知らない部分 4
ヴァチカンへ赴く日がやってきた。
祭星はキャリーバッグを転がしながら空を見上げた。 晴々とした空だ。 少し日差しもあるため、暖かく感じる。
「晴れてよかったね。 寒いのは寒いけど」
「そうだな。 ヴァチカンに行ったらもっと寒いんだろうけどな」
「特にヴァチカンの塔の敷地内だと結界も相まって極寒だって聞いたよ。 怖いねぇ」
「あー。 確か結界張ってるんだったなヴァチカンは。 塔とその周辺にある街に魔物が群がらないようにするためだったか」
蓮が思い出したように言いながら、ヴァチカンのパンフレットを開く。 封筒の中に入っていた、ヴァチカンの組織形態や建物の説明が書いてあるそれなりに分厚いパンフレットだ。
「えーっとなになに。 ……ヴァチカンには世界中の魔法使いが所属しており、受付や武器の整備士には非魔力保持者も大勢います。
そのため魔物が魔力に惹かれてヴァチカン敷地内に入ることを防ぐため、代々の聖王に受け継がれる秘術により五重もの結界が張られています」
パンフレットの中身を読む蓮に、祭星が補足を加える。
「五重にも結界が重なってたら、その内部の魔力濃度もすごく高くなって、だから寒さを感じるんだね。 非魔力保持者は感じないけど、魔法使いは圧倒的な魔力に寒気がするって」
「なるほどそういうことか。 魔力自体が冷たいってことではないのか?」
「あー、魔力自体も冷たいらしいよ。 蓮は魔水って見たことある? 魔力切れで倒れた魔法使いに使う医療用の薬剤みたいなものなんだけど。
何百倍かに希釈して使うものなんだけど、原液はすっごく冷たいの。 氷よりずっと冷たくて、ガラス越しでも触ると凍傷をおこすから、革手袋をしてないと使用ができないんだって」
「魔水か……、耳にしたことはあるが、実際に見たことはないな」
魔水は相当高価なものだ。 祭星も一度だけリオンの家で見たことがあるくらいで、他は本で読んだことがある程度。
「ヴァチカン……どれくらい寒いのかな……。 新しいコート買って良かったね」
「だな。 ところでリオンさんの家っていうのはどの辺なんだ」
「今横にあるお家だよ」
真横にあるのは豪邸。 木造の三階建の古風な建物だった。
蓮はあまりの大きさに呆気をとられたように見上げて、乾いた笑みを浮かべた。 口元が引きつっている蓮をみた祭星は「私も最初はそうだったよ」と肩を叩いた。
それはそのはず。 こんなふつうの住宅街にこんなに雰囲気の違う建物があれば誰だって最初は驚くはずだ。
チャイムを押す前に門がひとりでに開いた。 まるで二人を待っていたかのように。
「なんで開いたんだ……」
「だってリオンさん魔法使いだから、魔力でわかるでしょ」
「いやそれはそうだけどな?」
石畳の道が続く庭を抜けて、ドアに取り付けられたドアノッカーを叩いた。 すると重い軋む音を立てて、ドアが開く。
暗闇の中からリオンが現れた。 家の中は思ったより暗く、外の光は一切差し込んでいないようだった。
なにか特殊な魔法で光を遮っているのだろうか。
「ようこそ。 よくきたね。 さ、玄関で立ち話もなんだから部屋入るといい」
その言葉に素直に従い、二人は玄関の中へ。
「あ、靴は脱がなくていい。 そのままで構わない」
「な、なんか違和感あるな……。 抵抗というか」
「日本は靴を脱ぐんだろう? ヴァチカンに行くと靴を脱ぐのはベッドに入るかシャワーを浴びるときくらいだ。 慣れるまで時間がかかるだろうけど頑張ってくれ」
廊下へ足を踏み入れた瞬間、壁に飾ってあった蝋燭に温かい光が灯った。 薄暗い廊下が明るくなり、壁の装飾が今ならはっきりとわかる。
金の複雑な装飾が彫られてある。 だがよく見てみるとこれは恐らく。
「……魔法?」
「ああ。 この家はいわば転送装置だ。 ヴァチカンとこの地域を結ぶ、ね」
真っ白の扉を開き、黒いカーテンで覆われた部屋に通される。
床には赤色に光る魔法陣が。
「これがヴァチカンへの?」
「ああ。 転送装置だ。 これに乗ったらひとっ飛びさ」
よくみれば魔法陣の端だけ消されている。
