1-4 邂逅Ⅲ
「……それでメルヴィ、大事な観兵式を抜け出して、特に収穫はなかったと?」
「申し訳ありません。逃げられてしまいました。殿下の『槍』として、恥ずかしく思います」
式を終え、王城の私室の椅子に座る王女ユリアーネの前に、メルヴィナが直立していた。
部屋の装いこそ王城らしく豪奢だが、室内に置かれている家具といえば机、寝台といった最低限のものだけだ。
およそ王女の私室とは思えないような殺風景な部屋で、メルヴィナは先刻の追跡の結果をユリアーネに報告していた。
責めているような言葉とは裏腹に、ユリアーネの蒼い目には、楽し気な光が踊っていた。
「興味がわいたぞ」
メルヴィナから詳細を聞いたユリアーネの第一声はそれだった。
「やはり、リアン様も疑っておいでですか?」
気負いこんだメルヴィナが、机の向こうのユリアーネの方へ身を乗り出した。
「いや、そっちではない。私の『槍』を退け、逃げおおせた、その男の手並みについてだ」
昼間の屈辱が蘇ったのか、メルヴィナが顔をしかめた。
対照的に、ユリアーネの声が熱を帯びる。
「行進の最中、メルヴィが言っていた魔力の無い男についてなのだが、こちらでも調べてみた」
「はい。でも、そんな事あり得ません。隠していたに決まっています。仮にあの男に魔力が無かったとしても、喪失者があのシュミートの学生などとーー」
「事実だった」
メルヴィナを遮り、ユリアーネが短く結果を口にする。
「は?」
メルヴィナは主に対する敬語も忘れて、呆気にとられた。
「確かに1か月ほど前、喪失者が一人、シュミート王立魔術学校に編入している。もっとも、仮編入で試験はまだのようだが」
面白そうに、ユリアーネが説明を続ける。
「そんな事、純血主義のシュミートの教員達が許すはずありません。何かの間違いでは?」
ユリアーネの情報網を疑うわけではなかったが、いくらメルヴィナでも俄かには信じられなかった。
「間違いない。何しろ、編入を指示したのは校長であるアレイスター・クロウリー本人だった」
「クロウリー様が!?」
かすれたような声がメルヴィナの口から洩れた。
アレイスター・クロウリーは先の『大災厄』において、多大なる戦果を挙げ、戦後は『大英雄』の一人に数えられている。
これまで一切の学校運営に興味を示さず、自分の研究に明け暮れていた校長が、直々に生徒を編入させたのも驚きだが、その生徒が喪失者だなんて驚きを通り越して何かの冗談だ。
情報源がユリアーネでなければ、嘘つきめと相手を罵っていただろう。
「興味深いだろう? その男ーー名は何と言ったか……」
「シノ・グウェンです」
メルヴィナが即答する。
「そのグウェンの編入した理由が、メルヴィに見せた技にあるというのなら、興味深いと思わないか?」
ユリアーネの目の輝きが増し、まだ見ぬ強者に思いを馳せているのか、興奮気味だ。
この蒼い髪の王女は、美しい容姿に反して、武闘派である。
城で礼儀作法や舞踊を学ぶのではなく、魔術に傾倒していた。
そのせいか、未知のものに関する好奇心は人一倍強い。
このような報告の仕方をすれば、ユリアーネが興味を示すのは当然だった。
「は、はぁ……。今の話からすると、彼が事件に関わっている可能性は低いです。近づいても得るものは少ないと思いますが……」
またもや後悔しながら、おずおずとメルヴィナが提言する。
「なに、部下の勘違いで迷惑をかけたのだ。主が謝罪に行くのに、不思議はないだろう?」
ユリアーネの顔を見たメルヴィナは、この時ほど自分の失敗を呪ったことはなかった。
「早速明日向かうぞ。準備しておけ!」
リアン様のお顔……。
当時、貴族の末席だった私を側近にすると言い出した時と同じです……。
どうか、そんな事をリアン様が言い出しませんように……。
ユリアーネを止める立場にないメルヴィナが出来るのは、神に祈ることくらいだった。
翌朝、シノはいつもより早く目が覚めた。
とはいっても、自発的に起床したわけではない。
昨日の逃走劇の後遺症である、筋肉の痛みによるものでもない。
単純に、家の前で誰かが騒いでいたからだ。
「何だここは? こんな廃墟に人間が住めるものなのか。中はどうなっているんだ?」
どこか妖艶で低い声だが、聞き覚えはない。
そして、廃墟は言い過ぎだ。
「件の男は仮編入であるために、寮の部屋は与えられていないようです」
こっちは最近どこかで聞いたような気がする。
「ふむ……。私がわざわざ足を運んだというのに、何の出迎えもないとは……」
妖艶な声の主が、勝手な事をのたまっている。
「先ぶれも出していませんので、当然かと。それにしても、あの時名乗った名前が本名だったなんて、ふざけた男ですね」
どこかで聞いた声の方は、良識があるようだ。
ふざけた男というのが、自分の事ではない事を願いたい。
「よかろう。私は寛大だ。許してやる。ドアをノックすればいいのか?」
「そのようです。ノッカーが見当たりませんが……」
早朝にも関わらず、潜めるつもりは微塵も感じられない会話が繰り広げられ、シノの安眠を妨げた。
……面倒そうだ。
居留守を決め込んだ、その時だった。
「面倒だな。吹き飛ばしてしまおうか。考えてみれば、家など無い方が、私にとっては都合がいい。<マイム・シフト・レドーー」
「嘘だろっ、おい!」
詠唱らしきものを聞いて、シノの意識が完全に覚醒した。
魔術なしの正真正銘、人力で作るのにどんだけ苦労したと思ってるっ!
