3-1 失考Ⅰ
「……分かりました」
王城の一室にて、メルヴィナ・ウォールズは深々と頭を下げ、主人であるユリアーネの命を受けた。
口にこそしないが、声音からはたった今受けた命に対する不満が見てとれる。
「本当なら私が行きたいが、安全な場所にいなければならないからな」
主の自嘲めいた言葉に、メルヴィナはもう一度低頭した。
ユリアーネは苦笑し、メルヴィナの肩に手を置いた。
「シノと共に〈教国〉へ向かい、必ず連れて帰ってこい。任せたぞ」
「はい」
王女の『槍』としてユリアーネ王女の側近を拝命する彼女にとって、未決囚の護送というのは気の進まない任である。
それも相手が、敬愛する主人が最近やたらと気に掛けている男となれば尚更だ。
「『神』を一柱消してしまったことで、その代理人を気取る〈教国〉が黙っているはずはないと分かっていたが、シノ・グウェンの名を出してくるとは思わなかった」
「狙いは彼でしょうか?」
「ならばそういえばいい。喪失者一人で事が済むのなら、母は拒みはしないだろう。気になるのは、〈教国〉がシノの存在を知っているということだ。我々の知らない情報を持っている可能性がある。妙な感じだな」
「一体、何者なんでしょうか……」
シノ・グウェンという男について考えてみれば、怪しくない所が見当たらない程に不審極まる人物である。
分かっていることといえば、魔力を持たない喪失者であることくらいで、身上、経歴が一切不明。
人間は生きているだけで何らかの痕跡を残すものだが、それが全くない。
あって当然のものがないということは、意図的に隠されていると考えるべきだろう。
覚えのない調査記録の存在から推測するなら、記憶に干渉できる可能性すらある。
だからこそ、喪失者であるにも関わらず、主塔最上の一切の魔術が許されない特別牢へと収監されている。
一方で、戦力としては申し分ない。
王城における最高戦力を結集してもある程度の犠牲を覚悟しなければならないほどの相手を、剣を一振り、単騎にて勝利してみせた。
振るう剣は理を持たず、その強さには驚嘆よりも得体のしれないモノへの恐怖、警戒が勝る。
風貌が変わり、紅く揺らめく魔剣を振るって〈竜狩り〉と渡り合う様を思い返すと、抗いがたい恐怖がまだ生々しく記憶を震わせる。
何らかの力を持っていることは間違いない。
「正体はまだ分からないが、シノは手元に置いておきたい。私の右腕が握っていれば、多少なりとも私のモノだと示すことができるだろう」
ユリアーネは右腕、という言葉を殊更に強調する。
「分かりました」
メルヴィナの答えは同じだが、声は少し弾んでいる。
「任せた……ぞッ」
軽やかに、ユリアーネは座っていた椅子から飛び跳ねるように立ち上がった。
ここ最近、よく見られるようになった動作だ。
その後、ユリアーネは決まって姿を消す。
「お待ち下さい」
足取りも軽く、一歩を踏み出そうとしたユリアーネをメルヴィナが制した。
「どうした、メルヴィ」
「どちらへ?」
「あ、あぁ……少しな」
メルヴィナが、らしくもなく言葉を濁す主をじっと見つめる。
小さく息をついて、
「近頃、城内で噂が立っています。二人の王女様が、何やら荷物を抱えて足繁く主塔の最上階へ通っていると」
「それは、だな……。シノの食事を──待て、二人だと言ったか?」
「お二人とも日に何度も通っているようですね。食事を運んでいるのならば、彼は人知を超えた大飯食らいなのでしょうか」
「大飯食らいなのは確かなようだな。オリアも顔を出していたとは知らなかった」
「あそこには牢番の老人がいるはずですが」
「今はいない。故郷へ戻っている。長い間勤めてくれているからな。少し休んで──」
「そのようですね。なんでも、王女殿下自らが直接お暇を出されたとか」
「むぅ……」
渋い表情で、ユリアーネは背後に控えるもうひとりの側近、コーマック・ウォールズを振り返る。
コーマックは無言のまま首を横に振った。
「知られれば、良くも悪くも皆の関心を引くであろう彼の存在を隠しておこうと仰ったのはリアン様です。ならば、見つかってしまうような目立つ行動は控えるべきです」
「……分かった」
正論にとどめを刺され、ユリアーネは力なく椅子に座り直した。
