知らない部分 2
「さっむぅ……。 今日はより一層寒い気がする……」
茶色いコートを羽織った祭星は、手に息を吹きかけた。
その様子を見て、蓮はふふっと微笑んだ。
ヴァチカンへ招待されたのはいいのだが、そこへ行くとなれば死ぬまでヴァチカンの本拠地であるイタリアで暮らすということになる。 向こうへ行く前にいる色々と必要なものを買い揃える必要があった。
祭星は前もって準備していたが、蓮は今日招待状を貰ったのだ。 準備は何もできていない。
それに。
「ね、本当にお家には帰らなくていいの?」
「いい。 もし家に戻って詠斬が待ち構えでもしてたら、それこそヴァチカンどころじゃない。 もともと荷物も少なかったんだ。 着替えさえ買えれば十分だ」
嶺二のコートを借りた蓮が、祭星の隣を歩いていた。 寒いのだろう、一つに結った長い髪を首にマフラーのように巻きつけていた。
「じゃあ、蓮はお洋服を見るんだよね。 私もちょうど新しいワンピースとか欲しくて。 ショッピングモールでいい?」
「お前の行きたいところでいいよ」
頷いた祭星に、蓮が思い出したように手を指し出す。
「へっ」
手? 手をつなげと言うのだろうか。
だがそうではなく。
「イヤリング。 あの時外したから返すよ。 貰ったものなんだろう?」
「あ、あっ! そ、そうだよね! ありがと!!」
藍沢から貰ったイヤリングだ。 さっと受けとると、耳にはめる。
ふと蓮を見上げると、彼もイヤリングをはめていた。 イヤリングというより、ピアスだろう。
左側に3つほどはめているピアスをみて、祭星が蓮に尋ねる。
「たくさんピアス付けてるんだね」
「あ……、そうだな」
「すごいなぁ。 昔とは全然違ってて、私つりあわないなって思ったの」
祭星が少し歩みを緩める。
「蓮はすごくかっこよくなってて、小さい頃からもそうだったけど、強いし、きっと色んな人から頼られてるんだろうなーって話しててもわかる。
でも私は……。 たくさんの人に陰口言われて、怖がられて、酷いことだって沢山された。 私は、蓮とはいる場所が違うんじゃないかって思って」
しばらくして、蓮が祭星の頭をポンポンと叩いた。
「俺はお前が思ってるほど出来てるやつじゃねーよ。 お前が誰になんと言われようと、俺の中での1番は最初から祭星だけだ」
ポケットに手を突っ込んで、蓮が続ける。
「実際お前の代わりにとか言って女が寄ってきたけど、足りねーし満足できるわけないだろ」
「え、それってどういう……」
キョトンとしている祭星。 その純粋で澄み切った瞳を見て、蓮が冷や汗を流す。
何も知らない、まだまだ純粋無垢な祭星に慌てて取り繕う。
「いや、なんでもない。 本当になんでもない。 お前には簡単にしないし、まずできるわけが」
「?? 変なの」
街が賑やかになり始めた。 気づけばビル群や店が立ち並ぶ場所まで来たようだった。
祭星がぐるりとあたりを見渡していると、オシャレなカフェの看板を見つけた。 その横には大きな楽器屋があり、随分と賑わっている。
「新作のキャラメルラテ……」
「飲むか」
「えっ! 大丈夫大丈夫! 寒くないからいいよ!」
慌てて断る祭星に、蓮はムッとしながら振り返って大きな手で彼女の頰を包む。
「〜〜!?」
「冷たい。 体を冷やすのは良くない。 先を急ぐなら歩きながらでも飲めばいいだろう。 買って来てやるからその辺に座ってろ」
「あ、あい……」
特になんの特別な反応をせず、蓮はカフェの中へ入って行った。 祭星はフラフラとよろけながらベンチに座る。
あれはわざと? それとも無意識なのか?
