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2-6 強さⅢ

「がっかりだわ」


 自分を偽るべき人間の目が無くなった途端、オリアは貼り付けていた微笑をこそぎ落とした。


 一見して(たお)やかに見えた微笑みの下には、深い落胆があった。


「初対面のはずの人間に向かってずいぶんな言い草だな、端くれ」


 シノも、申し訳程度に持っているふりをしていた敬意らしきものを捨てた。


「私についてくるってことは、あなたも用済みってことでしょ? 結局、英雄殺しには関係なかったってことじゃない」


「……なぁ、その国ってそんなに危ないのか?」


 オリアが深いため息をついた。



 あまりの無知に、怒るのも馬鹿らしくなってしまった。


 凍るような言葉を吐くかと思えば、子供のような事を聞いてくる。



 その落差を無知という言葉で片付けていいものか、オリアは目の前の男を(つか)みかねていた。


「あなた、なんにも知らないのね。いいわ、教えてあげる。アイン・スソーラは教導国から魔術を盗んだ」


 シノの脳裏に、陰気な魔術師の姿が浮かぶ。


「まさかあのじいさんめ……」


「と、あちらは言ってるわ」


「実際は違うのか?」


「分からない。今の魔術は、ほとんどが『あの魔術師』によるものだったから」


「あの魔術師?」


「あなたが殺したことになってる大英雄よ。あまり、名前を口に出さない方がいいわよ。私の前でもあまり口にして欲しくないわね」


「気をつけよう。でも、王女さんは普通に名前言ってたぞ」


「あの人は……きっと気にしない」


「あの人、ね」


「話が済んだのなら出て行って。一人になりたいの」


「りょーかい」


「ねぇ」


「なんだよ」


 なぜ引き止めるようなことを言ってしまったのか、オリアは自分でも分からない。


 口に出すべき言葉など、用意してはいなかった。


「……なんでもない」


「本当か?」


 見透かしたような声には、少量の揶揄が含まれている気がして、オリアの気に障った。


「早く出て行って!」


「はいはい、分かりましたよ」



 オリアは今度こそ一人きりになった。



今、わたしは何を言おうとした?


何を期待した?



