2-15 剣の在処Ⅲ
入り組んだ細道を、レヒツは迷いなく進んでいく。
人目のつかない道を選んでいるのか、自分たちを捜しているであろう魔術師を見かけることもない。
「連中も見つけたくないのが本音だろうね。僕たちを捜している彼らは近衛でもなく、ただ城に勤めているだけの魔術師だろうから」
「王族を護るのが近衛の仕事だからな。今ごろ城で殺しをしたヤツを血眼で捜し回ってるだろうな」
「僕らにとっては有利に働く。そしてこういう時、立場が上の人間は安全地帯にいるものだからねぇ」
「そうか?」
シノの脳裏にはユリアーネの姿が浮かんでいる。
以前このアルバスで、彼女は最前線で魔術を叩き込んでいた。
「別にこの国に限らず、そういうものだよ」
「ふうん」
自ら協力をもちかけたものの、正直なところ、レヒツは後ろで気のない返事をする男を信用しきれずにいた。
「君、本当に王都に戻るのかい?」
「あぁ」
自身の同胞を殺した人間と、これほど簡単に手を組めるものだろうか。
不信の最大の理由は、シノ・グウェンという男の目的が見えないことだ。
クロス家の御曹司の態度を見れば、すでに国からは切り捨てられている。
──まぁ、僕が言えたことではないけど。
「お前こそなんでわざわざ王都へ戻る。面が割れている凶手なんか一番要らないモノじゃないのか」
「戻るのは僕自身の為だよ。喰われた仲間の始末をつけないとね」
「喰われた?」
「僕たちの魔術は内から創るモノではなく、内に飼うモノなんだよ。当然、飼っているモノは主人なんかとは比べ物にならないほどに強力だ。身動きが取れないくらいにきつく縛った猛獣の拘束を少しずつ緩めていき、敵を排除してもらう。獣に自由を与えすぎると、喰われるのは獣を拘束していた飼い主、というわけさ」
「王城で殺しをしたのはそいつか」
笑みを消して、レヒツが歯噛みした。
「彼女は僕よりも遥かに魔術の扱いに優れていた……。王城にも深く入り込んでいた。魔術に失敗して喰われたとは考えにくい。きっと誰かが──」
「喰われた経緯はどうでもいい。そうなったらどうすればいい?」
「……僕の国では、喰われた者が喰い潰されるまで待つのが定石だ。戦って殺すよりも、その方が犠牲が少ないから」
「それでもお前は王都に戻るのか。勝ち目があるのは思えないけど」
「心配しなくても君にそこまで手伝ってもらおうとは思ってないよ。いくら君がいたところで、暴走した彼女が相手ではきっと誤差だろうからね。あれは人の手に余る」
「お前なら勝てるのか?」
レヒツが曖昧に笑った。
「言っただろう? 人の手には余ると」
「なんでそこまでする」
「相棒だからだよ」
「相棒?」
「事を為すのになくてはならない相手のことをそう言うんだ」
シノが自分の腰を見る。
そこにあるべきものはない。
「大事、なんだな」
「いいや。大切、さ。君だって何か大切なものの為に僕に協力しているんじゃないのかい?」
「たぶん、違う。人を探していてな。自分の為に必要なことだからだ」
「人を……? それを大切と言うのではないのかな」
「喉が渇いて死にそうなときに、水を恵んでくれた人間に借りを返したいだけだ」
「そうかい。ま、僕には関係のないことだった」
それきりレヒツは口を閉ざし、見つからないように道を抜けることに意識を向けた。
シノも無言で後ろを歩く。
メルヴィナ・ウォールズは胸中に引っかかるものを感じながら主人の側にあった。
原因はまさに目の前にいる主人、ユリアーネ・ローゼンヴェルクである。
姿勢良く椅子に腰かけて目を閉じ、まるで戦場にいるかのような厳しい表情で口をひき結んでいる。
発される低温の魔力は戦いの前であるように冷たく鋭い。
──城内に近衛を殺した魔術師が潜んでいると聞けば、先陣を切って飛び出していきそうなものですが……。
オリアに同行した魔術師の中で、例の喪失者については消息が分かっていないが、確かめようともしない。
だが、その点についてはメルヴィナも同様だった。
