1-33 愚者の結末Ⅲ
「何の……つもりだ……!」
断末魔の声をあげたのは、シノではなかった。
クロウリーの腰から上がずれ、滑るように上半身が地へと落ちた。
断面からは、血が一滴も流れ出ていない。
「おやおや! 我が娘よ、いったいどうしたんだい?」
「……消えてほしくない」
「んん? んうぅ? 彼にかい?」
「うん」
こくん、とツィスカが頷いた。
ヴォルフラムが目を見開き、顔が紅潮していく。
「これは……、執着か!? 見つかった! 見つかったぞッ! この世界に留める鎖を! こんな所にあったとは! 神よ、感謝します!」
ヴォルフラムは手を叩いて、狂喜する。
「ザカリアス、早く人形にシノ・グウェンを殺させろ!」
ずるずると地を這い、なりふり構わずに、クロウリーが叫んだ。
「ふぅむ……」
ヴォルフラムは顎に手をあて、あまり興味が無さそうにクロウリーを見下ろした。
「何をしている! 早く──」
「よく考えてみたらボク、魔術師じゃなかったナァ。じゃあ、別に約束なんて守らなくてもいいよネェ?」
「貴様──」
「それに、ツィスカは“人形”ではない。娘だ」
一転して、恐ろしく冷たい声を発しながら、虫のように這いつくばっているクロウリーの頭を踏みつけた。
「道具に使われる愚か者が……」
「僕は、僕だけの為にこの世界に存在し、この生を謳歌している。他の誰の為でもない。アレイスター、他人から奪い取った目的を盾に、国一つを生贄にしようなんて、少し傲慢が過ぎるんじゃないかい?」
「そのような命題、とうの昔に問い殺している」
「そうだね。たぶん、大英雄としては君が正しいんだろうけどね。でも、僕にはどうでもいいんだ。君にとって、この世界の存続が何よりも大切であるように、今の僕にとってはツィスカが全てさ」
「『大災厄』が再び訪れた時はどうする。今度は誰が、我らの役目を負う?」
「それは、僕達が考えることではなくなったんだよ、アレイスター。もう楽になれ」
道化師じみた口調も忘れて、ヴォルフラムがクロウリーを見下ろす。
頭に乗せている足に力が入り、軋むような音をたて始めた。
「放っておけるものか! 私は諦めない、諦めるわけにはいかないのだ……!」
言葉を放り出したまま、ぐしゃり、と頭が踏みつぶされた。
それは、アレイスター・クロウリーの死を意味する。
だが、ヴォルフラムの足の下には、何もなかった。
「もう、人間の部分なんて残ってなかったんだね」
哀れむような、呆れるような、そんな顔をして、ヴォルフラムが目を閉じる。
「さて、ゆっくり別れを惜しむこともできないのかい? まったく、無粋な連中だナ」
目を開けた時には、胡散臭い、大げさな笑みが張り付いていた。
城内を踏み荒らす足音が響いてくる。
同時に、高揚した人間の声も。
「いくよ、ツィスカ。きっと王城の連中だ。ボクたちがここにいるのを見られるとマズイ」
「でも……」
ツィスカがシノを見つめる。
「彼なら大丈夫サ。言ってみれば、国の窮地を救った英雄ダヨ? 心配ない」
むしろ危ないのは自分たちだと、ヴォルフラムは暗に諭す。
「わかった」
「ザカリアス!」
シノがツィスカを呼び止める。
「なに?」
聞きたいことはたくさんあるけど、今、相応しいのはこの言葉だろう。
「ありがとう、助かった!」
「んっ!」
力強く頷いて、その姿はヴォルフラムと共に掻き消えた。
(相変わらず、よく分からない魔術ねぇ)
「まぁ、良かったな。シェイラ達は無事に城を出てたみたいだし、俺も生きてる」
(そうね……)
言葉では同意しつつも、魔剣の声色は浮かない。
「なんだよ、気になることでもあるのか?」
