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3-2 失考Ⅱ

 時刻は真夜中をとうにまわっている。


 忍ぶ気もあまりなさそうな2つの気配に、シノは眠りを妨げられることになった。


 程なくして扉が開き、灯りを持った二つの影が身を滑り込ませた。


「こんな時間に何か用か?」


 黒いローブに全身を包んだ魔術師が手に持った灯りを掲げた。


 暗闇に慣れきった目に光が染みる。


 その後ろから、ゆったりとした夜着に袖を通したマリアンネが、掲げられた灯りを背にシノの前に立った。


 その顔に、表情を覆い隠す白粉は塗られてはいない。


 少なくとも城の人間が、わざわざ足を運ぶ時間でも場所でもない。


「夜分遅くに申し訳ありません」


 どこかユリアーネとは違う冷たさを感じる声には聞き覚えがあった。


 シノはまるで謝意の籠もっていない言葉を聞き流し、


「誰だか分かりませんでしたよ」


「娘達を救ってくれた礼を言うのです。素顔で対するのが礼儀というものでしょう?」


「娘達、ですか」


「えぇ。どうかしましたか?」


 マリアンネの表情に揺らぎというものは全くない。


「いえ。特に殿下を念頭においていたわけではありません。結果的にそうなっただけですよ」


「ではどうして戦ったのですか? 身を削ってまで戦った理由は何なのですか?」


「オリア・ローゼンヴェルクを護る代わりに、オドリオソラを捜してもらう。姉の方と契約した」


「あの娘らしいですね。ならば、アルバスであなたの手を離れた時点で役目は終えたはずです。しかし、あなたはイスファーンへと戻り、〈竜狩り〉と交戦している。なぜですか?」


「オリア・ローゼンヴェルクが助けてと言ったから」


 答えは、マリアンネには全く理解ができないものだった。


「言ったから? 助けを乞われたから戦ったと? 彼女と貴方との間にそれだけの関係性を作るほどの時間はなかったと思いますが」


「そんなものは必要ありません」


「そんなもの……ですか」


「今回の役目は、オリア・ローゼンヴェルクを傷一つつけることなく護ることだった、それだけです。そちらにとっては都合の悪いことかもしれませんが、俺にとってはどうでもいいことです」


 マリアンネの目が細まった。


「オリアが無事でいてくれて嬉しく思いますが、仕方のない犠牲というものもあるのですよ」


「端くれが、その仕方のない犠牲だったんですか?」


 責めるような言葉がマリアンネには不快だった。


「〈竜狩り〉が城に入り込んでいたのは分かっていましたが、誘き出すためには極上の餌が必要でした。共に〈教国〉と戦う“仲間”が欲しい彼らは、オリアがそこへ向かえば、我々が〈教国〉に戦争を仕掛けるに足る口実を作るために動き出す。『あの魔術師』が斃れ、オドリオソラ家を失った今、速やかに、そして確実に〈竜狩り〉を処理しなければなりませんでした」


「なら他に方法が──」


「控えろ、シノ・グウェン。本来、貴様には口を開く自由すらない。それに、第二王女とお前はもう関係がない」


 鋭い語気で言葉を被せたのは、黒いローブを纏った魔術師だった。


「お前らの命令を聞く理由はない」


「役目は終わっているはずだ。私達と敵対する必要もない。しかし、私達を敵の回さない理由ならある。シェイラ・オドリオソラを捜しているんだろう?」


「……」


 シノが黙ると、マリアンネは言葉を続ける。


「〈教国〉が『神』を堕とした代償として貴方の身柄を要求しています。今回の失地を買い戻すのに過不足がないかを、私は見極めなければなりません」


「それで?」


「既に聞いていると思いますが、貴方を〈教国〉に引き渡します」


「金髪に聞きました」


「そうですか。それと、あの魔術師──アレイスター・クロウリーが死んだということは、内密にお願いします。いずれ発覚するでしょうが、今はその時期ではない。我が国は強固な城壁と千人の魔術師を失っているも同然なのですから」


「分かりました」


「かの国で、貴方が不慮の事故で死を遂げたとしても、我々が抗議することはありません。彼らもそれを理解していることでしょう。気をつけなさい。彼らにとって、あなたは神敵なのです」  


 最後に警告を残して、マリアンネは背を向けた。






「神敵、か」


 何かを諦めてしまったような、空白がある。


 空白の周りを、焦りのような感情が這い回っている。


 アルバスで、夜の闇の中から〈教国〉を目にした時のように、這い回っている焦りが焦げ付いて、息が苦しくなってくる。


「なぁ、俺は何をしたんだ?」


 唯一、事情を知っているかもしれない魔剣はカタリとも動かず、大人しく壁に立てかけられたままだった。






 牢を出て、主塔の階段を下るマリアンネの足音は荒々しく乱れていた。


「らしくなかったな」


 黒いローブを着こんだ魔術師が、マリアンネの背に前触れもなく言葉をかけた。


 マリアンネはその無礼を咎めることもなく、


「取り乱したことですか?」


「他に何がある」


「オリアを囮にしたことに、後ろめたさを感じているせいかもしれません。理屈では納得していても、感情はそうもいきません。誰もがあなたのように行動できるわけではありませんよ」


