騎士は誰の為に 5
無事に西條へ着いたことを確かめ、蓮は自分の体が問題なく動く事と、辺りを見渡してここがどこなのかを確かめる。 路地裏の様だった。 右から人の賑わう声が聞こえるので、向こうは繁華街だろう。
藍沢に纏わりついていた祭星の魔力を頼りにきたのだが、肝心の藍沢が近くにはいなかった。 少なくとも見渡せる範囲にはいない。 イタリアから日本だ、若干のタイムラグはあるのかもしれない。
さて、これからどうしたものかと考え始めたその時。
「やめて……! はなして!」
小さな甲高い声が聞こえた。 その声には聞き覚えがあった。
路地裏を進み、声の聞こえた方向へ。 突き当たりにいたのは藍沢だった。
制服姿の藍沢に馬乗りになって無理やりブラウスを脱がせようとする男と、それを見張る二人の男。
藍沢は必死で抵抗しているようだが、女性の力では男を振り払う事もできない。
理解した。
そう頭の中で思い、躊躇いなく動く。
「おい」
自分から殴ることはしない。 向こうが殴ってきたら話は別だが、ヴァチカンの隊服を着ている以上、下手な真似は出来ないのは十分理解していた。
蓮の低い声を聞いて男が手を止める。 その隙を見計らって藍沢は思い切り男を突き倒して、逃げ出す。
ヨロけそうになった藍沢に手を伸ばし、強引にこちらへ引き寄せる蓮。 藍沢は蓮を見てようやく驚いた様に声をあげた。
「君は、杯さんと一緒にいた……!」
「藍沢。 怪我は痛むか」
男達を睨んだまま、蓮は無愛想に藍沢へ尋ねる。 暴行も受けていたらしく、傷が何箇所か確認できた。 蓮がハンカチを差し出してきて、藍沢はそれを受け取った。
「だ、大丈夫……。 私」
「後は任せておけ。 お前は逃げろ。
……お前に何かがあったら、祭星が悲しむ」
藍沢は蓮の言葉に頷いて、その場から逃げる。
だが、ただ逃げるだけではない。 藍沢ここみという少女は、強い精神力を持っていた。
角を曲がり、完全に逃げたと思わせておき、鞄の中からスマホを取り出して警察に連絡する。
「あの、東京都西條市西條交差点前付近の路地裏で、三人の西條高校男子生徒に乱暴をされて……。 はい、今は別の男性が助けてくれて、でもその方が」
チラリとバレない様に顔を出す。 三人の男のうち一人が拳を振りかざすのを見て、好機とも言わんばかりに警察へ言う。
「いま一方的に暴行を受けていて……! すぐに来てください! その方はヴァチカンの隊服を着ていて、多分殴らない様にしているんです! でもこのままじゃ……、あっ!」
男がナイフを取り出したのを見て、藍沢は血の気が引いた。 そして必死でスマホに向かって叫ぶ。
「お願いします、早く! 早く来てください!」
藍沢の叫びが微かに聞こえた。 男達は気づいていない様で、蓮は拳を躱しながらホッとする。
「しかしお前達、俺よりクズだな。 流石の俺も強姦は手をつけてなかった。 感心するよ」
飄々とした態度の蓮。 殴りかかっていた男が彼の胸ぐらを掴み、顔を近づける。
「てめぇ、どっかで見たことある顔だと思ったら。 南稜高校の白石蓮だろ。 噂によく聞いたぜ……!」
「おーおー、そりゃどうも。 有名人になるってのは悪い気分じゃねぇな」
男の手を振り払って、襟を正す。 南稜とは西條の隣の市で、蓮が通っていた高校がある。 そこで彼は所謂不良として名が通っていて、悪い噂の一つや二つくらい西條高校にも伝わっていたのだろう。
横目にナイフを持って突撃してくる男が見えた。 蓮は後ろにそれを避けて、やれやれと首を振る。
「刃物まで取り出すのはやめろよ」
「うるせぇ! 就活だのなんだのでこっちはイライラしてんだよ……!」
一人が蓮を後ろから羽交い締めにした。 動けなくなった彼を、イライラしているという理由で男が殴る。 鈍い音が聴こえて、蓮は目の前の男を睨んだ。
「オレの女もテメェに取られたんだよ……、覚えてんだろ!」
「そうか」
記憶を探すが、見つからない。 あいにくと興味のない女の名前と顔など覚える価値がないと思っているタチなのだ。
「悪い、覚えがねぇよ」
馬鹿にしたように笑う蓮。 赤い瞳が冷徹に彼を見据えていた。
男は声を上げながらもう一度力づくで蓮を殴る。
「テメェも十分最低な男だろ! そのくせあの杯を守る騎士みてぇな真似して、滑稽だなぁ!!」
前髪を乱暴に掴まれ、嗤われる。 蓮は舌打ちをして後ろの男の足の甲をブーツの踵で力強く潰す。
男が悲鳴をあげて蓮を離す。 自由になった手で蓮は目の前の男を殴り返し、よろける男の急所を蹴り上げた。
