1-7 最強の看板Ⅰ
「グウェン君。君には明日、編入試験を受けてもらうことが決定した。形式については、技能試験ではなく、校長の意向により学内決闘にて実施される」
その日の授業が終わった後、シノは校内の一室に呼び出されていた。
朝の遅刻についての長ったらしい嫌味を言った後、嘲笑そのままにゲーユ先生が告げた。
学内決闘という言葉を、シノは学生生活の中で何度か耳にしていた。
つまるところ学生同士の決闘であり、その形式は、騎士の一騎打ちに準じると聞いていた。
つまり、死んでも文句は言えない、ということだ。
「決闘ですか。……急ですね」
「臆したか? なら、辞退したまえ。敢えて恥を晒す必要もないだろう」
そう言って、薄笑いを浮かべる。
「あまりの進歩の無さに、推薦した校長からも見限られたな。まったく……喪失者が魔術戦など時間の無駄だと思うんだがね。校長も物好きで困る」
「分かりました。とにかく、勝てば文句なく合格なんですね」
ゲーユの眉がピクリと上がり、座っていた椅子から腰を浮かせる。
シノの言いようは気楽そのもので、ゲーユの神経を逆なでした。
「相手はツィスカ・ザカリアスが務めることになる。歴代でも最高の首席生徒であり、既に軍に籍を置いている。戦功もいくつか挙げておりーー」
「いいんですか?」
イライラした様子で、落ち着きなく室内を歩きながら、いかにその生徒が優れているかを並べ立てているゲーユを、淡々としたシノの言葉が遮った。
「何がだね?」
話を遮られ、ゲーユがイライラと体を揺する。
「そんな風に情報を漏らしてしまって」
「そのような事、君に言われるまでもーー」
「いや、的を射ている」
さらにゲーユが反駁しようとした時、重苦しい声が割り込んだ。
発する言葉そのものに魔力が通っているかのようだ。
その場にいた2人は、身体に締め付けられたような圧迫感を感じた。
「私は試験の日程を伝えろと言っただけだ。無駄な言葉を連ねる必要は無い」
いつからそこに居たのか、いつ現れたのか、見事な白い髭を蓄えた老人が、先程までゲーユが座っていた場所に腰かけていた。
立ち居振る舞いはかくしゃくとし、引き締まった厳しい表情は刻まれた深い皺と相まって、巌を連想させる。
古びた紅いローブを羽織り、物語に聞く賢者のようないで立ち。
見た瞬間、今まで散々武勇伝を聞かされてきたアレイスター・クロウリーその人だと直感した。
溢れ出る魔力は、喪失者にも感じ取れるほどのものだった。
その魔力は、シノを妙に落ち着かない気分にさせた。
「こ、校長……」
ゲーユの顔から脂汗が滴り、はっきりと怯えの色を浮かべていた。
流れる汗で、下に水たまりでも出来そうな勢いだ。
「さて、倒れていた時以来だな。もっとも、私と顔を合わせるのは初めてだろうが。アレイスター・クロウリーだ。立場上、この機関の長ということになる」
ゲーユには目もくれず、厳しい視線をシノへ向ける。
「俺はーー」
「必要ない。既に知っていると言った。……それにしても、お前には失望した」
大した期待はしていなかったが、とでも言いたげだ。
「いきなりご挨拶だな。優秀な魔術師ってのは、みんなそうなのか?」
平常であれば、敬意が足りないと叱責しているであろうゲーユは、俯いたままだ。
朝の王女さんも、いきなり人んちを吹き飛ばそうとしてくれたが、この男は根本的に違う。
こいつとは永遠に相容れない。
嫌悪だとかそういう感情ではない。
存在そのものを抹消しなければならない、というある種の危機感だった。
なぜそんな気持ちを、会ったこともない人間に抱くのか、シノ自身でもよく分からなかった。
「今のお前は生ける屍のようだ」
「なんだと?」
「わざわざ限りある時間を代償として支払い、『顕れて』みればこのざまだ」
「さっきから何を言ってる」
「そもそもここに迎え入れたのは、お前が喪失者だったからだ。彼らはこの世界においては、忌むべき存在だとされている。ここで、お前も身をもって思い知ったことがあろう。神に見捨てられし棄民だとな。しかし、本当にそうなのか? 喪失者はただの無能に過ぎないのか? 私はそれを確かめたかったのだ。その意味で、我が校の前にお前が倒れていたのは、まさに天啓だった。神など信じていないがね」
クックッ、とクロウリーが喉の奥で笑う。
冗談を言ったつもりらしい。
益々、ゲーユが縮こまった。
どうも会話が噛み合わないな。
いや、会話をしているのではないのか。
ただ、自分の考えを垂れ流しているだけなんだ。
「へぇ、それはご期待に添えず申し訳ありませんでしたね」
「私は一度だけ、喪失者と戦場を共にしたことがある」
シノの皮肉は意に介さず、クロウリーは何かを思い出すかのように虚空の一点を見つめた。
「戦友だったといってもよい。『大災厄』の最終盤、我らは一度だけ、敗北の危機に陥った。それを救ったのは、喪失者だった。 “竜の棲まう荒野”で文字通り、悪魔を蹂躙していた。まるで世界そのものが味方をしているような光景だった……。興味深いのは、あれだけの力を有していながら、それまでただの一度も、彼女は戦おうとしなかったことだ」
ゲーユが勢いよく顔を上げる。
言葉を発することはなかったが、驚きに目を見開いていた。
力、というのはオドの事を指しているのか?