祭星が不思議に思っていたところ、リオンは荷物を魔法陣の上に置き始めた。
「この魔法陣は特殊でね。 完成された魔法陣の上に乗ったモノをすぐに転送するんだ。 それこそ指先だけでも。 だから端を消してるんだ、不完成のままだったら発動しない。 準備ができたらすぐに言ってくれ。 魔法陣の上から描きたせばいいんだ」
どうやらリオンもヴァチカンへ行くようで、彼の荷物も上に運び込んでいた。 蓮と祭星も足元をキョロキョロとみわたしながらそっと上に乗った。
急に肩が重くなる。 どうやら不完全な魔法陣と言えども、魔力は通っているようでその魔力に押し潰れそうだったのだ。 日本と遠く離れたイタリアにあるヴァチカンを繋ぐ大掛かりな転送装置。 莫大な魔力を使っているのは確かだ。
「準備できました」
「OK。 じゃあ行こうか」
リオンが2人に視線を向ける。
「未練は、ないだろうね」
そう言われた祭星の頭の中に、藍沢の顔が浮かんだ。
眞兎子にはヴァチカンへ行くことを伝えてきた。 こちらに来ることもあるし、電話だってできる。
ただ藍沢は違かった。
彼女とはもう、二度と会えない。
祭星の耳元でイヤリングがキラリと光った。
「ありません」
はっきりと、リオンに答えた。
「じゃあ行こうか。 全ての叡智が集う、魔法の塔へ」
リオンはつま先でトンと床を鳴らすと、再度魔法陣が赤い輝きを放ち、紫の光へ変わる。
耳障りな音が響く。 ぐにゃりと空間がねじ曲がる景色が見えて、一気に眩い光で視界が潰された。
思わず瞳を閉じた祭星の頭に、聞いたことのある声が蘇った。
「やった……、成功だ、成功したのよ!」
狂ったように高らかに叫ぶ、男の声。
どうにもその口調は男ではなく、女のもののように思えた。
「ああ!! エスペランサよ! この子を選びなさい!! さあ早く、早くはやくハヤクッ!」
「そうして私を、蘇らせるのよッ!! アルトストーリアの力を使って! そのためにお前を作ったのよ、エトワール!!!」
どこか知っている人の声。
そして、知らないはずの名前。
なのにどうしてか胸がざわつく。 痛いほど締め付けられて、呼吸が難しい。 息が詰まって、眩暈がする。
ぐらりと体が大きく揺れた。 その瞬間、視界がひらけた。
厳かな雰囲気のエントランス。 何本もの柱が左右対称に並ぶその場所で。
「祭星ッ!」
蓮の叫び声が響いた。
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大理石の床に祭星が身体をぶつける前に、蓮が片腕で彼女を抱きとめていた。 名前を叫ばれ、ハッと祭星が身体に力を入れる。 頭を抑え、フラフラと立ち直す祭星。 リオンが心配そうに顔を覗く。
「祭星」
「だいじょう、ぶ、です……。 声が頭の中に聞こえてぼーっとしてて……」
「声? 一体どんな」
祭星は割れるように痛かった頭を抑えたまま、先ほど聞こえた名前をつぶやく。
「エトワール……」
「なっ……」
リオンが絶句した。 そして口をつぐんで、ギリっと拳を強く握ったようだった。
「何事ですか!」
ヴァチカンの職員が数名駆けつけて来る。 リオンはすぐに表情を切り替えて、指示を出す。
「心配するな、転送の魔力に当てられただけだ。 どちらも招待者だ、午後のセレモニーまでに自室へ案内し、隊服を与えろ」
「大佐の仰せのままに!」
胸に手を当て敬礼をした職員は、祭星と蓮を引き連れるようにしてエントランスを抜けていった。
一人残されたリオンは、通信機を取り出してある女性へと連絡をする。
画面には「ES」と書かれている。
「……リオンだ。 忙しいだろうが片手間に聞いてくれ。 もちろん妨害はかけておけ。 聞かれたらまずい」
エントランスの窓から覗く街を遠く見つめてリオンが唇から言葉を零す。
「名前を知られた」
通信機越し、ノイズのかかった相手の声が聞こえる。
「ああ、わかってるさ」
通信を切り、リオンは呟いた。
「アナスタシア、お前は必ず……」
その声は恨みに満ちていた。




