砂の魔物 1
真っ白な砂丘、そんな辺鄙な場所を歩く男性がいた。
濡羽色の髪、切れ長で、見る者全てを凍てつかせるような瞳。 そして長く尖った耳。 その耳は、この男が人間ではないことを表すものだった。
黒と金のマントを風ではためかせ、男は無言で歩みを進める。
「ま、まってください〜……」
十メートル程離れた場所から、鈴を転がすような声が聞こえてきた。 男は立ち止まってチラリと後ろを見やると、先ほどより歩みを緩めて先を進む。
「待ってくださいよ〜! はぁ……、わたし、ファルシュさんみたいに歩くの早くないんですよ!」
「付いて来いと言った覚えはない」
「またそんなことをいうんですね? 好きにしろと言ったのはファルシュさんですよ!」
やっと追いついたのは、男性の胸ぐらいしかない身長の少女。 ヴァチカンの制服を着てはいるが、階位は二等兵だった。
対して、ファルシュと呼ばれた男の階位は特別なもの。 ヴァチカンでは一つしかない階位。
七冠者。 そう呼ばれるもの。
このファルシュ・アドラステアという男はその七冠者のうちの一人であり、憤怒を司る魔法使いだ。
後ろからヒョコヒョコついてきた少女はリイナ・アドラステア。 ただのヴァチカンの二等兵だ。
二人は、十二時間前までは小さな村が集合していたフランスの田舎に来ていた。 急に魔力数値が高くなり、突如として砂に埋もれてしまった。 その村の調査に来たのだ。
「ふう……、それにしても本当に砂だらけなんですね。 所々建物もありますけれど……、休むところもないし……」
「疲れたなどと言い出すなよ。 今の私では貴様を抱き上げることすら出来ん」
「知ってますよう。 それに疲れてません」
ファルシュの腕は後ろに回され、黒いベルトで頑丈に拘束されていた。
七冠者とは強大な力を持つ存在。 七つの大罪そのものを引き起こすであろう魔力を有する魔法使いたち。 それを抑えるために普段はこうして両腕を拘束されている。
戦闘時になると拘束は消え失せる。 自分でも外そうと思えば外せるものだ。 外したところでお咎めもない。 だがそうする必要になるまで、極力皆外したがらない。
「ふふ」
「なんだ、可笑しいことがあったか」
「いえ。 ファルシュさん、わたしが疲れて倒れた時は抱きかかえてくれるんだなあって思うと、やっぱりお優しいなと思って」
リイナがそう笑うと、ファルシュは真顔のまま言う。
「私とお前は婚姻している。 妻を守るのは当然のことだろう」
「いえいえ、全世界ではそういう考えの旦那様ってなかなかいらっしゃらないんですよ?」
愚かだな。 とファルシュは言い捨てた。
これはもしかすると、国の違いかもしれない。 とリイナは笑った。 するとファルシュは抑揚のない声で淡々と告げる。
「愛する者を守らずしてどうする。 人間には腑抜けた奴らが相変わらず多いな。 エルフの里ではそのような者がいたら晒し者にされた後に串刺しだ」
「腑抜けてるというより、良くも悪くも自分のことしか面倒を見きれないんですよ。 だからわたしはあの日、あの場所でファルシュさんに出会ったんですから」
──お願いします、わたしを、わたしをいまこの場所で殺してください……!
焼け落ちた奴隷商の屋敷で、小さな体を泥に濡らしている少女。
ファルシュとリイナが初めて出会った日。
奴隷として売り飛ばされてすぐに、屋敷が襲われ、魔物が生み出した火によって大半が焼け落ちた。 辛うじて生き残ったものの、生きていく術を持たないリイナを、丁度任務でその屋敷の調査に赴いていたファルシュが引き取ったのだ。
その時の火事によって、リイナは魔傷を受けてしまっていた。 彼女が歩む道を違わないように、責任を持って自分が。 そう思ったのだ。
「……あまり、思い出したくなかったんだがな」
「そうですか。 わたしは今でもたまに夢に見ます」
ファルシュはため息をつく。 それは決してリイナへの呆れからではない。 こういう時、腕を拘束されていては頭を撫でてやることはおろか、抱きしめてあげることすらできない。
それが今は悔しくて、自分がどうしようもなく力のない生き物だと思えてくる。
「何か考えていますね?」
リイナがファルシュの顔を下から覗き込む。
「お気になさらなくていいんですよ。 ファルシュさんが優しいことくらい、わたしはしっていますから」
「……」
「だから、この任務が終わったらまた今日もルーン文字を教えてください。 わたしは貴方に頭を撫でられたり、抱きしめられたりされるのもホッとするけれど、貴方と一緒に肩を並べて色んなことを学ぶ方が、楽しくて大切な時間だと思っています」
敵わないな。 と言ったようにファルシュはため息をついた。 それを聞いてリイナが楽しそうに微笑んだ。
だが、リイナは急に立ち止まり、辺りを見渡した。 先程までの笑みは消え失せている。
「……ファルシュさん」
「ああ、今……、ッ?!」
