1-8 最強の看板Ⅱ
事件の影響なのか、いつにもまして、生徒達は複数人で固まって行動していた。
その間を縫うように、黒髪の男が足早に歩いている。
「シノ・グウェン!」
鋭い声が男の名を呼んだ。
シノが足を止める。
振り返らなくとも、誰の声なのか分かっていた。
自分の事をそんな風に呼ぶ人間は一人しかいない。
ただ、少し焦った様子なのが気に掛かった。
「どうしたんだ、オドリオソラ」
「どうしたんだ、じゃないわよ……。ちょっと……こっち!」
よほど走り回っていたのか、息を切らしながらシノの腕を掴むと、人気のない影へと引っ張っていった。
「あんた……試験のこと、聞いてないの?」
息を整える時間ももどかしく、自然、早口になる。
「あぁ、それはさっきゲーユに聞いたよ」
対する返答は、実に気楽なものだった。
「受けるの?」
半ば祈るような気持ちで、シェイラが問いかける。
「そのつもりだ」
「相手の事も決闘の事も、なんにも分かってないのね」
全く危機感が感じられないシノに、イライラと頭を掻きむしった。
「相手はザカリアス、学内決闘にて行われる、だろ。ちゃんと知ってるぞ」
「そういう意味じゃないわよ。いい? 学内決闘と模擬戦は違うわ。どちらかが、負けを認めるまで戦いが続くの。そして、勝者が敗者の生殺与奪権を握ることになる。身代金として、城一つを取られた例もあるくらいよ」
「なら大丈夫だ。別に取られるものなんかないしな」
「それが問題だって言ってるのよ、私は。負けたらあんた、何を差し出せるの?」
「……これとか?」
シノが腰の剣を指す。
「そんなボロ剣じゃ、腕一本分にもならないわよ」
「……っ!」
一瞬、シノが顔をしかめた。
何か、強い怒りの感情が流れ込んできた。
……これは、お前か?
剣に心の中で問いかけるが、返事などあるはずもない。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。この試験は、校長が決めたんだ。俺にはどうすることも出来ないな」
投げやりな口調だが、いつも眠たげに濁っている黒い瞳には、闘志が漲っていた。
これほどやる気に満ちたシノを、シェイラは初めて見た。
しかし、今回のやる気はシェイラにとって嬉しいものではなかった。
「とにかく、大英雄だか何だか知らないけど、こんなの絶対おかしいわ。ほら、抗議に行くわよ。私も一緒に行ってあげるから!」
シノの腕を取り、引っ張っていこうとするが、根が生えたように動かない。
「断る」
短く、はっきりとシノが拒絶する。
「いい? ツィスカ・ザカリアスは、1年生の時、上級生相手に一度決闘をしているの」
「それで?」
「勝敗は一瞬で決したわ。ツィスカ・ザカリアスは、命乞いをする敗者を躊躇なく殺した」
「それは怖いな」
「あぁ、もう! だから、死ぬかもしれないと言ってるでしょう!? 試験は辞退しておきなさい!」
シェイラには、シノがそこまで編入に拘ることが、理解できなかった。
「なんか、負けたみたいで嫌だ」
「子供みたいなこと言わないの!」
「やってみなきゃ、分からないだろ」
「喪失者がどうやって戦うのよっ!」
沈黙が流れた。
口にしてすぐに、シェイラは後悔に顔を歪ませる。
「……昨日聞いたのか」
息苦しい沈黙を破ったのは、シノだった。
「そうよ。だから、もうあんたに関わるなって言われたわ」
「なら、今はその言葉に従っておくべきだな。俺もオドリオソラに近づくなと言われた」
自分でも驚くくらい、冷たい声が出た。
「じゃあ、もう勝手にしなさいよ! 死んでも知らないんだからっ!」
涙が滲むが、シェイラがそれを零すことはなかった。
顔を見せまいと背を向け、走り去っていった。
ありがとう、オドリオソラ。
言葉にすると、情に厚いお前の事だ。
喪失者だと知ってなお、俺に肩入れしてしまうような気がしてしょうがない。
お前にとって、無益どころか、害悪にすらなるだろう。
その点では、アロイス・オドリオソラは正しい。
だから、こんな形で許してくれ。
遠ざかる背中を見つめ、感謝を述べる。
「出て来いよ」
シノが虚空に呼びかける。
「……すごい」
ゆっくりと、教室棟の陰から少女が出てきた。
感心したような口ぶりだったが、まるで感情がこもっていなかった。
ローブを見るに、ここの生徒であるようだ。
小柄な体躯から、少なくともシノよりは年下に見える。
だが、胸部は身体の大きさと比して、不釣り合いな程に自己主張していた。
ただ、鮮烈な赤髪の下の表情は乏しく、視線はあさっての方向を向いている。
「シノ・グウェン」
ポツリとシノの名前を呟いた。
「あ……あぁ、そうだ」
やや間をおいて、名前を確認されたのだと気付いたシノが肯定する。
「……」
が、待ってみても、目の前の少女は何も言わない。
ただ、ぼんやりとどこかを見ているだけだ。
「何か用か?」
仕方なく、シノが言葉を重ねる。
「ツィスカ・ザカリアス」
自分を指さし、少女はそう言った。
話し方が、どこかぎこちなかった。
「お前の名前か?」
「んっ」