いずれにせよ、大英雄の一人は喪失者だったのか。
喪失者の扱いを考えると、意外な事実だな。
虚空を見つめていたクロウリーの目が、シノの腰の剣に注がれる。
「なんだよ」
「その魔剣……」
何故かその時のクロウリーの表情が、シノには悲しげに見えた。
「これがどうした」
「……いや、考え過ぎか。結果は芳しいものではなかったが、確かめるべきことは確かめた。では、試験に臨むがいい。極めて希望的観測だが、可能性が皆無、などということはあり得ないのだから」
クロウリーの姿が、現れた時と同じように、予兆もなく消失した。
何の力の残滓も存在しない。
実際にそこに居たんじゃなく、自分の姿だけを投影していたのか。
思えば、オドを全く感じなかったな。
投影された、ただの影でさえ、あの圧力……。
大英雄ってのは、人間離れした連中のようだな。
「き、君ももう行きたまえ!」
引きつった声の主は、精一杯の虚勢を張っている。
……これ以上の面倒はごめんだ。
黙って頭を下げ、部屋を出ていった。
可能性が皆無、などということはあり得ないのだから.
シノは、先程の言葉を思い返していた。
魔術による技能試験であれば、喪失者である俺が合格することなど不可能だ。
でも、魔術戦ならどうだ。
試験時に偶然、魔力が発現する、などという正真正銘の奇跡よりは、可能性があるんじゃないのか。
依然、絶望的だけど、唯一残されたこの力が役に立つ。
ゲーユはあざ笑っていたが、クロウリーは敢えてこの形式にしたのかもしれない。
やってやろうじゃないか。
あの男に侮られたままなんて、吐き気がする。
この敵対心に近いものが、どこから生まれているのか、シノ自身も分かっていなかった。
目標は定まった。
後は、全力でそれを実行するだけだ。
シェイラ・オドリオソラは放課後になっても、自分の席に座ったままだった。
朝の一件が気に掛かり、考え込んでいるうちに、授業が終わってしまっていた。
授業の内容なんて、全く覚えていない。
こんなことは入学以来、初めてだ。
そんな自分を、周囲がいぶかしんでいる事さえ、気が付いていない。
「今日はずっとそんな感じだね」
空になったシノの席に、スサナ・レモンが座った。
家の爵位は低いものの、侯爵家の令嬢であるシェイラに対しても、物怖じをする様子はない。
遠慮というものを全く感じないが、スサナのそんな所をシェイラは気に入っていた。
入学後まもなく、一緒に過ごすようになり、今では親友といっていい間柄だ。
「そういえば、今日はあの編入生の所へは行かないのかい? いっつも嬉しそうに席を立つのに。それに、今日は彼の方を見るばっかりで、全然話していなかったね。喧嘩でもした?」
一見、心配しているように見えるが、僅かに口角が上がっている。
「見てもいないし、別に嬉しいわけじゃないわよっ! うちに編入してきたくせに、火を起こすことも出来ないのを哀れんだだけ。慈悲よ、慈・悲!」
「そういえば、彼いないね」
不機嫌なシェイラを意に介さず、スサナは教室内を見渡す。
「12分前に部屋を出て行ったわ。魔力がな……少ないから、追跡はできなかったけど、多分呼び出されたか何かじゃない? 理由に心当たりなんて、いくらでもあるんだし」
流れるような返答。
「……」
スサナは何か言いたげな視線を、目の前の親友に送っていた。
「何よ」
「シェイラ、君ね、少し気持ち悪いよ」
「へ?」
予想外の言葉に、思わず間抜けな声が出た。
「ていうか、追跡しようとしたんだ……」
「なにブツブツ言ってるのよ」
「あの編入生について、詳しすぎない? ちょっと気持ち悪いんだけど」
「そ、それは……ほら、あたしが魔術を教えているじゃない? 自分の生徒の現状を知っておくことは指導する側として当然でしょ」
きっぱりとした物言いだが、ローブの隙間から垣間見える首筋に、血が上っているのをスサナは見逃さなかった。
