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2-1 遠謀Ⅰ

「あ……?」


 目を覚ましたのは、痛みからだった。


 真っ先に目に入ったのは、粗雑だが頑丈そうな天井。


 周囲も同じような壁で囲まれ、唯一開放されたシノの前方には格子が嵌められている。


 すえた臭いが充満し、空気は重たく湿っている。


 隙間から僅かに光が入り、外が日中であることを告げていた。




 硬い床の上で転がされていた身体は、すっかり硬直してしまっている。


 シノが頭を振りながら、凝り固まった筋肉を解すために右腕を伸ばすと、不快な金属音とともに後ろに引き戻され、後頭部をぶつける羽目になった。


「なんだ……?」


 右の手首には頑丈そうな金属の環がはめられていた。


 環からは太い鎖が伸び、さらに太い柱へとくくりつけられている。


 両足にも同様に枷がかけられていた。


 つまるところ、牢の中だった。



(おはよう。よく眠れた?)


 すっかり聞き慣れた声が頭にこだますると同時に、シノは自分の置かれた状況を思い出した。


 少女のようにも、成熟した女性のようにも聞こえる声色からは、年齢を推測することは難しい。


 首だけを動かして目を凝らし、薄暗い牢の中を探すと、隅に古びた剣が立てかけられていた。



「よく眠れたよ。こんなに寝心地がいいんだからな」


 もちろん、気分は最悪だった。



(そう。それは良かったわ)


 魔剣は皮肉に取り合わず、それだけを言った。


「あの後、どうなったんだ?」


(取り押さえられた後、あなたは気を失った。布を被せられて、城まで運ばれたわ。人目につかないようにしているみたいだった)


「ここは王城なのか?」


(そうね)


「そうか……。それにしても、王女さんはどういうつもりなんだ? あの金髪女も、思いっきりやりやがって……。あぁ、まだ痛ぇ……」


 上を見上げ、シノが顔をゆがめた。


 少し身体を動かしただけで、全身に痛みが走る。


 手足を拘束されているため、傷の具合を確かめることもできない。



(ねぇ、思うんだけど……)


 魔剣が言いにくそうに切り出した。


 言い淀んでいるのが気配で分かった。


「なんだよ、なんかあるのか?」


(あなたの支払った対価って、もしかして記憶だったんじゃないかって……)


「記憶? 別に、忘れてることはないと思うけど……」



 確かに以前の記憶はなかったが、それは魔剣を抜く前のはずだ。



(違うわよ。あなたのじゃなくて、周りの人間の……とか。私の対価は担い手の『死』よ。例外はないわ。あなたにとっての『死』が、存在を忘れ去られることなら、確かに対価は支払われている)


