7話
「成る程、大筋は理解しました」
虚ろな瞳で虚空を見つめ、彼女は溜息をついた。
和服の美人が洋室のテーブルでセイロンティーを飲んでいる様はなかなか奇妙なものである。
「だからさ、帝がアンタを裏切ったとか思ってるならお門違いだよ。本当に愛してたアンタと会えないなら永遠の命なんか要らないって、彼はそう思ったんだ」
「解っています。皆まで言わないで下さい」
溜息をまた一つ。
吐きたいのはこっちの方だ。
一体全体、何がどうしてこいつらは俺を帝と間違えてしまうのだろうか。全くいい迷惑である。
「……悲しいか?」
「いえ、怒っています」
「……だろうな」
悲しいはずがない。そんなことでこの女は――俺たちは悲しみはしない。
「激おこぷんぷん丸です」
「…………」
月の都で流行ってるのかな、若者言葉。
「先ほどのお噺には大きな誤解があります。少なくとも殿方達に無理難題を唱えた覚えはありません。記憶が正しければ、寧ろ粗悪な代物で私の気を引こうと殿方達が躍起になっていたのです」
怒りの対象も帝ではなく昔話のほうなのね。やっぱりこの女も俺と同じか。
「……それは難題求婚譚って奴だよ。そういう物語が結構あるんだ。もしかしたら作者が面白おかしく書こうとして、事実を弄ったのかもな」
「成る程。貴方は博識ですね」
事実を弄ったのは作者なのか、それともこの女なのかは微妙なところだが。
「とにかくまぁ、アンタは愛されてたんだよ。そしてアンタを愛してた奴はとっくの昔にくたばったんだ。だからさ――」
「あ、少々お待ちになって」
「え? あぁ、はい」
それっぽいことを言おうとしていた俺を遮り、彼女は懐から小箱を取り出した。
木のような石のような、素材はよくわからないが、彼女はその蓋を開けると中のものをつまみ上げ、ヒョイと口の中に放り込んだ。
いや、まさかとは思うけど……。
「……それって、不死の薬?」
「ええ。貴方もお一つ如何?」
予感的中。
それはパチンコ玉くらいの黒い球体で、一見下痢止めにしか見えない。
「冗談じゃないわ」
「うふふ、冗談ですよ? あははは!」
しかもアッパー系ですか。
非常に厄介ですよこれは。
だがしかし、上機嫌な今なら簡単に丸め込む事が出来るかもしれない。
「なぁ輝夜姫」
「あら、そう呼ばれるのは久し振りですね。如何なされました帝様?」
だから俺は帝じゃないんだって。
物分かりが悪いのか、それとも薬が悪いのか。
「アンタ、地上を滅しに来たんだろ?」
「ええ! さすが帝様はなんでもご存知ですのね。それがどうかなされて?」
躊躇なく、あっけらかん。
よくもまぁそこまで堂々とできるものだ。
「一つ提案なんだけれど、辞めてくれないか?」
ならば、こちらも負けずに堂々と胸を張る。
気持ちで負けたら勝てるわけがない。
「帝だけじゃない、アンタの面倒を見た爺さん婆さんもこの星の人間だった。ここはアンタの第二の故郷なんだよ。それが無くなるなんて寂しいじゃないか」
「ええ、まぁ、それはそうなのですけれど」
ここに来て初めて彼女の表情に迷いが生まれた。
竹取翁夫妻から受けた恩を忘れてはいないようだ。
なら、そこに漬け込めば説得も難しくない。
「アンタが仕出かそうとしている事を知ったら二人とも悲しむだろうな。実の子のように大切に育てた娘が、故郷を滅茶苦茶にするなんて最悪だ」
「それは……」
効いてる効いてる、思った通り。
そもそもこいつは帝のせいで心を病んだという名目で地上を破壊しようとしているのだ。なら、その原因である帝を使っても下手をすれば火に油を注ぐだけ。こういう場合はいざこざと無関係の第三者を出すのが正解だ。
「だからさ、頼むよ。爺さん婆さんのため……いや、アンタ自身のために辞めてくれ」
「…………」
お姫様はついに黙り込んだ。
俺の提案が彼女のためのものであると思い込んで葛藤しているのだろう。
いやはや、案外チョロいものである。
「…………ふふっ」
不意に彼女は笑った。
「あはははっ!」
自分がしようとしていた事の愚かさに気づき思わず笑ってしまった。
とか、そんな雰囲気ではない。
「やっぱりダメ~! 滅しま~す!」
楽しそうに笑うその瞳は、登ったばかりの月のように、どこか禍々しく光り輝いていた。
いや、なんで?
