3-6 蒼銀の執心Ⅲ
土埃の匂いが漂う中、一台の車が門前で止まった。
重厚な扉が音を立てて開くと、銀の甲冑を纏った兵士が姿を現し、訪問者を出迎えた。
それぞれが銀色の槍と剣を携えている。
『魔』を討つために鍛え上げられた、〈教国〉の聖堂騎士にのみ許される銀の武具だ。
二人の向こう側には灰色の石畳に覆われた広場が見える。
多くの人々が行き交う姿があったが、無秩序な王都の喧騒とは違うものだった。
その広場を見下ろすように設置された、銀色の像がひときわ目を引く。
甲冑を纏い、長槍を天へと突き上げている女の像だ。
街並みの中央には巨大な銀色の聖堂が鎮座している。
聖堂は距離があっても大きさが狂って見えるほどで、近づくほどに視界を圧迫するような重さがあった。
真円の屋根が放つ銀光は、荒野の色だけを拒絶しているようだった。
名を持たず、単に〈教国〉と呼びならわされるその国には、おおよそ都市と呼べるほどのものが1つしかなく、規模も王都の半分にも満たない。
〈竜狩り〉との争いが絶えないと聞くが、城門の守りも数人が詰めているだけの簡素なものだった。
「心配は無用です。門を任せられるにあたり、人の害意を見抜く力を与えられておりますので。全ては大首教様の恩寵です」
長槍を持った門衛がそう言って、虚空で握った拳を胸に当てた。
「大首教?」
シノが首を傾げると、門衛は石畳の広場の像を示した。
「レイモンド様です。私達を護って下さっています」
「レイモンドか……ふむ、なるほどな」
「……大英雄に列せられ、魔術を用いず、しかし強大な戦士だという話です。『大災厄』の最後の戦いには参戦せず、戦火を逃れた異国の民同士を束ねたのがこの国の始まりだとか」
理解している様子のないシノへ、メルヴィナが横から補足を入れた。
「はい、〈教導〉の祖であられます」
「よく知ってるな、金髪」
「先ほど、話していたでしょう? 長く君臨しているそうですが、姿を見た者はほとんどいないとも聞きます。不老に近い大英雄であるならば、亡くなっているとは思えませんが」
「お姿が見えずとも、恩寵は確かに存在しております。それに、今はレティシア・グレスロード様が首教を務められ、あの大聖堂に」
「レティシア……」
シノは小さく息を呑んだ。
その名が、胸の奥で燻る焦燥をさらに焦がした。
「どうかしましたか?」
首を傾げながらメルヴィナは、シノの口から人の名前を聞いたことがない、ということに気が付いた。
シェイラ・オドリオソラひとりを除いて。
「いや、いい名前だなと思って」
答えを聞いて、門衛はにこりと親しげに笑った。
「お疲れでしょう。今日はゆっくりとお休みいただき、明日──」
「いいや。その首教様が一刻も早くお会いになりたいそうなんだ。このままボクが大聖堂に連れてくよ」
「はぁ……承知しました」
スサナの後に続いて門を通るシノを見る門衛の目には、はっきりとした好奇の色があった。
「心の内を見抜くなんて、聞いたことのない魔術です。それに、魔術を始動させる力そのものを付与するなんてことが本当に可能なのでしょうか……」
シノの耳元で、メルヴィナが囁いた。
言葉には多大な畏怖が伴っている。
意志によって魔力を操り、魔術を表出させる魔術師にとって、意志の源である心を覗かれるというのは致命的な弱点にもなりうる。
しかも、その力を他者に与えることができるというのだ。
「待たれよ」
〈教国〉の門を潜ろうとしたとき、メルヴィナだけが門衛に呼び止められた。
そして、メルヴィナを無遠慮に眺め回す。
「どうかしましたか?」
長槍を持った門衛が手にした得物をメルヴィナへ突きつけた。
もう一人の門衛も剣の柄に手を掛ける。
「敵意ある者を通すにはいかない」
「仕方ありませんね。では、私たちは引き返しましょう」
メルヴィナがシノの腕を取って引き戻す。
スサナがメルヴィナの前に身体を滑り込ませた。
「その娘は意に反してここにいる。もちろん、首教様は全てをご存知だよ」
「しかし……」
門衛は槍を下ろさない。
もう一人も剣に手を掛けたままだ。
スサナがさらに言葉を継ごうと口を開いたとき、
「熱い……っ」