なぜだか彼なら心配ないような気がするのだ。
たとえこの国の最高戦力が相手だとしても、根拠のない信頼のようなものは揺らがない。
「来たな」
腰掛けていた椅子に伸ばしていた背を預けて、ユリアーネが深く息をついた。
「リアン様?」
「来客だ、メルヴィ」
メルヴィナが壁に立てかけていた槍を手に取り、魔力を練り上げる。
ユリアーネの側に控える兄妹の片割れ、コーマックは主人の背後で微動だにしない。
今まさに城を混乱に陥れている魔術師の存在がメルヴィナの頭をよぎっていた。
「敵ではない。もっとも、私にとっては件の魔術師よりも手強いかもしれんがな」
ユリアーネが話し終えた途端、間合いをはかったかのように扉が強く叩かれる。
「開けてやれ」
警戒しながら、そっと戸を開いたメルヴィナが驚きに目を見開いた。
「オリア、様──」
鋭いオリアの眼差しが、どうかされたのですか、という言葉をメルヴィナの喉へと押し込めた。
ユリアーネとはまた違う、触れれば身を焦がされそうな魔力。
古びた黒い剣を抱えて、オリアが足を踏み入れる。
「よく来たな。何か用か?」
「すでにご存知ではないのですか?」
「さぁ、見当もつかないな」
「シノについてです。アルバスで追われていますが、彼は敵の仲間ではありません」
「知っている。ヤツを見込んだのは他ならぬ私だ」
「ならどうして彼は追われたままなのですか!? お姉さまが敵ではないと言ってくだされば──」
「事の真偽は問題ではないのだ、オリア。近衛に裏切り者がいたのかどうかが問題だ」
「何を、言っているのですか」
オリアは足元の床がなくなったような気がした。
「この城で殺しをした魔術師はおそらく近衛の人間だ。だが、そんなことは公にはできるわけがない。ここで近衛を殺し、アルバスでオリアの殺害を実行しようとした魔術師はレヒツ・アルムなる異国の魔術師と喪失者。それが王城の出した結論だ。おそらくうまくいくだろう。なにしろ多少の真実が混じっているのだからな」
こうして姉と向かい合ったのは本当に久しぶりだった。
何を期待していた。
人は変わるものだ。
オリアはユリアーネの二人の騎士に目を走らせる。
知る限り、二人とも清廉な魔術師だ。
だが、兄の方は目を閉じ、妹の方は表情が読めない。
二人ともユリアーネに従っているというのは確かだった。
「では今この城にいる下手人をどうするのです!?」
「それは」
ユリアーネは一つ息をついて、
「処理されるだろう。私たちの関知しないところでな。その魔術師を近衛に推した誰かが困るのだろう」
それではこちらが困る。
下手人の存在を知らしめ、シノ・グウェンの無実を証明しなければならない。
どんな手を使ってでも──。
「……では、お姉さまはシノを助ける気がないと?」
「お母様の言葉を借りれば、私も国を背負う身だからな」
オリアの魔力が鋭く熱を持つと、ユリアーネの目前の卓が爆ぜて黒い穴を穿ち、細く白煙が立ち上った。
数瞬遅れてコーマックが背の双盾に手を掛け、メルヴィナは槍の穂先をピタリとオリアに狙いをつける。
「メルヴィはともかく、コーマックに盾を握らせるとはやるじゃないか」
変わらず背を椅子に預けたまま、ユリアーネが笑った。
「母にとりなせ、ユリアーネ・ローゼンヴェルク。シノ・グウェンは私の剣だ」
オリアの声は熱を孕み、そして重い。
「私を脅すか。だが、私の『槍』が背後からお前の心臓に狙いをつけているぞ」
「構いませんよ。たとえ心臓を貫かれようとも魔術を一つ撃ち込むことくらいできます。でもそうするとアイン・スソーラはローゼンヴェルクの後継者を全員失うことになりますね」
永く動かしていなかった魔力はオリアの制御を離れつつある。
再び魔力をカタチにすることなどできる状態ではない。
ユリアーネがオリアの瞳を覗き込む。
オリアは身が竦むのを感じた。
魔術における力量の差は絶望的だ。
──でもこの程度、あの魔術師に対することに比べたら何のこともないッ!
