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2-20 破魔の一擲Ⅳ

 オリアは体内の空気を入れ替えるように深く息を継いだ。


 命を繋ぐ為の防御行動をとることもなく、迫りくる敵に目を向けることもなく、ユリアーネが氷槍を放つよりも早くただ静かに剣の()を呼んだ。


「シノ」


 背後からオリアの胸元を貫こうとした剛爪は、置き去りにしたはずの剣に阻まれ、目標には届かない。


 シノが少し息を吐いた。


「やっぱり、守りながら戦うのには向いてないよな」


 剣を握る右腕に力を込めて精気(オド)を通し、倍加させた膂力で力に任せて押し返す。


 吹き飛ばされたベイデが無様に背中で床を滑った。


(そうでしょうね。でも、その前に私をもう少し巧く使えるようになりなさい。片腕とはいえ、疑いなくこれまでの担い手の中で最悪の剣術の腕前だわ)


「そうなのか。まぁ、きっと俺は剣士ではなかっただろうし……」


 ばつが悪そうに頬をかくシノの前で、ベイデが疑問を絞り出す。


「お前は……一体なんなの」 



 今まで殺そうとした人間に問われてきたことを、まさか自分が口にしようとは。



「さぁ、俺もよく知らない。でも、敵だ。それでいいだろ?」


 ベイデが薄く笑う。


 目前の敵のほうが凶手が何たるかを心得ている。


「……そうね、その通りだわ。目的を阻むのなら敵。敵は殺すのみ、か」


 ベイデは右手を顎の下へとやり、撫でるような仕草をした。


 すると皮膚が裂け、蒼い鱗が全身を覆い尽くし、およそ人のものではない鋭い牙が唇を突き破る。


 縦に伸びた黄金の瞳でベイデは狩るべき獲物を見定める。


 これは身に宿す獣の枷を外す、不可逆な全力の行使だった。


 ただ相手を殺すためだけの存在であり、もう二度とベイデ・ベインに戻ることはない。


 全ては目的を達し、レヒツを生き残らせる為に。


「──!!」


 もはや喉は人としての機能を失っている。


 殺意を滾らせながら、獣が再び加速を始めた。


 オリアの前に立ちはだかるシノを回り込むようにして、駆けている。


 オリアからは離れたが、敵の目的に変わりはない。 


 高速で疾駆するものに剣先を突き込む技量を、シノは持ち合わせていない。


 仕留め損ねれば、死体になるのはオリアだ。


 それでは役目を果たせない。


 一度の機会で、確実に対象を捉える必要がある。


 シノは再び剣を握る右腕の精気(オド)を活性化させ、大きく振りかぶった。


(どういうつもり!? まさかまた──)


