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ラーメンハウス、もうひとつの戦い 下

ちょい長につき、腰を据えて読むことをオススメします。






 




 強烈――ある意味、威圧的ですらある、その()()威容には、その一言がふさわしく、だからこそ、彼を躊躇ちゅうちょさせるのだろう。だが、その()()プレッシャーの先にこそ、追い求めるモノがある――その事実を、彼女から知らされた彼は、ようやく意を決する。


 そして、出会う――


「……美味い」

「ですよね!!」

「皇国の人たちは、コレが好きって聞いたんで、(こしら)えたんですよ。気に入りましたか?」

「サイコーですよ、店主さん!!」

「たしかに……俺でもハマるかもな、これは――」


 彼と彼女、いや、ランベルジュ皇国に暮らす者たちが待ち望んでいたソレ――変革をもたらすモノとの出会いが、この日、とうとう果たされた。

 停滞していた食文化を動かす麺料理――デラルスブラックという名の魅惑の一杯に、ランベルジュ皇国の人々が巡り会えたのだ。

 のちに、ランベルジュ皇国の9割超の国民を()()()魅了する、ブラック系と呼ばれる麺料理にして()()()


 多大という言葉では収まらないほどの影響を与えた料理が、世に認知された瞬間が戦時中、それも、伝説的戦争であるナヴァル大戦の引き金となったいくさ()只中(ただなか)での炊き出しだった――という、非常識が極まっている状況だからこそ、まさに()が関わっている証左である、と、世の歴史家たちは断言。


 この食文化が皇国に浸透したことが、ナヴァル()()とランベルジュ皇国、この二ヶ国の歴史の流れる方向を明確に定め、その後の情勢において、ある種の分岐点になったのでは、と、考察する歴史家が多く、賛同する者も多い――その理由。

 死にまつわる何もかもが蔓延まんえんする、死地と同義だった場所、その地の名は、今なお人々によって語り謳われ、謎めいた伝承が数多く残されている、戦乱の大陸と呼ばれし災禍の地、ガルディアナ。

 それ故に、歴史家たちの知識欲が(うず)くのだ。

 何があればこうなるのか。

 何をしたらここまで変わるのか。


 はるか遠い(ふる)き時代、戦乱の大陸と称されるほどに荒れ果てていた――ガルディア列島群が、今現在、何故、美食の楽園と呼ばれるまでになったのか。


 その鍵を握るであろう稀代の英雄たる()が成したとおぼしき偉業の多くには、未だ多くの謎が残っている現状に、世の歴史家たちは大いに喜び、進んで研究を続けている、と、そういうことである。

 そして、研究資料の中に、いつも通り紛れているそのキーワードを見つけることで、彼という人物の最大の特徴にして行動原理を、世の歴史家たちは、再度、垣間見ることになる。

 それと同時に、紀元前最強の英雄にして武人の頂天であったことを示す武勲と功績――偉業の数々から連想できる彼の人物像、理想的な英雄としての彼のイメージを、そのキーワードは、ひどく曖昧(あいまい)なものへとボヤけさせる。


 世の歴史家たちは、だからこそ、いつも首をかしげ、そのことを考えてしまう。




 ――どうしてラーメンなんだろうか、と。









 ラーメン好きな日本人にブラック系と呼ばれている一杯を、今回の炊き出しにてラーメンハウスが採用した理由。


 それは、ランベルジュ皇国民が愛してやまない調味料であるランベルジュペッパー、通称ランペパにある。


 ランペパと呼び親しまれているコレの見た目や味、香りなどの特徴は、地球の胡椒とほぼ変わりがなく、調理の際のお供として、ランベルジュ皇国内外で重用されている。ただし、戦争状態であるナヴァル王国への輸出は禁じている、表向きには。

 さて、そんなランペパだが、現在のランベルジュ皇国では、黒ランペパが主流であり、白ランペパはオマケ扱いされているのが現状である。


 その理由は、とにかく強い刺激が欲しいから。


 食事には必ずランペパをかける。かけてかけて、かけまくるのが、ランベルジュ皇国各地で、よく見かける食事風景。地球などでも一部の者がそうであるように、ランベルジュ皇国民の多くが、外食時、自分用のミル付きランペパ瓶を持参、ホール状のそれをミルで砕いてはかける、そして堪能する――という流れが、建国後から続いた結果、刺激の少ない白ランペパが、市場の隅に追いやられてしまったというわけだ。