銀の槍身が、内側からじわりと白く光ったかと思うと、握っていた掌に鉄ではありえない灼けるような熱が走った。
槍を構えた門衛が短い悲鳴をあげ、投げ出すようにして得物を手放した。
槍を握っていた手を確かめるが、皮膚には焼け跡ひとつない。
さっきまで掌を焼いていたのは、金属そのものの「意志」だったとでもいうように。
「首教様……?」
門衛は、思わず大聖堂の銀の屋根を仰いだ。
「ほら、これで分かったろ? 首教様は、門の前で何が起きてるかくらいは全部ご存知だ」
「……承知しました」
渋々、といった様子で門衛は手放した槍を拾い上げ、道をあけた。
剣を佩びた門衛もそれに倣う。
3人は悠々と門を越えて、〈教国〉へと足を踏み入れた。
「君たちは言葉で真実を覆い隠すことが得意だ。でも、ここではその真実が見抜かれてしまう。気をつけた方がいい。まぁ、気をつけてどうにかなることではないのかもしれないけどさ」
「生きづらい場所です。多かれ少なかれ、人間なんて誰しも嘘をついて生きています。大英雄レイモンドは、とても厳しい人間なのでしょうね」
門を抜け、門衛から少し離れたところで、メルヴィナが口を開いた。
「君たちだって、偽りを口にすることは許されていないでしょ。それでも真実を隠そうとするから、だんだんと歪んでいく」
「私たちは……嘘なしには生きていけません」
「そうだね。だからこそひとつ、みんなが信じられるモノが必要だったんじゃないのかな。それに、時と場所を選ばず、誰彼構わずに心中を知ることはできないよ。〈神〉が認めたときだけ」
「神、ですか……」
「さっそくボクの言ったことを守ってくれて嬉しいよ。神様というのは、ここでは絶対的な存在だからさ。存在の是非についての議論はお勧めしないかな。真実、〈神〉は存在すると信じている人も多いからね」
少し険のあるメルヴィナとスサナのやり取りも耳に入らない様子で、周囲を興味深げに観察していたシノは、道行く人々の流れが同じ方向へ向かっていることに気づく。
「歩いている奴らはどこへ向かってるんだ?」
「ボク達と同じさ」
「あそこか?」
大きく見えているが、なかなか近くはならない聖堂を指さした。
「何のために?」
「奇跡を授けてもらいにさ」
「奇跡?」
「魔術みたいなものだよ。その日に使う奇跡を、お祈りをして授けてもらうんだ」
「……ずいぶん手間がかかるのですね」
メルヴィナは珍しいものでも見るように、聖堂へ向かう人々を眺めている。
魔術というものは自らの意志によって行使されなければならないものだ。
「いいこともあるよ。〈神〉っていうのはね、全能なんだ。全て知っている。過去も現在も未来も。奇跡を授かったということは、〈神〉がその奇跡による結果を認めてくれているということだから。たとえ良くない結果に終わったとしても、諦めがつくんだ。これは運命だったんだ……てさ。あとはそうだな……、魔術の優劣が、そのまま人の優劣になったりしないってところかな」
スサナがシノを流し見るが、街や人の観察で忙しい。
フラフラと人々の流れから外れかけたシノを、メルヴィナが引き戻した。
巨大な聖堂の扉には、異形の悪魔と槍を振りかざした戦士が彫りこまれている。
扉の前では、人々の祈り声が絶え間なく流れていた。
雑然とした喧騒ではなく、低く重なるような祈りの声がひとつの響きにまとまり、聖堂そのものが音を整えているかのようだった。
声は多いのに、不思議と耳障りではない。
まるで、この聖域の空気を支える柱の一つとして存在しているようだった。
そこからは入らず、スサナは大聖堂の側面へと回った。
途中、小さな門があり、そこから先は誰にも会わなかった。
やがて、表に比べて随分と小さい扉にたどり着く。
「ここが大英雄レイモンドが築いた聖堂。〈聖域〉の中心。覚悟はいいかい、シノ・グウェン」
シノが答える前に、スサナは扉を押し開いた。
小扉の向こうは、途端に空気が冷えた。
石壁に閉じ込められた静寂が耳鳴りのように重く、一歩踏み込むだけで胸の奥が押しつぶされるようだった。
銀色の甲冑で身を固めた者が六名、それほど広くはない一室は殺気で満ちていた。