「だとしたら最悪だな」


 シノは天井を見上げ、深いため息と共に言葉をこぼす。


 こっちのことなどまるで知らない、というようなメルヴィナの態度にも説明がつく。


 関わりのあった人間から忘れ去られたかもしれない、という事実は深い絶望を運んでくる気がするが、それよりも憂慮すべきことがある。



 あの状況、たった一人の生存者。


 自分がどういう立ち位置なのか、考えるまでもない。



「ほんとに最悪、だな……」



 沈み込むシノの横で、魔剣はそれ以上を言及しなかった。



 『死』が、世界から忘却されることだと定義されているのであれば、対価を支払ったソレは、人間ではないということなのだから。


 そもそも、生物ですらないのかもしれない。


 魔剣にとってはどうでもいい可能性だ。


 所詮は武器、求められる所でその力を振るえばそれでよい。


 己が握っているのが人間であるか否かなど、瑣末な事だった。


 気づかないのなら、そのままで良いと思ったのは、絶対にこの男に対する温情などではない。


 魔剣はそう自分に言い聞かせた。


 武器が自分の意思で担い手に影響を与えるなど、あってはならない。



「ようやく起きましたか。今日まだ寝ていたら、叩き起こしていたところです。少し聞きたいのですが、あなた正気ですか?」


 多分に侮蔑が含まれてはいたが、涼やかな声。


 メルヴィナ・ウォールズだった。


 牢の格子から、かなり離れたところに立っている。


 長期間にわたって牢に入っている囚人が精神に異常をきたすのは、ままあることだった。



「別に独り言喋ってたわけじゃねぇよ」


「……! まだ仲間がいるのですか」


 メルヴィナが警戒を強め、牢の中をつぶさに観察する。


「何言ってんだ、お前」


「誰と話していたのですか?」


「それだ」


「それ……?」


 シノの指差す先には、古びた一振りの剣。



 何度持ち出しても、いつの間にかシノの側に戻ってしまう、おそらくは魔剣の類。


 何の魔力(マナ)も帯びていない。


 しまいには、牢番も諦めてしまい、そのままにしてあるものだ。



「はぁ……、そうなんですか」


 侮蔑から、少しの哀れみへ。


「お前、疑ってんじゃねぇよ。ほら、おい、なんか話せよ」


(……)


 魔剣からはなんの反応も返ってこない。


 当然ながら、変哲もないただの古い剣に語りかける様は、まさに狂人のそれだった。


 心なしか、メルヴィナがさっきよりも離れていた。



「違うんだって! さっきまで喋ってたんだって! こいつめ、なんか言えよ!」


 物言わぬ剣に手を伸ばそうとしたが、鎖がそれを阻んだ。


「まぁ、いいです。必要な情報を話していただければ」


「情報?」


 メルヴィナが軽く息を吸い込む。


「おそらくはあなたも知っての通り、オドリオソラ家を我が国の大英雄、アレイスター・クロウリーが乗っ取り、『魔人』などというものを造っていました。悪魔と魔術師を混じらせることで能力を引き上げ、軍に転用しようとしていました。『目玉狩り』が魔術師を襲い、眼球を奪ったのは、悪魔への供物とする為ではないかと」



