プロローグ
この世には魔法と呼ばれるものが存在していた。
空飛ぶクジラも、喋る龍も、火を食うトカゲも、全てが存在する世界。 この世界は魔法に満ち溢れていた。
人々は魔法を扱える人間のことを魔法使いと呼ぶことにした。 そして魔法使いたちは、弱き人々のためにその力を貸すことにした。
いつしか人間は、魔法の事を忘れてしまった。 魔法使いという存在を、バケモノのように扱うようになった。 だが魔法使いは今でも、人間たちを守り続けているのだ。
分厚い本を閉じて、祭星がため息をついた。 疲れたような彼女の様子を見て、蓮が笑う。
「読み終わったのか? 魔法史の資料だろうそれ」
「無理~。 難しすぎ! こんなの理解できるわけないもん。 そもそももう研修期間は終わってるはずなのにどうしてこんなこと調べてるんだろう」
本を机に置いて、祭星は背伸びをした。 時計を見ると既に十八時だ。 ここヴァチカン総合図書館が閉まるのは十九時。 あと一時間もすれば閉館してしまう。
隣にいる蓮は黒縁の眼鏡をかけて本を読んでいた。 彼も祭星と同じように本を閉じ、立ち上がる。
「そろそろ出よう。 早めに帰らないとブランシェットさんが心配する」
「うん」
私服の蓮はいつもと違う印象だ。 どんな服を着てもやはり似合う。 セーターとジーンズというラフな服というのにも関わらず、キマっているのだから言うことが何もない。
祭星はそんな彼の後ろをてくてくとついて行く。 丈の長いニットのワンピースを着ていた。 少し大きめのワンピースはよく似合っている。
蓮に本を戻してもらい、図書館を後にする。 外はやはり寒かった。 コートを着てはいるが、寒いものは寒い。
蓮は寒そうにしている祭星の首にマフラーを巻く。
「ありがと、あったかい~。 ……すっかり真っ暗になっちゃったね。 もうみんな来てるかなあ」
今日はクラウンの屋敷で食事会を開く予定なのだ。 祭星は蓮を見上げて、ねえ。 と声をかける。
「蓮、シチューが好きなんだっけ?」
「まあ、そうだな」
「どうして?」
「どうしてって言われても……。 美味いからに決まってんだろ」
「ええ、ほら~もっとあるじゃん! 濃厚なホワイトソースのなんとかかんとか~とか!」
蓮はやれやれとため息をついた。
「俺がそんな食に対して熱弁すると思ってるのか……」
「思ってない!」
「はいはい……。 で、どうやって帰るんだ?」
祭星はポケットから鍵を取り出す。 その鍵で空中をコンコンと二回叩くと、魔力でできた扉が現れた。
すると、近くを通っていた男性二人組が関心の声をあげる。
「わお! キミは中二級魔法使いなんだね、最近それを街中で見かけなくて、ヴァチカンは本当に人手不足なんだなあって悲しくなってたんだよ」
ここはヴァチカンの塔、それを守る結界の中にある街だ。 この街だけではなく、イタリアの街全てが魔法に日常的に触れ合っており、誰一人として驚くものなどいない。 だから、イタリアの街では魔法を緊急時以外も人間の目の前で使う事を許されているのだ。
やはり日本が驚くほど遅れているのだなと、祭星はなんとも言えぬ気持ちになってしまった。 ドアをくぐり抜け、日が沈む中庭には、白い大きな狼だけがひっそりと帰りを待っていた。
「ただいま、フェンリル」
つい先日、クラウンがフェンリルと呼んでいたその白狼に声をかけると、小さく「わふ」と吠えて一度尻尾を振り、どこかへ走り去っていった。
「仲良くなったのか?」
「ううん。 ここの鍵をもらって三ヶ月、なるべくヴァチカンの自室じゃなくて家に帰るようにしてるけど……。 なかなか仲良くしてくれなくて。
お父さんが、フェンリルは番犬って言ってたから帰りをいつも迎えてはくれるんだけれど、話しかけてもあの程度しか」
しょんぼりとする祭星。
そう、あの日からもう三ヶ月も経ったのだ。 この三ヶ月、研修に研修を重ね、やっとのことで研修期間を終えることができた。 認定試験は非常に簡単なもので、中級魔物一体を部隊で倒すというものだった。 既に様々な魔物と戦ってきたレイとジョシュア、色を授かっている祭星、数少ない闇の魔力の所有者である蓮。 彼らにとって中級魔物をたった一体倒すことなど造作もないことだ。