メルヴィナが身動ぎをしてシノの腕をつかむ。
殺気がより一層強くなった。
「ほら、連れてきたよ。間違いないかい?」
「えぇ、えぇ……。間違いありません……! やっと、やっと、やっと──」
ひときわ輝く白銀の甲冑で身を固めた大聖堂の長は、ゆっくりとシノへと手を伸ばし、おぼつかない足取りで進んでいく。
周囲の聖堂騎士達は逡巡しながらも、一人で飛び出す形となった彼女を止めようと数名が後を追った。
それよりも早く、メルヴィナが進路を阻むようにレティシアの前に立ち塞がった。
「……誰ですか、貴女は」
レティシアからは夢遊病めいた雰囲気が消え、代わりに剣呑な敵意がメルヴィナへ向けられた。
「お初にお目に掛かります。メルヴィナ・ウォールズと申します。ユリアーネ・ローゼンベルク王女殿下より、シノ・グウェンの警護を仰せつかっております」
「そうですか。それはご苦労さまでした。しっかりと任を果たしてくれたこと、お伝えしておきましょう」
メルヴィナは、その場から動かない。
「労いのお言葉、痛み入ります。しかしながら、まだ命を果たせてはおりません。私の任は、シノ・グウェンを連れ帰ることで完遂となります」
レティシアは不満そうに眉を歪めた。
「……アイン・スソーラとは話がついている、という認識でしたが」
「マリアンネ・ローゼンヴェルクは了承したよ。黙認、ってやつだけどね」
答えたのはスサナだった。
「主はユリアーネ王女殿下、ただ一人です」
「罪人、それもたかが魔力を喪った平民一人の処遇に、どうして第一王女が口をはさんでくる? そちらでは棄民も同然でしょう。〈神〉の半身を簒奪した大罪を、その男一人で赦すと言っているのです」
「我が主は、彼のことを大変気に掛けておいでです」
「そう……。そうですか」
レティシアが指先をメルヴィナへと向ける。
冷たい殺意を感じ取った瞬間、シノは掴まれている腕でメルヴィナを強く引きつける。
「レティシアッ!」
スサナの鋭い声と同時に、メルヴィナが倒れ込んだ。
「グウェンさん──」
メルヴィナを引き倒し、ちょうど立ち位置を入れ替える形となったシノの眼前には、白銀の長槍が宙に静止していた。
〈教国〉の祖、大英雄レイモンドとともに戦場を駆けた大槍。
誰かに握られているでもなく、投擲されたわけでもない。
だが確かに、メルヴィナに向けて放たれたものだ。
「銀色の、槍……」
レティシアが纏っている白銀の甲冑よりも、一層輝かしい銀の槍にメルヴィナは一瞬、命を狙われたにも関わらず目を奪われた。
『魔』と対するには、銀を鍛えた武器が最上であると伝えられる。
そして、最高位の聖堂の護り手たる者には、『神』より銀を司る力を与えられている、とも。
シノが槍先からレティシアへと視線を移す。
「無茶をしますね。私が止めていなければ串刺しになっていました」
「ここに来る前に俺たちを見ていたのはお前だな?」
「いいえ、違います。私は貴方だけを見ていました」
「お前は俺の敵か?」
「敵? 私が? 悪い冗談ですね。それより、どうしてその女を護るような真似をするのです? 消してしまったほうが、都合が良いのではないですか?」
「金髪は絶対に帰す。約束したから」
「約束……、約束ですか……」
レティシアは俯いて、拳を握りこんだ。
「約束は、守られなければいけません……」
そして小さく息を吐くと、
「相変わらずですね。それに、その腕……。やはりそちらに置いておくわけにはいきません。そんな調子だと、本当に死んでしまいそうですから。もう少し慎重に事を運ぶつもりでしたが、気が変わりました」
レティシアが指を一振りすると、銀槍は空気に溶け込むようにして消え去った。
「気の利いた言葉を考えていたのですが、こうして目の前にすると、何も出てこないものですね。ずっと待っていました。私も今はグレスロードという名があり、それに相応しい力も得ました」
誇らしげに、レティシア・グレスロードという名を告げる。
そして、頭部を覆い隠す銀色の兜を脱いだ。
少しくすんだ長い金色の髪が、銀色の甲冑の背へと流れ落ちる。
「驚くのも無理はありません。ほんの子供に過ぎなかった私が──」
