1話
いつも大変お世話になっております。
この作品はコンクール用に執筆していたのですが、寝ている間に締め切りが終了し、雪が積もっていたはずなのに夏の暑さを近くに感じる季節になってしまいました。不思議ですね。
書き溜めておりますので1日1話くらいのペースで手直ししながら投稿します。
色々とアレなソレですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
美しく瞬く満点の星空。
もしも鳥のように飛べるなら、青空ではなくこんな夜空を羽ばたきたい。
星々が余りにも美しく光るから、きっと肩身は狭いだろが、ずっと心は晴れやかだろう。
「まあ」
翼を持たない今の俺にとってはなにもかにも妄想の夢物語。出来もしない空想の産物。どうやったって醜く地面に這いつくばるばかり。
「ははは」
渇いた笑いは夜の闇に虚しく消えていく。
夢を見るのは今のうち。
現実を見るのも今のうち。
夢現という言葉を綺麗にあてがうならば、今が最も適してる。夢見心地と言い換えてもいい。
久しぶりに心が躍る。
飛べると思うと心が弾む。
こんな気分になるのは学生時分以来だ。
遠くに見える街の光が目に染みて痛いけど、それも今だけ、あと少しだけ。
あんな作り物の光達から早くおさらばするのだ。
俺は鳥になる。
鳥になって、作り物の光からも、紛い物の世界からも遠ざかるんだ。
「スゥ――ハァ――」
わざとらしく音を出して息を整える。
心の準備は整った?
とっくに整ってるよ。
飛ぶならここがいいと決めていた。
深い渓谷に跨る短い橋。
高い高いフェンスが物語る先駆者達の数々の英断。
それにまぁ。
ここならそんなに迷惑もかからないだろう。
誰かに世話を焼かれるのも、その逆ももうごめんだ、飽き飽きだ。
一世一代の晴れ舞台に余計な茶々を入れられたくはない。
そして何より、ここから羽ばたけばどんな物より美しく見えることだろう。
誰も見ていなくたって、誰でもない俺自身がそう感じるのならばそれでいい。
「……待ってろよ」
星空を見上げ、ポツリと呟いてみる。
綺麗に並ぶオリオン座も、それに連なる冬の大三角も、もうすぐ近くに行けると思うと感慨深い。
そして何より、どの星々よりも強く大きく輝き続ける白銀の月を思うと胸が熱くなる。
アレを背にして羽ばたけたのなら、これ以上ないほど美しいだろう。
じゃあそろそろ、行ってみましょうか。
「よっと……」
フェンスに手を掛けた。
網目が細かく捕まりにくいが、何とかなりそうで一安心。
次に足を掛け……られない。
靴が邪魔すぎる。
寒くて仕方がないが選択の余地はない。
靴を脱いで、ついでに靴下も脱ぎ捨てる。
よし、いける。
何はともあれ、先駆者達が決行前に靴を脱ぐ理由が少しだけ理解できた。
てっきり、自分自身の存在証明か何かだと思っていたが、ただ邪魔だっただけなのだろう。
羽ばたいてしまえば不要のものだし。
まぁ、思うわけないよな。
存在を証明したいだなんて。
そんなのは矛盾している。
「ふっ――!」
かなり必死こいてフェンスをよじ登ると、なんとまぁステキな眺め。
こんな夜中じゃ谷底なんて真っ暗闇だろうと思っていたのだけれど、いつもより強い光を放つ満月が薄っすらと下層を照らしてくれている。
なるほど。想像以上に高いですねこれは。
しかし、だからといって怖気付いたりはしないのです。
高ければ高いほど長い間飛べるのだから。それ以上のことはない。
フェンスの上辺に跨って、今一度夜空を見上げた。
「綺麗に照らせよ」
月は返事などしてくれない。
それでいい。
それがいい。
いつまでもいつまでも、お前だけはそこで輝いていてくれ。
一点の曇りもない、妖艶で煌びやかな姿のままで…………ん?
「え?」
あれ? 見間違い……じゃあないよな?
まんまるなお月様の中央に、なにやら黒い点が見える。
なんだろう? ユーフォーとか? いやいやまさか。きっと夜更かしのカラスが飛んでいるだけだ。
………なんか、だんだん大きくなってる?
気付いた時にはゴマ粒くらいだったのに、今ではテニスボールくらい……え!? 近づいてきてないか!?
「ちょちょちょちょちょっ!」
なにアレ隕石!? 俺は鳥になってお星様の中を飛び回りたいだけ! このままじゃお星様と同化してしまう! 違う違う! カレーライス食べたい時にインドカレー出されるくらい違う!
