2-4 強さⅠ
数刻の後、シノはユリアーネに連れられ牢の外にいた。
目立つからと、枷は外されていた。
二人の後ろでは、盾を背にしたコーマックが歩調を合わせ、目を光らせている。
背を覆わんばかりの薄い蒼色の髪が、先を行くユリアーネの後ろで無警戒に揺れていた。
刺すような眼差しを感じながら、シノは肝心なことを聞いていないと気が付いた。
「それで、俺は何をすればいい?」
「簡単に言えば、とある人物を守ってほしい。傷一つ付けず、にな」
「守る……か」
ユリアーネはさらりと口にしたが、容易くはない。
「自信がないか?」
「誰かを守るのは苦手だ。絶対にどこかで失敗するんだよな。自分が生き残るのは得意なんだけど」
借りを返したかった銀色の少女の消息は知れていない。
「できないというのなら、お前には牢に戻ってもらわねばならないな」
「やらないなんて言ってないだろ。やるよ」
その言葉にユリアーネが足を止め、身体ごとシノに向き直る。
見据える目には険があった。
「やるだけでは意味がない。完遂しろ。もしオリアがいなくなって、お前だけ帰ってきた時は──」
続いたであろう脅迫よりも、ユリアーネの口から出た名前の方がシノにとっては重要だった。
「オリア?」
その名に、ユリアーネが平静を取り戻した。
「知らんのも無理はない。人前に出るのが難しい子でな。困ったものだ。まぁ、そこが可愛いとも言えるがな。この城に来たばかりの頃は、それはもう私の後ろを──」
コーマックが咳払いをして、長くなりそうな話を遮った。
「ま、まぁそういうことだ。お前の役目は私の妹を守ることだ」
「美化されてるな……」
「何か言ったか?」
「いや、王女の護衛は近衛の仕事じゃないのか?」
「それができるなら、お前に頼んだりはしない」
「ごもっともで」
シノの気は進まなかった。
牢で会った時のオリアは、ひどく危うく感じられた。
そういう人間を守るのは難しい。
「できないなら仕方がない。格子の向こうに戻ってもらおう。戻ればあらゆる手を尽くして、城の魔術師がお前の口を割らせることになるだろう。ヤツらめ、飢えた獣のように今回の真相究明に噛り付いている。疑いが完全に晴れたわけではなく、可能性がある以上、そうせざるを得ない。残念だ」
考え込むシノを横目に、ユリアーネは来た道を引き返す。
シノの表情は動かない。
「……」
「拷問は苛烈を極めるらしいぞ。これは聞いた話だが、最中に事切れたヤツがいたらしい。そいつの姿は古びた袋か何かにしかみえなかったそうだ。なんと恐ろしい……」
引き返しかけた足を止めて、ユリアーネが大げさにため息をついた。
「あんた、断らせる気ないだろ」
「あぁ、ないな。この状況を作るために、それなりの手間と譲歩を強いられている」
「選択の余地がないのは、こっちも同じだ」
「嬉しいよ。まだ聞いていなかったが、お前の頼みっていうのは、なんなんだ?」
「シェイラ・オドリオソラの情報」
ユリアーネは不快気に鼻を鳴らす。
ユリアーネにしては珍しい感情に、コーマックは思わずシノから視線を外した。
元より寡黙な魔術師は、内心の驚きを口には出さない。
「またその女か……。もしや、好いているのか?」
「借りたもんを返したいだけだ」
「借りたもの、か……。分かった。約束しよう。てっきり、自由にしろ、などと言うのかと思った」
「俺は自由にしてる。出て行きたくなれば出ていくさ」
「ほぅ……。できるのか?」
聞き捨てならないが、今のユリアーネにとっては頼もしい言葉には違いない。
「できる」
あっさりと頷くシノからは真偽を読み取ることはできない。
「なら、お前が戻ってくる頃には、警備体制を見直しておこう」
「それは余計なことを言ったな」
ユリアーネには実際のところ、シノがそんなことを気にしているようには感じられなかった。
欲しがったのは少女一人の情報だけ。
たったそれだけのもので、人は自分を賭けられるものだろうか。
──分からないな。
大切なものを護らせる戦力とするのなら、何のために戦うのか、ということくらいは理解しておくべきだが、全く分からない。
牢を出てからかなり歩いた頃、ユリアーネが小部屋の前で止まった。
扉の両脇には、真紅のローブを身に纏った二人の魔術師が立っている。
近衛の魔術師が傍にいることから、これから会う人物が高貴な人間だと分かる。
ユリアーネに礼を示した後、後ろに立っているうす汚れたシノを見て、魔術師たちは僅かに顔をしかめた。
「この男、ですか?」
魔術師の一人が、最低限の礼節をたもちつつ、ユリアーネに尋ねた。
「そうだ」
尋ねた魔術師は、それ以上質問を重ねない。
歩み寄ってきたもう一人の魔術師が、シノの右手に再び枷をはめた。
