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2-9 王女の剣Ⅰ

 牢番の恐縮しきった声と、出ていくように命じるユリアーネの声が聞こえてきた。


 シノが閉じていた目を開ける。



 近づいてくる足音は二人分。


 両方とも覚えのある気配だった。



「姉妹ってのはどこも複雑だな」


「聞いていたのか。趣味が良くないな」


 驚いた様子もなく、コーマックを後ろに従えたユリアーネがシノの房の前に足を止めた。


「聞こえてきたんだ。扉、開いてたからな」


「それにしても耳がいい。かなり離れているが?」


「声、大きかったからな」


「私が言いたいのは、聞き耳をたてていたんじゃないかってことなんだが」


 少々非難めいたユリアーネの物言いに、シノは特に気にした様子もない。


「そうとも言うな。ここは退屈なんだ。面白そうな話が聞こえてくれば思わず耳を傾けてしまうのも仕方がないだろ?」


「まぁいい。身体はもう良いのか?」


「あぁ、もう大丈夫だ。気遣ってくれるなら、もうちょっと寝心地の良い牢に入れて欲しかったな」


「罰を与えるための場所だ。居心地を良くしてどうする。誰にも知られずに人間一人を隠しておける場所は、そう多くない。それにしても治癒の魔術はほぼ効かなかったというのに、ずいぶんと治りが早いな」


 探るようにユリアーネはシノを観察する。


 自分の身体については、シノ自身もよく分かっていない。


 何しろ、シュミートの前で目覚める以前の記憶がすっぽりと欠落しており、出自すらも不明である。


 そして今度は、周りの人間からシノに関する記憶が消えているのだ。


「そんなことを言いにここまで来たのか? ここに来たことを知られると不都合なのは王女さんも同じだろ」


「その心配をしなければならないのは今日までだ」


 シノはすぐにその言葉の意味を察した。


「いつだ?」


「明朝、ここを出てもらう」


「急だな」


「お母様はよほど私に時間を与えたくないらしい。私も知ったのは、つい今しがただ」


「俺の役目に変わりはないのか?」


「もちろんだ。これくらいは想定していた。ただ、時間が足りん」


「いつだって足りないのは時間だ」


 そうだな、とユリアーネは少し笑いを含んだ。


「ならば有意義に使わなければな。ではシノ・グウェン、命令を下す」


 表情を引き締め、ユリアーネが厳かに告げた。


 シノがその前に膝をつく。


「オリア・ローゼンヴェルクを護れ」


「りょーかい」


 気の抜けた拝命ではあったが、その軽薄さはユリアーネにどこか覚えのある安心感をもたらした。


「鉄の格子越しに命令をしたのは初めてだ」


「そのうち慣れる」


 そう言って、シノは伏せていた顔を上げる。


 そこには、負の感情は見受けられない。


「そうか。慣れるか」


 険しい表情を緩めて、ユリアーネが微かに笑った。


 鉄の格子の向こう側とこちら側。


 絶対的な立場の違いを、目の前の男は意に介していない。


 優位な側であるはずの人間の方が落ち着かない気分になっていることが、妙に可笑しかったのだ。



 命令を下した後も、ユリアーネは独房の前に佇んだままだった。


「まだ何かあるのか?」


 一瞬ためらってから、ユリアーネが口を開く。


「成し遂げたいことが二つある時、お前ならどうする?」


「その二つは両立するのか?」


「……分からない」


「どちらかを諦める選択肢はないんだろ?」


 問いかけるというよりは確かめるようなシノの問いに、ユリアーネははっきりと頷いた。


「あぁ、ない」


「そうだろうな。なら、望む結末を掴むために最大限の努力をするだけだ」


「無論だ。つまらない事を訊いたな。少し、惑ってしまった」


「俺は役目を果たす」


「え?」


「だから、王女さんが一人で全部する必要はないってことだ」


 その言葉に、ユリアーネが目を見開いた。


 内面を見透かされたような気がしたからだ。


 自分という人間をよく知られている感覚があった。



「あと、これは余計なお世話かもしれないけど」


「なんだ?」


「伝えたいことは、伝えられる時に全部言っといた方が良い。先延ばしにして、言える決心がついた時には相手は言葉の届かない所にいるもんだからな」


 王族と話すには不敬が過ぎるが、ユリアーネは腹は立たなった。


「それは実体験か?」


「そんなところだ」


「心に留め置こう。ただ、私にないのは伝える覚悟ではなく資格だ」


 ユリアーネが自嘲する。



──面倒な姉妹だ。



 姉は妹を救いたいと願うが、妹は姉を信じられない。


 事情は異なるが、つい最近、目にしたばかりの(こじ)れようだ。



 その結末は、シノにとってあまり望んだものではなかった。


 心に苦い何かがよぎった時、シノは思わず口を開いていた。


「誰かを助けるのに、資格なんていらねぇ。必要なのは理由だ。理由なんてのはなんでもいい。あんたには、妹を助ける理由が何一つないのか?」


「ある。………山ほどな」


「なら、何を迷うことがある。王女さんらしくもない」


 言葉の端に滲む親しさに、ユリアーネはまた気持ちに収まりの悪さを感じた。


 だが今はそれを確かめている時間もなければ、そのような場合でもない。


 渦巻く違和を抑えて、


「……任せたぞ」


「あぁ」


 短いやり取りを最後に、ユリアーネが独房の前を離れる。


 城と牢とを隔てる扉が閉まる軋んだ音とともに、静寂が戻った。



──まったくよく言う。


結局、自分は何も救えなかったというのにな。

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