3話
一体全体、何がどうしてこうなった。
「ぽろろろぽろろ……」
寝室のダブルベッドを占領し、訳の分からぬ寝息を立てる和服の少女。
結局マンションに連れ帰ってしまった。
大丈夫だろうか?
ご近所さんに目撃されていなければいいのだが。
仮にだ、こんな年端もいかない少女を自宅に連れ込んでいることが誰かにばれてしまったら、今度こそ通報される可能性もなくはない。
しかしだよ、ひとりぼっちの宇宙人を手厚くもてなし寝床まで与えてやったのだ、これ以上にハートフルストーリーもそうそうないだろう。
竹から出現した赤子を育てるサイコストーリーよりもかなり良心的なはずだ。
だがまぁ、設定はある程度詰めておいた方が良いかもしれない。
こんな地方都市でまともな近所付き合いなんてほとんど皆無に等しいが、不安要素はいざというとき大きな穴になりかねない。
娘というには年が近いし、兄妹というには離れすぎている。
姪っ子あたりが良い落としどころだろう。
「おーい、起きろ。もう昼過ぎだぞ」
「ぴろぱるぱんぱん……」
とてもよく寝ている。
なんて幸せそうな寝顔をしているのだろう。起こすのが申し訳なくなるじゃないか。
「……そんで、お前は俺に何をして欲しいんだよ。無理だぞ、月の民を撃退するなんて」
俺に、というよりは帝にか。
昨晩寝る前に『竹取物語』を読んでみた。
起源やら逸話などは度外視で、とにかくその内容を頭に叩き込んだ。
不死の薬と帝の関係やら、かぐや姫の動向、月の民の戦力とか、まぁ色々と、物語を読むのではなく歴史を学ぶように。
だけど正直よくわからないことが多くて困っている。
不死の薬についても、それをかぐや姫から受け取った帝は焼き捨てているから効能がよくわからない。
額面的に受け止めれば不死身になる薬と考えるのが最もらしいが、この子の話だとかぐや姫はそれを過剰摂取してラリってるようだし、宇宙人の生み出したものとは言えど、副作用的なものもあるのだろう。
薬も過ぎれば毒となる。
この世界における薬がそうであるように、月であってもそこだけは変わらないらしい。
この子の言い分的に、不死の薬を飲めば食事もとらずに済むようであり、それは確かに不死身であることの証明でもありそうだが、それなら月の人口はどうなっているのだという疑問が残る。
少なく見積もって1000年、かぐや姫がこの地上に降り立ってからそれだけの時間が流れている。
地底に膨大な土地を構えていたとしても、すでにパンクしていそうなものだ。
出生率の問題かとも思ったが、少し考えれば答えは出た。
昔の記憶を辿れば、絵本の中のかぐや姫は竹の中から現れた段階で、赤子と言うよりは小人と言った方が良さげな出で立ちだったし、なんらかの技術で縮小され、地球に送られてきたと言う可能性が高い。
それに、昨晩読んだ原文にはこう記されていた。
『三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり』
だったか。
絵本の挿絵と合わせて考えれば、それはやはり、赤ん坊とは全くの別物なのだろう。
三寸――約9センチ、人間の赤ん坊でもそんなに小さな者はいない。
そして何より、かぐや姫がこの地に降り立った理由を考えれば彼女が赤子でなかったことはすぐに分かった。
『かぐや姫は、罪を作り給へりければ』
彼女は姫という立場でありながら、罪を犯した犯罪者であり、その罰として不浄の地へと島流しにあった。
赤ん坊が罪なんてこしらえるか?
