3−12 甘い罰Ⅱ
──同日・午前。
聖堂の正門前には、場違いな組み合わせの二人が立っていた。
殺気だった〈詠隊〉見習いの巨漢と、腰に古びた剣を佩いた隻腕の男。
道行く人々が奇異の視線を向けながら、そそくさと離れていく。
「お気をつけください、グウェン殿。何か、見られているようです」
シノは、射殺さんばかりの目つきで周囲を威嚇するレニを眺めながら、
「……そうだな」
レニを気に留めることもなく、シノは先陣切って歩き出した。
細い路地から、子どもが一人、こちらを見ずに走ってくる。
レニは反射的に前に出て、体でその勢いを止めた。
「危ないッ!」
どん、とぶつかった子どもは、そのまま尻もちをついて、目に涙を浮かべる。
「す、すまない! 怪我は――」
「泣かせてるぞ」
シノが膝を折り、子どもの目線まで身をかがめた。
「痛いか」
こくこくと頷く子どもに、シノは手を差し出す。
「立てるか」
そのまま掴んだ手を、軽く引き上げてやる。
「なにかしてほしいことはあるか?」
子どもはまだ涙目のまま、ふるふると首を横に振振った。
「そうか」
シノはもう興味を失ったように立ち上がり、その場を離れる。
そんなシノをレニは驚いたように見つめていた。
「どうした?」
「いえ。優しいんですね」
「子供には、優しくするものだからな」
遠ざかっていく子供の後ろ姿に視線をやり、シノはまた歩き出した。
その後ろを追いかけながら、レニは先ほど感じた違和感を反芻していた。
──何だ、今のは。
まるで不器用に、誰かの真似をしているかのような。
空々しい、下手な芝居を見せられた気分だった。
聖堂街の外れにある小さな広場は、朝市の名残でまだ少しだけ賑わっていた。
石畳の一角には、焼きたてのパンを並べた屋台が出ている。
香ばしい匂いが風に乗って流れてきた。
「……いい匂いだな」
シノが足を止める。
レニはすぐさま周囲を威圧しながら見回し、危険がないかを確かめてから、ようやく屋台へと視線を戻した。
「首教様からお預かりしたお金があります。軽食程度であれば、と仰せでした」
レニは大事そうに革袋を取り出し、中から小銭を数枚つまんだ。
行列の最後尾に並びながら、ふたりはゆっくりと順番を待つ。
屋台の前には、先に来ていた女が二人、パンを選びながら世間話に花を咲かせていた。
「ねぇ、やっぱり最近、首教様おかしくない?」
「おかしいなんて……聞こえたら大変よ」
「そういう意味じゃなくてさ。前は毎日、聖堂の上に立っておられたでしょう? ここからでもよく見えてたのに、ぱったりお見かけしなくなったじゃない」
「この前も、聖堂の人が言ってたわ。『首教様のご様子が優れない』って……」
レニの肩がぴくりと跳ねた。
耳を塞ぎたい話題だが、行列から抜けるわけにもいかない。
横でシノは、特に気にした風もなく空を見上げていたが、その会話だけははっきりと聞こえていた。
「心配だよねぇ」
「何かあったのかしら……」
女たちのため息交じりの声を背に受けながら、シノはぽつりと呟いた。
「心配いらねぇ。あいつはいつも変なやつだからな」
その一言で、空気が一瞬止まった。
静寂を破ったのは、慌てふためいたレニだった。
「グ、グウェン殿ッ!?」
「何だ」
シノはきょとんと振り向く。
「い、今のお言葉は、その……」
「どうした?」
「変って……!」
前に並んでいた女たちが、ぱっと振り返る。
周囲の視線が一斉にシノに突き刺さる。
「今のは違いますッ!」
レニは慌てて一歩前に出て、声を張り上げた。
「首教様がおかしい、という意味では断じてなく! その……あまりにもお優しすぎて、普通の方とは違うという、ええと、その……最高級の賛辞でありまして!」
「そうなのか?」
「そうなのですッ!」