 ちなみに、大皇ジーク=アスクレイドの大好物が、黒ランペパをふんだんに使った肉料理であるのは、中々に有名な話である。喉にガツンとくる刺激がたまらないらしい。

 それはさておき、黒ランペパ1強という皇国の食事情のおかげで、比較的安価での白ランペパの仕入れが可能であったのは、ラーメン屋を営む者からしてみれば僥倖ぎょうこう、もしくは、棚から牡丹餅(ぼたもち)とでも言うべき、望外の利。


 ラーメンハウスにおいて、ナヴァル王国外の仕入れを担当するドルズからしても、それは(ただ)ひたすらに幸運でしかない。


 そんな中、身分を明かしても問題にならない、皇都のとある大店(おおたな)にて紹介された、()色のソレを、白ランペパの件で浮いた資金で購入したドルズ。

 後日、携行型の魔導冷蔵庫に保管しながら、他の食材と一緒に、ウィロウ公爵邸に運び込まれ、ソレを眼中に映した宗茂は満面の笑顔を浮かべる。ついつい喜色満面を体現してしまうほどに上機嫌な宗茂から、驚くほど感謝されたドルズは、恩人からの感謝の言葉に嬉しくなると同時に、宗茂のラーメンに対する想いの凄まじさを再確認させられていた。




 ともあれ、宗茂が描いていたブラック系ラーメンの完成図、そこに一筆書き込まれた瞬間は、ドルズによる外回りの商いによる、外貨()()の結果であるということだ。










 ランベルジュ皇国の中心、皇都アスクレイドの東には、皇国を代表する、とある木々が生育されている。


 ――ルジュの木。


 ランベルジュペッパーの原材料であるこの果樹を育てる広大な樹園を横目に、皇国東域に伸びる道、いわゆる皇国路のひとつであるアスクレイド東街道、通称――ルジュ街道の先に、亜人領域や獣人領域が存在し、建国から今現在に至るまで、その交流は続いている。

 特に、亜人領域との商業的交流は建国以前から盛んであり、そのことも相まったからだろう、亜人領域最南端の国から輸入されるモノを食す食文化が、ランベルジュ皇国にて確立した。

 ランベルジュ皇国の主食はふたつ。ひとつはパン、そして、残るもうひとつが――米。


 そう、隣国であるラファド共和国から輸入される穀物――エルフライスを食すこともまた、大皇たる赤き竜が、古くから好んでいたことのひとつ。




 結果、ランベルジュ皇国に米食(こめしょく)文化が広がり、今に至る。そういうわけである。




 だからこそ、本多 宗茂は、ブラック系ラーメンを選んだ。理由は()()にある。

 ブラック系ラーメン。それは、日本国内の地方都市を発祥とする、ラーメンをおかずにライスを食すという、スタミナ回復を目標とした肉体労働者向けの食事スタイルから生まれた一杯。

 ラーメンでライスを食べることを前提としているため、濃い目の味付けの醤油ベース、かつ、大量の黒胡椒を投入した一杯が、ブラック系の元祖だと云われており、ラーメンライスと呼ばれる食べ方を広めた要因としても語られている。


 そんな伝統的なブラック系に、昨今、進化に等しい派生をもたらした、とある黒い調味料。


 ニンニクを主原料、ネギやタマネギなどの香味野菜を副原料として製作する、黒色の香味油こうみあぶら

 みじん切りしたニンニク、ネギやタマネギなどを、豚の背脂と一緒に、弱火でじっくりと熱を加えていく。ニンニクらを、それぞれ――薄色、茶色、黒色の三段階で引き上げ、すり鉢でペースト状にしたそれを、溶けた背脂に戻し、混ぜ合わせて完成する――というのが基本的なレシピであり、さまざまなアレンジレシピが存在する調味料。