「死力を尽せと言っただろう。俺はお前を巧く使えない。アレを仕留められない。端くれを護るために、俺の相棒なら付き合ってもらうぞ」


 左足を踏みだし、右足に地を噛ませながら出口を求めて唸りをあげる力を剣を投擲する瞬間に解放した。


 剣は紅い光を残しながら先端で風を切り裂き、前進を続けるベイデに向かって真っ直ぐに飛んだ。


 ベイデの唇がめくれ上がり、牙を剥き出す。


 獣に喰われながらも、わずかに残った理性が怒りを吐き出す。



 ただ直進するだけの飛び礫など、躱すのは容易い。


 そんなもので自分を殺せると考えているのか。



 進む先を見越し、偏差で放たれた投擲をやり過ごすべく速度を緩めた瞬間、不意に脚が地から離れ、硬い壁に叩きつけられた。


「……!?」


 少し目を落とすと、迂回した筈の相手が懐に潜り込むようにして自分を無造作に掴み上げ、壁に押しつけていた。


「つかまえた」


 だが、止めを刺すには至らない。


 シノの二本の脚は、二人分の体重を支えるのに地を踏みしめ、右腕はベイデを捕えている。


 隻腕では動きを封じるのが精一杯だ。


 武器を手放し、無防備な身体がベイデの目の前にある。


 ベイデの脚が蒼く発光する。


 強化した脚で蹴りつければ勝敗は決する。


 他の敵と同じく熟れた果実のように肉体は飛散し、無様に床を汚すことになるだろう。


 だが、紅玉のような眼には一筋の恐怖もない。


 勝利を信じて疑わない確信めいた光があるのみだ。


 一瞬、ベイデは狼狽したような様子を見せ、直後に迫ってくる紅い光に視界を奪われた。


 火矢の如きそれが、剣だと気付いた時にはすでにベイデの身体に突き立っていた。


 ベイデは、くたりと首を前へ倒し、ずるずると背を壁に擦り付けながら崩れ落ちた。


 爪も牙もなくなり、元の人間の姿だ。


 突き立った剣は溶けるように消え、主の持つ鞘へと納まった。


 同時に、シノにも色が戻る。



「……なに、これ」 


 目にした光景に、思わずオリアは呟いた。


 投擲した剣を追い越して標的を捕らえ、追いついてくる切っ先の軌道にのせる。


 そんなことは到底、人間の成し得ることではない。


「初めまして、かな」


 そう言って寂しげに笑ったシノは、見慣れた彼のままだった。


「頭でも打った?」


「なんだ、よかった……」


 安心したように表情を和らげて、シノは膝をついた。


「シノッ」


 オリアは慌てて駆け寄り、腕を取って身を寄せ、シノを支えた。


(相棒って何よ)


「……きっと、俺にとってなくてはならないモノってことなんだろう」


「……え?」


(あらそう。嬉しいわね。だったら、事あるごとに投げないでもらえるかしら)


 戸惑ったようなオリアと、どこか拗ねたような魔剣の言葉を耳に残しながら、紅く染まっていたシノの視界は目蓋によって闇に閉ざされようとした。



 脱力したベイデの指先がピクリと動く。



 真に排除すべきは王女ではなく、得体の知れぬ男の方だった。


 王女だけならば、レヒツがなんとか処理をするだろう。


 逃げ切ることもできるかもしれない。


 だがあの男は、シノ・グウェンなる人物はこの場で殺しておかなければ。


 不可解な力の行使も終わり、無防備な今なら。



 気づかれぬよう、ベイデの側にそっと風の刃が形成され、静かに研ぎ澄まされた。


 小さく、密度の高い風の刃はこの場の誰よりも速く対象を切り裂く。


 先に刃を完成させた今、どんなに優れた魔術師であっても防御魔術を発動させる時間はない。


 上手くすれば、王女もろとも致命傷を負わせることができるかもしれない。


 創った刃に指向性を与えるべく、ベイデが力を振り絞って掌をシノに向けた瞬間、


「は……?」



 全身が重苦しいが、急に肩だけが軽くなった。


 見ると、上げたはずの腕が下に落ちている。


 きれいな切断面。


 腕を切り落したのは、自分が創った風の刃だ。



「魔術を、奪われた……?」


 他者の意志の下に構築された魔術の支配権を奪うなどという、馬鹿げた芸当をやってのける魔術師に心当たりは一人だけだ。


 反撃の間もなく、今度は胸に熱に似た激痛が生まれた。


 見れば、氷の槍が心臓を正確に貫いている。



 槍を創ったユリアーネは驚いた顔をし、その後ろで魔術師が、被った黒い外套の奥から削いだような視線を寄越していた。


「まさか、生きて──」



──馬鹿なことを。



 呆れの混じった、そんな声が聞こえた気がした。



 まるで悪夢だ。


 化け物を、よりによって化け物じみた魔術師が守護しているなどと。



「来るなレヒツッ、こいつらは──」


 警告は最後まで言葉にはならなかった。


 体はすでに、意志による制御を外れていた。



 あぁ、でも良かった。


 すくなくとも、これでレヒツよりも先に──。

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