牢のものとは違って木でできており、軽い。
「母様は用心深いんだ。我慢してくれ。……一応言っておくが、その枷に魔力を通すと右手が落ちるぞ。余計な事は考えるなよ」
「なら、俺には関係ないな」
王女に対して不敬ともとれる言葉に、枷をはめた魔術師の顔がより険しくなる。
枷を持ってきた魔術師が何か言おうと口を開きかけたが、それよりも早くコーマックがシノの前に立った。
「ご苦労」
「はっ! ありがとうございます!」
直立不動になった魔術師は、目の前の薄汚れた喪失者のことなど、すぐに意識の外に追いやった。
「これから私の母がお前を見定める。喪失者らしく振る舞ってくれ」
扉の取っ手に手を掛け、ユリアーネがシノの耳元で囁いた。
「分かった」
小さく唇を動かしたシノの言葉を聞き、ユリアーネがそのまま扉を押し開けた。
それほど大きくない部屋だった。
最奥の大きな椅子には、マリアンネ・ローゼンヴェルクが腰掛けていた。
表情が読めないほどに白く化粧された顔の中で、瞳の黒色が不気味なほどに際だっている。
その後ろには、漆黒のローブを目深に被った魔術師が一人、そばに佇んでいた。
近衛ならば決まって、真紅のローブを身に纏っているはずだ。
「変わった格好だな。お母様の護衛か?」
問われた魔術師は答えることなく、黒いローブが翻った。
さしたる予備動作もなく前に跳んだ黒ローブの魔術師の逞しい左腕には、銀に鈍く光る短剣が握られている。
ユリアーネは微動だにしない。
事前にユリアーネの言葉がなければ、あるいは横を走り抜けていくコーマックの気配がなければ、シノは迎撃してしまっていたかもしれない。
「……あまりいい趣味ではありませんね、お母様」
切っ先がユリアーネに届くことはなかった。
耳障りな金属音を伴って、魔術師の短剣はコーマックの盾によって防がれていた。
──速いな。
ずっと最後尾で控えていたはずのコーマックが、いかにして背負った盾を構え、そのまま彼女の前に身体を運んだのか、シノには全く知覚することができなかった。
黒ローブの魔術師も相当に速いが、転移じみたコーマックの速さは、それをも上回っている。
「少し試してみたかったのです。リアンの言葉が信に足るかどうかを。……下がりなさい」
マリアンネの命令にも、短剣は前へ向けられたままだ。
切っ先は盾を捉えたまま、わずかに震えている。
「聞こえませんでしたか? 下がりなさい」
命令が重ねられ、ようやく黒ローブは剣を引いた。
コーマックは盾を下ろさない。
「殿下を狙ったように思えましたが」
「気のせいでしょう。その男を試したのです」
「お言葉ですが──」
「コーマック、もういい」
食い下がるコーマックが渋々、盾を背に戻し、再び定位置であるユリアーネの背後に立った。
「……?」
黒ローブの魔術師が、マリアンネの元へ戻るとき、シノはローブの奥から視線を感じた。
粘りつくような視線だった。
「ですが、これで証明されました。その者は無力です。それに……喪失者ですね」
マリアンネが無遠慮にシノを眺め回した。
「恐縮です」
シノが頭を下げた。
「褒めてはいません」
マリアンネがぴしゃりと言い放ち、出口を指差した。
「いいでしょう。同行を認めます」
ユリアーネが黙って頭を下げ、シノとコーマックもそれに倣う。
ユリアーネ達が部屋を辞して、離れるに十分な時間をおいてから、マリアンネがそばに控える魔術師を問い質す。
「どういうつもりだったのですか? 『盾』のウォールズの言った通り、貴方の刃はリアンに向けられたものです」
「……」
答える声はない。
「……あぁ、そういうことですか。皮肉な話ですね。ですが、貴方の役目は変わりません。その口で約束したはずですね?」
一人得心して、マリアンネは三人が出て行った扉を見つめる。
「……知っていたのか?」
ローブの奥から、くぐもった声が漏れた。
口元を覆っているのか、少し言葉が判別しにくい。
だが、言葉の裏に横たわった燃えるような殺意を、マリアンネははっきりと感じ取った。
「誓って言いますが、まったくの偶然です」
「そうか。心配しなくていい。ちゃんと約束は守る」
「えぇ、お願いします。私は望んだ結果が得られればそれでいいのです。うまく立ち回れば、私と貴方、双方の望みを叶えることもできるでしょう」
またも答えはなかったが、驚いている気配がローブ越しにマリアンネへ伝わった。
「私と貴方は、主従関係と一概にいえるものではありません。出来うる限り、貴方の方針も尊重します。それに、私の言葉なんて聞かないでしょう?」
黒いローブの裾を床に擦りつけながら、魔術師が膝をつき忠誠を示した。
「……犠牲は少ない方がいいですから」
どうでもいいことのように、マリアンネが言葉を付け足した。