 日本最西の地、九州にて生まれた、偉大なる香味油である――マー油、その進化の果てに生まれた黒き油。


 それが、特定のラーメンのお供として定番化するほど認知された調味料――黒マー油である。




 そして、今現在のブラック系ラーメンにおいて、非常に重要視されている代物でもある。




 ラーメンが好きで、心から愛していて、ラーメンのためなら、いかなる艱難辛苦(かんなんしんく)をも凌駕(りょうが)する。それが本多 宗茂という男だが、それと同時に、日本で生まれ、日本の食文化で育った、れっきとした日本人である。

 つまり、当然といえば当然なのだが、お米も大好きなのだ、宗茂は。コカトリスの卵掛けエルフライスを、其の地で毎朝欠かさず食べてしまうくらいには、お米も大好きな彼が、ラーメンライスを嫌うわけがない、むしろ大好きなのだ、宗茂は。

 さらに付け加えるならば、デラルス大森林に自生しているネギの程良い辛味と美味さ、ナヴァル王国特産のナヴァルガーリケという名のニンニクの力強さと香り高さ、そんな二つの素材を目にして、日本のラーメン界隈を代表する香味油であるマー油を連想しないわけがないのだ、あの本多 宗茂が。

 そして、マー油の使途として真っ先に思いつくのは、豚骨を基本とした単一、もしくは、数種類のスープで構成された、熱狂的なファンが多い、あの一杯。


 そう、トンコツラーメンである。


 ただし、トンコツラーメン用のスープ自体は、デラルスオークやハイオークの素材を入手した時点で製作済みであり、現在では、こってり様アイシテール教信者であるエリザと、その祖母であり、こってり様アイシテール教の教祖であるレヴェナの大好物となっている。

 とはいえ、食べる側の立場での宗茂の考えとして、トンコツラーメンのトッピングに不可欠な()()が無いことがどうにも許せないでいたことが影響し、ラーメンハウス宗茂のレギュラーメニュー入りは見送っている。

 そのため、トンコツラーメンは現在、ウィロウ公爵邸限定の一杯となっている。

 ともあれ、トンコツラーメンのお供として、長年連れ添った女房に等しい、あのトッピングの存在を軽視するつもりなど、宗茂には毛頭無い、のだが、今のラーメンハウスでは製作不可能なのだ。


 トンコツラーメン、最高のお供――紅ショウガは。


 生姜(しょうが)らしき食材が、ガルディアナ大陸北西部に存在する領域、すなわち――魔族領域にある可能性が高い、という情報を、難民や元奴隷の者達とともに其の地へ到着したのち、ガーベイン兄妹から聞いた宗茂は、早速とばかりに山越えを宣言したのだが、ファクシナータから止められた。当然だ。

 ベルナス神山に座する、世界最強の種族たる竜族と、現代ユグドレア最強の人族にして、憤怒の権能者たる本多 宗茂が出会い、もし万が一にでも、()()()戦闘状態に入ってしまえば、ガルディアナ大陸どころか、ユグドレア自体――世界そのものが崩壊しかねない。で、あるならば、根源竜の一たるファクシナータが下界に居る理由――()()を考慮すれば、その可能性を捨て置くことができないのは、想像に難くない。


 ファクシナータの説得を受けて納得はしたものの、若干しょんぼり気味の宗茂の様子を見かねたエリザから、ひとつの提案がなされる。




 だからこそ宗茂は、エリザからの()()を選び、今ここにいる――そういうことである。




 それはさておき、ニンニクを揚げて生まれるマー油と、そのマー油のアレンジである黒マー油――焦がしニンニク油とも呼ぶそれを手中に収めた宗茂が、トンコツラーメンの次に連想したのがブラック系ラーメン、なのだが、宗茂は即座に頭を抱えることになる。

 ガルディアナ大陸における胡椒の原料――ルジュの実のトップシェアを誇るランベルジュ皇国とナヴァル王国が戦争状態にあると聞かされていたからだ。

 たしかに、胡椒が無くともラーメンは作れる、が、この世界の人々に、ラーメンの素晴らしさを伝えたい宗茂としては、胡椒を効かせたスパイシーな醤油ラーメンも食べて欲しい。なにより宗茂自身が、良質な素材が揃うユグドレアで、間違いなく美味であるはずの、白ランペパを効かせた醤油ラーメンが食べたい、食べたくてしょうがない。


