君との約束
「碧ちゃん、ぼく碧ちゃんの事が好き。これぼくが初めて作った指輪。大人になったらもっともっとすごいの作ってプレゼントするから」
「透君ありがとう。ずっとずっと大事にするね」
ぼくは初めて作った指輪を渡す。シルバークレイで作った素人丸出しの稚拙な指輪だ。形も歪でデザインもありきたりのもの。それでもぼくの全てを注ぎ込んだものだった。今思えばなんてものを彼女にプレゼントしていたのだろうか。
そんなかっこ悪い形の指輪を受け取っても碧ちゃんは可愛らしい顔を綻ばせて微笑む。彼女の笑顔はぼくだけじゃなくて全ての人間を魅了するだろう。花が咲くような笑みはぼくの心を乱してやまない。今この瞬間彼女の笑顔はぼくにだけ向けられているのが嬉しくて仕方がなかった。
「指輪ありがとう。碧ね、いつかすっごい女優さんになるの。毎日テレビに出るようなスーパー女優。それで、テレビに出る時に透君の作ったアクセサリーを付けるの」
「ぼくのアクセサリー?」
「そうよ! 碧は大女優で透君は大人気アクセサリー職人なの。そして碧は透君と結婚するの」
「それいいね。ぼくも碧ちゃんと結婚したい」
「約束よ!指きりげんまん嘘ついたら—–」
***
「今になってこんな夢を見るなんて。俺と彼女は遠く離れてしまったというのに」
布団から起き上がり一人呟く。
俺は碧ちゃんに小学3年生の時に告白の意を込めて指輪を渡した。
貴金属職人の一家に生まれた俺は昔から指輪などといった装身具に触れる事が多かった。そんな俺がアクセサリーに関心を持つのはある意味では当然だった。 幼い頃からキラキラとしたものが好きだった。ダイヤモンドの眩しい煌めき、サファイアの深い青、ルビーのピンクがかった透明感のある赤。その輝きは俺を魅了してやまなかった。男子が好むカードゲームやフィギュアではなく、アクセサリーを模したオモチャが大好きだったのだ。
それを身につけたいというわけではない。ただ見ているだけで幸せだった。そしていつかこんなものを作りたいと思っていた。
だけど男にしては珍しい趣味は悪い意味で目立った。あだ名はオカマちゃんだった。そしていじめられることもしばしばあった。内向的で男らしくない性格も相まって友達はいないに等しかった。そんな中で唯一俺と仲良くしてくれたのが碧ちゃんだった。
碧ちゃんは俺の隣に住む女の子で幼稚園の時からずっと仲良しだった。彼女だけは俺の趣味をバカにする事はなかった。それどころか一緒になってアクセサリーを素敵と共感してくれたのだ。
彼女とは馬が合ったおかげでずっと一緒にいた。親同士も仲が良かったので家族ぐるみで遊びに行くことも多かった。
天真爛漫で愛くるしい彼女はずっと俺の中できらめいていた。それこそ宝石のようだった。そして気がつけば彼女に俺は惹かれていた。
彼女に恋した俺は子供ながらに自分が作った指輪をあげたいと思った。
俺はシルバークレイのキットで作ったなんとも稚拙な指輪をプレゼントした。そして腕を磨いて将来もっと素敵なものをプレゼントすると約束したのだ。
だけれども小学4年生の時に彼女と俺は離れ離れになった。彼女は親の都合で東京へ引っ越して行った。
当時は携帯電話なども普及しておらず俺と碧ちゃんが連絡を取る手段は手紙と電話しかなかった。
最初はお互いに手紙のやりとりをしていた。普通ならばすぐに途切れるやり取りだ。だけれども俺と碧ちゃんの手紙のやり取りは数年間続いた。正確に言えば俺と彼女が高校2年生の時まで続いていた。だけどやり取りの頻度は徐々に減って行った。その間も俺は貴金属職人になるべく勉強を続けた。彼女の指を飾り立てる最高の指輪を作るために。
そして彼女が芸能界デビューし、知名度が上がるとさらに返事は返って来なくなった。そして今ではやり取りは断絶した。俺から再び手紙を送る勇気はなかった。もしそれで手紙が返ってこないととてもではないが立ち直れないからだ。
碧ちゃんが転校してからはまた独りぼっちになった。だけれど碧ちゃんの約束を胸に秘めて俺は生きてきた。
彼女との約束を思い出す。
碧ちゃんは着実に女優としての成功の道を歩み始めていた。一方で俺は冴えない貴金属職人だった。彼女に指輪をあげる日なんていつ来るのだろうか?