その横からナイフを突きつけるもう一人の男。 蓮はそのナイフの刃を掴んだ。
白い手袋を切り裂き、ナイフの刃が指に食い込む。 ポタポタと鮮血が手から溢れて混凝土を赤く染め上げる。
痛みに表情を歪めながら男をけたぐり、ナイフから手を離したのをみて、一本ずつ指を広げてゆく。 カランと刃を血に濡らしたナイフが落ちて、蓮は右手を抑えながら痛みに喘いだ。
「痛ェな……。 でも祭星は、これより痛かっただろうなぁ……」
腹を抉られた痛みなど、こんなものに比べたら。
「……っ、このクソ野郎が!」
急所を蹴られ、しばらく蹲っていた男が落ちていたナイフを拾い、蓮の腹を殴る。 体勢を崩した彼の長い髪を掴んで、その髪をナイフでざっくりと切った。
太ももまであった蓮の髪がパサリと落ちる。 それでもまだ腰より上ほどの長さだが、蓮は目を見開いた。
そして、幼い頃の記憶を想う。
「蓮くん、髪が綺麗で羨ましいなあ」
九歳の頃の思い出。 しばらく髪を切っていなかった蓮の髪を楽しそうに櫛で梳かしながら、長く美しい髪を持つ白い少女、祭星が笑った。
「このまま髪を伸ばしちゃったら女の子みたいになっちゃうね」
「……それは嫌だ」
無愛想に小さく言ったのは蓮だ。 肩にはつかない程度の長さだが、今でも早く切りたいのだ。 早く父親に言って切ってもらおう。
「そうかなぁ? わたしは、きっと素敵だと思うよ。 ねね、このまま伸ばしてみてよ! わたしもずっと髪伸ばしてるから、ほら、お揃い!」
髪を梳かし終えて、祭星が蓮の前にちょこんと座る。 そして、向日葵のように眩しい笑みを浮かべる。
「約束、しよ? 蓮くんの髪、私大好きだから。 またこうやって蓮くんの髪を梳かして、蓮くん不器用だから私が結んであげる!」
ね? と差し出された小指。 蓮は無言で頷いて、小指を絡めた。
祭星は覚えているだろうか? この何気ない約束を。
幼い頃は何でも「じゃあ約束ね!」と言って小指を結んで来た。 蓮も全てを覚えているわけではないし、鮮明に覚えているのはこれだけだ。
でもこの約束は、どうしても守りたかったのだ。
自分の髪を好きだと。素敵だと言ってくれた祭星のために。
たとえ覚えていなくとも、自分は覚えているから。 と。
蓮が左手で拳を作って男を殴った。 そして揺らぐ魔力で脅しをかける。
「俺がどうしてお前に会いに来たかわかるか?」
男は怯え上がり、後ずさる。
「お前達、高校の頃に祭星を殴ったんだってなぁ?」
「そ、それがどうしたってんだ! 何やっても反応ないし怖がらねぇから試しに殴ってみたんだ。 そしたらよぉ!
あの女、泣き出したんだぜ! 殴られる度に『やめてください、ごめんなさい!』って言ってさ! 愉しくなってたまんなくてさァ! お前だってそう思うだろ!」
「おもわねぇな」
考える必要もない。 想像するだけでもはらわたが煮えくり返って反吐が出そうだ。
殴られ続けて口の中が切れているのか、血の味がする。 唾を吐き捨てて、男を睨みつけた。 するとやはり、下級の魔物が憑いているようだった。 まあこいつのクズっぷりは元からだろうが。
人間についた魔物を祓うには、魔力を込めてその人間に触れなければいけない。 ただの人間相手だからと魔力を封じて殴って来たが、魔物を祓うためだ。 とんでもなく痛いだろうが我慢してもらおう。
蓮は男の胸ぐらを掴んで、吐き捨てるように言う。
「俺もあいつのせいで随分優しくなったな。
……殺さないでおいてやるよ。 ただ、罪は償えよ?」
魔力を込めて、男を力づくで殴った。 鼻が折れる音が響いて、それをかき消すように魔物の叫び声が周囲にこだまする。
その叫び声は、丁度現場に駆けつけた警察官の耳にも届いていた。
藍沢がヴァチカンの隊服を着た男性。 と連絡をしてくれたお陰で、警察官の中でもヴァチカンと接触を持つもの達が駆けつけていたのだ。 日本にはまだあまり魔法と魔物の理解が進んでおらず、ヴァチカンは警察署と連携をし、ヴァチカン側から何人か魔法使いを派遣している。
そしてその警察官の中に、蓮をよく知る人物がいた。
「警察だ、そこの男三人、動くなよ。 事情は署で聞かせてもらおうか」
三人を包囲するように動く警官達。 蓮に近づき、彼を保護するように頭から毛布をかけたのは鳶色の髪をした男性。
「……嶺二さん!」
「いや〜、このお嬢さんに感謝しな? ヴァチカンの隊服を着てる! って言わなかったら普通の警官が来てお前まで逮捕だったぞ。 ま、どう見ても正当防衛だ。 加えてあいつに憑いてた魔物まで祓ってくれた。 上出来上出来、こちらからはお咎めなしだ。 まあひとつだけ言うならもうちょい自分の身を守れよ?」