露わになった素顔に見覚えはない。
「お前……お前は俺を知っているのか?」
「あぁ、やはり……」
一瞬の沈黙の後、喜色はまたたく間に色褪せ、レティシアは甲冑の上からでも分かるほどに肩を落とした。
その変わりようは、事情の分からないシノでも気の毒に思うほどだった。
「俺は──」
「い、いいのです。憶えていた方が、私は傷ついていたでしょうから」
シノの前にレティシアの手が差し出される。
「わかりやすくお話しましょう。こちらに来なさい、シノ・グウェン。私の傍に。罰が欲しいでしょう?」
「罰、か」
「誰かに罰してほしいのではないのですか? 私なら罰してあげられます。なぜなら、そうする理由があるからです」
「理由?」
「私から父親を奪った」
レティシアは、まるで祝意を告げるかのように晴れやかに笑った。
「俺が……」
「そうです。肉親を奪うということは、最も罪深い行いです。だから贖罪をしなければならない。たとえ記憶をなくそうとも、あなたはそうしたいと思っているはずです」
「俺が……お前の父親を殺したとでもいうのか」
「あなたが一番よく分かっているはずです」
「それは……やらかしたもんだな」
まったく覚えのないことなのに、その奇妙な糾弾は的を射ているとでもいうように不思議と腑に落ちる。
ずっと内に巣食う焦燥が、よりはっきりと形を為した。
再び、メルヴィナがシノを庇うように前へ出る。
「グウェンさん、聞く必要はありません。何の証拠も──」
「部外者は黙っていなさいッ! そちらには何の関係もないことです」
レティシアはわなわなと身体を震わせ、二人から目を背けると深く息を吐き出して気を落ち着かせた。
「……その女に手を出すと、あなたの敵になるのでしたね」
レティシアの声には疲労の色が濃い。
「こうしましょう。『王女の槍』の安全で速やかな帰国をお約束します。ただし、あなたはこちらに残ってください」
「本当か?」
「〈神〉に誓います」
虚空で握った拳を左胸へとあてて、レティシアは宣言した。
〈教国〉の聖騎士にとって、それは魔力による誓いと同義だ。
「一度だけです。もし、再びその姿を目にしたならば、『王女の槍』は叩き折られることになります」
「分かった」
「な、勝手に決めないで下さいッ。私には私の役目があります」
「俺も同じだよ。そして、これが最良だろ」
「戦うんです! グウェンさんの力と私の魔術があれば、逃げるくらいはできます」
いや、それどころか勝つことだってできるかもしれない。
〈竜狩り〉を打倒したあの力を、ここで発揮してくれれば──。
そこまで言いかけて、メルヴィナは口を閉ざした。
なぜだか分からないが、その言葉を口にすれば何かが決定的にずれる。
そんな直感だけが、彼女の舌を止めていた。
「それだとお前を帰せないかもしれない。この場所で、お前を守りながら戦うのは分が悪い」
「侮らないで下さいッ。私は誰かに守られなければならないほど弱くはありません」
「お前一人なら、確実に帰れるんだ。強いか弱いかの問題じゃない。より確実な方法があるなら、そちらを選択すべきだというだけだ」
疑問が次々とメルヴィナの胸に浮かんだ。
その確実な方法に、自身の安全は入っているのか。
メルヴィナの胸の奥がざわつく。
何なのだろう、この違和感は、不気味さは。
落ち着かないのは、これらの感情が初めてではないと、どこかで知っているからだ。
今、何と言い争っている。
目的さえ果たせれば、後はどうでもいいとでもいうのだろうか。
メルヴィナが、朧気ながら感じてきたシノ・グウェンという存在の歪みが、急に輪郭を持ち始めた。
「なぜ戦わないのですッ!」
「必要がないからな」
「何を、何を言っているのです……!? 戦わないと、あなたの身が危ないのですよッ」
シノが不思議そうな顔をしながら、首を傾げた。
何を言われたのか分からない、とでもいうように。
「それがどうした。そんなことは理由にはならないだろ」
メルヴィナの見開いた眼は、絶望と得体のしれないモノに対する恐怖の混じった戸惑いに染まっている。
それは正しく、シノの歪さを映し出したものだった。
