3-3 失考Ⅲ
「こんなところでよく眠れるね」
「んあ……?」
眠りこけたシノに意識の覚醒を促したのは、暗い房にわずかに入り込む朝日でも、主塔の天辺で囀る小鳥でもなく、どこか芯のある女の声だった。
とっさに傍に立てかけてある魔剣を手に取る。
牢の中は僅かな光しかなかったが、シノは内を流れる精気を視覚へと向ける。
女の顔には見覚えがあった。
以前は少しあった女学生らしいあどけなさは消え、ただ強者然としてそこにいた。
──やっぱり。
「お前──」
「はじめまして、シノ・グウェン。スサナ・レモンです」
確か、シュミートでオドリオソラとよく一緒にいた女子生徒。
名前は忘れていたが、あの時の殺意はまだ記憶にこびりついていた。
本人は憶えていないだろうが、シノは剣を握る手に力を込めた。
「別に戦おうってわけじゃないから、その物騒な黒い剣はしまっておいてくれると安心できるんだけどな」
「夜這いにしちゃ遅すぎるんじゃねぇか?」
「時間は早すぎると思うよ。じきに日が昇るんだし。まぁ、ちょっとした社会見学さ。聞けば、ここは罪人の中でも特に酷いのが入れられるらしいじゃないか。でも、思ってたよりふつーだね。なんか期待外れ……」
「城を見て回りたいなら他へ行け。見ての通りの罪人だから案内はできねぇぞ。お前がここから出してくれるなら考えるけどな」
「出してあげようか?」
「は?」
「〈教国〉の人間だよ、と言えば分かるだろう? ついさっき着いたんだけど、早く『神』を隠したらしい人間を見てみたくって。でも灯りを持ってくればよかったかな。顔がよく見えないや。君だろ? 『神』を引きずり降ろして、どこかに殴り飛ばしちゃったっていう、かつていなかった向こう見ずは」
「神? あんなモノが?」
「……あぁ、ホントに君はその場に居たんだね。そうそう、別に『神』が人を救ってくれたり、導いたりしてくれる尊い存在だ、なんて一度も言ったことはないんだけど。人々にとって、そういう理由付けをするほうが超常の存在や力を理解しやすい、ということだろうね。支配する側にとっては都合がいいから、誰も訂正しようとはしない。そもそもよく分からない力の塊に『神』、なんて名前を付けて勝手に畏れているんだから笑っちゃうよね」
「〈教国〉の話か?」
「あれ? 驚かないんだ。今、けっこう衝撃的なコト言ったつもりなんだけど」
「俺は喪失者らしいからな」
「関係ないと思うけど。それに、〈教国〉、あるいは〈教導国〉というのも、勝手に付けられた名だよ。かつての『大災厄』によって居場所を失った様々な人が群れ、築かれた国。価値観や文化の違いを克服する手段の一つとして、同じモノを信じる、という方法を取っただけさ」
「だから教導、か」
「まぁ、超常の力を理解しやすい言葉に落とし込んでいるのは、みんな同じさ。ここでは魔力と呼ばれているように、ね。そして君からはその力を感じない。一つ疑問なんだけど、力を持たない者に、純粋な魔力の巨塊たる『神』を引きずり出すなんてことができるものかな」
「何が言いたい」
「君が今回の件に関して、当事者だというのは信じる。ここまで足を運んでよかった。ただ、他に仲間がいたんじゃないかと思ってね。例えばそう──アイン・スソーラには世界最高の魔術師がいただろう? 彼も変わり者だったから」
「……」
「ボクも彼の学校で学んでいてねぇ。彼なら自分の目的のために神を引きずり降ろす、くらいのことはやりかねない。まぁ、訊くだけ野暮ってものなのかな。君を差し出すことで手を打とう、ってことなんだろうから」
「──そちらの用が済めば、シノ・グウェンは返してもらいます」
透き通った声は鈴の音を思わせるほどに涼しげだが、口調は攻撃的だ。
形の良い眉を歪め、いつにも増して不機嫌そうな表情からは、明確な敵意が見てとれる。
訪問者に対し、スサナはにこやかに腰を折った。
「これはこれは、ウォールズ殿。この度は王女の『槍』に同道いただけるそうで、心強い限りです」
「〈教国〉の使者殿は、顔を見るだけと聞いていましたが」
怒気を発するメルヴィナを、毛先ほどにも気にした様子はない。
「つい話が弾んでしまってね。申し訳ない。話なら向こうでするべきだった、ゆっくりとね。じゃ、これで失礼するよ」
「グウェンさん。約束、覚えていますか?」
「心配するなよ。受けた命令は必ず果たす。……俺は、そういう人間のはずだ」
自らに言い聞かせるようなシノの言葉には忠義を尽くすという心意気ではなく、冷たい諦観のような重みがあった。
重さはなぜかメルヴィナの感情を逆撫で、収まりの悪い苛立ちとなった。
「命令ではなく約束です。私は貴方に命令を下す立場にありませんから」
「約束……?」
「約束とは必ず守らなければならないものです」
「守る……か。分かった。守るのはあまり得意じゃないが、約束を守ろう。俺は金髪をここに帰す」
「はい、お願いします。私も必ずあなたを連れ帰ります」
メルヴィナが微笑む。
シノが初めて見た、自分に向けられた彼女の笑みだった。
「……」
「なんですか」
メルヴィナの微笑みは一瞬で消え、元の不機嫌そうな顔に戻った。
「いや、何も」
「何か言いたいことがあるなら、どうぞ」
「だから、何もないって」