シノは首を傾げたが、レニの必死の形相を見て、それ以上何も言わなかった。
女たちは顔を見合わせ、小声で囁き合う。
「首教様を“変”なんて言える人、初めて見たわ……」
「一体、何者なのかしら……」
好奇と困惑の入り混じった視線が、なおもふたりの背中に刺さり続ける。
パンを受け取り、その場を離れてからもしばらく、レニの心臓はうるさいほどに脈打っていた。
「今のは、不敬と受け取られてもおかしくありません……」
「そうか?」
「そうです!」
レニは振り返り、遠くにそびえる聖堂の尖塔を仰ぎ見た。
「首教様は、我らにとって揺るがぬ柱なのです。噂だけでも皆が不安になるというのに、あのような言い方をされては――」
「柱かどうかは知らないが」
シノはパンを食いちぎりながら、尖塔から視線を外した。
「俺の知っている限り、あいつはずっと変なやつだ」
呆れとも、どこか親しみともつかない声音だった。
レニには、その意味が分からない。
分からないが、首教をそう評することができる距離にこの男がいるということだけは、嫌でも思い知らされる。
なぜ首教様は、この男をここまで気にかけておられるのか。
その答えを、レニ・バラムは知らない。
──同日・午後。
〈教国〉西側の城壁近く。
石畳の道を行き交う人々の視線が、一か所だけに吸い寄せられていた。
城壁の一角。
そこだけ新しい石で塞がれ、周囲には黒く焦げた痕が生々しく残っている。
「……目立ちすぎます」
人混みから少し離れた場所で、外套を深くかぶった女が、ため息混じりに呟いた。
メルヴィナ・ウォールズである。
槍すらも今は身につけておらず、旅人のような簡素な身なりだが、その背筋の伸びた立ち姿は隠しようもない。
腰に吊っている短剣の柄を、上から布越しに軽く小突く。
「もう少し……そうですね、三分の一くらいの大きさにできなかったんですか」
朱い宝石の嵌め込まれた柄が、かすかに熱を帯びる。
抗議とも開き直りとも取れる、微妙な温度だ。
「“中に入りたい”とは言いましたけど、壁ごと消し飛ばしてほしいとは言ってません」
さらにじりじりと熱が増し、宝石の奥で、炎がくつくつと笑っているような感覚が伝わってきた。
「……いえ、助かったのは事実です。ありがとうございます」
観念したように、メルヴィナは小声で礼を付け足した。
すると、さきほどまで主張していた熱が、少しだけおとなしく引いていく。
城壁の修繕を監督しているらしい聖騎士たちが話し込んでいた。
メルヴィナは『風』を操り、話し声を耳元まで運ぶ。
「やはり、〈竜狩り〉の仕業だろうな。相当な火力だぞ」
「この焼け跡……。本物の竜がやったって聞いても驚かないぜ」
「〈聖域〉があってなおここまでの破壊力……」
メルヴィナは、そっと視線を逸らした。
自分のしでかした痕跡を、よその誰かの仕業として推測されるのは、妙な居心地の悪さがあった。
その一方で、焦りもある。
これ以上ないほど目立つ方法で侵入を果たしたものの、まだ目的の男の居場所すら突き止められていないのだ。
「……時間はなさそうですね」
小さく息を吐き、メルヴィナは城壁から離れた。
「大聖堂に侵入者がいたって、本当なの?」
「本当らしいぞ。けっこう上の騎士様が負傷したって話だ」
「狙いは何だったんだろうね」
「さあて。そもそも大聖堂の奥まで入れる聖堂騎士は、ごく一部だけだ」
メルヴィナは眉をひそめた。
大聖堂の奥、〈教国〉にとって守るべき場所。
そこに、狙うだけの何かがあるということだ。
狭い路地を抜け、人気の少ない裏通りに入る。
その先に、小さな酒場のような店があった。
こういう店には、なじみがない。
昼だというのに、すでに酔客らしき声が漏れている。
「……情報は、ああいう場所の方が集まりやすいのですよね、きっと」
短剣の柄が、ぴくりと震えた。