***
「やっぱり違う」
仕事終わりの時間は工房を借りて指輪の制作にあてた。いつか彼女にプレゼントするためのものだ。
だけれどもイマイチ納得するできのものではない。形も歪んでいるし、輝きだってどこか鈍い。洗練された美しさとはいえないものだった。碧ちゃんには到底似合わない。
「違うって何がだよ。この指輪だって十分すげーよ」
「全然ダメだ。だって形も輝きも石の留め方も納得行かない」
「俺からしたら良いと思うけどな。お前、一番の有望株だろ。そんな気にすんなよ。大体この世界は大成するまですごく時間がかかる。あんま根詰めるよな。親方も心配していたぞ」
「わかった。今日はもう帰るよ。じゃあな、また明日」
「じゃあな」
同僚の励ましの言葉は今の俺には響いてこなかった。何故ならこないだのジュエリーコンテストで俺は入賞を逃したのだ。親方はよく頑張ったと励ましてくれた。
だけれども俺は自分の才能がないとまざまざと突きつけられた気がしてその言葉は心に響かなかった。それからは空いた時間を見つけてひたすらインプットとアウトプットを繰り返した。材料となる石や地金は高価なものだ。実際に給与のほとんどはそれで消えている。それでも作らずにはいられなかった。とにかく少しでも早く一人前になりたい。みんながあっと言うような職人になりたい。ただそれだけだった。そうしないと碧ちゃんとは釣り合いが取れない。
家に戻った俺はテレビをつける。これは日課だ。碧ちゃんが出演しているドラマを見るのだ。
今日はいつもより帰宅が早かったのでまだドラマは始まっていなかった。ニュースが流れている。聞きなれないアナウンサーの声が右から左へと流れていく。
ニュースの内容は女優の須藤碧と男性アイドルの西越祐の熱愛報道だった。二人はこの間まで放送していたドラマで共演していた。何があってもおかしくはない。だけれどもあまりにも酷い展開だった。一応双方の事務所はこの報道を否定している。だけど信じ切る事はできなかった。
幼い日の約束という甘くてそして浅い夢を見続けていたのは俺だけだったのだ。
その事実に気がついてしまった俺の心は簡単に砕け散った。ガラスのように脆い心は粉々になっていく。そして理性という膜が剥がれた俺はとある行動に出た。
***
あれから数日後俺は彼女を攫ってきた。芸能人だから彼女へのガードは固かった。それでも夜に1人きりになったところを狙った。
背後から薬を嗅がせて車に押し込んで自宅のアパートに連れてきたのだ。
きっと俺はすぐに捕まってしまうだろう。だけれども碧ちゃんが他の男の元に行ってしまうことが許せなかったのだ。
「ごめん。君が他の男に取られるのだけは我慢ができなかったんだ」
眠っている彼女に僕は謝る。だけどそれでも碧ちゃんを自分のものにしたかったのだ。俺は王子様にはなれない。正攻法では勝てないのだ。だって今人気のアイドルと冴えないジュエリー職人のどっちを選ぶかなんて目に見えている。
あの時の約束を覚えていたのは結局俺だけだったのだ。いや、子供の頃の約束だ。本気にしている方がおかしいのだ。だけれども俺はその約束だけを拠り所として生きてきたのだ。そのきっかけとなった碧ちゃんは俺の人生と言っても過言ではないのだ。だからごめん。王子様じゃないけれどお姫様と結ばれたい俺を許して欲しい。
彼女を着替えさせるためにシャツのボタンに手をかける。女優として活躍する彼女の身体は隅々まで手入れされていた。しっとりと触り心地の良い白い肌はシミも傷も何一つない。首元が一瞬だけキラリと光る。その光が気になり首元へと目をやる。
彼女の首元にはネックレスがつけられていた。プラチナでできたチェーン。そして俺の目を引いたのはペンダントトップだった。上品で高級感あふれるチェーンとはおよそ不釣り合いな歪な形のシルバーリング。見覚えがありすぎるものだ。