「ふぅん。じゃ、もひとつ」
その辺り、スサナは全く優しくなかった。
「な、なによ……」
シェイラの目は泳ぎ回っていた。
「この前の観兵式」
シェイラを見ながら、端的に述べる。
面白いぐらいに、表情が動揺に満ちたものとなる。
「あれ、私も一人で行ってたんだよね。友達も誘ったんだけど、断られちゃった」
「そ、そう……」
「そしたらびっくり。そこにその友達が来ていてね。しかも男と二人で。しかも、男に荷物を持たせたりしちゃって」
スサナはニヤニヤと、シェイラの反応を楽しんでいた。
「あれは……シノが、王女殿下の御名前も知らないっていうから……それで……」
赤みは首筋を上り、遂には顔面に到達していた。
「『シノ』ねぇ。心の中ではそう呼んでるんだ」
「もういいでしょ!」
話せば、話すだけ墓穴を掘っていくことに気付き、この話題を終わらせにかかる。
「いいよ、これでチャラね」
満足した様子で、ここはスサナも素直に退いておくことにした。
「なんだ、あの喪失者もどきは、いないのかい?」
美声といってもよい声だが、最近のシェイラにとっては耳障りなものとなっていた。
その声を聞いた途端、表情が羞恥から苦いものに変わる。
不快な笑みを浮かべた、端正な面立ちの男が立っていた。
「なによ、イステル。あんたはお呼びじゃないわよ」
「まぁ、無理もない。相手を知って、逃げたんだろ。今頃はあのみすぼらしい掘っ立て小屋の中で震えてるかもなぁ」
イステルがせせら笑う。
「相手?」
シェイラが渋い表情のまま、聞き返した。
「編入試験の事を知らないのか?」
その様子を見て、イステルは笑みを深くする。
「編入試験での相手? 試験は模擬戦か何かなの?」
横からスサナが口を挟んだ。
通例であれば、恐ろしく難度は高いが、魔術による技能試験が実施される。
「シノ・グウェンの試験は学内決闘さ。さっき全校に告知があった。王都向けにも周知しているようだ。何せ、相手があのツィスカ・ザカリアスだからねぇ」
その名前が出た瞬間、二人が表情が硬くなる。
「そりゃまた何という無茶な……」
スサナが、シェイラに気遣わし気な視線を送る。
「……」
シェイラは顔面蒼白だった。
「どうやら、学校側は、これを見世物にしたいらしい。ツィスカ・ザカリアスの実力を示し、自分たちの威光を高めたいという思惑があるのだろう。僕らにとっては喜ぶべきことじゃないか」
満足げなイステルが、両腕を広げて見せる。
「ツィスカ・ザカリアスみたいな化け物に興味はないけど、彼女が力を示してくれれば、僕らの将来にとっては有益なーー」
イステルが口を噤む。
シェイラの姿が消えていた。
スサナもイステルも、シェイラが教室の中を通ったのなら、気付いたはずだ。
すぐ傍の窓が開いていた。
急ぐあまり、窓から出て行ったらしい。
「……ここ、最上階だよ?」
思わず、スサナが言葉を漏らす。
人に会いに行く。
たかがそんな目的で、魔術を使った事に、スサナは呆れた。
魔術は、己と王国の為だけに使われるべきものなのだ。
「……フン」
イステルも詰まらなさそうに鼻を鳴らして、取り巻きを引き連れ、出て行った。
あの編入生は、シェイラ・オドリオソラがそこまでする価値のある人物なのか?
実家の利害関係で、近づいているのだろうか?
本人の性格を鑑みて、それはないだろう。
単純に惚れた……とか?
顔は、印象に残らないくらいだし、魔術師としては圧倒的な劣等生だ。
容姿で覚えていることと言えば、髪が黒いことくらいだった。
……じゃあ、アレか。
人として、劣等種であればあるほど、その異性に惹かれていくという話を前、本で読んだな。
「うーん、分からん。あいつはそんなに良い男かね」
恋愛経験のない少女では、皆目見当もつかなかった。
一人残されたスサナは、今度ゆっくりと、シェイラと男の趣味について話し合おうと決めたのだった。