態度からは、先ほどのメルヴィナと同じように不満が見え隠れしている。
「しかし、〈教国〉行きのことは伝えておかなければならないぞ」
ユリアーネ・ローゼンヴェルクという人間は一度執心すると、その執着は強い。
今は引き下がっても、ユリアーネが大人しくしているのは一時だけだとメルヴィナは理解している。
メルヴィナは内心、ため息をついた。
「私がお伝えしておきます」
「……仕方がない。メルヴィ、行くのなら母の側にいる魔術師と一緒に行け」
メルヴィナがあからさまな嫌悪を顔に出した。
「リアン様を攻撃した、あの人ですか?」
「 シノと会うときはそいつと一緒というのが、母からの条件だ。護衛という名目だが、別の理由があるのだろうな」
「分かりました。どちらにいらっしゃるのでしょうか」
「牢の扉の前だ。ずっとそこにいる。私の知る限り、ほとんど持ち場を離れたことはない。朝も昼も夜もだ」
どうなっているんだ、とユリアーネは首をかしげる。
「どうしてそんなことを知っているのですか?」
「何度か侵入を試みた。成功したのは一度だけだがな」
「……そうですか」
主の不法は聞かなかったことにして、メルヴィナは部屋を辞した。
主の言葉通り、魔術師は扉の前にいた。
そちらへ向かおうとして、メルヴィナは足を止めた。
「……?」
いたのだが、なにかおかしい。
魔術師は扉に向かって立っていた。
牢に入ろうとする人間を警戒しているというのなら扉を背にして立つべきで、何よりも奇妙なのが周囲に目を配るでもなく、扉に身を擦り付けるようにして体を預けていることだ。
接近しているメルヴィナに気付いた様子もない。
「何をしているのですか?」
「……今日はお前か」
メルヴィナの問いには答えることなく、その魔術師はそっと扉から身を離した。
指は扉についた傷をなぞっている。
その仕草はどこか愛しげでさえあるように感じられた。
相変わらず黒いローブを纏い、頭部も同じく黒い外套で覆われ、表情はおろか顔すらも確認できない。
おまけに口元を何かで覆っているのか、音がくぐもっている。
これほど怪しげな格好で城内をうろつけば、すぐさま近衛に拘束されそうなものだが、そんな様子もない。
それどころか、この国で最も厳重な守りが必要な人物の側に仕えている。
強い力を持ち、正体不明ということなら牢中にいるシノと同じだ。
しかも、この魔術師にはユリアーネを襲ったという前科まである。
「私だと何か問題でもあるのですか?」
「常とは異なる人間が来れば、疑問を抱くのは当然だろう。何の用だ」
表情が見えずとも黒いローブの魔術師がメルヴィナを歓迎していないことは、不機嫌そうな声色で容易に分かった。
「あなたにお伝えする必要はありません」
自然、メルヴィナの口調は強くなる。
微かに震える黒い外套の下で、魔術師が笑っている気配がした。
「何かおかしなことを言いましたか?」
笑った気配はすぐに消え、
「いいや。あの男を連れて〈教国〉に向かうのはお前ということか?」
「……知っていたのなら聞く必要はなかったと思いますが」
「やはりそうなのか」
「……誘導尋問とは性格が悪いですね」
「単純な脳みそだ。王女の側仕えが務まっているのか疑問だな。それとも、側仕えはあの盾の男だけか? それなら納得だ。ユリアーネ王女殿下の目が曇っておられなくてよかった」
「リアン様を愚弄すると許しませんよ」
「わたしは何の用なのか確認したかっただけだ。主は、あの男にはあまり余計なことを吹き込んでほしくないみたいだからな」
「たかが一人の囚人を随分と気に掛けるんですね」
「お前の主だって、たかが一人の、それも無力な喪失者を大事そうにこんな所にしまい込んでいるじゃないか」
黒いローブの魔術師はそう言って、つま先で扉を小突いた。
「リアン様は彼を気遣っておいでなのです。それに、無力ではありません」
「魂胆は見えている。名札をつけたいだけだろう?」
「……そちらこそ、どうしてこんな所に?」
魔術師は少し考え込む素振りを見せ、
「答えるのが難しいな……。別に命令されてやっているわけでもない。あんな男のことなど、どうでもいいのだが」
この魔術師から以前聞いた言葉とは真逆だ。
同一人物であるはずだが、メルヴィナはどこか拭い去れない違和感を持った。
──別人……?