「話は済みましたか? まぁ、結論は分かりきっていますが。貴女は彼のことを知らなさすぎる」
「お前は何がしたいんだ?」
「ただあなたを。それさえ叶うのなら、メルヴィナ・ウォールズには丁重にお帰りいただき、今後ともアイン・スソーラに対しては何も要求しません」
「そんなことできるわけがないでしょう!?」
「彼は受け入れますよ。私には分かります」
レティシアが勝ち誇った顔で、メルヴィナの言葉を否定してみせた。
「俺は、俺の役割が果たせればそれでいい」
レティシアの笑みが深くなった。
「決まりです」
「従えません」
メルヴィナが攻撃的な魔力を練り上げる。
レティシアは冷笑を浮かべながら、
「貴女の考えなど、誰も聞いていません。もちろん、第一王女のお考えとやらも知ったことではありませんね。お忘れですか、ここは〈聖域〉ですよ。魔術師の理など、欠片も刻ませはしません」
どこからともなく現れた銀槍を手にし、床を軽く叩く。
「〈その魔術は 不許可とします〉」
放出を許されずに、内で負の力へと置き換えられ、逆流した魔力が、内臓を素手で掴まれたような感覚となってメルヴィナを貫いた。
吐き気を堪えなければ、そこで膝をついていた。
「力を収めなさい。さもないと、醜い身体の裏側を曝け出すことになりますよ」
「私は……必ず命を果たします」
「好きにしなさい。それと、隠し持っているスクロールを出してください。帰りの旅をゆっくりと楽しんでいただきたいので」
「お断りします」
「では命令します、メルヴィナ・ウォールズ。〈貴女が持っている空間制御術式のスクロールを 全て私に差し出しなさい〉」
レティシアの命令通り、メルヴィナはその意志に反して膝をつく。
そして、言われるがままにユリアーネから受け取ったスクロールを恭しく差し出した。
「これがあれば、兵を直接戦場へ送り込むことができるわけですか。なるほど、戦では役に立ちますね」
レティシアはメルヴィナを見下ろしながら、差し出されたスクロールを取り上げた。
「人の意志を捻じ曲げる、野蛮な力……!」
「貴女達のような魔術師にとって、仕える主以外に臣従の礼を取ることは耐え難い屈辱だそうですね。気分はいかがですか?」
「最悪です」
「結構。貴女の気分が悪くなるほど、私は気分が良いです。しかし、他国の秘奥を覗き見するほど悪趣味ではありません。──〈灰へ〉」
「あぁ、もったいないっ」
スサナの悲鳴と共に、レティシアの手の上にあるスクロールは一瞬で燃え上がり、灰となった。
「さて、私としても貴女の存在は心地の良いものではありません。国境まで丁重に見送ってさしあげなさい」
膝をついたままのメルヴィナを聖騎士達が囲む。
メルヴィナは差し出された手を振り払い、
「これがグウェンさんの約束の守り方ですか」
シノに背を向け、メルヴィナが問いかけた。
「言っただろ。俺は守るのがあまり得意じゃない」
「得意じゃない、どころか途轍もなく下手です」
感情を押し込めようとしたせいか、メルヴィナの声は湿んだように震えていた。
「……すまん」
誰とも目を合わせることなく、メルヴィナは聖騎士達に連れられてその場を後にした。
「さて、これで邪魔者はいなくなりました。あなたにも来てもらいますよ、シノ・グウェン」
そう言って、レティシアはシノの手を取った。
「俺はどんな罰を受けるんだ?」
「そう簡単には許しませんよ。じっくりと付き合ってもらいますから覚悟してください。でも、今は少し休んだほうがいいと思います。……〈休息を〉」
囁くような優しい命令によって、シノの身体が脱力する。
自身よりも体格にまさる身体を、レティシアは苦もなく受け止めた。
穏やかな寝顔には、感情は浮かんでいない。
「……もう十分です」
ぽそり、とレティシアが呟いた。
シノの身体に手を掛けようとした他の聖騎士を制止しながら、レティシアは抱えたシノを背に負った。
「誰も触れてはなりません。以後、彼の存在は最上の秘匿事項とします。分かりましたね?」
じろりと睨まれ、聖堂の騎士達は溢れ出る疑問を飲み込んだまま、虚空で握った拳を胸に当てて秘密を守ることを誓った。