全体的に順調だったろ?
「……どうしてそうなるんだよ?」
「あはは。どうしても何もありませんよ? 嘘つきの帝様」
「は? いやだから、俺は帝じゃ――」
「まだ白をお切りになりますかっ!」
彼女は叫んで、テーブルを強く叩いた。
思わず跳ね上がる俺を、その瞳は睨みつける。
「ええ、ええ。解っておりました。貴方様は他の女性にご執心なのでしょう? 私はこんなにも愛しているというのに、私はこんなにも想っているというのに。ねぇ帝様、そうならそうとはっきり仰って下さいな」
その鬼気迫る表情は、彼女が適当な事を抜かしているわけではないことを物語っている。
もしかして、本当に帝を愛していたのか? 俺のように嘘偽りではなく、心の底から。
だとしたら、俺はただ、一人で勘違いしてただけなのだろうか?
いや、そんなわけはない。こいつは、この女は、かぐや姫は、俺と同じはずなんだ。
「じゃ、じゃあ」
そんな情けない声が出る。
「本当に愛しているなら、なんで俺と帝が別人だってわからないんだよ? 顔とか声とか、全然別物だろ? それ以前に、そんな長い年月覚えていられるはずはないんだよ」
そんな根拠も何もない俺の言葉に対して、かぐや姫は再び俺を睨みつけた。
「ありますよ。貴方が帝様である根拠なら」
余りにも自信に満ちた言葉に続いて、彼女はとんでもない行動に出た。
「ちょちょちょ! 何脱いでんだよ!?」
彼女は唐突に着物をはだけ、その白い肌を曝け出したのだ。
もしかすると、「頭では忘れていても、身体は憶えてそうろう」とか言いながらエッチな展開になるのだろうか。
とか。
まぁそんなことはなく。
「ご覧下さい、帝様」
俺はさらなる衝撃を前に、言葉が一切出なかった。
「この通り、輝夜はいつでも貴方様とひとつでございます」
彼女の白い背中に、俺の顔が描いてある。
描いてあるというか、着物を着た俺の刺青が彫ってある。
これは流石にドン引きだ。
身体が憶えているどころか、身体で憶えているではないか。
「うわぁ……えぇ?」
「月の都一の彫り師にお願いしましたのよ? まるで鏡を見ているようではなくって?」
「なんでそんなの彫っちゃったんだよ……」
「愛しておりますもの。貴方様のそばを片時も離れたくないのは当然でしょう」
見れば見るほど俺にそっくりだ。彼女の言う通りまるで鏡映し。彼女の背中に反射しているかのようである。
「えっと……うん。わかった。確かに帝は俺に似てるな。まるで双子みたいだ」
「まだ白を切りますのね」
「…………」
まずいな。このままではいつまで経っても話は平行線だ。
いや、このまま水掛け論が続いてくれればありがたいが、このメンヘラはもう我慢の限界だろう。
「もういいです」
「まて、なにもよくない」
「今すぐにでもこの星を破壊します」
「いや、俺の話も聞いてくれ」
「未練はありません。それでは帝様、さような――んっ!」
こうなれば手段を選んでいられない。
できれば二度とこんなことはしたくなかったのだが、現状を覆すにはこれしかない。
「あっ、帝様、そんないきなり……」
相見え、愛塗れればそれでいい。
「ごめんな輝夜、試すような真似をして。俺もずっと待っていたんだ、お前がもう一度、こうして俺の前に現れるのを」
ここから先は全てが嘘だ。
この物語はフィクションであり、実在する人物、団体、事件には一切関係ない。
「布団に行こうか、輝夜」
「……はい」
彼女の手を取り、寝室のベッドに押し倒す。
そこから先は、工場の様な流れ作業だ。