、ぎしっ。
音が鳴る。
ひとつ、またひとつ。
ぎしっ、ぎしっ。
軋んだ音が響く。
ひとつ、またひとつ。
静寂であることが正常――そうである筈の場で鳴るには、その軋音は不適格なのだが、それ故に大きな意味を持つ。
リビング、ダイニング、キッチンと他三部屋の間取り、いわゆる3LDKで構成されたその場所を、静けさの中にある異音、不穏そのものと断言できる軋んだ音、それを奏でる者が巡ってゆく。
ひとつ開いては、視線を巡らし、静かに扉を閉じる。再度、同じことを繰り返した直後、その者の表情に変化が起きる。
好意的に表現をするなら、とても晴れやかな笑み。だが、状況を鑑みれば、異常としか言いようのないその感情の行き着く先が、残りの部屋であるのは想像に難くない。
最後の扉が、開かれた。
その者は、先ほど同様、部屋内部に視線を巡らし、ある箇所に到達した瞬間、その動きを止める。それと同時に、影を落としているような暗い瞳が、活力じみた光を爛々と放ち始める。
だが、それでもなお目の奥にある暗さが消え失せることはなく、むしろその色を――濃度を増していた、いや、現在進行形で、さらにさらに濃さを深めているようだった。
ぎしっ、ぎしっ。
音が鳴る。
ひとつ、またひとつ。
ぎしっ、ぎしっ。
軋んだ音が響く。
ひとつ、またひとつ。
ぎしっ…………。
音が……止まり――始まる。
シャリ……。
金属が擦れる音が鳴る。
ドンッ……。
鈍い音が響く。
ドンッ、ドンッ……。
鈍い音が響く。
ドンッ、ドンッ、ドンドンドンッ、ドンドンドンッ……ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ……ドンッッ!!
鈍い音が、何度も、何度も、響く。
「ふっ、ふひひっ……ひゃははははっ!!」
男の笑い声が、部屋に響き渡る。
ドンドンドンッ!
再度、鈍い音が響き始める。
「えへっえへっ……ひゃはははっ!!」
笑い声と鈍い音、この2つの音だけが、空間を支配していく。微かに、ほんの僅かばかり発生していた小さな声は、男の嬉しそうな朗笑と、1つ鳴る度に赤い飛沫を上げる鈍い音で、押し潰されるように掻き消されていた。
その光景は、小一時間ほど続く。
笑う男、鈍い音、けたたましいブザー音、部屋一面の――赤。
それが、光景を構成するモノであり、その場は、既に、それしか観えていなかった。
やがて、笑うことも鈍い音を出すこともやめ、ブザー音の大元を破壊し終えた男は、嬉しそうに口を開く。
「ぼ、僕の彼女を寝取った、む、報いだ! 天罰だっ!! お、おお、思い知ったか――」
最後にツバを吐き捨て、男は、その場を去った。
訪れた静寂は、約1時間後、失われる。
喧騒は、その場で起きた何もかもを暴く。
そして、皆が知る、失われたことを。
天拳が、いなくなったことを。
「――んなっ、バカな話……っ!? 俺だ、ニュースだな?」
「『シ、シンが、シンがっ!?』」
「落ち着け、リーファ」
「『でも、カナタ……こんな、こんなことって……』」
「とにかく、おまえは事務所に向かえ。林さんを迎えにやるから」
「『う、うん……カナタは?』」
「俺は……用事を済ませてからだな」
「『用事?』」
「状況が、あまりにも不可解だからな。捜査資料を手に入れてから、そっちに向かう」
「『う、うん、わかった……気をつけてね、カナタ』」
「そりゃこっちの台詞だ。今一番危ないのは、どう考えてもおまえだぜ、リーファ」
「『……そうなの?』」
「ああ、林さんには、数人で迎えに行ってもらう。それまで絶対に外に出るなよ?」
声が聞こえなくなった携帯情報端末を、ソファテーブルの上に置き、ひとつ息を吐いた彼は――
「――クソがっ!!」
ただ力任せに、ソファテーブルを殴りつけた。反動で、置かれていた物の一部が床に落下したが、そんなこと、今の彼にはどうでもよかった。右手の痛みも、それは同様である。
(有り得ねぇ……どう考えても、理屈に合ってねぇだろうが……)
不可解――理解しようとしても、複雑かつ神秘すぎて、理解できないこと。つまりは、わけがわからない、そんな意味――そんな言葉こそが、シン殺害の件には相応しいと、彼は、断片的な情報から推測していた。
(四六時中、事務所併設のチームルームでアンブレにインしてるシンが、他のメンバーにだけ、取材やらイベント出演の予定が急遽組まれて都内から離れるからと、たまたま自宅に帰った翌日の朝方に、死体として発見される? なんの冗談なんだ、これは……)