嶺二の後ろには藍沢が立っていた。 傷の手当てはうけていたようで、ホッとする。
「通報してくれたんだな、ありがとう」
「う、ううんそんな……。 こちらこそ、ありがとうございます。 えっと、名前……」
「白石蓮だ。 聞いたことあんだろ」
藍沢は頷いた。 少し怖がるような動作にも思えて、蓮は当たり前だろうなと思った。
「ヴァチカンには連絡しておいた。 リオンに連絡を入れたからちょっとばかし小言を言われるだけだろうね」
「……胃が痛くなって来ました」
「リオンはガミガミと怒る男じゃないさ。 それに、君は祭星のことを思っての行動だろう? 度が過ぎた行動だろうけど、育て親としては、あの子の事をそこまで想ってくれていると知れて嬉しいんだよ」
嶺二が笑う。 リオンから、祭星のことについて話したと連絡が来ていたらしい。 蓮の手を消毒液で濡らして血を拭き取りながら言う。
「そういえばそこのお嬢さん。 魔力が宿ってるのは気づいたかい?」
「……? 祭星の魔力が纏ってるのは、あいつが保護魔法を」
手際よく包帯を巻き、嶺二は藍沢を見る。 そして首を振った。
「いや、微かだけど魔力が生成されている。 祭星の魔力に喚起されて魔力が宿ったんだろう。
一度ヴァチカンに連れて行ったほうがいい。 力を完全に閉じたほうがこの子の身の為だろうから……」
その話を聞いていた藍沢は、嶺二へ詰め寄る。 すごい勢いだった。
「あ、あの! じゃあ私も、杯さんや白石くんの力になれるんですか!?」
「え、ええ? いやでも君に宿った魔力は弱いんだよ? 魔法を扱うにしてもすぐに魔力が尽きるし、蓮の様に武術で秀でている訳でもないだろう。 気持ちはわかるけど、ちゃんと魔力をとじてもらったほうがいい」
しょんぼりとする藍沢を見ていると、なんだかそれが祭星の様に思えてくる。 蓮は思考を巡らせて、祭星がいつも肌身離さずつけているイヤリングを思い出す。 あれは藍沢が手作りしたものだときいた。 だったら、ヴァチカンに勤める事ができるものがあると、閃いた。
「藍沢、お前手先が器用だと聞いたが、刺繍は得意か」
突然の蓮の問いかけに、藍沢は驚きながらも頷く。 「どこでそれを知ったの……?」と藍沢が聞けば、蓮は「祭星から聞いた」と答えた。
そして、それだったらと続ける。
「マギアクラフターとしてヴァチカンに所属するといいだろう」
「その手があったか……。 危険はないし、ヴァチカンには所属できるけど、立派な魔法使いの扱いを受けることになるな。 君はそれを本当に望むのか?」
マギアクラフター。 魔法使いの着る隊服やローブ、さらには杖などを作る者にあてられる名だ。 藍沢のように突然喚起で魔力を持ったがその力が弱い者や、もう戦えなくなった魔法使いがその役職に就くことが多い。 魔力を持ったものが、専用の針と糸、ハサミ。 金床や金槌を使って武器を作り、服を織る。 するとそれに魔力が宿り、様々な能力を付与することができる様になる。 言わば魔法具の素を作る者達。
「なりたいです!」
「……まあ、ヴァチカンに行って実際にマギアクラフターの作業を見てみるといいさ。 それから考えなさい」
すると蓮の隣に魔法陣が現れる。 この魔力はリオンのものだろう。 嶺二は「来たな」と言って藍沢を少し後ろに下がらせて、彼の到着を待った。
水色の髪の男、リオンはマントを靡かせて現れた。 そして横にいる蓮の頰をペチンと叩いた。
「この大馬鹿ものが!」
そして頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でられて、最後に彼の頰を両手で包んで目を合わせる。
リオンの瞳は綺麗な赤で、その瞳が揺らぐ。 見れば汗を流していて、急いで来たのがよくわかった。
「連絡を聞いて、お前に何かあったらと思って飛んで来たんだぞ! こんなに怪我してボロボロになって、なんでそんなに無茶するんだ! 一発やり返せばいいものを!」
「それはダメだぞリオン」
リオンは蓮を胸に抱きしめる。 そして安心した様に呟いた。
「無事でよかった……。 頼むから、もうこんな真似はしないでくれ……、ちゃんと私に一言伝えてくれ」
「……はい、ごめんなさい」
自然と、声が震えた。 頰を伝うのは涙だろうか?
父親のようにあたたかいリオンの腕の中で、蓮は心地よい心音を聴きながら、疲れていたせいなのか。
ゆっくりと瞼をとじて、意識を手放した。