オリアが発現した魔力は強力だった。
魔術とは意志の物質化。
その強さは魔術師の意志の強さに比例する。
彼女もまた、ローゼンヴェルクの血を引く娘だった。
表情を緩めたユリアーネが、降参だと両手をあげる。
「……分かった、分かったよ。そんなに怖い顔をするな。シノ・グウェンには礼を言ってやってもいいし、なんなら個人的に褒美をくれてやってもいい気分だ」
ユリアーネが、満足げに目を細める。
今のオリアは、まごうことなき魔術大国アイン・スソーラの王女であり、ユリアーネ・ローゼンヴェルクの妹だった。
「メルヴィ」
「はい。すぐにナツィオにシノ・グウェンを──」
「必要ない」
性別が識別できないくぐもった声。
オリアとコーマックには覚えのある声色。
「ッ!」
即座にコーマックがユリアーネの前に双盾を展開する。
「必要ないと言った」
メルヴィナに槍を突きつけられながら、頭まで外套を被り、黒いローブを纏った魔術師が言葉を繰り返した。
「誰の許しを得てここにいるのですか」
「何やら熱心に話し込んでいる様子だったからな。邪魔をするのも悪いと思って黙っていた。人としての礼儀を問われれば返す言葉もないが。だが、どうやらここに来た意味はあったようだ」
「お母様の命令か?」
ユリアーネの強い視線を受け流しながら、黒ローブの魔術師は淡々と答える。
「そのようなものだ。お二人があの喪失者に関わることはまかりならない、だそうだ」
「できない相談だ」
「相談? そんなことはしていない。しているのは命令だ」
「無礼なッ!」
鋭い怒声と共にメルヴィナが右手を黒ローブの魔術師へと向ける。
紙が破れるような音を伴って放たれた白雷は標的を逸れ、床を焦がした。
「何が起こったか分かるだろう、ウォールズ」
意志の下に行使される魔術が、他者の魔術に阻まれるでもなく発動者の意志に反することは起こり得ない。
操る魔力を簒奪されたのだ。
他の意志に染まった魔力を、自分の意志で上書きする神の如き所業。
以前なら信じるに値しない仮定だが、それが可能なことは知っている。
「そんな……。それではまるで──」
「別に彼だけの技というわけでもない。これで理解したか。魔力に頼る魔術師では及ばない。必要ならばこの場の全ての魔術を掌握してみせよう」
「目的はなんだ」
「シノ・グウェンという存在の継続。悪い話ではないはずだ、ユリアーネ王女殿下。代わりに助けに行ってやろうというのだからな」
「分からないな。当然、お前もお母様から命を受けているはずだが」
「彼女が命令することはない。別に仕えているわけではないからな。お前たちにはできなくとも、私ならできる」
勝ち誇ったように黒ローブの魔術師は言った。
オリアには、何故かそれが腹立たしかった。
その怒気を察してか、魔術師がオリアを見遣る。
正確には、オリアの持つ古びた黒い剣を。
「……本当に救いようのない」
くぐもった声は『風』の魔術で歪めているのか、外套の下から僅かに見えた口元には何も着けてはいなかった。
「え?」
オリアが驚いたのはその口が笑みを形作っていたからだ。
「これで失礼する。あまり時間も残されてはいない」
恭しく一礼すると、黒いローブのはためきを残して忽然と姿を消した。
スクロールを使った訳でもなく、魔術発動の詠唱もない。
「我々も為すべきことを為すとしよう」
一つ卓を叩いて、ユリアーネが立ち上がった。