今回のことを偶然だと認めるほど、彼は素直な人物ではなく、さらに言えば、自分の身内を殺されて、ただ悲しむだけで終わらせようなどとは、決して思わない。
まして、シンの事情を知っている身からすれば、ひどく人為的作為的に思える状況は、第三者の気配を感じずにはいられない。であれば、殺害犯とは別の、黒幕的な者が存在する可能性があり、そうである以上、黙ってすごすご引き下がるほど、彼は行儀の良い人物でもない。
(タチの悪い偶然か、それとも、クソみてえな必然――計画的犯行か……いずれにしても、徹底的に調べなきゃならねぇ。まさか、本当にあいつに頼むことになるとはな……)
「……もしもし、俺だ。ニュースは観たか…………ああ、そうだ。正直、おまえを利用するみたいで気が引けるんだが…………そうか、ありがとよ……で、だ……本題に入るんだが、おまえの実家の、さらに上の……そうだ、例の――立花の力を貸して欲しい……いや、おまえを危険な目には…………そ、そうか……わかった、正午だな。それと、捜査資料だけは、なるべく早く手元に…………け、警視庁かよ……ああ、わかった……すまん、恩に着る…………デッ!? あー……うん、この件が落ち着いたらな……ああ、事務所で待ってる…………さて、警視庁か……流石に緊張するな」
運命の悪戯は、1人の青年の命を、いとも簡単に奪い去った。
それは、原因を無理矢理仕立てあげて流れを変えただけの、あまりにも稚稚な因果律への介入によって生まれた、酷く歪な結果――特定の者にだけ都合のいい因果である。
さて、本来の歴史、史実とはかけ離れた現実へと転じた世界線を、傍観者たちが観測したことで、その存在が確定した訳だが、この意味を、仕組みを、運命の簒奪者は理解しているつもりでいた。
まず初めに伝えよう、簒奪者は無能ではない。間違いなく有能であり、だからこそ、運命を司る者の権利を手に入れたのだから。
だが、そのカラクリには気づけない。
歴史の流れ、即ち、世界線は、常に分岐している為、無限と同義である。無論、中の話ではなく、外の話――最低でも1つ以上高位の次元に身を置いている者の視点での話になる。
つまりは、傍観者と呼ばれる者たちの話なのだが、そんな彼ら彼女らが、無限に拡張される世界の中から観たい世界を選択することで、単なる点でしかない未観測の世界が、観測されていることを意味する世界線へと転じる。
これが、世界線が生まれる大まかな仕組みである。
世界線は、生まれた瞬間から分岐を繰り返し、未観測の世界を生み出し、次元内を満たしていく――このサイクルが、傍観者のいる次元よりも低位の次元で、未来永劫、終わることなく続いている。
それが、次元重層方式世界の仕組みである。
さて、話を戻そう。
運命の簒奪者が気づいていないカラクリとは、はたしてどのようなモノなのか。
元来、運命とは、高位次元に在る者が低位次元の歴史の流れで発生した歪みや淀みなどを修正するためのものであり、そういった存在だけが完全に操作できる。
そう、簒奪者が手に入れたのは、あくまでも、運命を司る者の資格のみ。また、運命を司る者による運命の操作のひとつ――運命の悪戯とは、高位次元のそれとは、比較にならないほど不完全なものである。
何故なら、運命の悪戯でできることは、歴史の修正ではなく、あくまでも世界線を自発的に分岐させる、ただそれだけなのだから。
そして、前任者は、とある仕掛けを地球という惑星に施していた。当然ながら運命の悪戯で、だ。
地球という惑星が辿る歴史において、最大にして最初の、とある分岐点が存在している。
それは――恐竜が死滅するかしないか、である。
そして、死滅しない世界線の場合、この星は、いずれこのように呼ばれる――惑星アザルス、と。
前任者は、そこに、第三のパターンを生み出した。
数は極めて少ないが恐竜が生存し、尚且つ、穴と呼ばれる特異点を――ある地域に大量に発生させたパターンである。
ここに、カラクリが潜む。
簒奪者は、高位次元に存在する運命という名の世界の機能にアクセスする資格と、それに伴う権利を十全に扱いきれておらず、仕様も完全に理解できていない。だからこそ、最も容易に操作可能な運命の悪戯だけを使っているのだが、それすら使いこなせていないのが実態。
完全なる奇襲で以って、前任者を滅ぼしたことを起因とした失態である以上、自業自得ではある。
