黒天の内に在りし者 02
「――やはり、動く気はないのですか?」
「……指示通りに、領内の全軍を連れてきた。貴様らの要望を、私は果たした筈だが?」
「えぇ、それは確かに。私たちの希望通り、ドグル大平原が戦場になりました。しかし、皇国屈指の軍人である貴方が、敵を前にして6日。そろそろ前線に立たれては?」
「何度、答えれば理解するのだ……私を動かしたくば――」
――クライドたちを返せ。
他のそれよりも大きめの天幕、その中には、赤髪の男性と白銀髪の少女が、木製のテーブルを挟み、言葉を交わしていた。
「ですから、彼らには、他に役割が――」
「ならば私は動かぬ、動かさぬ。明日以降もこれまで通り、前軍と中軍のみが目標達成の為、各軍の将の判断で動く……それだけだ」
ドグル大平原を舞台として始まった戦にて、ヴァルフリード辺境伯領の後軍――主戦力が参戦しない理由の大半が、今この場の状況にある。
「戦に勝利すれば――」
「……ドグル大平原に、領軍全てを引き連れればクライドたちに会わせる――貴様らが言い出したことだった筈だが……反故にする気か?」
「それは……」
赤髪の男が発した言に動揺したのか、慌てふためく少女は困った様子で、両手で握る白い十字架を胸元に寄せ、首を傾げていた。
「いいか、貴様らが、どれだけ厄介な存在であろうと、易々と殺されてやるつもりはない……私の命で、貴様を道連れにできるのならば――なっ!?」
――いやいや、あんたに死なれちゃ困るよ。
背後からの突然の声に、慌てて振り向いた赤髪の男は、直前に目撃したソレも含めて、ひどく困惑させられていたのだが、音無く背後に現れた人物の様相を見て、混乱の度合いがさらに極まっていた。
「こ、子供!?」
「あー……まぁ、小柄だもんなぁ、っと、やっぱ早いな――」
「何者だ、君は……これは――」
「もちろん、俺がやってることだね。こういうの、見たことない?」
「いや、見たことがないわけではない。だが、これほどの速さ……ガデル殿くらいしか、心当たりが無いな……」
「むしろ、ガデルの爺さんと闘り合って生きてるのがヤバいんだよなぁ……流石は義――」
「やはり、ナヴァルの者か……音無く現れたことといい……なるほど、黒き狩猟者とは君のことか」
「バレんの早え……ガチの軍人ってやっぱ凄え――って、だから早えんだよ!」
「ふむ……黒魔法、ガデル殿……そうか、君が、あのドラゴネスの忌み子か……」
「……上級軍人、ホント凄いっすね」
「いや、君の魔法ほどではないよ。それより――」
――何か、話したいのではないのかね?
赤髪の男――義剣のルストから投げかけられた言葉を聞いた、黒髪の少年――シンはニヤリと笑う。
「流石、話が早い……えーとですね、ウチの総大将の依頼で貴方を誘拐、もとい、保護するために、俺がここに来ました」
「そうか……新たなウィロウ公爵は頭がキレると予想する者が多かったが、なるほど……今回の戦の意味を、よく分かってくれているようだ。実に有り難い……」
「アイツとの会話、聞いてましたけど、やっぱりそういう意味だったんですね、アレ」
「うむ……今の私が、外部に知らせるには、こうする他になかったのでな……」
「コイツらの常套手段ですからねぇ……単純だけど効果的、人質取られたらしょうがないですよ」
「ふむ……君やガデル殿は、この者らについて詳しいのかな?」
「あー……まぁ、そういうことですね」
(あっはっは……口、滑ったぁ!? アンブレ情報です、さーせん、俺ドンマイ! というか、コイツらが要人さらって利用するもんだから、国がガンガン荒れる――って流れが、アンブレでの日常だったからなぁ……ウゼェんだよな、あれ。ボロボロになった国、立て直すの、俺らプレイヤーなんだぞ? 白アリって呼び名は的確だよなぁ、マジで)
「白の救世主……陛下から、名だけは聞かされていたが、まさか自分が巻き込まれるとはな」
「むしろ、名前だけでも知ってることに驚きですけどね……良くも悪くも、裏側は、ナヴァルの得意分野ですし――」
「だからこそ、国を挙げて、諜報に力を注いでいるのだよ。直接、相対しているのはアードニードだが、あの男にとって、この程度の距離など誤差でしかないのだから」
「千眼、ですね」
「――アルヴィス=C=オーバージーン。彼の父や祖父と戦場で相対したことはあるが、ことさら脅威に感じることはなかった。国境域を預かる身からしても、オーバージーン公爵家全体を警戒するだけで終始していたが、今は違う。あの男の手腕によって、オーバージーン公爵領の脅威度は大きく変わった。だからこそ――」
「千眼を利用した、そういうことですよね?」
「その通り……そして、案の定――」
――私の前に、君が来てくれた。
