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2-8 強さⅤ

「そしてもう一つ、大英雄たちにとっては致命的な特性があった。人間を乗っ取った悪魔は、存在の区分において人間だということ。基となったのは、大英雄が守るべき人間。悪魔を滅し、人間を守るために召喚された彼らでは、どうすることも出来なかった」


「大英雄ってのは人間を殺せないのか?」


「詳しくは知らないけど、召喚時に枷みたいなものをつけたのでしょうね。悪魔を討伐した後、自分たちに牙が向かないように」


「んで大英雄はどうやってその窮地を切り抜けたんだ?」


「分からないわ」


「分からない?」


「えぇ、戦時記録にも勝因については何も言及されていないの。そして、戦場にいたはずの者たちは皆、一様に『覚えていない』と答えたそうよ」


「覚えていない……か」



──『知らない』でも『分からない』でもなく、『覚えていない』か。



「『大災厄』収束の瞬間を、誰も知らない。どうやって終わらせることができたのか、そもそも原因は何だったのか。残されたのは爪痕と謎だけだったと、城の記録は結ばれているわ」



 だが、クロウリーは『大災厄』の再来を確信しているようだった。


 だからこそ、自分が救ったモノを犠牲にしてまで大がかりな計画を実行した。



「俺たちはそんな所にある国に行かされるってわけだ。そりゃ最高だ。待ち遠しくて夜も眠れねぇな」


「怖くはないの?」


「怖いにきまってるだろ。でも、やらなきゃならないことがある。そのためには、ここに居場所が必要だ」


「やらなければならないこと?」


「人を探してる」



 そう言うシノの表情は、この短い時間の中で初めて見るものだった。



 その人物が誰なのか、オリアは尋ねる気にはならなかった。


「……そう。強いのね」


「それなりにはな」



 もう一つ驚いたことがある。


 鉄格子の向こうで、にへらと笑っている隻腕の喪失者(ルーザー)は、この任の後も生き残るつもりであるらしい。



 その無謀とも思える強さが、オリアはただ羨ましかった。


「もう行かなきゃ」


「じゃあな」


 立ち上がったオリアはもはやお決まりとなった言葉を、少しの不安と一緒に吐き出す。


「……またね」


「あぁ」


「仕方がないわね。……明日も来てあげる」


 オリアはシノに見えないように顔を背けたが、横顔からは表情を窺い知ることができた。


 やさしい風に撫でられた水面のような、柔らかい笑みだった。


 パン、と服に付いた埃を床に払い落とし、オリアは足取り軽く牢の出入り口へと向かう。



「来てくれなんて言ってないんだが……」


 なんの気はなしに呟いた言葉だったが、からかうような調子の声がそれに応じた。


(懐かれたものね)


「いや、アレは単に俺が姉とは関係の薄い人間だと思っているからだろう。ユリアーネ・ローゼンヴェルクという人間を知らなければ、オリア・ローゼンヴェルクはただのオリアだ。あいつにとってここは、自分の価値のなさを延々と見せ続けられる地獄なのかもしれない。でも、そんな弱さを曝け出す勇気はないから、紛らわせているだけだ。……というか、俺が話しかけても返事一つしないくせに、勝手なヤツだな」


(私は武器なの。武器というのは、話しかけられたからといって、返事をしたりはしないものよ。なぜって気持ち悪いでしょ。それよりもシノ、言っておくけれど──)


「分かってる」


 武器なら話しかけてきたりもしないだろうが、という言葉を飲み込んでシノはそう言った。


(そう願うわ。本当を言えば、あなたが『聖域』へ行くのも反対なのだけど)


「そこに何かあるのか?」


(……いいえ、別に)



