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2-2 遠謀Ⅱ

──しまった。



 シノは心の中で舌打ちをする。



「いや、城の中で見たことがあったもので……」



 あの時、王女さんは城の中には入ったことはない様子だった。


 少なくとも嘘かどうかは分からない、というよりは嘘ではない。


 確かに城の中でオドリオソラを見ている。



「ほぅ、オドリオソラがこんな使用人を雇っているとは知らなかったな」


 ユリアーネが目を細めた。



「だとすれば、何故あなたはクロウリーと戦っていたのです?」


 眉をひそめながら、メルヴィナが問いただす。



──誤魔化すのは得策ではないか。



 全くの嘘というわけでもない。



「シェイラ・オドリオソラは、俺にとってかけがえのない人間だからだ」


「なっ……」


 シノの言葉には一点の曇りもない。


 ともすれば、愛の告白ともとれる堂々とした物言いに、メルヴィナの方が赤面してしまった。



「クロウリーは確かに、オドリオソラの娘を利用した。その言葉を信じるのならば、神を召喚しようとしたらしい。そもそも神には意志などなく、ただの魔力(マナ)に過ぎない、と彼は言っていた。その力を使えば、国力を底上げできるとな」


 厳しい表情で、ユリアーネが両腕を組んだ。


 それはシノの欲しい情報ではない。


「シェイラ・オドリオソラはどうしてる?」


「……彼女も行方不明だ。オドリオソラの魔術師ともども姿を消している。彼らからすれば、唯一の主筋の生き残り。血を守るのは当然の行動だったか。これは私の落ち度だ」


「……なに?」


 シノの言葉が強い殺気を孕む。


 その剣呑さは、脇に控える巨漢とメルヴィナが思わず、ユリアーネの前を固めるほどのものだった。


 警戒した相手は依然、鎖に繋がれたまま、檻の向こう側だ。


 殺気も、そんなものは初めからなかったかのように消え失せていた。


「いや、お前らを責めても仕方がないな。……王女さんに頼みがあるんだが」


「奇遇だな。私もたった今、お前にやってもらいたいことができたぞ」


 背が凍るほどの殺意を向けられたにも関わらず、ユリアーネは花が咲いたように笑った。


「また、来る。色々と面倒な手続きがあるのでな」


 そう言って、足取りも軽く、ユリアーネがシノに背を向け、出口へと向かう。


 残された2人の従者も慌てて後を追った。




「案外、キツいんだな」


 足音も遠ざかり、人の気配が完全になくなってから、シノが呟いた。


 その言葉は耳に届くには微かに過ぎたが、魔剣には関係のないことだった。


(なにが?)


「自分が忘れられているってのは。一人になったというか、この国で目が覚めた頃に戻ったみたいだ。まぁ、今回は忘れているのは俺じゃないけどな」


(そうね。でも、あなたが選んだことよ)


 魔剣の口調は突き放すように素っ気ない。


「別に後悔なんかしてない。とりあえずは役目を果たせたし、守りたいモノもこぼさずに済んだ。ありがとう」


(……そう)


「あと、てめぇやっぱり喋れるんじゃねぇかよ」



──でも、私があなたを忘れることは、決してないわ。



 それを魔剣は、ぶつぶつと悪態をついている担い手には伝えない。


 あくまでも武器。


 必要以上に担い手の心に入り込むべきではないし、感情を汲み取る必要もない。


 そんなことをしたって、結局、自分には何も出来ないのだから。



「ま、成るようになるか。まずは居場所が必要だな」


(……どうするの?)


 担い手には深入りしないと決めたばかりの魔剣が思わずたずねたのは、言葉に前向きなようでいて、どこか危うい空虚な響きも伴っていたからだ。


「簡単だ。俺が役に立つと、有用だと証明すればいい」


(あの娘はもういいの? こだわっていたようだけど)


「まさか。あの神とやらが、オドリオソラを探しているらしいしな。まだ救ったとはいえない。貰ったもんを返せていない。それに、もうそれしか残ってないんだから、とりあえずは達成を目指すさ。居場所を作るのは、その為に必要なことだ」


(全員皆殺しにして、ここから出るという選択肢もあると思うけど)


「それは……」


(あの娘たちを殺せない?)


「ここの連中もオドリオソラを捜している。俺がやるよりも効率が良いだろう。なら、実際にオドリオソラの情報が掴めた時に、俺もその情報を手に入れられる立ち位置にいたい」


(ふぅん。その後はどうするの?)


「さあな。またそん時考えるよ」



──そうだ。


余計なことは考えるな、シノ・グウェン。



 自らに言い聞かせながら、傷を回復させるべく、シノは目を閉じた。


 寝心地は最悪だったが、目的を得たことに安心し、あっという間にまどろみ始める。






「どうして、彼をそのままにしたのですか?」


 足取りの軽い主人の隣を歩きながら、メルヴィナは疑問をぶつける。



 ユリアーネは慈悲深いが、敵対した者に対しては一切の容赦がない。


 現状は、いってみれば王国の危機である。


 大英雄を失い、神が一柱隠れてしまった。


 その当事者かもしれないシノ・グウェンを、牢に留めておくのは腑に落ちない。


 気は進まないが、牢から引きずり出し、尋問すべきだ。



「あの男がアレイスター・クロウリーを退けたというのなら、利用する価値がある。この状況の鍵を握っているかもしれないのは確かだが、同時に打開する糸口になるのもヤツだ。見たところ、シェイラ・オドリオソラに随分と執着しているようだ。制御することは可能だと思う」