義剣のルスト、その人柄の良さは、ランベルジュ皇国のみならず、他国にまで広がっている。そんな彼による、宣戦布告もしない電撃的な侵略行為に、違和感を覚えない者が、軍略に携わる資格は無い。
ルストではなく他の者、それこそ悪名高いナヴァル貴族宰相派であれば、卑怯かつ慈悲のない策略――詭道の一環と納得できたかもしれない。
だが、よりにもよって、あの義剣のルストが、戦いにおける非礼を犯すこと、それ自体が異常である、と、ナヴァル王国の軍部だけでなく、ランベルジュ皇国やアードニード公国、人族領域の動向を伺っている他の領域の国々もまた、その行動は明らかにおかしいと感じていた――ここまでは、軍略や謀略に関して、最低限の適性を備えた者であれば、誰しもが解ること。
ここからは、義剣のルストが、何故、騙し討ちに等しい暴挙に出ることを選択したか――その真意を解する段階となり、それを成せる者は非常に少ない。
真意という名の答え、それを敢えて地球の言葉で言い表すとすれば――SOS。
Save Our Souls(我らを救え)、もしくは、Save Our Ship(我が船を救え)の略とも言われる、この文字の羅列の本質は――危難からの救い。
つまり、自由を奪われ、不本意な行動を取らざるを得ない自身を救い出して欲しい――というメッセージを、確実に察してくれるであろう千眼のアルヴィスへと、あの異常極まる暴挙を行なうことで、密かに送っていたのである。
「あー……確認なんですけど……本当に、いいんですよね?」
「クライド達のことであれば、気にすることはない。彼奴は、竜意の後嗣として、既に独り立ちしている身。他の3人も、立場こそ違えども、それは同様。ならば危機的状況に陥ることも含めて、自己責任でしかない。仮に命を落としたとしても、それは致し方のないこと。無論、そうなった場合……必ず、仇討ちさせてもらうがな」
(白アリとの会話は、やっぱり時間稼ぎの嘘だった訳ね……義剣の二つ名は伊達じゃないな――)
私心を滅し、民の幸せのために全てを捧げることを本懐とするランベルジュ貴族の中でも、磨き上げた武勇で以って民を護り、心血を注いだ政治によって民を生かし続ける、その姿に――献身性に、何人をもしのぐ類稀なる義を感じ取り、ランベルジュ皇国の諸侯が感銘したことが、二つ名の由来。
義剣のルスト――大皇ジーク=アスクレイドから賜りし二つ名に違わぬ義を備える、ランベルジュ皇国が誇る英傑の1人である。
(――とはいえ、実際のところ、殺されることはないとは思うんだよな、貴重な英傑NPCパーティーだし、炎燼の剣は。ただ、それだけにホント厄介なんだよなぁ……多分、祝福されてるだろうし……そうなると、やっぱり必要だよなぁ……)
――聖女って、この時期、どこにいんだろ?
「あー……出発する準備は――」
「無論、前もって済ませてある。だが……」
「やっぱり気になっちゃいます?」
ルストの視線は、シンが姿を現わすまで、そこに座っていた者へ注がれる。
今、そこに在るのは、激しく脈動する黒い繭。その中身は当然――
「どうして貴方が、今、こんなところに――」
「――えー、見てわかんないんですかぁー? あっ、そうか!! 虫には、ちょぉーっと難しすぎちゃったかなぁ?」
黒い繭が霧散し、そこに現れた白銀髪の少女――希望のフェルメイユ、彼女を象徴する美しい微笑が、凍りついたように固まる。
「黒き破天の大器、マルス=ドラゴネス……いかに貴方の才が優れていようとも、魔法師では――」
「あっれぇー、あれあれあーるぇー? いきなり別の話に行くとかぁ、支離滅裂なことはやめてくださいますぅ? ていうか早くぅ、なんでぇ、ボークーがぁ、ここにいるのかぁ、その理由をちゃぁーんと答えてぇぇぇ、くーだーさーいーよぉぉぉ……ま、虫には無理――」
――虫って言うなっ!!
「うわぁ、大声こわーい……ところでぇ、なんでそんなにぃ、険しい顔してるんですかねぇ……何か気に障っちゃいましたぁ?」
「――っっ!?」
「ほら、笑顔笑顔! そんな顔してるとぉ――」
――テメエらの大好きな女王アリが心配すんぞ?
「なっ、がっ……アアァァ――くっ!?」
「あいかわらず沸点低いな、チョロいチョロい」
「……随分と手慣れているな」
「コイツら、精神的にクソ雑、んっんっ……未熟なんで、ちょっと煽ると、すぐに取り乱すんですよ」
これでもかと相手を煽るクソガキムーブをかましたシンは、再び、黒い繭の中へとフェルメイユを閉じ込めながら、そんなことを口にする。
「未熟……あの者も、この者も、見た目からして確かに若いが……何か理由でも?」
「ありますよ。正確な数字は、流石にわかんないんですけど、多分、コイツ――」
――生まれて3年以内ですね。
それもまた、シンが、希望のフェルメイユという少女――の姿をした存在を、虫と呼んでいる理由の1つである。