2-5 強さⅡ
「言っておくが」
ユリアーネがオリアの居室の扉を叩こうとしたが、その手を止めた。
「なんだよ?」
「オリアは繊細なんだ。それに今ちょっと、その、難しい時期でな……」
口の中で、もごもごと定まらない言葉を転がす。
「喧嘩でもしたのか?」
(喧嘩というよりは、殺し合いでもしそうな娘だったけれど)
シノの腰には、黒い鞘に納められた古びた剣があった。
「いつの間に……」
逸れたシノの視線を追って、ユリアーネも驚く。
確か牢の壁に立てかけられたままだったはずだ。
(いつの間にもなにも、最初からずっといるわ。ずっとね)
そんな魔剣の答えは、もちろんユリアーネには届かない。
(それより、感謝なさいよ。さっきは雰囲気を察して、目に触れないようにしてたんだから。察してって……武器なのに!)
「とにかく、あまりオリアを不安にさせるようなことを言うなということだ」
剣については不問を貫くことにしたらしい。
「分かった」
シノも内に響く声には答えず、ユリアーネにだけ返事をする。
(あら、無視するの? いい度胸ね。でも、覚えておきなさい。わたしはね、話しかけた時に無視されるのが、一番嫌いなの!)
この口うるさい魔剣は、好き勝手に声を垂れ流てくるわりに、心の中は読めないらしい。
腰に剣を差した男が、王女の後ろで独り言を呟いていたら、すぐに城の魔術師が飛んでくるだろう。
豪奢な部屋は、磨き上げられた調度品がうるさいほどだったが、オリアとの対面は静かなものだった。
「初めまして。オリア・ローゼンヴェルクです。あなたが教導国にいる間の騎士というわけですね」
シノが口を開くよりも早く、オリアが柔らかく微笑みながら、手を差し出した。
「あー、よろしく」
オリアの手を取りながら、言葉の外に圧力を感じたのはシノだけだった。
握ったオリアの手は、不自然に力が入っていた。
まるで、シノの手を握り潰そうとでもしているように。
「結構」
らしからぬ積極さをどう解釈したのか、ユリアーネは満足げに二人を眺めている。
「しかし、時間はさほど残されてはいない」
笑みを収め、表情を引き締めて、ユリアーネは本題に入る。
「『神』が一柱消えた。召喚したのは我が国の大英雄、召喚されたのは王都だ。その『神』を崇め、代理人を気取っている教導国は当然おかんむりだ。召喚者を引き渡せと怒り狂っている。大英雄を失った今、戦力においても不安を抱える状態で教導国と事を構えるべきではない、と王城は結論を出した」
「そのための解決策が、あんたの妹さんが教導国に行くってことなのか?」
ユリアーネが重々しく頷いた。
「そこが引っかかる。礼を尽くすのであれば、私が向かうのが筋というものだろう」
「つまり──」
シノは続きを躊躇った。
それは、言葉にしてはいけない予感がしたからだ。
「……」
事実、身じろぎをしたオリアの目に昏い光がよぎるのを見た気がした。
そんな妹を気にした様子もなく、ユリアーネを考えを口にした。
「今回の使節は時間稼ぎだと、私は思っている」
目に昏いものをたたえたまま、オリアが俯いた。
──なるほど。
シノは、オリアが抱いているものが少し解った気がした。
ユリアーネ・ローゼンヴェルクは強い人間だ。
絶望的な状況に身を置いてなお、大切なモノを見失わず、大英雄を相手に啖呵を切って見せるほどに。
そんな強さを持っている。
魔術師としての力量はもとより、人としての強度が高いのだ。
そして、その類まれな強さを、当然他者も持ち合わせているものだと思っている。
強すぎる光は、生み出す影もまた、色濃く深い。
オリア・ローゼンヴェルクは影なのだろう。
「だが、オリアを捨て駒になどさせるものか」
憤慨しているユリアーネの言葉は、間違いなくオリアを思ってのものだ。
それが相手の心を切り刻んでいるとは、夢にも思っていない。
オリアにとっての不幸は、憎しみの対象が応えてくれないことか。
「んじゃ、どうするんだ?」
「教導国は小さな新興国家だ。『大災厄』によって焼け出された様々な国の民達によってつくられた、寄せ集めの小国。なぜそんな国が神の代理人を気取っていられるのか、分かるか?」
「さぁな。それ、なんか関係あるのか?」
「教導国の中では連中に許可されたもの以外、一切の魔術が発動しない。どういう奇跡なのかは分からないが、彼らは『聖域』と呼んでいる」
「それじゃあ……」
「そうだ。戦闘の殆どを魔術に頼る我々では、丸腰の剣士も同然というわけだ」
「なるほど、それで俺か?」
「そうだ、だからこそ必要だった。魔術を用いずとも、魔術師と渡り合える戦力が。大英雄をも退けた力は、まさにうってつけだ」
オリアから見て、シノ・グウェンには魔力はおろか、いかなる秘めたる力の類も感じられない。
神に見捨てられ、魔力を授かれなかった、唯の喪失者だ。
大英雄を退けた?
姉に人を見る目が無いとは思わないが、それでもこの男に対する評価には首を捻らざるを得ない。
あるいは。
あるいは、そんな事は承知の上なのか。
そうであれば、この王城に味方は一人もいない事になってしまう。
かといって、現状を打開する力は持っていない。
──また、またわたしは……。
俯いたまま、オリアは奥歯を噛みしめる。
「理解できたか?」
「おおむね」
「それは良かった。なら、私たちは退室するとしよう」
主の意を汲み、コーマックが扉を開ける。
「……頼んだぞ」
ユリアーネは最後にそう囁き、シノの肩を軽くたたいた。
何を、とは聞き返さず、シノは億劫そうに頷いた。