地球人の感覚で言えば、んなわけないだろとはっきり答えられる。
ともなれば、やはりかぐや姫は縮小された状態で竹の中に送り込まれたと考えるのが妥当であり、縮小化できるというなら土地の問題も解決されるだろう。
逆に本来は三寸程度のサイズであり、パプリナのサイズが巨大化された状態である可能性も考えられる。
かぐや姫が人間サイズになるまで三年の月日を要した理由は不明だが、それも罰の一環と考えるのが妥当だろう。
どちらにせよ巨大化なんてされた日には俺一人じゃどうしようもない。
その上、月の軍勢を前にかつての人間たちは手も足も出せなかったというじゃないか。
出なかったのではなく、出せなかった。体から力が抜け、弓を射れなかったという話だ。
技術なのか、それとも本来持つ能力なのかは不明であるが、それでは抗いようがない。
仮に攻撃できたとしても、月の民には影になって消えると言う超能力チックな技まであり、更にパプリナが所有する首飾りから発せられたレーザー光線みたいな攻撃をしてくるのであれば、いかんせん勝ち筋などありはしないだろう。
「まぁ、いくら考えても仕方がないか」
どちらにせよ、答えは目の前の眠り姫が握っている。
なら、善は急げだ。
「ほら、起きろ。昼飯出来てるぞ」
「ごはん!」
すごいな。ご飯で一発起床かよ。
「……? ここはいずこなり?」
「俺の家だよ。ほら、飯食うぞ」
「はーい」
まったく、呑気なものだ。
俺の苦悩も、昨日タクシーで眠ったお前をここまで運ぶのにどれだけ苦労したかも知らないで。重いんだよその着物。
というか、初対面の男の家で目を覚ましたというのに微塵も焦らない辺り、月の人間というものは貞操観念が薄いのだろうか。
どちらにせよ、俺がロリコンじゃなくて良かったな。
「はて? 使用人は何処におわすなり?」
「いないよそんなの」
「は〜。流石は帝にあり。一人にして斯様に広き邸に住まわれているとは」
「……うんまぁ、税金対策だよ」
「ぜいきん?」
流石に税金は分からないみたいだ。
月の都に無いものは翻訳不能といったところか。
「あなや! なんぞこれ〜!」
ダイニングまで連れて行くと、テーブルに並んだ昼食に彼女は歓喜の声を上げた。
「オムライスだよ。冷めないうちに食べな」
「やんごとなき〜! いただきます!」
「召し上がれ」
彼女はスプーンを使い、迷うことなくオムライスを口に運んだ。
異星人を相手に疑うこともしないのか。
粘土とかでも食い物って言えば食べちゃいそうだな。
「う、うまし〜! おすらいすうまし〜!」
「オムライスな」
流石に酢飯単体では出さん。
「地上の民は常日頃から、こんなに美味なるご飯を食べてそうろう?」
「そんなにうまいか?」
「然り〜。幸せにあり〜」
「そうかそうか」
ふふふ……超嬉しい。
言葉もそうだし、本当に幸せそうな顔で食うもんだからこっちまで幸せになっちゃうわ。
作り甲斐がありすぎて困る。
「月では普段何を食べてるんだ? あぁいや、飯食わないんだっけ?」
その割に、この子はいつも腹ペコだが。
「不死の薬を賜るまでは、誰しもごはんを食べるなり」
「あ、そうか。生まれてすぐ飲まされるわけじゃ無いのか」
不死というからには不老も含めているのだろうし、ある程度成長してからじゃないと飲ませるわけにもいかないだろう。
「然り〜皆パナップとパピコを食べているなり」
「甘党な上に腹下しそうだなおい」
アイスばっか食ってるんじゃないよ。
そして具体的な名前を出すんじゃない。
「? パナップもパピコも苦くて美味からず」
「あ、アイスじゃないのね」
「あいす?」
どうやらたまたま同じ名前だったようだ。
まぁ、そりゃそうか。
月の都とかいう神々しそうな世界に庶民のおやつがあってたまるか。
「美味なるものはピノのみなり。パリッとした外装とひんやりクリーミーな内装のコントラストが実に――」
「急に饒舌になるんじゃないよ! そしてそれはもうピノだよ!」
「はて?」
ダメだ、食い物の話は変な深みにはまる気がするからこれ以上広げてはならない。
今は目の前のオムライスに集中だ。
……味はまあまあだな。
にしてもオムライスって、なんでこれを作ろうと思ったんだろう。
ダメダメ。
考えるな。
「そんで、真面目な話、俺はどうすればいいんだよ? かぐや姫さんは地球を破壊する気満々なんだろ? なんかよくわかんないけど、俺にそれを止める手立てなんかないぞ」
「大事ないなり。帝はただ、姫と相見えればそれでよき」
「会えば、それで解決するってことか?」
「然り〜。相見えて、愛塗れればよきにそうろう」
「相見えて、愛塗れれば?」
「然り〜」
愛塗れる。
そんな日本語聞いたことないぞ、とか、そんなこと言っても今更で、尚更理解に苦しむばかりだ。
結局のところ、地球人でも月の民でも、分からないのは感情だ。
それは物語でも、歴史でも、現実だってかわらない。
「三十日後、姫は再びこの地に来たる。帝はその時までしばし待たれよ」
「三十日後に来ちゃうんだ……」
一ヶ月、それしかなんだ、地球の寿命。
この子は俺が会えばそれでいいと言った。
相見えて、愛塗れればそれでいいと。
じゃあ俺はそれまでの間、どうすればいいんだ。
地面に醜く這いつくばったまま、どうしろって言うんだよ。
「それまでの間、お世話になりけり〜」
「えっ?」
「はて?」
もしかしてこの子、かぐや姫さんが降臨するまでうちで暮らすつもりなのでしょうか?
「いや、ちょ――」
「うぇ……この赤き物は毒物にそうろう……?」
先ほどまで嬉しそうにオムライスを頬張っていた彼女は、突然顔を歪めてそう言った。
「え? 違うわ。トマト美味いだろ?」
「こ、これはいと悪しなりぃ……」
「ちゃんと食べろよ」
「し、しかりぃ……」
まぁ、確かに一人じゃ広すぎる家だし、一ヶ月くらいなら先延ばしにしても構わないか。
それに、表情豊かな彼女を見ていると、何故だか心が落ち着く。
本来分からないはずの感情が全て見えてしまっているからだろう。
最後の一ヶ月くらい、そんな訳のわからないやつと一緒にいるのも悪くないかもしれない。