ただし、当人は、そのことに気付いていない。
運命の悪戯だけが、運命を司る者の力――そう思い込まされていたのだ、簒奪者は。他ならぬ前任者の手によって。
簒奪者は有能である。だからこそ、奇襲で奪い取れた、滅ぼすことができた――前任者は、簒奪者では、及びもつかないほどの力の持ち主であると断言できる。
そんな前任者の立場を奪い取った簒奪者は、確かに有能ではある。ただそれだけとも言えるが。
なにせ前任者は、誰かの前では、徹頭徹尾、運命の悪戯だけを用いていた――自らが滅びることを悟った後も、他の機能を見せることはなかった。感嘆に値する力と勇意備えし心は、死する前であろうとも残されし者たちを想起させ、故に、利敵的な振る舞いを拒み、潔き死を選択させた。
要するに、だ……前任者と簒奪者とでは、存在としての格に、覆しようもないほどの差があるということだ。
さて、前任者である彼女の死こそが、カラクリ始動の合図である。
しかし、簒奪者には、何も見えない。
運命の悪戯によって起きた結果の数々を知っているからこそ、その力に憧れていたからこそ、目の前の結果しか見えない。自身がそれを成したという達成感に付随する傲慢な自尊心が、簒奪者に見たいものだけを観せていた。
いわゆる、視野狭窄という現象である。
そう、それは間違いなく現象――事象の現実化、即ち、魔法の一部であり、つまりはそういうことである。
前任者はあらかじめ、自身の力を狙う者に対する対抗策――カラクリをいくつか用意していた。
運命操作という名の幻想を強奪する――そんな野心を抱く者が視野狭窄に陥るように誘導する、催眠魔法もまた、その1つである。
結果、簒奪者は、ものの見事に勘違いしたのである。
ところで、簒奪者には今現在、敵と認める者が、幾名か存在している。例えば、赤髪の女人が先輩と呼ぶ、魔女のような姿をした彼女や、その彼女が先輩と呼ぶ、あの3人もそう。
そして、この私も、その1人である。
初めまして、この物語を、夢の間の間に観る者よ。
私は、迚ゥ隱槭r隱ュ繧?者、おっとこれは失礼…………では、改めて……私は、物語を読む者。他者からは中庸を尊ぶ者、もしくは、いや、だからこそだろうか――観測者とも呼ばれている。名を明かせぬ無礼を許してほしい。
さて、時間がないので、本題に入ろう。
君には聞き覚えのあることだろうが、改めて伝える――どのような方法でも構わない、憤怒の権能者と出会うのだ。
本来であれば、このような介入は無粋の極みなのだが、あの愚かな簒奪者は、何をしでかすかわかったものではないのでね。念のため、彼女に代わって伝えさせてもらった。
もうわかっているだろうが、彼女とは、先代の運命を司る者、即ち、前任者のことである。
それと、既に理解しているだろうが、君は、天拳とは別の、真生を歩む者。つまり、ユグドレアへ特別な転生を果たした者の1人である。
黒天の内に在りし者同様、前世の記憶を引き継いでいる君が、憤怒の権能者と出会うことそのものに、大きな意味があるのだ。
先程述べた世界線の分岐のくだりは覚えてるね?
いいかい、特異点そのものである君と彼、2つの特異点が出会うことで、ユグドレアという世界線に新たな分岐が生まれる――それもまた、前任者のカラクリの1つなのだ。
特異天体と化した地球において最強の武人たる彼と、惑星アザルス最後の英雄である君が、特異次元域と化したユグドレアで出会うという、幾つもの奇跡のような事象が現実となった因果が、歴史が、世界線が、外から観測されることで、その存在を確立させる。
そして……いいかい、これが最も重要だ――彼女の魔法にまんまと嵌った簒奪者は、世界線が分岐したことに気付けない。
そう、ガルディアナ戦記と呼ばれていた筈の物語が分岐していること、そのことに気づかれないことこそが、肝要なのだ。
おそらくだが、君の周囲に、君を守護する為の騎士がいる筈。彼女、だと少々紛らわしいな。そうだな……昔のように姫と呼ぼうか……ああ、その通り、赤髪の女人から先輩と呼ばれていた彼女のことだ。
あの姫は、昔から抜け目がなくてね、先の先まで見据えて行動するのだよ。で、あれば、君の重要性を理解している姫は、必ず、君を守護する為に騎士を、それも強中の強たる者を置いている筈。
まず君は、その者との合流を目指し給え。
急がば回れ、そんな言葉が今の君にはピッタリなのだから。