もう少し危険な試験でも良かったんじゃないか? という冗談じみたリオンの発言からするに、相当結果が良かったのだろう。
蓮は落ち込んだ様子の祭星の頭をポンポンと軽く撫でて慰める。
「あんま急ぎすぎるのもよくないだろ? ゆっくりな」
「うん……」
玄関のドアを開け、中へ入ると空調が効いているようで暖かかった。 コートを脱ぎ、玄関でリビングに向かって少し声を張り上げる。
「ただいまー、お母さん!」
「あら、あらあら」
パタパタと迎えに来たのはブランシェットだった。 微笑んで、二人に声をかける。
「遅かったわね、何かお勉強していたの?」
「うん。 魔法の歴史について調べてたんだ。 ね、もうみんな来てる?」
「ジョシュアくんとここみさんが来ているわよ。 リオンさんはもうすぐで着くと連絡があったわ。
ほら、早く上がってエプロンをつけていらっしゃい。 お料理、間に合わなくなっちゃうわよ」
祭星は慌てた様子で部屋に戻って行った。 ブランシェットは蓮ににっこり微笑んで、リビングで待っているようにと伝えた。
「今日は祭星が作るんですか?」
「ええ。 あの子、とっても張り切ってたのよ。 といっても、一品だけなんだけど。
一週間も前から練習してたのよ、シチュー」
ブランシェットがキッチンへと向かいながら、蓮に片目を瞑ってみせる。
「美味しいのよ。 次は貴方一人だけの時に作ってもらいなさいね?」
その言葉に蓮は少し顔を赤くした。 帰る時にシチューが好きかと聞いてきたのはこのことを再確認するためだったのだろう。
今にも膝から崩れ落ちてしまいそうなほどの幸せを感じつつ、リビングに急ぐ。 ドアを開くと、ジョシュアと藍沢、クラウンが談笑していた。
ジョシュアが蓮に気づいたようで、こちらに手を振ってくる。
「おい! 早く来いよ! 今ちょうど祭星の話してたんだよ!」
「なぜ祭星の話で俺を呼ぶ!」
長テーブルの椅子に座って、用意されていた水を飲む。
「祭星の話っていうより、白石くんと祭星の話なんだけど。 ほら、白石くん祭星の前では絶対ピアノ弾かないでしょう?」
藍沢がバルコニー近くにあるピアノを指差す。 立派なグランドピアノだ。 先日、クラウンに頼んで弾かせてもらったら一流ブランドのピアノだったので恐れ多くてすぐに弾くのをやめてしまったピアノだ。
たしかに蓮は祭星の前でピアノを弾くことを避けている。 それは決して恥ずかしいからと言うわけではない。
「ピアノ弾く男って……どうなんだ実際?」
「何を言いだすかと思えば。 ピアニストだって男をよく見るだろう。 そういうものだよ」
クラウンがグラスに注いだワインを飲みながらいう。 それに続いて、藍沢は首を傾げた。
「そもそも、白石くん知らないの? 祭星、音楽部だったんだよ。 歌も上手いしピアノもそれなりに弾けるだろうし、作曲とかやってたんじゃないかな。 滅多に人前で歌ったりしないけど」
すると扉が開き、リオンが入って来た。 どうやら話が聞こえていたらしく、少し笑っている。
「祭星の歌なら私も聞いたことがあるよ。 少し恥じらいながら歌うのがそれはそれは可愛らしくてね。 声も澄んでいて美しかった。 ……だから聖歌隊って聞いて、歌を歌う部隊だと思ったらしくね。 絶対聖歌隊になるんだ! って意気込んでいたんだ」
それを聞いてジョシュアが腹を抱えて笑った。 聖歌隊と聞いて、歌う方だと思ったとは。
蓮は大きくため息をついた。 祭星らしいといえば祭星らしいのだが。
「で、弾いてあげないの? 祭星が聴きたがってたよ?」
「……今はまだ、ちょっと自信がなくてな」
「だーかーら。 自信がなくても祭星は絶対喜ぶと思うよ?」
仲間がそう口々に言うのを、蓮は微妙な顔つきで聞いていた。 果たして本当に祭星は自分のピアノをきいて喜んでくれるのだろうか? 彼女が歌を歌うのが好きというのは初めて知ったのだが、逆にハードルが高くなったような気がしてならない。
蓮が気に病んでいるのを感じ取ったジョシュアが、やれやれといったように首をすくめた。 藍沢も同じような反応をしていた。
すると再びドアがノックされて、勢いよく開かれた。 入ってきたのは嶺二だった。 頭に雪が乗っているのを見るに、歩いてきたのだろうか?
