1-9 焔の魔術師Ⅰ
夜明けからまだ間もない、瞼の裏に感じた僅かな光で、シノ・グウェンは目を覚ました。
日が昇り切れば、汗ばむほどになるだろうが、小屋の隙間から入る風も今は心地よかった。
手早く、ローブを羽織り、準備を済ませる。
顔を洗った時、シノの顔が水面で揺れていた。
いつもより、強張っているように見えた。
もっとも、シノ自身でもあまり見慣れたとは言い難いが。
思ったより、俺は繊細な人間らしいな。
……なんだ、それ。
自分の事すら、まだ満足に把握できていない現状に、笑いがこみ上げてきた。
「……よしっ!」
パンパンと頬を叩き、小さく気合を入れた。
ふと、壁に立てかけてある黒い鞘が視界に入った。
恐らくは役に立たないであろう代物。
「……」
魔剣が、連れていけと主張しているような気がした。
依然として抜くことも出来ないが、魔剣の意思のようなものを感じることが、時折あった。
「分かったよ」
シノは逡巡したが、無造作に剣を掴むと、小屋を後にする。
外は、明るさを取り戻し始めていた。
試験が行われるのは、校内の練武場だと聞いていたが、シノが想像していたものとは、趣きが違った。
屋根のない楕円形の外観に加え、全周にはアーチが設けられている。
アーチをくぐり、中に入ると全貌が見渡せた。
すり鉢状の構造の底には、決闘をするであろう空間があり、シノ周りを囲むように階段状の見学席が配されていた。
練武場というよりは、闘技場だな。
試験開始の時間が近づいてくるとともに、場内に人の数が増えてきた。
たかが一学生の編入試験に、これだけの数の見学者があつまるのかと、シノは意外に思った。
生徒だけでなく、明らかに学外の人間も、かなりの数が見受けられた。
「聞いたかよ、あのザカリアスが決闘をするらしいぜ」
「相手が相手だから、全力は見られないだろうけどな」
「あぁ、例の生徒なんだってな。名前、何だっけ?」
シノの横を、同じローブを着た生徒が歩いていく。
話に出ている張本人が、目の前にいるのにも関わらず、気付く素振りもない。
……なるほど。
彼らは、かつて決闘で上級生を殺したというツィスカ・ザカリアスを見に来たのだ。
或いは、『事件』による不安を紛らわせたい、という思いもあるのかもしれなかった。
舞台となる場所を確認したシノは、踵を返し、待機所へと向かった。
「やぁ、キミがシノ・グウェン君だネ? はじめましてだヨ」
既に待機所に居た先客が、にっこりとシノに笑いかけ、右手を差し出した。
腰に短剣をぶら下げた小太りの男が、用意された椅子に腰かけ、落ち着きなく両足を交互に上下させている。
童のような丸っこい瞳と、調子の外れた話し方が印象に残った。
男の脇には、彼の身の丈ほどもある剣が、存在感を放っていた。
随分デカい剣だな。
形状はバスタードソード……か?
ツィスカも男の隣にちょこんと腰かけている。
入ってきた対戦相手には目もくれない。
「俺は初めてですが、そっちは昨日見ていたでしょう?」
シノも握手に応じた。
男の大げさな笑顔が一転して、静かなものに変わる。
「へぇ……。キミ、やっぱり面白いネ。ぼかぁ、ヴォルフラム・ザカリアスだ。爵位はないンだけど、一応、ここの教員サ。ヨロシクね」
ザカリアス……。
「ん? あぁ、お察しの通りサ。この子とは、親子ナンダ。でも、最近は冷たいんダ! 酷いよネェ」
ヴォルフラムが芝居がかったため息を漏らす。
ツィスカの父親にしては、若く見えた。
娘の方は、父親の愚痴にも我関せずだった。
何と答えてよいのか分からず、シノはとりあえず、空いていた二人の向かい側に腰かけた。
一人、賑やかだったヴォルフラムが黙ってしまうと、沈黙が下りた。
何を喋っていいのか、分からん……。
決闘の相手同士を同じ部屋に待機させるってのはどうなんだこれ……。
「その子、使う?」
唐突に沈黙を破ったのは、ツィスカだった。
シノの腰の魔剣を指さしている。
柄を握りしめ、引き抜こうと力を込めてみるが、やはり抜ける気配はなかった。
「いや……、使えないと思う」
そう言って、シノはツィスカの顔を盗み見る。
……怒らせたか?