赤髪の少女、ツィスカがこくりと頷いた。
言葉を覚えたばかりの子供を相手にしている気分だな。
「なら、あんたが試験の相手か。降参でもしに来たのか? まぁ、無理もない。俺は強いからな。そのおっぱいで手を打とう」
「……」
ツィスカの表情は変わらない。
自分の胸を見下ろした後、シノの方を見て、少し首を傾げる仕草をした。
相手の幼い容姿も相まって、シノの心には、だんだんと罪悪感じみたものが沸き上がってきた。
「……それで、何か用か?」
自分の発言をごまかすべく、先程の質問を繰り返す。
「通告」
ポツポツと呟くように話す為、シノは耳をツィスカの方へ寄せ、集中して聞かなければならなかった。
「通告?」
「んー、忠告……。勧告、勧告っ」
少し考え込んだ末、しっくりとくる言葉だったのか、ツィスカがうんうん、と頷いている。
「何を勧告しにきたんだ?」
「私、強い。編入試験、学内決闘、無謀」
幾分、強い調子で単語を並べ立てる。
挑発にしては、あまりにもお粗末だ。
なるほど。
つまりこの女は、オドリオソラと同じように試験を辞退しろ、と言いに来たわけか。
自分相手に戦うのは無意味だと。
そういえば、こいつの相手は死んだこともあったと、さっきオドリオソラから聞いたっけ。
無邪気な子供のような受け答えからは想像も出来ないな。
「さっきの会話を聞いていたなら、分かると思うけど、その勧告は受け入れられない。もう、俺だけの決闘ではなくなった」
「そう」
さして気を悪くした様子もなく、あっさりとツィスカが聞き入れる。
「ツィスカ・ザカリアスは最強だと聞いた」
「そう」
ツィスカも認める。
簡素な返答からは、誇りも優越感も感じられなかった。
当たり前の事として、彼女はシノの言葉を肯定しているのだ。
「俺はな……」
シノがツィスカをまっすぐに見据える。
「最強なんて言葉は好きじゃない。そんな言葉ほど信用できないものはない。より強いものが現れた瞬間、無意味なものへと成り下がるからだ。ツィスカ・ザカリアス、お前の方こそ、決闘の後も最強の看板を掲げられ続けるのか、試してみる勇気はあるか?」
「……」
ツィスカは何も答えなかったが、茫洋としていた目の焦点は、確かにシノに合っていた。
「じゃあな」
「ツィスカの方が……強い」
シノが背を向け、歩き出した時、ツィスカが呟いた。
「どうだっタ?」
シノの背中が見えなくなった頃、忽然と肥満体の男が、ツィスカの隣に姿を現した。
腰に短剣を差している。
「ツィスカより、強いって」
突然に登場に驚いた様子もなく、まだシノが去っていった方向を見つめながら、ぶっきらぼうに答えた。
「思った通り、面白いネ。編入はアレイスターの差し金ダ。きっとなにかあるヨォ、あの子」
調子の外れた、道化じみた話し方が特徴的だ。
「知らない」
ツィスカの返答は愛想も何もないものだったが、その声に男の目が丸くなった。
男がツィスカの前に回り込み、顔を覗き込んだ。
「ハハハハハっ! ツィスカ、そんな表情は初めて見たヨ」
ツィスカがペタペタと自分の顔を触る。
「……変?」
「いや、むしろ良いことだヨ。それは紛うことなき情動ダ!」
男が、嬉しくてたまらない様子でツィスカの肩に手を置く。
「情動?」
男の言葉を繰り返す。
「そうサ。今の場合は、闘志とか、敵意と言い換えてもイイよね。また一つ、成長したネ。ぼかァ、嬉しいよォ」
満面の笑顔で、ツィスカに抱きつこうとしたした男の姿が、消えた。
何の詠唱も、あらかじめ準備していた魔術を発動させた素振りもなかった。
同時に、男が立っていた場所に火柱が上がる。
「危ないじゃないカ! もう少しで、ムスメにローストにされるところだっタ。あぁッ! お気に入りの服が焦げているじゃなイカ!」
瞬時に少し離れた場所に転移した男が、服の裾をつまみながら騒ぎ立てた。
「闘志、敵意……」
男の文句には耳を貸さず、ツィスカは目を瞑り自分の胸に手を当てる。
考えても、よく分からなかった。
ただ、悪い気はしなかった。
シノが小屋に戻ってきた時には、辺りが薄暗くなり始めていた。
なんとなく、小屋に居る気にならず、随分と歩き回っているうちに遅くなってしまった。
「おっ……」
扉の前でシノが小さく声を上げた。
いつもより早い時間に食事が置かれていた。
温かい。
例によって、魔術で保温されていた。
そして、明らかにいつもより豪勢なものになっていた。
明日の試験を応援してくれている気がした。
「ありがとうございます」
明日の試験に備え、早めに寝床に入ろうとしていたシノにとっては、ありがたいことだった。
相変わらず、美味しいと言えるものではなかったが、知らず知らずのうちに緊張していた心に深く染み入る味だった。
そういえば、この味、どこかで食ったような……。
魔術による結果を持続させるのはとても難しく、発動者の消耗も激しい。
それを毎日続けるのに、どの程度の労力が必要なのか、シノには分からない。
ただ、並みの学生にはできない、という事ははっきりしている。
今まで、誰が夕食を持ってきてくれていたのか、分かった気がした。