 本多 宗茂が、国内外問わずに自由な行動を可能とする組織としてのラーメン屋を作るべきか、と考え始めたのは、デラルスレイク防衛都市から王都ナヴァリルシアに向けて出立した時期――この世界で初めて出来上がったラーメンをティアナとエリザに振舞い、はた迷惑な()()()()()をぶん殴った日から数えて、3日後のこと。




 そう、ここ半年の間に起きたアレもコレも、つまるところ、ラーメン大好きおっさんの完全なる私情、その結果である。










「――スープ……?」

「えー、副長、スープも知らないたたたたっ!?」

「ラーメンのスープってのは、俺らが普段口にしてる、あのスープと同じなのか?」

「本質的には同じですね。ただ、食事としてのスープと、出汁ダシとしてのスープでは、方向性が違いますが……」

「出汁、か……なるほど――」


 パンと米を主食としているランベルジュ皇国だが、ナヴァル王国の主食のひとつとして有名な麺料理――うどんも、一応は食されていることから、出汁の概念自体は、ある程度周知されている。とはいえ、刺激が強い食べ物を求める傾向のある皇国民からすると、味が薄くて物足りなく、料理のレパートリーも少ないからか、一部の人々が食すのみで、いささか不遇な扱いを受けているのが、皇国でのうどんの現状である。

 ちなみに、シド=ウェルガノンは大のうどん好きであり、その流れで、パスタを含めた麺料理自体が好物である。さらに付け加えると、黒ランペパよりも白ランペパの方を好む。

 シドのように、白ランペパを好む人々を白派、アイナのように、黒ランペパが好きで好きでどうしようもない者達を黒派と、ランベルジュ皇国内では呼称されている。

 だからこそ、シドもアイナも驚いていた。


 デラルスブラックから漂ってきた香りには、間違いなく、黒ランペパが混じっていたから。


 つまり、黒派であるアイナであれば、当然のように好物の範疇なのだが、白派のシドには、その一杯は刺激が強すぎる可能性が高い。で、あるにもかかわらず、シドも平らげてしまったのだ、いともたやすく、デラルスブラックを。

 単純な結論を言えば、ただただ美味しかった、それだけの話だが、当事者であるシドからすれば、その脳裏には疑問しかない。

 何故、黒ランペパを匂いとして感じるほど使われているにもかかわらず、何の抵抗もなく食べられたんだ、と。


 その答えは、スープと黒マー油にある。


「なるほどな……複数の出汁を合わせてるから、黒ランペパの刺激に負けないってことか……」

「そういうことです。スープは3種類――」


 今回、宗茂がデラルスブラック製作のために揃えたスープは――デラルスオーク、コカトリス、ベアラビットの3種類。トリプルスープにすることで、ランペパの香りや刺激に負けない、複雑かつ強烈な旨味を構成したのである。

 スープの比率は、デラルスオーク、コカトリス、ベアラビットの順に、2:2:1、となっている。


 デラルスオークのゲンコツとコカトリスのガラを三日三晩、丹念に仕込んだ、ラーメンハウスにおける標準的な2種類のスープ――濃厚な旨味を醸し出すダブルスープに、ドグル大平原産のベアラビットのスープを加え、トリプルスープとするのが、宗茂の構想。

 兎型の魔物特有の高い敏捷性を支える、強靭な下半身の骨という骨をスープの素材とし、一昼夜仕込んでは、次の一昼夜では寝かし、翌日に再び仕込んでいくというやり方で、言葉通り、ベアラビットの骨の髄までスープへと溶かし込む。


 それこそが、第3のスープであるベアラビットのスープであり、トリプルスープ最後のピースである。ただし、ベアラビットのスープは、他のスープに比べると濃度が高く、クセも強いため、隠し味のような使い方をするべく、少なめの比率にしたのである。