同意なのか、呆れなのかは分からない。
店に入ると、安酒の匂いと、人熱れが一度に押し寄せてきた。
メルヴィナはカウンター脇の空いた席に腰を下ろし、薄い果実酒を一杯だけ頼む。
杯に指先を浸し、卓上をなぞるように円を描く。
なぞった軌跡に沿って、空気がかすかに渦を巻いた。
『風』の魔術。
酒場中に散らばるざわめきの中から、自分の欲しい言葉だけを拾い上げる。
魔術が行使されることは想定されていないのか、酒場内には魔術に対する守りは全くなかった。
「西側の壁、見たかよ」
「見た見た。真っ黒に焦げてたな。修繕組が泣いてたぞ」
「上は『小さな事故だ』で押し通すつもりらしいがな。あれを小さいって言うなら、俺たちの仕事は何なんだか」
風が、別の卓の会話を掬い上げる。
「そういやお前、昨日は大聖堂のほうに駆り出されてたろ?」
「ああ……あれな。まだ腰が痛ぇよ」
「何を運ばされたんだ?」
「家具だよ、家具。でっかい机に、本棚を何本もだ。しかも、首教様のお部屋にな」
「首教様の部屋? 冗談だろ」
「本当だって。めったに近づける場所じゃないのに、昨日は『余計なことは訊くな、運べ』の一言さ」
別の声が、面白がるように混ざる。
「もう一人住むのかと思ったぜ。あれだけの家具だ、誰かお偉い方の部屋でも増やすのかと」
「でもよ、寝台は一つしかなかったんだよなぁ」
「じゃあ、誰のための机と棚なんだ?」
「知るかよ。あまりにお忙しすぎて、手でも増やしたんじゃねぇか?」
メルヴィナは目を伏せた。
首教の私室。
そこに、急に運び込まれた大きな机と本棚。
寝台は一つきり。
風は、さらに別の噂を連れてくる。
「最近、あの階の窓、夜でも明かりが点いてるって話だ」
「首教様のお部屋のあたりか?」
「ああ。見回りの兵がぼやいてたよ。『あれじゃこっちが落ち着かない』ってな」
「お休みになれているのかねぇ……。あのお方に何かあったら終わりだろうに」
そこまで聞いて、メルヴィナは静かに術を解いた。
酒場のざわめきが、ただの喧噪として耳に戻ってくる。
「首教の部屋に、机と本棚……」
その部屋に、誰がいるのか。
あの女が『神』の代価として差し出されたシノを、そこに置いているのか。
腰の短剣が、わずかに熱を帯びた。
急かすように、あるいは同意を示すように。
「……はい、分かっています。確かめましょう」
小声でそう答えると、宝石の熱は少しだけ和らいだ。
「お客さん、顔色悪いね。大丈夫かい?」
店主に声をかけられ、メルヴィナは慌てて首を振った。
「大丈夫です。少し、飲み慣れていないだけで」
果実酒を飲み干し、席を立つ。
扉に手をかけたところで、先ほどの客の会話が背中に届いた。
「それにしても……首教様、最近ご機嫌が不安定だって聞いたぜ」
「聖堂勤めの親戚が言ってた。『近づくと、殺気で刺されそうになる時がある』ってな」
「そりゃあ、上のことなんて俺たちには分からねぇが……祈るしかないさ。あのお方が倒れたら終わりだ」
殺気、という言葉に、メルヴィナは扉にかけていた手を止めた。
首教と、その私室。
急に増えた家具。
夜になっても消えない明かり。
そして、刺すような殺気。
「……本当に、何をしているんですか、あなたは」
誰にともなく零し、メルヴィナは店を後にした。
路地に出ると、昼の陽光が眩しい。
遠く、銀色の尖塔の天辺が見えた。
そのどこかに、シノ・グウェンがいるのか。
短剣の柄が、そっと震える。
「分かっています。必ず連れて帰ります」
メルヴィナは、胸元に手を当てて誓うように呟いた。
その頃、聖堂街の別の一角で、首教の近くに囚われているはずの男が、護衛一名を従え、パンを食いちぎりながら「いつも変なやつだからな」と遠慮のない感想を口にしていることなど、知る由もなかった。