「クラウンお前なぁ!! なんで俺を迎えにきてくれなかったんだよ! 俺がお前のところの鍵持ってないの知らないわけないだろうなぁ!」
「おやおや、ごめんよ忘れてしまっていた。 なんせ今日はジョシュアとここみを連れてこなきゃ行けなかったんだよ。 ゆるせ嶺二」
「かーーっ! 許してほしいという誠意が見当たらない!」
祭星の育て親の嶺二だ。 彼もこの食事会に呼ばれていたのだろう。
祭星の記憶が戻って早いことで三ヶ月。 嶺二とクラウンの三人で話し合い、色々と折り合いをつけたらしい。彼女にとって血の繋がった親というのは、クラウンなのだが、自分を育ててくれたのは嶺二だ。 そのへんをよく話し合い、とりあえずひと段落した。
結局、どちらもお父さんと呼ぶことになったのだが。
嶺二のことは簡単にお父さんと呼べているが、クラウンに対してはすこしまだ抵抗があるようで、モニョモニョとしていることが多い。
専ら、クラウンはそれを見て密かに微笑んでいるのだが。
三ヶ月もあれば、このクラウンという男のこともだいぶわかってきた。 誰もを魅了する蠱惑的な瞳、端正な顔つき。 スタイルの良い身体。 全てにおいて完璧なのだが、見た目によらず結構冗談が好きでイタズラ好きだ。
蓮は、この男の名の、クラウンというのは『王冠』の意味ではなく『道化師』の意味があるのではないかと思うくらいだ。
だがしかし、やはり聖騎士というのは痛いほどに感じる。
任務を何回か共にしたが、自分たちとは比べ物にならないくらい強い。 何百年も生きていることもあり、経験が豊富ということもあるだろうが、やはり魔法の使い方などは他の魔法使いと比べたらずば抜けている。
わいわいと賑わって来た部屋に入って来たのはブランシェットと、白い皿を持っている祭星。 白いエプロンをかけていて、なんとも可愛らしかった。
「あ、嶺二お父さんだ!」
「祭星~! 元気にしてたか?」
嶺二は祭星に駆け寄って胸に抱いた。 反動で祭星の持っている皿が手からこぼれ落ちそうになっていたが、なんとか堪えたようだった。
蓮は椅子から立ち上がり、祭星の手から皿を取った。 それに気づいた祭星はにっこりと微笑んで「ありがとう」と蓮に言った。 藍沢がその様子を見てニヤニヤと笑っている。
「そういえばさっきメールが来てたんだけど、レイが用事できたらしくてこれなくなっちゃったって」
「ハァ?!」
それを聞いていたジョシュアが大きな声をあげた。 怒りというより驚きの方が大きいようだ。
「あいつ今日をずっと楽しみにしてたんだぜ?! どんな用事があっても絶対に地を這ってでも行くとかヘンなこと言ってたんだが、何があったんだアイツ……! ほんと意味ワカンねぇ!」
ジョシュアに続き、蓮も首をかしげる。
「たしかに、約束を急に破るようなやつではないだろうが……」
「任務とかが入っているわけではないんですよね、リオンさん」
祭星が嶺二から離れながら聞くと、リオンは頷いた。 そもそも今日は食事会があるからと、休暇にしていたはずなのだ。 蓮が言った通り、レイは急に約束を破るような女性ではない。 それはここにいる全員が分かっていることだった。
少し重い雰囲気になってしまったところに、ノックスとリュヌがやってきた。 二人してなにか大きな箱を持っている。
「お兄ちゃんにお姉ちゃん、どうしたのそれ」
「ふっふっふーん。 気になるぅ? きになるよねぇ……? 開けて見たいよね~?」
なにやら意味深な表情のリュヌ。 横にいるノックスは心底嫌そうな顔をしていて、祭星は一瞬で嫌な予感がした。 チラリとクラウンを見ると、こちらに気づいたようでニヤつきながら目を逸らした。
間違いない、この家族全員グルだ。 極め付けにブランシェットが祭星を逃さないように腕を掴んで来た。
「貴女の記憶が戻って私達、三ヶ月間、これを作っていただいていたのよ」
ブランシェットが箱を開ける。 中には白と金の刺繍が煌びやかなドレスがあった。 顔を青ざめさせる祭星。 リュヌが一瞬の隙を見て魔法を発動させ、祭星にそのドレスを纏わせた。
「あぁ~んもう可愛い~!! ねぇあなた! 素敵だと思わない?!」
ブランシェットは興奮した様子でカメラを構え、クラウンは満足げに頷いていた。
藍沢もスマホを取り出して写真を撮りながら、祭星にいう。
「似合ってるよ祭星~。 その刺繍私が入れたの。 それ着て戦えるよ!」
「これを着て戦うわけないでしょ!」
白いシルクのドレスは裾が上品に広がっていて、美しい形だ。 祭星がすぐに魔法を解除して元の服装に戻り、ドレスをリュヌへ渡す。
「いつ着るのかわかんないけど、とりあえずお姉ちゃんに預けておくね」
「いつ着るって! そんなの結婚式に決まってるよ?」
「気が早すぎるの!」
祭星はシチューが焦げちゃうでしょ! と言いながらキッチンへ戻って行った。 耳が赤くなっているのを見逃さなかった皆は、フフフと意味深な笑みを浮かべて蓮を見る。
蓮は大きなため息をついて、あえて何も言わずにいることにした。




