歯車
私の世界、私の夢
私の生み出した…とある歯車
ぱちぱち
まばたき
視界に間接照明の柔らかな橙色が染み渡る。
まるで耳がなくなったかのように音のしない視覚情報のみの世界で、両手が温かく包み込まれる。
意識を向けると、温水が両手を通り受け台の中、きれいな楕円に繰り抜かれた銀色の中心に流れ、吸い込まれていくのが見える。
手を水で流されるまま視線を広くずらしていく。
腰の位置までの横に広い台。
水を吸い込んでいったくぼみは左右も一つづつ並んでおり、自動で水が流れる蛇口がついている。
くぼみの中は、間接照明もあいまってほんのり桃色に見えなくもない。
台のこの模様と光沢は…大理石…だろうか。
触るとすべすべとしてひんやり冷たい。
………。
濡れた手のまま触ったことに後悔し、左側の壁沿いに置いてある手洗い台の紙タオルを二枚、シュッととって手を拭く。ついでに台につけた水も拭く。
手を流すために屈めた腰と、頭を支える首の鈍痛を感じ、重たい体を起こして前を見る。
私がいた。
手洗い台と同じ横幅、一枚の大きな鏡だ。
私の腰から上の部分、台座が少し、そしてこの空間が私の背景に写っている。
きょろきょろと首を回し、反転した世界から目を外す。
どうやら台に向かって右側がトイレ、左後方に出口があるようだ。
鏡に背を向け、一歩、二歩、三歩。
真後ろにあったゴミ箱に、使い終わったまま持っていた紙拭きを捨てる。
すぐ横には出口がある。ドアのような仕切りはないが、通路が折れ曲がって続いているようで、先は見えない。
広々としていてとても良いトイレだ。
手を洗っていたということは用は済ませたんだろう。
三つ並んだトイレのドアは全て開いており、この空間には私しかいないことを教えてくれる。
壁は焦げ茶の木目、差し色に金色、床や台は薄い灰色のマーブル模様の入った白い大理石。どこもかしこもお洒落で、高級なホテルのトイレのようにも見える。
ふ…と。
先程は見落としたようだが、一番左端の手洗い場。
手を拭いた紙タオルの少し上。
その辺りに、パネル…だろうか。壁より厚みをもって浮き出た木目調のものがある。
それは横長の長方形に金色で縁取りされ、この空間にはよく合う色合いだ。
パネルの丁度真ん中には同じく金色で四角く縁取りした部分があり、黒字に金色で【7】の数字が見える。
そして、数字の右側にはさらに文字が。
【7】番目をお読みください。
「7番目をお読みください…?」
思わず口に出して読み上げる。
7番目とはなんだ?
トイレは3つだぞ?
手洗い場も3つ。出口は1つ。
意味がわからない…
疑問しかない中、更に気がつく。
【7】の部分が立体的な歯車のような作りになっており、回せば数字が変わるようだ。
くるくるくる
ガチャン、ガチャン、ガチャン
スムーズに回るものの、しっかりした造りのようで、数字が変わる度に固く止まる。
1、2、8、5…
数字の並びはバラバラだ。
よくわからないので7に戻しておこう。
くるくるくる…
ガチャン、ガチャン、ガチャン…
ない。
くるくるくる…
ガチャン、ガチャン、ガチャン…
7がない…!?
どれだけ回しても7はない。
違う数字ばかりがランダムに巡っていく。
謝ろう。
まだ誰にも会っていないのにそう考えた。
好奇心に負けて回したことを後悔した。
早くこの場所を離れよう。
手洗い場を右にトイレから出る。
落ち込んだせいで視線が足下を彷徨う。
お洒落に裁断された私の白い革靴が廊下の柔らかい絨毯を踏みしめる。
高級そうな大理石の壁に、安っぽいオフィスにありがちな灰色の絨毯はすごくアンバランスだ。
1歩、2歩、3歩。
交互に踏み出す足から目線を上げていくと、少し先に横切るように太い廊下に出るようだ。がしかし、そこに至る道を遮るように出口には黒いスーツの老紳士然とした人物が立っている。
顎髭をはやした四角い顔に一文字に引き結ばれた口。
真面目そうな太い眉に開閉の判断が難しい優しそうな糸目。
綺麗に整えられた白髪オールバックに、黒いシルクハット。
黒い革靴に黒いステッキ。
首には黒い蝶ネクタイをしており、スーツというよりかは燕尾服のようかもしれない。
ピシッと伸ばした背筋とピッタリ揃えられた足は顔立ちの年齢にそぐわない威厳と力を感じさせる。
不思議と畏れを抱かないのは、私が混乱しているからだろうか…?
彼は一言
「なんと読みましたかな?」
混乱のただなかにいる私は咄嗟に答える。
「え、えっと…?なな…番目をお読みください?」
ふむ、と。
老紳士はにぃと笑った。
「よくぞ。」
褒められた事に戸惑いながら、謝罪をしようと
―崩れる。
世界が綻ぶ。溶け出すように綺麗な金色をなびかせて。
足元が崩れ熔け落ち、私も落ちていく。
暖かで柔らかい、熔けた歯車の中へ―
生み出された歯車は意味を持つ
意味を持てば噛み合う
噛み合えば意味をもつ
意味を持ってこそ生み出される
意味を持たない歯車は存在しない
噛み合わなければ歯車ではない
歯車でなければ噛み合わない
存在しないものに意味は問えない
――――――――――――――――――――――――――――――
ではなぜ噛み合わない歯車が存在するのだろうか?
その歯車の意味を
この歯車の存在を
"君が"見いだせていないのだ
存在するものには意味がある
が、その存在も意味も
常に君に見えているとは限らない
君にも私にもそこら辺の人間にも、
そう、君の目の前にいる人にだって
皆、視えるものは違うのだから