混乱したまま、俺はフェンスから飛び降りた。
とは言っても本来向かう予定だった深い渓谷の方ではなく、乱雑に靴と靴下が放置された橋の中にだ。
無理ですもん。
ちょっとやそっとじゃ揺れない固い意志を持って飛び出そうとしていたけれど、これは揺れますよ。状況がグズグズだもの。
「――ってぇ」
裸足で飛び降りたコンクリートの地面は否応無く無慈悲に痛い。あ、やばいこれ。痛すぎて泣きそう。飛び降りる方向やっぱり逆だった。
いやしかし、痛みのおかげで頭がだんだん冴えてきた。
きちんと落ち着いて、それを目視することが出来た。
距離が縮むにつれ、それが球体でないことが分かる。
飛行機? 鳥? いやあれは――
「女の子!?」
俺の頭がおかしくなければ、それは間違いなく煌びやかな着物に身を包んだ一人の少女だった。
どこかで見たような展開に、思わず両手を広げ受け入れ態勢に入る。
常識的に考えて、あんな高さから落ちてきた人間を受け止めることなど到底不可能だけれど、なんかもう、分かっていても身体が勝手に動いてしまう。
それは恐らく、彼女があまりにも美しいからだ。
月明かりに照らされて落下する少女の姿は、今まで見てきた全てのものの中で最も美しく、仰々しい着物を纏った姿はやけにハッキリと、スロー再生の様にゆっくりと瞳に映る。
これ多分、受け止めたら死ぬよね。
出来れば綺麗にって思っていたけれど、それは彼女が代わりにやってくれた。
しかもなんだか狙いを定めた様に俺の所に近づいてきている気がするし、やれやれなんとも奇妙な最後だ。
知らない子と、それもどこから降ってきたのかわからない謎の少女と仲良く一緒に死ぬというのは予想外だが、こうなってしまえばもう、受け入れるしかない。
「じゃあな、俺」
目を閉じて、覚悟を決める。
すごいな、我ながらよくこんな状況に覚悟を持てるものだ。
でもまぁ避けるのも人としてどうかと思うし、ピンポイントで衝突する可能性なんて宝くじの一等前後賞を引き当てるより低いだろう。もし宝くじの方が難しいと言うのなら、金輪際宝くじを購入致しません。いや、買ったことは一度もないのだけれど。
ともかく、整理もつかぬまま、俺はその時を迎えるのだろう。
「…………ん?」
あれ? 思ったより遅いな。
そろそろ俺に衝突するか、地面に衝突して鈍い音が鳴る予定なのだが、その気配は一向に無い。
まさか、渓谷の方に落ちちゃった?
どちらにしても確認しなければと、思い切って目を見開いたのだが。
「あれ? え!?」
これは素直に驚いた。というか、彼女には驚かされっぱなしだ。
とても捻りのない表現になってしまうが許して欲しい。
目の前に、着物の少女が浮いている。
今完全に目が合っている。
「パペルプパプロン」
そして何か、訳のわからない言葉を喋っているのだ。宇宙人だとすれば随分ステレオタイプな喋り方だが、その姿は銀色の肌をしたギョロ目とはかけ離れている。
見た目は十五、六歳だろうか。
日本人……ではなさそうけれど、白人という感じでも無い。強いて言うならその中間らしき顔つきの、この世のものとは思えない可憐な姿に思わず息を飲む。
「あ、あの……」
理解が追いつかないまま対話を試みようとした俺だったが、しかしその直後。
「ペリップ!」
「ペリップ!?」
彼女は謎の言葉を発し、ぺたんとうつ伏せで地面に落下した。
「ちょ、ちょっとお前大丈夫か!?」
いや、大丈夫な方がおかしいのだけれど。
これどうするのが正解なの?
警察? 救急? いやいや、自衛隊の方が適切かもしれない。
だって飛んできたでしょこの子。飛んできたって言うか、落ちてきたでしょ、お月様から。
夢現どころかファンタジー色が強すぎる。それともSFだろうか?
「お、おーい」
危険は承知の上で、伏せた頭をつついてみる。
「ピペェ……」
あ、良かった。取り敢えず生きてはいる様だ。可愛い鳴き声を上げている。
「な、なぁお前」
「ポ……ポンポンペコペコ……」
「はい?」
声をかけると、突然彼女は謎の呪文を詠唱した。
とても苦しそうだけれど、どこか痛めたのだろうか?
「ポンポンペコペコペインペイン!」
「ひぃ!」
なんかキレていらっしゃる!?
びっくりして立ち上がった俺の素足を、彼女はガッチリと握りしめた。
「は、離せ! はなっ! 力強いな!」
これはまずい。
どうなるの? ていうか何されるの俺!?
「ポ、ポビポ」
彼女の魔の手から逃れようともがく俺と裏腹に、彼女はどこか落ち着いた様子で、もう一方の手で自分の首元を弄った。
そして、苦しそうに声を上げたのだ。
「ひ、ひだるし……」
「……え?」
ひだるし。
先ほどまでのピコピコした鳴き声とは違う、聴き覚えのある言葉。
「いとひだるしぃ〜」
いとひだるし?
うん、ダメだ。やっぱりさっぱりわからない。
「ご、ごめん。お前が何を言っているのか……」
「……おなか」
「おなか?」
おなかって、お腹?
ついにピンと来る言葉が現れた。
そう思った矢先。
「いとおなかぺこぺこにありぃ〜!」
いいながら、彼女は空いた片手で、俺のもう一方の足をぎゅっと掴んだ。
……これ、もしかして。
「お前、腹減ってるの?」
聞くと、彼女は力なく顔を上げ、コクコクと頷いた。
その瞳にはいっぱいの涙が溜まっている。
なんか俺が泣かせたみたいだろ……。てか空腹程度の事で泣くんじゃないよ……。
「わ、わかったから。なにか食べに連れて行ってやるから」
すると、彼女はにっこりと愛らしい笑顔を浮かべ、力尽きたようにパタリと倒れ込んだ。
「……え、なにこれ」
天に舞い上がる予定だった真冬の夜に、天から舞い降りた謎の少女と出会ってしまった。
皮肉とも思わない。
ただひたすらに、困惑することしかできない俺である。