白き古都 1
グツグツと煮えるシチューを皿に装いながら、祭星は平常心も装っていた。
「け、結婚とか、そんなのまだまだ先の話……! そもそも、蓮がずっと私のことを好きでいてくれるかどうかもわかってないのに……!」
ブツブツ言いながらトレーを手に持つ。 リビングに戻ろうとした彼女の目の前に、見知らぬ人が立っていた。
くすんだ赤髪の男。 見慣れぬ隊服を着ていてその上からでもわかるほど強靭な肉体だ。
「……誰?」
鍵はかけていたはずだが。 祭星はその男を警戒するように見つめる。 祭星の瞳を、男の銀の目が睨みつけるように捉えていた。 クラウンか誰かの知り合い……とも考えたが、それならばこんな風に睨んでこないはずだろう。
すると男は祭星の正面に立って、体を舐め回すように見て。
「たしかに、似ているな。 アイツの世迷言ではなさそうだ」
低い声で唸るように言った。 その後にすぐ、両手を叩く。
男の合図を聞いてか、祭星の背後から黒い獅子が飛びかかった。
窓ガラスの割れる音。 祭星の悲鳴が屋敷に響き、彼女はトレーを床に落とした。
痛みが襲いかかるだろうと身構えていた祭星だったが、それがいつまでたっても来ないことに気がつく。 ゆっくりと瞳を開けると、黒い獅子から自分を守るように、あの白い狼が駆けつけていた。
牙をむき、唸り声を上げるフェンリル。 首元を見れば、白い毛が鮮血に染まっていた。 先ほど祭星を守った時に噛まれたのだろう。
「フェンリル……!」
「ほう。 地を揺らすものか。 これは立派な使い魔をお持ちのようだ」
「使い魔……? フェンリルは私の使い魔じゃないよ」
祭星の言葉を聞いて、赤髪の男は目を見開く。 そして大きな腕を組むと、ふむと考える。
するとほどなくして、キッチンの扉が乱暴に開けられた。 クラウンと蓮がそれぞれ武器を持って入ってくる。
と、クラウンは赤髪の男を見て「あーっ!」と声をあげた。 彼にしては珍しい声色だった。
「キング! どうしてまたここに!」
「久しいなクラウン。 そして……」
キングと呼ばれた男はクラウンを見てお辞儀をした後に、祭星にすぐ駆け寄った蓮を見て頷く。
「竜也の息子も共にいるとはな。 豊作豊作。 そちらのお嬢さんの手料理を無駄にしてしまったのが一番の失策だろうか」
「竜也?」
「お前もしかして……」
蓮が武器を持つ手を緩めて、恐る恐ると言った様子で男に尋ねる。
「俺の父さんのこと……知ってるのか?」
その問いかけに、男は頷いた。
「白石竜也は我が組織の一員よ。 気高く、強く、そして優しい男だった」
だった、というその過去形の言葉に、蓮は強張ったような顔をした。 彼の父親はすでに交通事故で死んでいるのだから。
「竜也はいつも口癖のように言っていた。 自分の息子だけは、何があっても絶対に、戦いの場に立たせたくないと」
「父さんが、そんなことを……」
キングは黒い獅子を消しながら、再び口を開く。
「そんな竜也の願いを、親友の一彦でもっても叶えられなかったとなると、やはり君達の運命は呪われている」
「叶えられなかっただと?」
武器を持つ手に力を入れて、蓮はキングに怒鳴る。
「アイツは俺を利用しただけだ!!」
「君は知らないだけだ。 だからこそ今、我がここにいる。 そちらの白巫女のお嬢さんがアルトストーリアを一瞬でも発動させたのは、ヴァチカンだけならず多くの組織の中で噂されている。 それはつまりそのお嬢さんはこれから大勢の者に狙われるだろう。 そして全てを識ったお嬢さんと同じように」
キングは蓮をまっすぐと見つめて、鈍い金色の鍵を手渡した。
「君も、君の定めを識るべきだ」
「俺の、定め……?」
「それは我が組織に通じる鍵だ。 日本は京都、伏見の地下に広がる我が組織の名は、黒闇宗。 そこに一彦も待っている。 我は君達を招待しにきた」
祭星は蓮を見上げた。 彼は神妙な表情のまま、キングを見つめていた。 どうするべきなのか迷っているのだろう。 迷っているのであれば、と祭星は鍵を持っている蓮の手を握る。
ハッとした様子で蓮がこちらをみた。 安心させるように、祭星が微笑み返す。
「行こう、蓮。 本当のこと知らなきゃ。 迷っているのなら、絶対に行った方がいい」
「……もし、このまま黒闇宗に行って、俺たちの運命が分かったとして。 お前はそれを受け入れる覚悟があるか?」
ポツリとこぼした言葉は少し震えているようだった。
祭星は下を向いて、苦笑いをする。
「……ないかもしれない。 でも、それよりも私は知りたい。 私がアルトストーリアを使ってしまった為に起きてしまうことを。 怖いよ、すっごく怖い。 今から私にどんな運命が待ち受けているのかな、って思う。 でもね」
祭星がもう一度蓮を見上げる。 吸い込まれそうなほど澄んだ美しい瞳が、蓮を映し出した。
「蓮も、本当の事知りたいって顔してる。 怖いことがわかるかもしれないけれど、二人だったらきっと乗り越えられるよ。 そうでしょう?」
「……ほんと、敵わないよお前には」