このまま一緒にいると心臓がもたない気がする。
会いたかったとは、好き。 という意味なのだろうか。 それをはっきりしてくれないと、弄ばれているだけなのか本気なのかがわからない。 かといって催促するのも……。
悶々と考えている祭星の後ろから、聞きたくもなかった声が聞こえて来た。
「うわ、杯だ」
「マジ? うわー本当にいる」
同じクラスだった男3人組だ。 名前は忘れた。
ビクッとしながらその場から立ち去ろうとしたが、蓮に待っていろと言われたことを思い出して、足を止める。
男たちは祭星の肩を掴み、引っ張ると、ケタケタ笑いながら言う。
「藍沢が言ってたけど、お前確かによく見たらイケそうな顔してんじゃん」
「……は?」
意味がわからない。 祭星が呆然とした顔をしていると、1人の男があるものを取り出す。
それをみて祭星はゾッとした。
「これ使えば、魔力を無力化できるんだよな? オレ一回だけでもいいから試してみたかったんだよな〜」
それは非魔力保持者が護身用として持つ粉だ。
本来は身に危険が及ぶ時や、突然魔物との戦いに巻き込まれた時に、身の回りに巻くことで魔力を無力化できる。 だが最近はとある事件のせいで違う使われ方を容認されている。
魔力を持った者にその粉を振りまくことで無力化し、誘拐し、髪や瞳を売りに出すのだ。
「オレらさ、受験とか就活でかなり疲れてんだよね。 お前、どうせやる相手なんて一生いねぇんだろ。 オレがなぐさめてやるよ」
言っている意味は半分しか理解ができないが、身の危険だけは感じ取ることができた。 しかし足がすくんで動けない。
こいつらに怖がることなんて今までなかった。 声が出ない。 ここはまだこの時間だと人の通りも少ない場所だ。
男が手を伸ばしてくる。 小さく悲鳴をあげて、目をぎゅっと瞑った。
「俺の女になにやってんだ?」
怒りに満ちた声が聞こえた。 恐る恐る目を開けると、蓮の背中が目の前にあった。
男と祭星の間に割って入った蓮は、不機嫌そうな目で睨む。
「他人の女にわざわざ目の前で手ェ出すのがテメェらの趣味か?」
後ろ手に祭星に紙のコップを二つ渡して、首に巻いていた髪の毛を、動きやすいように払った。
「ひ、ヒィッ!!」
「おいビビんな! こいつだって魔力保持者だろ! その粉かけりゃ一発で……」
蓮は粉を持った男の手首を掴み、力を込める。
男は情けない悲鳴をあげて、粉を地面に落とした。 それを見て蓮は手を離すと、他の2人へ言葉を吐き捨てる。
「一人ずつ折ってやろうか」
「れ、れんまって、もういいから!!」
やりかねないであろう彼を急いで止める祭星。 蓮のコートの袖を震える手で握って、ふるふると顔を振った。
「もういい、から……。 もう行こうよ……」
祭星が怖がっているとわかった蓮は、男に舌打ちをして、踵を返した。
後ろも振り返らず、祭星は蓮に連れられて早足でその場を立ち去った。
「一緒に連れて行くべきだった」
三分ぐらい経っただろうか。 もう随分歩いて、蓮がそう言って立ち止まった。
「飲み物、冷めたな。 新しいの買ってくるから、一旦店に入って……、っ、おい」
ようやく状況が飲み込めてきたのか、祭星がぽろぽろと涙をこぼす。 蓮は慌てて、しかし冷静に周りを見渡して、近くにあった公園のベンチに祭星を座らせた。
声を殺して泣き続ける祭星の隣に座って、蓮はハンカチを差し出した。
それを受け取った祭星は、一生懸命泣き止もうとするが、涙は溢れる一方だった。
震える彼女の肩を抱いて、蓮が囁いた。
「ごめんな。 また怖い思いをさせた」
「まえまで……なんともなかったのに、あんなこと言われても、無視したり、言い返したり、逃げたりして……、でも、こわくて、それで……」
震える声で言う祭星。 蓮は彼女を優しく胸に抱きしめて、頭を撫でる。
「はずかしい、から……! やめてよ……」
「じゃあ早く泣き止むんだな」
「むり……」
「だったら文句言うな」
ちらりと祭星が周りをみると、平日の昼間でしかも冬ということもあって誰もいなかった。 少しホッとして、とりあえず泣き止むことに集中した。
しばらく経って、ようやく涙が止まった祭星は、顔を上げる。
「ん。 とまったな」
「うん……」
だが、またぽすんと彼の腕の中に体が倒れる。
「眠そうだな。 ……買い物は夜にするか」
「うん……」
泣き疲れたのだろう。 ぽやぽやとした祭星を抱きかかえて、蓮が立ち上がる。
「流石にこのままじゃ歩いては無理だ。 少し揺れるけどいいか?」
「ん……」
「いい子だ」
蓮はトンッと地面をつま先で叩くと、魔法陣を展開させた。 そして祭星の家へ空間を繋げ、一種で移動をした。
玄関で靴を脱ぎ、祭星の靴も脱がせる。 二階へ上がって、彼女の部屋の中へ入った。
ベッドの上に祭星をそっと降ろし、毛布を優しくかけた。
「……俺さ、お前がいなくてすごく寂しかったんだ」
小さく寝息を立てる祭星の横に座って、蓮がポツリと言葉を零す。
「だから、言い寄ってくる女に手出したりしてさ、少しでも寂しさがなくなるならって、最低な理由でさ。 でも全然ダメだった。 ダメだってわかって、なおさらお前に会いたくなって。 ほんと最低な男だなって自分でもすごく思うんだ」
自嘲めいた笑みを浮かべて、蓮が続けた。
「それなのに、思わず 俺の女だ とか言ってしまって、ごめんな。 俺みたいな男、祭星には相応しくないし、つりあわない。
でも俺、ずっと前からお前のことが大好きなんだ」
「うん」
瞳を開けた祭星が、蓮を見つめる。
「お、おまっ! いつから、いつから起きてた!!」
「最初からだよ」
祭星はくるりと寝返りを打って、蓮へ笑いかける。
「私も、ずっと蓮のこと好きだよ。 蓮が今まで何してたとか関係ない。 私は貴方が好き。 それじゃダメかな」
祭星は蓮に手を伸ばした。 蓮はその手を優しく握りしめて、心から微笑んだ。
「おやすみなさい、蓮」
「あぁ。 おやすみ、祭星」
瞳を閉じた祭星の隣で、蓮は手を握りしめたまま離さずにいた。