──それは覚えているのか。



「へぇ。それで?」


「彼には協力者がいました。王城の魔術師を圧倒するほどの戦闘力を有し、また、その際に魔術を使用した痕跡もない。……あなたは喪失者(ルーザー)ですね」


「……」


「それに、あなたはナツィオの魔術師を一人、人質に取った。鮮やかな手並みだったと聞いています」



──なるほど。



 最悪の想像は当たっていた。



「俺が『目玉狩り』だと?」


「そうは言っていません。ですが、その可能性は限りなく高いと言わざるを得ません」


 メルヴィナがじっとシノを見つめる。



 魔術師は嘘をつけないが、言葉を巧みに操る人種だ。


 嘘を交えずに、真実を隠し通すくらいは容易にやってのける。


 大抵の嘘をつく人間というのは、必ず不自然な挙動をするものだ。


 魔術師であっても、それは変わらない。


 呼吸の早さ、目の動き、表情の変化、些細な綻びにメルヴィナは、細心の注意を払う。



「俺は『目玉狩り』じゃない」


 シノが、メルヴィナの目を真っ直ぐに見返す。


「……そうですか。では、あなたはどうしてあの場にいたのでしょうか?」


「アレイスター・クロウリーと戦っていたからだ。むしろ俺に感謝しろよ。お前らが突入してくるまでの時間を稼いだんだからな」


「魔力障壁が消滅し、私たちが中に入った時、彼はもうあの場にいませんでした。まさか、敗走させたとでもいうのですか?」


「そうだ」


 メルヴィナは、今度は嘘を探そうともしなかった。


 そんな必要もなかった。


「あなたに妄想癖がある事はよく分かりました。ですが、あなたの妄言に付き合っている時間はありません」


 メルヴィナの語気が鋭くなる。


 呼応するように、バチバチと空気が爆ぜた。



「いや、確かに魔術戦闘の痕跡が認められた」


 艶を多分に含んだ、女性にしては少し低い声。


 中に入ってきたのは、巨漢を後ろに従え、み空色の髪を揺らしたユリアーネ・ローゼンベルクその人だった。


 メルヴィナと同じように、まなざしの中に親しみを見つけることはできない。


 続いて、身を屈めながら牢の入り口をくぐった巨漢もユリアーネの背後に控える。



 盾を背負ってはいないが、オドリオソラの城に踏み込んできた魔術師だ。



「リアン様!」


 メルヴィナが居住まいを正す。


 そんなメルヴィナに、ユリアーネは片手を上げて労うと、言葉を続ける。


「クロウリー自身の魔力(マナ)の残滓が確認された。濃度からして、かなり大規模な戦闘が繰り広げられたそうだ。もっとも、あの方ならば小競り合いで天災が起きるであろうが……。重要なのは、私たちを除き、その場にいた魔術師は二人だということだ。そして、一人は魔剣を発動させたようだ」


「ならやはり──」


 メルヴィナが格子の向こうのシノを睨む。


 しかし、ユリアーネは首を横に振る。


「私は()()()()二人と言ったのだ。メルヴィ、その男は魔術師ではなく、手にした剣も魔力(マナ)を帯びてはいない」


「では、もう一人いたということですか?」


「少なくともな。それに、残された魔力(マナ)から、使われた魔剣を割り出し、所有者を辿ることはできる」


「誰なのですか?」


「ツィスカ・ザカリアス。最年少で城に入ったシュミートの学生だ。現在、父親と共に行方不明になっている」



 メルヴィナは、その名には聞き覚えがあった。


 むしろ城に勤めていれば、知らない方が不自然な名だ。



「やはり、敵は内に……」


 メルヴィナが唇を噛んだ。



 驚くことではない。


 なにしろ、王国の根幹を担った大英雄が、反旗を翻したのだ。


 納得できる部分もある。


 いかに『目玉狩り』が強敵であったとしても、王城の魔術師とて、一人一人が腕利きの兵だ。


 そうやすやすと、襲っていい相手ではない。


 だが、『目玉狩り』に狩り残しは一人もいなかった。


 狙った獲物すべてを一方的に蹂躙し、目的を達している。


 相手が身内、しかも将来を嘱望される幼いといってもいい駆け出しの魔術師が相手ならば、それも当然というべきか。


 まさか、そんな人間が『目玉狩り』だとは誰も思うまい。


 それに、軍ではあまり話題に上らないが、彼女は入学直後、学内決闘(メンズーア)にて相手を殺している。


 そうなると、牢の中の男は『目玉狩り』ではなくなる。




「では、この男は? 大した情報を持っているか分からなくなりましたね」


 内心、メルヴィナはほっとしていた。


 必要な情報を得る為とはいえ、目の前の人間が拷問を受けるのは気分が良くない。



「そうだ、そうだ、早く解放しろ」


「黙りなさい」


 主への無礼な物言いに、メルヴィナがシノに言葉を叩きつける。



 ユリアーネは再び、首を横に振る。


「そうとも言えん。問題なのは、魔剣が一振りあったところで、大英雄に抗するなど到底不可能だという点だ。だが、残された魔力(マナ)は二種類だけ。魔術師が戦ったのならば、魔力(マナ)が残らないとは考えにくい。なら、他に誰が我が国の大英雄と戦ったのだ?」



 魔術を使わずに、魔術師と戦う?


 それも大英雄を相手にして?


 どんな夢想家な物書きだって、そんな物語は書かないだろう。



「何か隠していますね……。吐かせますか?」


 メルヴィナから、温度が消える。


「いや、心当たりがないこともないが……」



 言いつつも、確信を持てないようだ。


 曖昧な言い方は、どうにもユリアーネらしくない。



「どうかなさいましたか?」


「何か引っかかる。それをどこで聞いたのか……」


 必死に記憶を手繰るが、思い出せない。



「仕方ありません。ずっと働きづめでしたからな。この後、少しお休みになられては?」


 中に入ってから一言も発しなかった巨漢が口を開いた。


「あぁ、そうしよう」


「なぁ、王女さん」


 牢を出る素振りを見せたユリアーネを、シノが呼び止める。


 どうしても確かめずにはいられなかった。


「どうした?」


「シェイラ・オドリオソラはどうしてる?」


「知っているのか?」


 その名前にユリアーネは興味を示した。

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