「いる! いるから! ちょっと寝てただけだからー!」
慌ててシノが外に飛び出ると、黒い外套で全身をすっぽりと覆った女が、せっせと氷の槍を作っていた。
すぐ傍には、槍を持った金髪の少女が控えている。
あいつは昨日の……。
メルヴィナの姿に気を取られた瞬間、氷の槍は無情にも小屋へと発射された。
「クソッ!」
悪態をついたシノは、一瞬の溜めの後、下から飛び上がり、拳を突き上げて、頭上を通過する氷槍を粉砕する。
砕け散った氷の破片が、昇ったばかりの太陽の光をキラキラと反射した。
「お前っ! いきなり何なんだよッ!」
「今のは……」
シノの怒声を浴びた外套の女は、茫然と未だに宙に舞う氷を見つめていた。
「また会いましたね。とりあえず服を着てください。リアン様の目の前でそのようなモノ、晒さないように」
シノが女に詰め寄ろうとしたその時、メルヴィナが立ちふさがった。
その蔑むような視線は下着姿のシノに注がれている。
「仕方ないだろ。昨日、ローブを台無しにされたんだ。今朝は家を吹き飛ばされそうになるし、何なんだホントに」
「覚えていないんですか?」
驚いたように、メルヴィナが問うた。
「何を? 昨日の晩飯か? 覚えてるも何も、食ってねぇよ。あぁ、思い出したら腹減ってきーー」
「違います。私の顔に見覚えありませんか?」
腹を押さえ、呻くシノを遮って、メルヴィナが自分の顔を指さす。
「ん……? おまえはっ!?」
記憶を手繰った様子のシノが、ハッとしたように目を丸くする。
その様子を見て、メルヴィナが頭を下げた。
「昨日は申し訳……」
「思い出そうとしたけど、ダメだった。誰だっけ?」
メルヴィナの顔が険しくなる。
「昨日、見逃してあげた……」
「見逃してやったのは、俺の方だと思ったが。まさか、気付かなかったのか?」
シノの目に一瞬、殺意めいた光が揺れた。
「お、覚えているじゃないですかっ」
メルヴィナは少したじろぎながらも、その言葉を否定しようとはしなかった。
「まぁな。知らないフリしとけば、人違いってことにならないかなぁって……」
シノが、億劫そうに反応する。
殺気はすっかり消えていた。
「意味のない嘘をつかないで下さい!」
まだ少し、怯えながらメルヴィナが抗議した。
「で、何か用か?」
構わず、シノが先を促す。
「用があるのは私だ」
そう言って、黒い外套の女が素顔を晒した。
外套の中で丸められていた蒼みがかった長い髪が、下へと流れる。
流れた髪が豊満な胸に掛かった。
早朝とはいえ、この季節にフードの中は少し暑かったのか、白い肌はわずかに赤くなっていた。
高貴な雰囲気の整った顔立ちだが、翠の目は、お気に入りのおもちゃを見つけた子供のように輝いていた。
その目が、妙にシノを惹きつけた。
シノの様子を見て、メルヴィナの顔が渋いものになる。
「大事な話があるんだ。中で話さないか?」
ユリアーネが、ほっそりした指でシノの後ろにある住処を指さした。