 タレは、エルフセウユ。

 トッピングは、デラルス白髪ネギのマー油和え、コカトリスの煮卵、クリムゾンブル(あばら)肉の角煮風スペアリブ。さらに、デラルスブラック限定、アクアグースの骨つきモモ肉の山賊(黒ランペパ)焼きを、別皿で提供。

 仕上げに、宗茂特製の黒マー油と、宗茂が()()()()した特製ランペパを、宗茂が想定する最低量を投入。以後は、各テーブル備え付けの黒マー油とランペパを、個々の判断で投入してもらう。


 これが、今回、ラーメンハウスが提供する渾身の一杯、デラルスブラックである――()()だった。


「それにしても、作る奴が違うと、こうも変わるもんなんだな……黒ランペパがこんなに食べやす――」

「――違いますよ?」

「……違う?」

「ええ……コイツに使ってるのは、黒()()じゃないですから」

「――っ!?」


 黒髪の店主の言葉を聞いたシドは、なにかを察したのか、少し慌てた様子で、黒く濁った液体をレンゲで掬っては、口の中へ。目を閉じ、咀嚼(そしゃく)するようにゆっくりと舌で味わう――ことで、気づいた、いや、気づけたというべきか。


「白()入ってる……けど、なんだ……何かが……それとは違う、何かが――」

「この、黒い油じゃないんですか?」

「違う……これも美味さの理由だとは思うんだが、そうじゃない……黒と白の中に、何かが混ざってる気が……」

「凄いですね、お客さん。そこまで分かれば、ほぼ正解ですよ。そうですね、あえてヒントを言うなら……普段は食べることがない、でしょうか――」

「普段は、食べない……そうか――」


 ――()かっ!!


 隣にいたアイナも、周囲でデラルスブラックを楽しみがてら聞き耳を立てていた魔導騎士団の者達やヴァルフリード辺境伯領の兵士達も、普段とは真逆の饒舌な様子以上に、シドが言い放った言葉の内容に、衝撃を隠せないでいた。

 地球の胡椒とユグドレアのルジュの実、その生態は、ほぼ同一である。差異があるとすれば、魔素の有無、その一点。そして、粉末にする際の工程においても差がない、ならば――と、宗茂の脳裏に、その選択肢が現れた。




 緑胡椒もしくは青胡椒とも呼ばれる段階、即ち――生の胡椒をラーメンの素材とすることである。




 胡椒の実には、加工前の状態が、4つ存在する。


 緑もしくは青と呼ぶ、未成熟の――(緑or青)胡椒。

 未成熟な実を天日乾燥させた――黒胡椒。

 果樹の実が成熟後、赤く変ずる――赤胡椒。

 赤く成熟した実の中身を用いる――白胡椒。


 これは、ルジュの実を加工する際にも、そっくりそのまま当てはまる変化である。


 ちなみに、赤ランペパは赤胡椒と同じで、ほのかな甘味と酸味、かすかに香る胡椒の風味が特徴――端的に言えば、最も刺激が少ないランペパである。

 サラダやマリネ、デザートに使われる調味料であり、ランベルジュ皇国民からは見向きもされない、不遇な立ち位置にある。

 基本的には、採取後すぐに皮を剥かれ、白ランペパへと加工される為、皇国の市場(しじょう)に赤ランペパが流通することは極めて少ない、いや――少なかった。




 ランベルジュ皇国の食品市場に、()の字を掲げる商会が公的に参戦する、その年までは。




 ともあれ、完全な生胡椒、いや、生ルジュを素材にすることは、距離の関係上、現在は不可能である。

 なにせ、未成熟なルジュの実の鮮やかな緑は、摘んでから3日もすれば黒ずんでしまい、その爽やかな風味もまた損なわれてしまうのだから。

 故に宗茂は、ある妥協案をもって、自分を納得させた。


 ――冷凍保存。


 そう、生が無理なら冷凍させればいい――地球出身の料理人であれば、十中八九、思いつくであろうこのやり方は、宗茂からすれば、やはり妥協でしかない。

 ポイントは、胡椒やルジュの実の長所のひとつである香り高さが、損なわれてしまうことにある。

 胡椒の実には胡椒油と呼ばれる香気成分が含まれており、常温で気体へと変ずる揮発性を備えているのだが、解凍されていく過程で生まれる水分とともに胡椒油が溶け出し、揮発してしまう。つまり、香りが損なわれるのだ。