黒いローブの魔術師が複数人いるのなら、昼夜を問わず牢の前にいる説明もつきますが。
「睨むな。その何とかという男を気にかけているように見えるのは、別にわたしの意志ではないというだけだ。ちなみに、お前の主に刃を向けたのもわたしの意志ではなかった」
その言葉は、到底メルヴィナにとって聞き流せるものではなかった。
「誰かがリアン様を狙っているということでしょうか」
「今はもうその気はないようだがな」
「答えなさい。それは誰なのですか」
「わたしに命令できる者はただ一人。追及したいのなら好きにするといい」
「マリアンネ様が……」
戸惑ったメルヴィナを見て、黒ローブの魔術師は笑い声を漏らした。
今度のそれは嘲笑めいていて、メルヴィナの気にひどく障った。
「なんですか」
「本当に護りたいモノに危険を及ぼすのであれば、憎まれようとも、疎まれようとも原因を排除すべきだ。お前の忠誠とやらは主ではなく、自分の為にあるようだな」
「あなた──」
「安心するといい。もうその気はないと言った」
そう言って扉の前から身を離し、中へ入るように促した。
納得いかないまま、メルヴィナが重たい扉を押し開ける。
七つある房の一番奥、薄暗い独房で唯一の囚人であるシノがのっそりと二人に顔を向けた。
「真っ黒ローブ……と金髪か」
「金髪ではありません。名は高くありませんが、ウォールズという家名があります」
「次の仕事か?」
「〈教国〉が貴方の身柄を要求しています。我が国とは良い関係とは言い難いですが、マリアンネ様はこれを受けるようです」
「困るな。俺はまだここにいたいんだけど」
「『神』を降ろした時、その場にいた当事者たる『例の魔術師』は死亡し、ヴォルフラム・ザカリアス及びツィスカ・ザカリアスは行方不明です。貴方から直接情報を得たいのでしょう。安心してください。リアン様は貴方がまた戻ってくることをお望みです。気は進みませんが、私も同行します。気が進みませんが」
「俺がその〈教国〉とかいう国へ行き、金髪がそれに同行……。つい最近聞いた話だな。俺はひどい目にあったが。まだ傷が痛む」
「今回はマリアンネ様直々のご命令です」
「どうだかな」
「もとより貴方に拒む権利はありません」
「つまり、俺は何をすればいい」
「何を……?」
「言葉にしてくれると助かる」
「貴方を〈教国〉へ連れていき、そして連れ帰ります」
「それは金髪の仕事だろ。俺は何をすればいい?」
メルヴィナは額に手をやった。
何を考えているのか分からない男だ。
『竜狩り』と戦っているときは恐ろしくも見えたが、今は指示を待つ子供のような事を訊いてくる。
「こうしましょう。私は貴方を連れて帰り、貴方は私を連れて帰るんです」
「お前はそれを望んでいるのか?」
「はい。私だけでなく、リアン様もです」
「分かった」
「そういうの、ボクはあまりオススメしないけどねェ」
降ってわいた調子の外れた声は、誰もいないはずの隣の房から発されたものだ。
「やぁ、しばらく」
集まった視線に照れくさげにしながら、肥満体の男が鉄格子の中から片腕を上げた。
「ヴォルフラム・ザカリアス……!」
『神』が消えた現場に居合わせていたと思われる重要な参考人だ。
メルヴィナが血相を変えて、房の出入り口の格子に手を掛けるが、耳障りな金属音が返ってくるだけで、扉は開かない。
いつの間にか施錠されている。
永久化された防御魔術によって、魔術的な干渉はできないはず。
メルヴィナが歯噛みしながら鉄格子を握りしめた。
「いやぁ、なんだか面白いよね。普通は中に入ってる側がやることだヨ、それ。出してくれぇ、てさ」
「一体どうやって鍵を掛けたのですッ」
「落ち着きなヨ、ウォールズのお嬢さん。ちょっと様子を見に来ただけサ。ところで、そっちのキミは冷静なんだネ。こないだなんて、襲いかかってきたっていうのに。あの時は怖かった。殺されるかと思っちゃったヨ」
「多分、お前が怒らせるようなことを言ったからだろう」
「ふーん。失敗したなァ。戦わなくて済むならツィスカも連れてくればよかった。前から思ってたけど、キミもキミで興味深いよねェ」
ヴォルフラムが身をかがめながら、無遠慮に魔術師の外套の中を覗き込む。
魔術師は顔を背けながら素っ気なく、
「わたしはこれっぽっちもお前に興味はない」
「残念、残念。ま、ボクも今は忙しいからネ。えっと、なんの話だったか……。そうそう、シノを〈教国〉へやるのはやめた方がいい。戻ってこられないかもしれないからネ。そうなったらボクも困っちゃうからサ」
「そうならないように、私も行くのです」
「〈教国〉の魔術師は手強いヨー?」
「『槍』として、命に代えても主命は果たします」
「……あぁ、こりゃダメそうだね」
大仰に首を振り、ヴォルフラムが嘆息してみせた。
「キミはそれでいいのかい? ボクとしては同じ考えでいてほしいネ」
今度は黒いローブの魔術師に言葉を向けた。
「最後には戻ってくる。絶対に」
「キミの言う戻るとは、一体どこに戻るということなんだろうねェ。いいさ、キミがそう言うのなら信じるコトにしておこうかナ。せいぜい死なないようにしてくれよ、シノ・グウェン。ツィスカが悲しむ」
「まだ死にたくはないな。目的を果たしてない」
満足げに頷いたヴォルフラムが、ひらひらと手を振る。
「お騒がせしてしまったネ。これで失礼するヨ」
「待ちなさいッ、貴方にはまだ──」
メルヴィナの言葉が終わらないうちに身を翻すヴォルフラムのローブがはためき、その陰に隠れるようにして姿は跡形もなく消え失せていた。




