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2-10 王女の剣Ⅱ

「迎えに来た、シノ・グウェン」


 まだ日も昇らない早朝、城はまだ静寂に満ちている。


 コーマック・ウォールズが牢番に鍵を開けさせ、真新しい黒いローブを投げ入れた。


「来い」


 シノの返事も待たずにコーマックは牢を出て、ずんずんと城内を進む。


「おい、待てって」 


 渡されたローブをひっかけるように被ると、シノは慌てて後を追った。



 シノが連れて来られたのは小さな門だった。


 訪ねてきた者に王都イスファーンの威を示す二つの塔に挟まれた正門ではなく、王都に出入りをする商人などが使う通用口だ。


 他国へ旅立つ王族の門出に相応しいとは言い難い。


 集まった者たちにも、あって然るべき使命感というものが全くなく、諦観めいた不安だけを目に宿している。



「君も随行員に選ばれたのかい?」


 重い雰囲気を壊すような、陽気な声だった。


「そうだ」


 答えながら、シノが声をかけてきた男を観察した。



 いくらか歳上といったところか。


 腰の左側に剣をさげ、表情のせいか若く見えるが、熟練の騎士といった風でもない。


 人の良さそうな笑顔に、人懐こそうな目が輝いている。


 ローブを身に着けてはいるが、その色は紅ではなく、くすんだ緑だ。


 この場に集まった人間に、王族を守護する近衛の証である紅いローブを身に纏った魔術師は一人もいない。



「突然ですまない。僕はレヒツ。君は?」


「シノ・グウェン」


「珍しい響きだね。家名は……ちょっと聞き覚えがない。すまないね」


「何か用か?」


「ちょっとした挨拶だよ。同じ任務に従事する仲間じゃないか」


「ならレヒツさん、あんたはここに居る全員に挨拶して回っているのか」


「……いやなに、ちょっとばかし親近感を覚えたもんでね。君もなんだろ?」


 そう言って男は、自分の右腕を左手で叩いた。


「戦場に忘れてきたのかい?」


 男が無遠慮に、あるべきものがないシノの左肩を指さした。


「あぁ、自分の命大事さに落としたことにも気づかなかった」


 繊細な話題にも、男はあっけらかんと笑っている。


「僕もさ。僕の場合、置いてきたのは中身だけどね」


「中身?」


「ほら、この通り。感覚がないんだ。だから、このままだともう剣は使えなくてね」


 男が右腕をブラブラと揺らしてみせる。


 生きているのなら流れているはずの精気(オド)が、右腕には通っていなかった。


「ん? あぁ、これは飾りさ」


 シノが腰の剣に視線をやったのを見て、男は柄を撫でた。



 柄は擦れており、使い込まれているのが一目で分かる。


 たくさんの傷があるものの、鞘も含めて磨き上げられた剣からは、持ち主の愛着が窺われた。



「ずいぶん丁寧に手入れがされている」


「飾りだからね。綺麗じゃなきゃ意味ないだろ? たとえ使わなくとも、君も装飾品くらいはちゃんと磨いた方がいい」


(失礼な男ね)


 暗に汚れていると言われ、魔剣が不機嫌そうにブゥンと唸った。



──こいつ。


話しかけても答えないくせに、自分の悪口には反応するのか。



「今、その剣──」


 男は目を細めて、黒い魔剣を凝視している。



「王女の護衛だってのに、数が少ないな」


 魔剣を小突きたい衝動を抑えてシノが咄嗟に話を変えると、男は不審げだった目に親し気な輝きを戻して、


「そりゃ第二王女様じゃねぇ。ユリアーネ王女殿下に何かあったとしても、オリア様には王位を継がせないと、陛下はお考えだと専らの噂だね。……実はオリア様はローゼンヴェルクの血を継いでいない、という話もあるくらいだよ。もっとも、陛下もお姿を現してはくれないけどね」


 最後は声を落として、男はそう言った。



──よく喋るな。



 集まった魔術師たちがざわめいた。


 足音とローブの擦れ合う音とともに、周囲の薄暗さが吹き飛ばされた。


 オリアを伴い、灯を持った多数の兵を引き連れたユリアーネが集められた魔術師を睥睨している。


「おっと、おいでになったようだね。さっきの話、内緒だよ」


 片目を閉じて笑いかけると、男は前を向き、膝をついた。



 場の空気が引き締まる。


 その原因は緊張気味に前に立つオリアではなく、その後ろにいるユリアーネである。


「分かっていると思うが、今回の使節は友好を目的としたものではない。これから向かってもらう〈教導国〉では何が起こるのか、私にも分からない。諸君の任務は、我が妹、オリア・ローゼンヴェルクの守護し、連れ帰ってくることだ。責を果たした暁には私の力が及ぶ限り、その者の望みを叶えることを誓おう」