「誰も助けてなんかくれないんだから……!」



 辛うじて紛らわせていた恐怖が、せり上がってくる。


 馴染んでいるはずの部屋がやけに広く感じた。



 オリアの言葉を拾い上げる者は誰もいない。






 シノが外に出ると同時に、待ち構えていたコーマックがぴったりと側についた。


 その距離は肩と肩が触れ合うほどに近い。


「男と寄り添う趣味はないけど」


「なに、コーマックにとっては趣味と実益を兼ねている」


 ユリアーネが、至極真面目に言った。


「……え?」


 思わずシノが高いところにあるコーマックの顔を見上げるが、表情は全く変わらない。


「……」


「え? ほんとに? というか、いい加減外してくれよ、これ。片腕なのに枷なんて必要ねぇだろうが」


 シノが、マリアンネに会う際に嵌められた枷を持ち上げる。



「ダメです」


 答えたのは、訪れたときにはいなかったメルヴィナだった。


 鈴が転がるような美しい声だが、研いだばかりの刃のように鋭い。


 優美な曲線を描く眉は釣り上がり、分かりやすく怒りを伝えていた。


「なんだいたのか、金髪」


「リアン様もです! 喪失者(ルーザー)とはいえ、不用意にこの男に近づくなんて!」


 シノをひと睨みして、ユリアーネにも舌鋒(ぜっぽう)を向けた。


「悪かった、悪かった。仕方がなかったのだ。今度はちゃんと繋いでおくから、な?」



 (なだ)めているようなユリアーネの言い訳を不満げに聞き、諦めたようにため息をついた。


「早く歩きなさい。怪しい素振りを見せたら撃ち抜きます。二度と味わいたくはないでしょう?」


 急き立てながら、シノに見せつけるようにメルヴィナの周囲に小規模な雷がバチバチと音を立てる。


「二回も当たるかよ」


「試してみますか?」


「上等だ、金髪。試してやってもいいけど、この枷は平等じゃないな。騎士道ってやつに反するんじゃないか?」


「外せと言うのですか? で、ですが……」


「ほほう、相手が騎士じゃなければ、別に騎士道なんて守らなくてもいいってわけだ。大したもんだな、騎士道ってのは」


「わ、分かりました! そこまで言うのならいいでしょう!」


「のせられてるぞ、メルヴィ」


 ユリアーネの言葉に、シノの手枷を外しかけたメルヴィナがはっとする。


「メルヴィが挑発に乗せられるなんて珍しいな」


 きまり悪げにメルヴィナが主に頭を下げる。


「すみません。どうも自分でも不思議なほどに、この男が気に入らないようです」


 メルヴィナを見ながら、ユリアーネが心中で首を捻った。


 彼女の扱いをよく知っている、というよりはその気性を理解しすぎているように感じられたからだ。



「……そりゃ前からだ。いや、前のがまだ可愛げがあったかもな」


 シノの呟きは、近くにいたメルヴィナの耳に入った。


 言葉の奥には微かな親しみが滲み出ている。


 懐かしんでいるようなシノの様子を、メルヴィナは怪訝(けげん)に思った。


「どういうことですか?」


 メルヴィナが首を傾げた。


「何でもない。忘れてくれ」


 メルヴィナが口を開きかけたが、既に牢の格子の前だ。


 それ以上、追及することはなかった。


 コーマックが、シノを牢の中へ入るように促した。



「……殿下の冗談だ」


 牢の錠に鍵を掛けながら、コーマックがぽつりと言った。


「え?」


 先ほどのユリアーネの発言についてだと気付いた時には、コーマックは定位置である主人の斜め後方に控えていた。


「また迎えに来る。何か欲しいものがあれば──」


「リアン様?」


メルヴィナの鋭い視線にユリアーネが口を(つぐ)んだ。


そんなメルヴィナに物怖じすることなく、シノが格子に身体を押し付けて希望を告げた。


「美味いものが食いたい」


「あなたも黙りなさい」


「ではな」


最後にシノに笑いかけると、メルヴィナの小言を聞き流しながら、牢の前を離れた。


「だいたいリアン様、わざわざこんな所でなくともこの男は地下で十分では──」



(あー、やだやだ。抱えてるモノに吐き気がするわねぇ。あの娘に関わるのはやめておいた方がいいわ。きっと酷い目に遭うから)


 シノが一息ついた途端、魔剣の声が響きだす。


「俺の行動に口は出さないんじゃなかったのか?」


(見えすいた底なし沼に踏み込もうとしていたら止めるわよ。私も道連れになるんだから。せっかくこんなに長く目覚めているのだし、もう少し外を見たいわ)


「その願いは叶いそうだ。良かったな」


(どうするの?)


「どうするって何が?」


(とぼけないで。まさか、一緒に行くつもり?)


「俺は、与えられた役目を果たすだけだ」


(あなた、あの娘に同情しているのではないでしょうね? さっきも不要な介入をしようとしたでしょ。あの娘、中身はともかく可哀想に見えるものね)


「俺の方がよほどかわいそうな状況だ。誰かを憐れんでやる余裕なんてない」


(あなた自身の意志なのね?)


「そうだ」


(……ならいいのだけど)


 魔剣に納得している様子は全くなかったが、シノは気にしないことにした。


 今は少しでも向かう先の情報が欲しかった。


「教導国について何か知ってるのか?」


(いいえ。ただ、その国が興る前にその近くには二度、行ったことがあるわ)


「何をしに行ったんだ?」


 その言葉に、魔剣は心底可笑しそうに笑った。


(変な事を聞かないで。目的なんて一つしかないでしょ。殺して、殺して、殺すために行ったのよ)


 なおも魔剣の笑い声は止まらない。



 まるで、人間を相手に話しているかのようなシノの言いようが、妙に可笑しかったのだ。


 もとより自分が出来ることなんて、一つしかないのに。



(でも、覚えていることは多くないわ。わたしが起きるのは、担い手が必要だと判断した時だけだったから。覚えているのは、広い荒野とうんざりするほどの悪魔だけ)


「そりゃ楽しそうだな」



 その先を聞く気にはならなかった。



 話が尽きると、シノは硬い床に身を横たえた。


 目に映るものは、気が滅入るような無機質な天井だけ。



 オリアの様子と魔剣の言葉とを総合すると、またロクなことにはならなさそうだ。



「こんなんばっかだな……」



 シノが吐いた小さなため息が、薄暗い牢の中の空気を僅かに震わせた。


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