突如地面が揺れ動く。十メートルほど後方の地面に現れた大きな穴。 ファルシュはその穴を見て舌打ちをした。
力づくで黒いベルトを引きちぎる。 拘束を解いて、隣にいたリイナを抱えて不安定な砂の地面を蹴る。
黒い革靴が砂に埋もれ、勢いを吸収してしまう。 だがそれでもファルシュは、その場からなんとか離れることができた。 前方に古い石造りの建物があるのを確認して、近場にあった岩の上に乗り、建物の屋上へ飛び乗った。
三階建の建物、屋上からは大きな穴が確認できた。 次第に肥大していくその穴の中は渓谷のようなものが広がっていた。
「この砂、全て魔力で出来ていたんです!」
リイナがそう言って、ファルシュに電子端末のディスプレイを見せる。 端末のディスプレイを上へドラッグすると青白いディスプレイが何もない空中へ現れ、ファルシュの目線に合わせて展開される。
リイナの魔法は解析だ。 その場に起きたこと、それら全てを解析し、データ化することができる。 その魔法は極めて有能で、だからこそファルシュは常にリイナを連れ歩くのだ。
「解析がやっと可能になりました、ここは今から十二時間前に大きな魔力変動があったみたいなんです」
「ではここにあった村は」
「生贄にされた……。 そうとしか考えられません。 砂を作り出す魔物なんて、そんなの膨大な魔力が必要なはずです」
リイナはディスプレイを消した。 それを合図にファルシュが屋上からリイナを抱えたまま地面に飛び降りる。
穴の中へ目線を投げて、ファルシュがリイナへいう。
「中に入るか」
「……いえ待ってください……! もしかすると」
リイナはファルシュの腕から飛び降りて、砂を一掴み手にする。 そしてその砂を試験管に入れ、腰の装置へはめる。 空中にディスプレイをいくつも浮かせて、片手で文字を打ちながら、空いている方の手で本部へ連絡を取る。
「……リイナです! 緊急です、すぐに技術開発塔の次席に繋いでください!」
するとすぐに通話が繋がった。
『もしもし、文緒だ』
通話に出たのは若い女性だった。 凛としたその声は意志が強いのがうかがえた。
「次席、今そちらに転送した……」
『見た。 分析も今終わった。 リイナ、それに憤怒の君もいるんだろうそこに。 その砂はおそらく、第一禁種上級魔物イリスの作り出したものだ』
リイナが息を飲んだ。 ファルシュも表情こそ変わらないものの、まゆを少し動かした。
「それは……厄介だな」
『砂の女王という異名さえ持った魔物だ、そいつをどっかの誰かが召還して、その田舎一帯を抉った……。 土壌にも魔力が含まれている。 砂の魔物ならば土や人間を生贄にした方がすんなり出てくるというわけか……。
憤怒の君、イリスがどこに行ったのか気配は辿れるか』
ファルシュが微かな気配を頼りに、魔物の魔力を辿っていく。 その間に、リイナは手早く画面を指でいくつもスライドさせて情報をまとめていく。
「これは、ニホンか……?」
それを聞いて文緒が狼狽えた声をあげた。
『勘弁してくれ……! もういい、二人とも戻って来てくれ! 部署違いだが今はそんなこと言ってる場合じゃない、すぐに、今すぐにだ!』
「わかりました、ファルシュさん!」
「了解した」
通話を切ったリイナは、自分の髪を結っていた簪を引き抜く。 ファルシュはその簪をみてリイナを止めようとした。 が、リイナはファルシュに片目を閉じて見せて、唇に人差し指を付ける。
「今は一刻を争うときですから、たまには許してください」
負けじとファルシュが口を開こうとしたその前に、リイナが詠唱を始める。
「《右の立琴 左の鬼灯 我が主人に葡萄酒を 我が娘に蜂蜜酒の時を。 白銀の竜よ 汝の翼をいま 我らがために羽ばたかせよ》」
風が吹き荒れる。 魔法陣が天を貫き、大きな竜が舞い降りた。
その竜はリイナを見るとすぐに背を低くする。
「ヴァチカンまで頼めますか?」
竜は二人を背に乗せると小さく吼えた。
幻獣と呼ばれる存在だった。 ファルシュがあの奴隷商の屋敷に調査に来ていたのは、この簪を回収するためだったのだ。 その簪は竜を呼び出すことのできるもの。 焼け落ちた屋敷でこの簪を持って震えているリイナごと、ファルシュはヴァチカンへ連れて来たのだった。
竜がファルシュを見る。 そして不機嫌そうに鼻を鳴らして空に飛び立つ。
「相変わらず嫌われているな」
「ちゃんと仲良くしてくださいよ」
元々ファルシュが使役するはずだったのに、なぜかこの竜はリイナを気に入ってしまっているようだ。 幻獣を使役する魔法使いなど、通常ならば少尉以上の階級になってもおかしくないのだが、リイナは未だに二等兵の場所にいる。
それはファルシュが手回ししていることなのだが、リイナはそのようなことなど知る由も無い。
ファルシュとリイナがヴァチカンに帰還しておよそ三時間後の、一月十五日、午後四時。
ヴァチカンの戦闘員へ、魔物討伐の任務が下った。