「今、何か言いたそうな顔をしていました。なんですか、言ってください」
なおもメルヴィナが言い募ろうとしたとき、
「あの、邪魔をするようで気が引けるんだけど」
申し訳なさそうに身を縮めたスサナが、牢の入り口にいた。
だが、その顔にはからかうような笑みが薄くはりついている。
「ま、まだ、いたのですか……」
「気を遣って出たはいいものの、道に迷っちゃってね。滞在する部屋に案内してくれると助かるんだけど。あ、別にここでもいいよ」
「……ご案内します」
「いやぁ、それにしても仲良さそうだったね」
まだ笑みを浮かべながら、スサナが茶化すように言った。
相手を見透かすような生温かい微笑だ。
「そんなことはありません」
メルヴィナの表情は、毛筋ほども揺らがない。
「まるで、親しい友人のようだったよ」
「彼はただの……未決囚です。私も一つ、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「私が言うことではないかもしれませんが……。〈教国〉が失ったものと、得るものでは釣り合いが取れていないように思うのですが」
今回の件はあらゆることで釣り合いが取れていない。
〈教国〉にとってみれば国の大事であるはずなのに、寄越してきたのは自分よりも年下の、年端もいかない魔術師一人だ。
しかも、シュミートで学んでいる学生だという。
自惚れているわけではないが、近衛を務めている自分を前に気後れひとつしている様子がないのも不自然だ。
王立の魔術教育機関に他国の人間がいるのも十分に不自然だが。
「何に価値を見出すかは人それぞれさ。ある人にはガラクタ同然であっても、またある人にとっては宝石や自分の命よりも大切なことだってある。今回、マリアンネ王妃はとても幸運だった。こっちが欲しくて仕方がないモノが、勝手に手の内に転がり込んでたんだから」
「グウェンさんは〈教国〉にとって重要な人間なのですか?」
もしそうであれば、〈教国〉はここでは全く痕跡を見つけられないシノ・グウェンに関しての、何かしらの情報を持っていることになる。
「さて……それはどうかな。でもそれはそっちも同じでしょ? それほどの価値があるとは思えない男をローブの奥深くにしまい込んで、大事そうに右腕に握らせているんだから。……もしかして、殿下は彼を好いていたりする?」
「下らない勘ぐりですね」
「下らなくはないよ。〈教国〉とアイン・スソーラが、正面きった戦いになるかならないかの大事な確認だ」
メルヴィナはまじまじと相手の顔を見た。
もうスサナの顔からは笑みが消え去っている。
冗談を言っている雰囲気ではない。
「こういうことは本人よりも近くにいる人間のほうが分かるだろうし、この国の魔術師は嘘がつけない。だから今、君に確かめている」
「リアン様は生来、変わったモノに執着なさるのです」
「そうだろうね。君を見ていると分かるよ」
「……そして、これと思ったモノは必ず手に入れようとなさいます」
「どうして殿下はそこまでして彼に執着するの?」
「リアン様には深いお考えがあるのでしょう。私は命を果たすだけです」
「そうか。まぁ、そうだね。君は君の使命を果たせばいいし、こちらはこちらの目的を達成する。簡単な話だった」
「グウェンさんは絶対に連れて帰ります」
「絶対、なんてない。特にこの世界ではね。ある日突然、そのグウェンさんのことを忘れてしまうことだってあるかもしれないんだから」
「どういう意味でしょうか」
メルヴィナの脳裏に覚えのない、調査報告書がよぎる。
「そういうこともあるかもしれない、という話さ。特に深い意味はないよ。それで、殿下は好意を持っていらっしゃるのかな?」
「……お持ちになっていると思います」
隙あらば何かと理由をつけて会いに行こうとし、それを止めたのも一度や二度ではない。
不本意だが、メルヴィナは肯定するしかなかった。
「それは例えば交わりたい、と思うような好意なのかな?」
「交わっ……!」
スサナのあけすけな物言いに、メルヴィナが思わず赤面する。
「あら、王女の『槍』は意外にも初心なんだね。それで、どうなんだい?」
「ない、と思います」
「本当に?」
「リアン様はお生まれになった頃から国を背負っていかれる立場であられます。その身は常に国に捧げておられます」
「……そう。なら、安心だ。あ、ここだね。ありがとう」
誰がどう安心するのか、メルヴィナがスサナに尋ねる前に鼻先で扉が閉じられた。
部屋を教える前に入ったということは、やはりスサナは自分が滞在する場所を知っていたということになる。
何を考えているのか解らない、素性不明の男と〈教国〉の女魔術師。
これに融通のきかない近衛の魔術師を加えて、〈教国〉へと向かい、何を考えているのか分からない素性不明の男を連れ帰ってくる。
──先が思いやられますね。
閉じられた扉の前で、メルヴィナが深いため息をついた。
シノ・グウェンを連れて帰らねばならない、という意識は彼の姿を目にするたびに募っていく。
強迫的とさえいえるほどに強まっていくその意識は、敬愛する主の命に対するものとは別種のものだ。
戸惑いを抱えながら、メルヴィナはその場を後にした。