 そう言いながら、ユリアーネは唇を尖らせる。


 彼女にしては珍しいその仕草を、メルヴィナはつい最近、どこかで見た気がした。


「まさか、オリア様に?」


 メルヴィナが目を見開く。


「戦闘力は、我が国最高の魔術師を上回り、しかも魔力(マナ)を有していない。かの国へ送り込むには、これ以上ない人材だ。うまく使えば、オリアはもちろん、この国にとっても強固な盾になる」


 早口でまくしたてるユリアーネは、いつになく饒舌だった。


「……楽しそうですね」


「私がか?」


 ユリアーネが自分の頰に指を這わせる。


「はい。笑っておいでです」


「ふむ。こんな状況だが、あの男を見ているとな、何くれとなく胸が踊るのだ」



「しかし、『盾』ですか。少し妬けますな」


 ユリアーネの後ろを歩く巨漢が、不意に口を開いた。


 その言葉にメルヴィナは目を丸くし、ユリアーネの可笑しそうな瞳は輝きを増した。


 メルヴィナの驚きようは、先ほどの比ではない。



 コーマック・ウォールズ。


 この寡黙な男は、メルヴィナの兄にしてユリアーネ直属の部隊、ナツィオを束ねる歴戦の兵。


 戦時に背に負う二帖の巨大な盾は、堅固な城門を連想させ、戦場においては『城塞』の異名で通っている。


 特に魔術は防衛に特化し、これまでの戦において一つの城も攻め落としたことはないが、守る拠点を攻め落とされたこともまた、一度もない。



「お前は直接戦ったのだったな。私の『盾』が嫉妬するほどなのか?」


「多勢で囲い、彼は大きな傷を負っていたにも関わらず、恥ずかしながらこの背には悪寒が走っておりました。犠牲者を出すことなく捕らえられたのは、我が妹を見て心を乱したからに過ぎません」


 そう言って、コーマックは何か問いたげに、メルヴィナを見る。


「あの男と会ったことはありません」


 しかし、メルヴィナは明確に否定する。



 喪失者(ルーザー)など、一度会ったら忘れるはずがない。



「いずれにせよ、神が消えたことは事実だ。教導国が黙っているわけがない。強いぞ。皆が神を信奉している。信じるものを喪った我々には、簡単ではない相手だ」


「ご安心を。この国には一歩たりとも踏み入れさせません」


 コーマックに気負いはない。


 いざ、戦になればその言葉通りの成果を残すのだろう。


 ユリアーネが満足げに笑う。


「頼もしいな。だが、守ってばかりでは勝てないのが戦というものだ。全てを手に入れたいのなら、攻めなければ」



シノ・グウェンは、この国の助けになるのだろうか。



 いってみれば、ただの直感だった。


 だが、その直感こそがこれまで自分を生き残らせてきた。



我ながら、どうかしているな。


会ったばかりの、それも国家反逆の容疑者に期待をかけるなど。






 シノの微睡みは長くは続かなかった。



「あなた、大英雄と大貴族をまとめて殺したんですってね?」


 薄暗く重苦しい湿気に満ちた空間に響き渡った、甲高い少女の声がシノを覚醒させた。



 物騒な内容とは反して、声は浮き上がるような調子だった。



 あまり夢見が良くなかったのか、ひどく汗をかいていた。


 少しの感謝の念を抱きながら、声の主へと顔を向ける。



 薄い蒼色の髪の小柄な少女だった。


 入ってきたことにも全く気がつかなかった。


 いくらか年下に見えるが、その顔にはさっきまでここにいた王女の面影がある。


 以前、転移のスクロールに失敗して、放り出された部屋にいた顔だ。


 あの時はたおやかな淑女然とした様子だったが、今は唇を歪め、幼いながらも端正な顔には、ひび割れた笑みが張り付いている。



「あぁ、王女さんの妹か」


「あら、知ってたのね。どこかで会ったのかしら。あなた平民じゃなかったの?」



 一転して、少女から笑みが消え、穏やかな表情になる。


 以前会った時の表情だ。


 反転する表情に少し不気味さを感じた。



「では、改めて。王家の末端ではありますが、オリア・ローゼンヴェルクと申します」


「王家の端くれが何の用だ? 俺は疲れてる」


「端くっ……いえ、何でもありません。あなた、大英雄と大貴族を殺したんでしょう?」


 オリアは、三日月のように唇を吊り上げながら歪んだ笑みを浮かべている。


 シノには、オリアの言葉の意図が分からなかった。


 どう答えたものかとシノが考えあぐねていると、待ちきれない様子でオリアは言葉を重ねる。


「ねぇ、どんな気分だった?」


「は?」


「大英雄は『大災厄』から世界を救い、オドリオソラ侯爵といえば、この国を裏側から支えてきた重鎮。あなた平民なんですってね。普通なら意識すらもしない存在。そんな存在に手を下す瞬間って、一体どんな気分なの?」


「どうしてそんなことを知りたがる?」


「私にも殺したい人間がいるの。絶対に届かない雲の上の存在。参考までに聞いておきたいだけ」


「そんなこと喋っていいのか?」


「誰もあなたの言葉なんか信じないわ。わたしはね、気弱で無力な王女で通っているの。そもそも誰も気にしてなんかないし。みんなわたしのことを『殿下の妹』と呼ぶわ」


「そうか。ま、殺すのなら頑張ってくれ」


「……止めないの?」


「止めて欲しいのか?」


 シノが浮かべる笑みもまた、歪なものだった。


「失せろ、端くれ。ガキの不満なんぞ聞いてやる義理はない。俺は今、それどころじゃない」


「……!」


 怒りでオリアが顔を紅潮させる。


「他人を殺すなんてことはな、まず自分を殺さないとできないことだ。それすらできないのなら、口にしない方がいい」


 何も言わずオリアは踵を返した。

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