 その場にいる者たちが一斉に色めきたった。


 魔術師にとって誓いは絶対であり、ユリアーネは卓越した魔術師であることは皆が知っていた。


 もし破れば、今後その唇で詠唱することはできなくなる。


 最も驚いたのはオリアである。



 ユリアーネにとって、母にとって、そしてこの国にとって、取るに足らない存在である自分を護る報酬が大きすぎる。


 護衛の魔術師たちが任務を果たすことはできないと分かっているからだろうかと、そんな疑念すら湧いてきた。



「巧いな」



 欲望は身を滅ぼすことが多いが、人が行動を起こす原動力もまたそういったものだ。


 だが、その為には相手に自分の欲を叶えてくれると思わせるだけの根拠が必要だ。


 ユリアーネ・ローゼンヴェルクという記号の使い方をよく心得ている。


 魔術師として巧者なのは知っているが、王女としてもそうらしい。



 先刻とはうってかわって気炎を上げる魔術師を横目に、シノはユリアーネに対する評価を改めた。


「アイン・スソーラの魔術師達よ! 諸君の忠誠を示してみせよ!」


 (ひざまづ)いた者たちが、高揚をもって拝命する。


 うねる熱気が、シノにも感じられた。


 夜明けの迫る薄闇の中、彼らの周囲だけが眠る王城の中で熱を持っていた。


 もとより(まと)まりといったものがない烏合の集団だ。


 指揮を執るのは自然、もっとも身分の高い者となる。



 中心となって周りに指示を飛ばしていた貴族がじろりとシノを一瞥(いちべつ)し、


「この場において自らの魔力(マナ)を隠すとは、お前、喪失者(ルーザー)か。」


 高圧的な言葉だった。


 人に命令し慣れている、そんな態度だ。


「はい」


 深く頭を垂れたシノの後頭部に、蔑みきった視線と指示を落とす。


「ならば殿(しんがり)を務めよ。力なき者でも、盾くらいにはなるであろうからな」


「分かりました」


「そちらの者は……」


 貴族がレヒツへ言葉を向ける。


「申し訳ない、家名を名乗ることを禁じられていてね。僕も彼と同じ方がいいかな。あまり荒事には貢献できそうにない」


 レヒツはそう言って、力の入らない右腕を示した。


 問うた貴族が露骨に侮るような目をした。


「傷痍兵か。仕方があるまい。それが分相応であろうよ」


 それきり二人には目もくれず、また忙しなく他の魔術師たちへ指図し始めた。


 各々の配置が決まり、指示を出していた魔術師が恭しい態度でオリアを馬車へと乗せる。


「なんだか居心地が悪いね」


「俺はいつも通りだ」


 答えながら、不安そうに馬車へと乗り込むオリアに小さく頷いてみせる。



 不意に覚えのある精気(オド)を感じた。


 門の外から中に移動した、その精気(オド)の持ち主の不機嫌そうな顔が脳裏に浮かんだ。


「どうした?」


「……なんでもない」


 (いぶか)る男に短く答えて、シノは隊列の最後尾についた。



 籠もった熱気を解放するように小門が開かれる。


 馬車一つがようやく通れる道に、数刻前とは対照的に車輪を軋ませ、深い(くるわ)を地に刻みながら、士気も高く馬車は出発した。



「リアン様」


 小さくなっていく馬車の影を見つめていたユリアーネの前に一人の女が膝をつく。


 本来なら輝くばかりに美しいであろう金色の髪は艶を失い、表情には疲労が色濃く見受けられた。


「ご苦労だった、メルヴィ。時間通りだな。ゆっくり休め……と言ってやりたいところだが」


「いえ。それよりも報告を」


 メルヴィナの急いた様子に、ユリアーネが眉をひそめた。


「何があった」


「〈教導国〉との国境付近、そしてイスファーンに戻る途中、二度襲撃を受けました」


「メルヴィを狙ってか?」


「はい。明らかに私を標的としたものでした」


 ひそめられた眉が大きく歪む。


 露骨に機嫌を損ねた主人を見て、メルヴィナは内心嬉しく思った。


 緩みそうになる頬に力を入れる。


「何か狙われるような情報でも得たか」


「いえ、特にこれといっては」


「……警告のつもりか。相手は?」


「おそらく魔術師です」


 ユリアーネとしては、相手はどこの国の魔術師かと訊いたつもりだったが、メルヴィナの答えは奇妙だった。


「おそらく?」


 魔術師とは程度の高い魔力(マナ)を操る者の総称であり、それによって編まれた魔術は痕跡が残るものだ。


 言うまでもなくメルヴィナ・ウォールズは優秀な魔術師といえる。


 それも『水』と状況把握に適している『風』に秀でている。


 そんな彼女が、相手の魔術を見逃すなど考えにくいことだった。


「強い力は感じられませんでした。ただ、剣の技量、身のこなしだけが凄まじいのです。魔術によるものだとすれば、我が国の魔術師ではありません」


「〈教導国〉は戦時だったな」


「はい」


「今回の使節は不自然に過ぎる。コーマック、ナツィオの魔術師をつけておけ。アルバスで一度停まるはずだ。国境まででいい」


 コーマックが黙って了解の意を示す。


「大丈夫でしょうか……」


 メルヴィナが、もう豆粒ほどの大きさになった馬車を見やる。


「問題ない」


 自信に満ちたユリアーネの言葉を、メルヴィナは驚きと共に受け止めた。



 ユリアーネの信頼は己が力ではなく、あの喪失者(ルーザー)に向けられたものだろう。


 ユリアーネは楽観的な人物ではない。


 時間をかけて人を見極めるのが常である彼女にしては、珍しいことだった。


 だが、驚いたのはそこではない。


 メルヴィナ自身の中にも、類した気持ちがあったからだ。


 シノ・グウェンは必ずオリアを護りきる、そんな予感といってもいい不確かな何かが。


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