侮ってくれたな、と先日の金髪女も怒っていたしな。
「そう」
声からは、何の感情も読み取れなかった。
それだけ答えて、ツィスカは再び、どこを見ているのか分からない視線を前に向ける。
再び沈黙が下りた。
「失礼するよ」
ドアが開く音と共に、ノックもなくゲーユが入ってきた。
シノを見ると、目を細め、鼻を鳴らす。
しかし、何も言わずに二人を促した。
「もうすぐ始まる。移動しなさい」
ツィスカが、巨大なバスタードソードに手を伸ばし、軽々と持ち上げて、背に掛けた。
「えっ!?」
シノが思わず、声を上げた。
持っている本人よりも、武器の方がはるかに重そうだ。
魔術で軽量化してあるのか?
大剣と呼ばれるものは、斬るというよりも、武器そのものの重量で叩き斬るのが特徴だ。
重さを無くした剣に何の意味が……。
「……なに?」
ツィスカが不思議そうに、シノに嘆声の意味を問う。
「それ……、ザカリアスのだったんだな」
「うん」
頷き、ツィスカもゲーユの後から、部屋を出て行く。
「実を言うとね、君には少し期待してるんだ」
後に続こうとしたシノの背中に、ヴォルフラムが話しかけた。
打って変わって、真剣な表情だ。
「期待……ですか?」
「そうだ。あの子を負かしてくれるんじゃないかとね」
冗談を言っている雰囲気ではない。
「一応、親じゃないんですか?」
「親だからこそ、だよ。可愛い子には旅をさせろというじゃないか。……あれ、ちょっと違うか。まぁ、とにかく、あの子の魔術には、血というものが通っていない。ツィスカは、敗北を知るべきなんだ。この学校の連中には不可能だろう。次元が違い過ぎる。君のような、劣等生でないとね」
「はぁ……」
シノには、彼の言っていることの真意がよく分からなかった。
「じゃあね。僕は上から見ることにしよう。僕のツィスカを成長させてくれることを願っているよ」
ヒラヒラと手を振りながら、ヴォルフラムも出て行った。
「少し落ち着きなよ」
練武場の最前席に陣取ったはいいものの、立ち上がったり、歩き回ったりして、何度も席を離れるシェイラを見かねたスサナが窘めた。
「おおお落ち着いてるわよ」
「声、震えてるよ。そんなに心配なら、見に来なければいいのに。後で結果だけ教えてあげるよ」
「心配!? そんなわけないでしょ。無謀な馬鹿を笑いに来てやっただけよ」
「……あー、そうだね」
不安そうに両手を握りしめて、今にも泣きだしそうな顔を見て、スサナはからかって遊ぶ気にもなれなかった。
「うむ、その通りだ。心配は無用だと思うぞ」
低いが、どこか艶を感じさせる声が、二人の後ろから落ちてきた。
黒い外套で身を包み、顔まですっぽりと覆った、不審極まりない女が立っていた。
『事件』で校内はピリピリしているというのに、誰も彼女を気にしている様子はない。
二人も声を掛けられるまでは、全く気付かなかった。
「失礼するぞ」
返事を聞くでもなく、シェイラの横に腰かけ、静かに下の戦場を見つめた。
「誰?」
「さぁ……」
スサナが、小声でシェイラに尋ねるが、分かるはずもない。
女の来ている外套には、何らかの防御が施されているのか、魔術によって探ることも出来なかった。
それでいて、魔術を通さない外套の向こう側からは膨大な魔力を感じた。
それきり、女は喋らない。
唯、静かに下を見下ろしていた。