 この現象は、冷凍した肉や魚を解凍した際に漏出する液体――ドリップと本質は同じである。


 冷凍と解凍、この二つの過程によってダメージを負い、保水能力が機能不全に陥ることで、水分とともに素材に含まれている成分が流出してしまうのである。

 そのことを熟知している宗茂は、正直なところ、冷凍されたルジュの実を使うことに抵抗がある。だがそれでも、品質が著しく落ちてしまった生のルジュの実に比べれば、香りの強さが雲泥の差であることから、冷凍ルジュの実をやむなく起用、黒白ランペパとのブレンドの試行を開始。

 試作の結果、黒、白、緑の順に、5:3:2の配合比率を良しとし、デラルスブラック専用のランペパを、一応、完成させた。


 ちなみに、携行用の冷蔵庫型魔導器に、冷凍機能を追加したのは、現在のガルディアナ大陸にて、最高クラスの技術を有する魔導師――リィル=ガーベイン。




 ラーメンハウス創始者である本多 宗茂の活躍、それを支えた最新鋭の魔導器の数々を生み出した、()()の有名な魔導師の中でも、最も高名な彼女の名が世に現れたキッカケこそが、この魔導器――冷凍機能を備えた携行型冷蔵庫であり、この時期から、陸上における食品輸送の在り方が劇的に変化したのは、また別の話である。










 さて、シドやアイナ、他の魔導騎士や辺境伯領軍の兵士達も、ランベルジュ皇国民である以上、緑ルジュやそれを粉状にした緑ランペパの独特の美味しさをよく知っている、すぐに失われてしまうことも。

 だから、驚いたのだ。シドと同じように、器に注がれている黒濁を口に含んで、ようやく気づいた――たしかに自分達の大好きな生ルジュの風味が潜んでいる、と。


 誰よりも早く気づくとは、流石は我らが副団長、ランベルジュ四魔導は伊達じゃないな――そんなことを口々にする周囲の声を耳に入れたシド、その心境はこうだ。


(魔導、これっぽっちも関係ねえよなぁ……テメエらが大雑把なだけだろうが、黒派ぁぁ……)


 その怒り、至極もっともであった。


 ところで、想像するのが非常に容易い、あるひとつの現実に、シドは、いつも(さいな)まれている。

 ランベルジュ皇国民の大半――7割超が、黒ランペパが好きで好きでしょうがない、黒派である。

 そして、黒派の言動は、直情径行で猪突猛進、気合いがあれば大概はなんとかなると信じている、そう、あのアイナ=ブラックスミスのような振る舞いをするのだ。

 つまり、だ。皇国民の大半が黒派、即ち、魔導騎士団の大半が黒派であり、殆どの者が、アイナのように、良くも悪くも元気に満ち溢れている反面、やることなすこと大雑把で度々やらかす、白派のシドからすれば、落ち着きのない悪ガキと変わらないということ。


 要約すると、どのような世界においても、中間管理職は気苦労が絶えない、そういうことである。


「ライスもテカテカしてて、いい香りがして、すんごく美味しいですよ、副長!!」

「――だな。そもそも、麺料理でライスを食べるって発想が驚きだ……うどんもパスタも好物だが、コレは正直、別格だな」

「ホントですね! 店主さん、どうして、ラーメンというのは、こんなに美味しいんですか!!」

「……なんの躊躇もなく、それを聞けるオマエにも驚きだ、いや、いつものことか……店主、別に答えなくても――」

「いやいや、かまいませんよ。特別なことじゃないですから。何故、ラーメンが美味しいか。それはですね――」


 宗茂が2人へ伝えたことは、実際、特別なことではなかった。だが、シドやアイナは、両者ともに深く頷き、この上なく納得していた。

 そして、一見すると強面無骨で職人色の強そうな店主から、何故だか楽しそうな気配が――祭り好きの国主が毎年欠かさず実施する建国祭の時のような期待感を、カウンター席に座った瞬間から、2人は感じていたのだが、その正体、その理由を、このときハッキリと理解した。