嘘だ。


こいつは何か隠している。



 問い詰めた所で、答えは返ってこないのは明白だ。


 とりあえずは、それで納得しておくことにした。



「ん?」



 牢と城内とを隔てる扉が開いたのは分かったが、閉じる音を聞いていない。


 格子の前に射す光は、未だ扉が開いていることを示している。


 近くには牢番を除き、3つの気配があった。



「ふむ……」


 シノは目を閉じると、五感を聴覚だけに絞り込んだ。






──なぜ律儀にも毎日こんな薄汚い所に来ているの。


彼に話を聞かせてあげるために、普段ならば寄り付きもしない城の埃臭い書庫で調べ物をしてまで。


それは護衛となる者が、任務先に関する情報を少しでも多く得ておく方が都合が良いから。


……いや違う。


そんなものはただの建前に過ぎない。


なぜなら、喪失者(ルーザー)に戦闘力など期待してはいないからだ。


かけた労力に見合うものを、彼に返してほしいとも思っていない。


もっと簡単な話だ。


楽しいからだ。


ただし、寄り掛かってはいけない。


そんなことをすれば、シノ・グウェンという小さな樹はぽきりと折れてしまうだろう。



「ふふっ……」



 あの男は物事に興味がなさそうに見えて、好奇心が強い。


 退屈なのもあると思うけれど、話を聞いている様はまるで子供のようだ。


 重く沈んでいた心が、今は幾分か軽い。


 明日は何を話そうか。


 すぐに終わりは来るけれど、今は──。



 そんな事を考えていたからか、牢の扉を開ける前に周囲の魔力(マナ)を探るのを失念していた。


 強大で怜悧な魔力(マナ)の圧力。


 いなくなった大英雄を除けば、思い当たる人物には心当たりがひとつだけ。



 陰鬱な現実に引き戻されながら、魔力(マナ)の源へと視線をやると、自分と同じみ空色の髪の長身の女性。


 女性の背後には、盾を背負った見上げるほどの大男が付き従っていた。


 オリアと視線が合うと、男が身をかがめて頭を下げる。


 それでもオリアは彼の顔を見るのに見上げなければならなかった。


 背に負った二つの盾もあって、かがまれると(かえ)って威圧感を放っていた。


「オリア、こんな所にいたのか。何をしていたん──」


 ユリアーネが、埃で汚れたオリアの衣服に目を留める。


 半ば開いたまま牢の扉を見て、ユリアーネはオリアが何をしていたのかを察した。


「あの男に何を話した?」


 ユリアーネの声音に、少なくとも嬉しそうな響きはなかった。


「特別なことは何も」


「昨日、城の書庫に入ったそうだな。それも古い戦の記録を読み漁っていたと聞いた」



──この城の者は皆、姉さんの味方か。


内密にしてくれと言い含めておいた司書すらも、望みを叶えてはくれない。



「いけなかったでしょうか?」


「責めてやるな。私が無理に聞き出したのだ。だが、書庫の奥に秘されている記録を部外者に明かすのは感心しないな」


 オリアはすぐに(たお)やかな、見る者によっては覇気のない笑みを顔に張り付ける。


「責めるなんて滅相もありません。自分の責を果たしただけでしょう。分かりました。ご忠告、心に留めておきます」



 口止めをした司書は、ユリアーネ・ローゼンヴェルクの命令を聞くという責務を果たしただけだ。



「最近、姿を見ないことが多いが、ずっとそこにいたのか?」


 ユリアーネの言葉に、オリアは驚きを隠せなかった。


 自分の居場所を気にかけていたことが意外だったのだ。


 だが、すぐに理由に見当がついた。


 元より、この城の人間ではない。



──逃げ出さないか、監視をしていたの。



 自分の守護を命じられ、同じく命を危険に晒されるであろうあの喪失者(ルーザー)と二人で話をしていれば、疑われるのは当然だ。



「私とてローゼンヴェルクの末席。命惜しさに逃げ出したりは致しません。別にあの囚人と脱出する算段をつけていたわけでもありません。ご心配なく」


 諦めたようなオリアに、ユリアーネの表情が曇る。


 どこか狼狽したような、そんな表情だった。


 表情の陰りが、どうやら悲しみから生じたらしいと感じたオリアは小さな満足感を得た。


 同時に、自分の卑小さに嫌気がさした。


「オリア、そんなつもりは──」


「失礼します」


 ユリアーネの言葉を待たずに、小さく頭を下げてオリアが背を向けた。


「おい──」


 伸ばしかけたユリアーネの手が、オリアの肩にかかることはなかった。


「それほどまでに気にかけておいでなら、オリア様に直接そうおっしゃられてはいかがですか?」


 伸ばした手をそのままに、オリアが姿を消した方を眺めていたユリアーネを見かねて、コーマックが静かに言った。


「心配か……。そのような資格は、私にはない」


「あの件については、殿下に落ち度はないはずです」


「何もしなかった私も同じだ」


「……」



 他人に心を許すことは滅多にないが、一度許すとどこまでも情け深い。


 見捨てない。


 無理を通してでも救おうとしてしまう。


 執着といってもいいのかもしれない。


 情が深く、背負いすぎるのは美点でもあるが、それ以上に弱点にもなりうる。



 常々、コーマックが危惧していることでもあった。


「だから今度は必ず……!」


「御心のままに」


 オリアに伸ばしかけた手を拳の形に握り込み、決意を固めるユリアーネに、コーマックはそう言うしかなかった。

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