フッと蓮は微笑んだ。 その様子を見てクラウンも満足そうに笑っている。
「答えは出たということでよろしいか」
「ああ。 黒闇宗ってところに行こう。 でもその前に」
蓮が鍋を指差す。 大きな鍋の中にはまだシチューが充分に残っていた。
「飯を食おう。 今日はその為に集まったんだ。 キングさんも一緒にさ」
祭星が元気よく頷いて、皿を準備する。 クラウンは魔法を使って汚れていた床を元どおりにした。
キングは目を瞬いて、蓮へ尋ねる。
「我も良いのか?」
「はい。 そのかわり、食べながらでもいいんで教えてください。 俺の父さんのこと」
キングはそれを聞いて豪快に笑うと、大きな手で蓮の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「良いだろう。 我も君とは話してみたかった」
「キング。 それはそうと弁償はしてくれるんだろうな?」
「窓の事か、当然だとも。 領収書を黒闇宗宛に出すと良い。 一彦が払う」
「そりゃあいい!」
クラウンはシチューを持ってリビングへと向かう。 蓮とキングもそれについて行き、キッチンに残ったのは祭星だけになった。 鍋の火を止めて蓋をし、電気を消そうとした時に、風が集まるようにフェンリルが姿を現した。
「フェンリル!」
祭星はフェンリルを抱きしめて、毛並みに顔を埋める。
「ごめんなさい、痛かったよね。 助けてくれてありがとう」
自分の身長の二倍はある大きな狼は、尻尾をパタパタと揺らすと小さく吠える。 するとフェンリルは小さな狼に姿を変えた。 そして祭星の肩へチョンと乗る。
「すごく小さくなれるんだね。 一緒に行こうか、温かいミルクだったら飲めるかな? それとも、シチューがいい?」
頭を撫でてやると、フェンリルは嬉しそうに何度も尻尾を振った。 まるで子犬のようだと、祭星は笑った。
食事を終え、皆がヴァチカンに戻った夜。 時計を見ると23時。 祭星は後片付けを終えて、風呂から出た後にリビングへと戻っていた。
リビングには暗くぼんやりと灯りがついていて、蓮がピアノの直ぐ隣に立っているようだった。 すでに寝る準備は出来ているようで、いつもの長い髪は纏められていない。
「蓮」
祭星が声をかけると、蓮はゆっくりと振り向いた。 祭星は蓮の隣に並んで、窓の外を眺める。
「蓮の定めだっけ、 キングさんが言ってたこと……」
「ああ」
「……行くんだよね、京都」
「俺はそのつもりだ」
祭星は意志の強い蓮の瞳を見て、その気持ちに嘘がないことを知る。 それと同時に、手が少し震えていることに気がついた。
「蓮」
祭星は蓮の手をそっと握った。 体が冷えていたのだろう、蓮の手はとても冷たかった。
「怖い?」
「……うん」
蓮が涙をポタリと零した。 祭星はリビングのソファに蓮を連れて行き、座らせる。 自分より背の高い彼の頭を優しく撫でて、なだめるように囁く。
「大丈夫、私がついてるから」
「……ごめんな。 本当は俺よりもお前の方が怖いに決まってるのに」
「?」
「アナスタシアのことも、作られた存在だってことも……。 最近になって知ったばかりで、きっとお前はこれからたくさん利用されて行くかもしれない。 だから俺が、しっかりしてないとって。 そう思っていたのに、な」
それを聞いて、祭星はニコリと微笑む。 そして蓮に問いかける。
「蓮はさ、ヒーローになりたいって思ったことはある?」
「ヒーロー……?」
「私は、あるんだ。 実は今思ってるの。 私ずっと塞ぎ込んで生きてきた。 変わらない環境と、自分の髪の色と、力に怯えてばかりだった。 でも今はいろんな人が私のそばにいてくれて、この力を誰かのために使いたいと思うようになった。
私、ヒーローになりたい。 この世界を守りたい。 私を支えてくれる人たちを、私も支えたい。
強すぎる力は何かを守るために存在してるんだって、みんなに証明させるの。
それに、強くなったらもっとたくさん蓮を守れる。 私はこれからも、蓮のそばにいたい。 だからね、私を無理に守ろうなんて思わなくていいんだよ」
蓮を抱きしめて、祭星は続ける。
「私にとって、蓮はヒーローだよ。 強くてカッコよくて素敵な人。 私は十分すぎるほど蓮に助けられてきた。
だからお願い、次は私にも蓮を守らせてよ。 辛いことがあったら私がそばにいる。 怖かったら私がずっと手を握ってる。 眠れない夜は一緒にいて、楽しい話をするよ。 貴方が定めを怖がって眠れないのなら、私だって眠らずに貴方の定めに向き合って、何千年でも眠らずにずっとそばにいるから。
だからもっと私を頼って。 たまには、弱気な蓮を見せて? ヒーローだって、休んでいいんだよ」
その祭星の言葉がじんわりと心を満たしていくのを感じた。 胸騒ぎがして眠れなかったというのに、少しずつ眠気がおりてくる。
「……ありがとう」
「うん。 今日は一緒に寝よう?」
「……ああ」
いつもはクールな彼が、素直に頷いている。
祭星はそれが少しおかしくて、なんだか可愛くて。
たまにはこういうのもいいなぁと、そう思ったのだ。