「違う。シノのことだ。貴女はいたって人間的な思考をしている。安心してくれ」


「彼のですか?」


「役目は終わり、第二王女とはなんの関係もなくなったはず。それなのに、まだあの女を気にかけているように見える。シェイラ・オドリオソラに拘るのは理解できるのだが」


 不満そうに魔術師は鼻を鳴らした。



 気づいてはいたが、この魔術師はシノ・グウェンのこと以外には特に関心がないようだ。


 主語のない言葉はたいていの場合、彼を指している。



「それにしても、彼は何なのですか?」



 直接会いに行ったのは、行動指針を知りたかったからだが、疑問はますます深まってしまった。



「見ての通り、感じての通りだ」


 黒いローブの魔術師は素っ気なく言った。


「“そんなものは必要ない”。“そんなもの”こそが、時に人が無謀なまでに命を賭して戦うに足る理由であるはずです。彼は一体、何を拠り所にして戦ったのでしょう」



──解りませんね。



友情、愛情、正義感など。


人が自らの身を省みることなく、他者を護ろうとする力になる感情は数多くある。


彼の場合は、自分の保身という目的もあるだろう。


しかし、第二王女を守り抜いたという功績を殊更に強調してくるわけでもない。


もしも本当に、それらの感情や打算を、何一つ抱くことなくオリアを護ったというのなら人間としては在り方を間違えてしまっている。


自分の意志が感じられない。


まるで、不器用に誰かの行動をなぞっているような気さえする。


そうした生き方を、目にしたことがある気がするのはなぜだろう。



「彼と話していると、恐ろしいとさえ感じました」


「そう。だからあまり向き合ってはいけない。理解してはいけない代物だ。娘二人にも伝えておくといい。特に長女の方には」


 最後の言葉には私情が多分に含まれているように感じた。


「……それほど彼が心配ですか?」


「心配? そう見えるか?」


「見えますよ。餌としてオリアを使わなければならなかったのは、入り込んだ〈竜狩り〉を早急に始末する必要があったから。それも彼が『あの魔術師』を殺し、オドリオソラを壊滅させたからです。大英雄たちの中でも特に強大な『あの魔術師』を倒し得る力が、この国にあると外に漏れることは望ましくありません。〈教国〉と〈竜狩り〉達にはまだ争っていてもらわなければ。私がそれを彼に話すのを止めたでしょう?」


「また妙な目的を持たれても厄介だからな。できれば誰とも関わらせず、手足を切り落とし、目と耳と手が届く所に繋ぎ止めておきたいくらいだ」


「私はあなたが彼を〈教国〉に引き渡すことに反対すると思っていました」


「……過去というものは常に後ろにいて、足は速くないが疲れを知らずにずっと後を追ってくる。だから、いつかは向き合わなければならない。その機会を与えてやってもいいかと思ってな」


「そうですか」



引き渡した〈教国〉が彼を始末するとは考えないのだろうか。


尖兵を相手にした先日とはまるで違う。


国一つが相手なのだ。


この魔術師が抱いている重たく凝った感情にも興味があるが、訊いたところで理解ができない気がする。



「いつ、ここを発つ?」


「すぐにでも。〈教国〉をあまり待たせたくはありません。ごく少数で向かうため、準備にはそれほど時間は掛からないでしょう。ウォールズ准将を共に行かせます」


「……あの兄妹か。『盾』の男の方なんだろうな?」


「メルヴィナ・ウォールズ。私の記憶が正しく、性別を偽っていなければ、れっきとした女性です。……言っておきますが、コーマック・ウォールズはこの国にいてこそ力を発揮できる魔術師。国外では役に立ちませんよ?」


 開きかけた口を閉じて、黒いローブの魔術師は黙り込む。


 表情を窺い知ることはできないが、機嫌を損ねたことだけは確かだった。


「リアンたっての希望なのです。それに、適任だと思いますよ。忠実で高潔、能力もある」


「荷が重いと言っているわけではなく、気に食わないだけだ」


 拗ねた子供のように、黒いローブの頭部があさっての方向を向いている。


「そうですか。ところで、お願いがあるのですが」


「残った〈竜狩り〉か?」


「はい。空間制御術式(テレポーテーション)にてイスファーンに入ったことは分かっています。出た形跡もありません」


「アルバスで殺そうとしたが、シノが止めた。おそらく共に王都に移動したのだろう」


「せめてベイデ・ベインを生かしておいていただければ良かったのですが」


「……あの〈竜狩り〉はやりすぎた」


 マリアンネは小さく息をつき、


「過ぎたことを言っても仕方ありません。まだ王都に留まっている理由は分かりませんが、残った〈竜狩り〉、レヒツ・アルムを捕らえてほしいのです」


「捕らえる? 生きたままか?」


「えぇ。可能であれば五体満足な状態で。相手は〈竜狩り〉といえども、あなたならできるでしょう?」


「まだ第二王女を狙っていることを考えるなら、殺してしまったほうがいいと思うが」


「気が進まないのなら理由を与えましょう。かの〈竜狩り〉はシノ・グウェンと行動を共にしています。もしかしたら、何かあらぬ疑いを掛けられるかもしれません。〈教国〉からここへ帰ってきても果たして無事でいられるか、私にも分かりませんね」


「脅しているのか」


「レヒツ・アルムを押さえておけば、そちらについてもうまくいくと思いますよ」


「魔術師らしいやり口だ」


「あなたを、意志に反してまで従わせられる立場ではありませんので。今は私も手段を選べません」


「何を考えている?」


「この国の未来を」


 マリアンネが微笑んだ。


「それは本心か」


「あなたが先程言ったように、私は魔術師です。嘘はつけません。この国そのものが、私の存在証明なのです」


「……承知した」

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