 ――感覚を楽しませる料理だからです。


 眼、指、鼻、耳、そして、舌。

 丼という舞台で、スープや麺、トッピングを駆使した表現――雄姿を楽しみ。丼から伝わる熱、持ち上げた麺が纏うスープの重さ――違和を楽しみ。スープやトッピング、香味油による姿なき主張――芳香を楽しみ。勢いよく(すす)り上げる麺――音を楽しみ。

 そして、それら全てを凝縮させて――味を楽しむ。


 それが、ラーメン。五感全てで楽しむ料理である――と、宗茂は不敵な、しかし、心の底からラーメンという麺料理を楽しんでいることが窺える笑顔で、シドとアイナに伝えていた。


 その表情が、2人に理解を促したわけである。


 ところで、五感を刺激する料理というのは、ラーメンだけしか存在していないのだろうか――否。

 それは本来、ラーメンに限ったことではない。うどんやパスタ、米にパンなどの主食。肉や魚、野菜や根菜、キノコ類などを用いた主菜や副菜、汁物――ありとあらゆる料理を通して、人の持つ五感は刺激される、それが正常である。

 しかし、その正常を異常に変えてしまう要素が、地球にもユグドレアにも存在する。故に、シドとアイナを含めた、炊き出しに参加したランベルジュ皇国民が、ラーメンに舌鼓を打ったとも言える。


 ――慣れ。


 人族に限らず、生物には環境に適応する能力が備わり、その果てにあるものが、いわゆる進化と呼ばれる形態の変化や移行である。

 五感の適応も、進化の一環であり、短時間であっても、急激な変化こそ無いものの、環境に即した変化を遂げる事例が、確かに存在している。

 地球での一例を挙げるのであれば、数多のスパイスに囲まれた環境が長年続いた結果、辛味に対する極めて高い耐性を獲得した民族の存在、その事実が、人という生物の適応性の高さを示している。

 そう、ランベルジュ皇国民の多くが、ランベルジュペッパーを含んだ食生活を長年続けてきた結果、ルジュの実の刺激に対する高い耐性を得たことも進化の一端であり、それ故に、生半可な刺激では満足できない身体になったのである。

 そんな彼ら彼女らの五感を、デラルスブラックが、強く揺さぶることができた理由。

 黒、白、緑をブレンドしたランペパの、暴力的ですらある刺激に負けず劣らずの、力強い刺激が、そこに存在している。


 ――黒マー油。


 その名の由来である魔法にふさわしい秀逸な香味油は、異世界の良質な素材の下、更なる高みへと昇る。

 宗茂特製ブレンドのランペパの香りや刺激に引けを取らない、黒マー油の存在が、ランベルジュ皇国民の、閉ざされていた五感の扉をこじ開けた。

 そして、ランペパと黒マー油は、お互いがお互いの良さを引き出し、ランペパという沼にはまっていた人々を、新たに現れた黒き沼へと引きずり込んだのである。


 だからこそ、変わった。


 ナヴァル王国とランベルジュ皇国、この二国の()()が、本来ならば血に(まみ)れていた筈の歴史が、悲劇が――()()が中止となった、その喜劇めいた展開に、()()()達は、いまだ気づくことは無い。

 あの時、あの瞬間の全力は、精々が()()()()程度であれど、それをまともに撃ち込まれたクレーマーの傷が、この短時間で癒える訳がなく、それ即ち、ガルディアナ大陸の動向を盗み見る輩が、今現在、存在しないことを意味する。


 この千載一遇の機を、()()が見過ごす訳もなく、故に、いくつかの種が蒔かれた、蒔くことができた。


 そして、蒔かれた種のひとつが、今この時この瞬間に、芽吹いた――真なる黒に宿る種から僅かばかりの芽が出た事実、現実がもたらした結果、それこそが、宗茂()の計略が成功したことを意味する。そして、そのことをドグル大平原にいる人々が知るのは、翌朝。




 ――ルスト=ヴァルフリード辺境伯、失踪。










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