小学生の時に俺が彼女にあげたものだった。どうして? 彼女は俺なんてどうでも良いはずなのでは。だってあのアイドルと熱愛報道が流れていたくらいだ。
「約束したじゃない。透君はジュエリー職人で、透君の作ったアクセサリーをつけて私が舞台に立つって」
碧ちゃんが目を覚まして僕にゆっくりと語りかける。
「約束覚えていたの?」
「もちろんよ。そのためにずっと頑張ってきたの。透君は違ったの?」
「ずっと覚えていたさ! じゃあなんで手紙を返してくれなかった? 君からの手紙がただでさえ減って不安だったのに。パッタリ手紙が来なくなったら不安になるだろう。それにあの熱愛報道だ。疑うに決まっているだろう」
「ごめんなさい。事務所にスキャンダルになるかもって言って止められてたの……。イメージが大事な仕事だから手紙のやりとりがバレたら格好のネタにされるって……。それに熱愛報道はマスコミのでっち上げよ。西越とは付き合ってないわ」
熱愛報道は嘘だったのか。その言葉を聞いた途端に頭が冷えてくる。俺は何をしていたんだ。勝手に勘違いして、裏切られたと自棄になった上に好きな子を誘拐してくるなんて。
「そうだったのか。早まった真似をした。ごめんね」
「本当よ。バカ。透君は私を信じてくれなかったの?」
「そういうわけじゃないんだ。だけど俺は……僕は……君とは違う。僕は冴えない埋もれてしまうような雇われ職人。君はいまをときめく女優だ。僕からしたら天上人だ。そんなの釣り合うわけがないだろうって思うだろ。芸能界には素敵な男がいっぱいいる筈だ」
「釣り合うとか釣り合わないとか関係ないじゃない。私はずっと透君の作ったジュエリーをつけるのを夢みてたの! 透君は私の夢なんてどうでもよかったの? 」
「違う! だけど君がどんどん離れていくのが辛かった。減っていく手紙のやり取りから始まって、君は女優としての階段を登っていくのを見るたびにそう感じた。それなのに僕はパッとしないジュエリー職人。碧ちゃんに置いてかれる気がしたんだ。そこで熱愛報道だ。心かき乱されてぐしゃぐしゃだった」
「そうだったのね。私の方こそ何も言わなくてごめんね」
情けない。彼女はずっと僕のことを覚えてくれていたのだ。それなのに僕が勝手に勘違いしてこんな早まった行動に出てしまったのだ。
「ねえ、この指輪は透君が作ったの?」
碧ちゃんは机の上に投げ捨てられた指輪を手に取る。この間俺が失敗作と言い切ったものだった。
「そうだよ。君にあげようと思って作った指輪だ」
「素敵! ねえ透君、この指輪貰ってもいい?」
「え? だ、だめ! こんなの碧ちゃんにあげられない!」
まさかの申し出に狼狽える。俺からしたら失敗作もいいところだ。だけど碧ちゃんはいつの間にか指輪をはめていた。
「どうして? ほらこんなに素敵じゃない」
碧ちゃんは指輪をはめた指を見せびらかす。
「これ失敗作なんだよ。君の指を飾るにはもっともっと素晴らしいものじゃないと」
「へー。もっといいもの作ってくれるの? じゃあこうしましょう。透君が最高の指輪できたらコレと交換するっていうのはどう? それまでこの指輪は私が預かっているわ」
「え?」
「だって透君の作るアクセサリーをつけるのずっと夢だったの。好きな人が作ってくれたものを身につけられるなんてとても素敵じゃない?私も女優としてもっともっと頑張るわ。ねえそれじゃダメかしら?」
「いいに決まっているじゃないか。俺は天才じゃないからきっと時間はかかる。きっと君を待たせてしまうだろう。それでもいいかい?」
「もちろんよ」
彼女は俺の手を取って柔らかく微笑む。ブラウン管で見るつくられた完璧な笑顔ではない。だけれどもその笑顔は十数年前に俺と一緒にいた時と何1つ変わらなかった。