(あなたは一体、何を対価に支払ったんだろうって……)
「死にそうなこと以外はなんともないけどな。お前、自分の対価が何なのか分からないのか?」
切り離した痛覚が、もう動くなと全力で警告してきている。
(分かってるわよ、馬鹿にしないで。だから腑に落ちないんじゃないの)
「使ったら死ぬってヤツか?」
(えぇ、そうよ。そして、私は確かに対価は受け取っている)
「そうか……。まぁ、なるようになるだろ。とりあえず生きてるんだから、今はそれでいい。後は、あの神とかいうのを何とかしないとな。原型のオドリオソラを求める、とクロウリーが言ってたし……」
シノの言葉が終わると同時に、紅いローブの魔術師たちが最奥の部屋へと踏み込んできた。
皆、一様に殺気立ち、憤怒に満ちた目は、この場の唯一の生存者であるシノへと注がれている。
「こいつですか?」
一人の魔術師が、上官らしき男に問うた。
問われた男は腕を組み、考え込むそぶりを見せる。
同じ意匠が施された大きな一対の盾を背に負った巨漢だ。
本来、積極的な防御に使われる防具が二帖合わせられているのは、まるで巨大な扉を背負っているかのよう。
上官に掛ける言葉としてはやや無礼な口調であったが、盾の男は気にした風もない。
ゆっくりと注意深く中を見回し、無造作に転がる香炉に目を留めた。
「……関係者であるのは確かなようだな。何かを召喚しようとしたのか、あるいは既に召喚し終えたのか……」
「ではこいつが……こいつが仲間をっ!」
血走った眼でシノを睨み、すぐにでも殺しかねない勢いで歯をむき出す。
「お、おい、ちょっと待て、お前ら勘違いしてるぞ」
「黙れ!」
返答は、硬く束ねられた大気の拳だった。
「がはッ……」
腹をしたたかに打ち据えられ、息が詰まり、臓腑から血がせりあがってくる。
「立て、反逆者。仲間の受けた痛みと屈辱は、こんなものではないぞ!」
「洒落にならねぇぞ……」
無論、多数の手練れの魔術師と戦えるはずもない。
いまだ力の入らない身体を引きずりながら、床を這って逃げ出した。
「逃すかッ!」
「待て、殺すな!」
従わず、魔術師はシノに追いすがる。
剣を抜き、シノの背に突き立てようとしたが、その切っ先は届かなかった。
床の上で上体を捻って剣先を外し、力を振り絞って魔術師の頭を掴み、意識を奪う。
そのまま力の抜けた魔術師の身体を盾にし、じりじりと後ずさる。
「ほぅ、魔力を感じないが、やるようだな。オドリオソラの手の者か?」
双盾を背負った男が、感心したように軽く息を漏らした。
「違う。でも抵抗はさせてもらう。死にたくねぇもん。さぁ、コイツを殺されたくなければ、道をあけろ。王女さんに話せば、俺が無実だとわかるはずだ」
「そうだな。殿下は、お前の話をお聞きにならねばならないようだ。ただ、それはお前を拘束し、牢に放り込んでからだ」
男が両腕を後ろに回し、盾を握る。
「いいのか?」
シノが、捕らえた魔術師の喉元に手を掛ける。
「その男を殺している間に、お前を捕らえることにしよう。アイン・スソーラを転覆させようとした容疑者の捕縛に協力できるのだ。彼にとっても本望のはずだ」
盾の男は眉ひとつ動かさない。
「軍人ってのは、生き汚くなくてやりにくいな」
掴んだ魔術師を突き飛ばし、踵を返して、一目散に扉へと走る。
男は飛んできた身体を盾で払い、全身に魔力を走らせる。
魔術により、一回り太くなった両腕に二帖の盾を前に構え、一歩踏み込もうとしたが、すぐに盾を下ろした。
「止まりなさい」
最奥の部屋から転がり出たシノの足を止めたのは、鈴を振るように美しい声だった。
見事な金髪を揺らして、厳しい顔つきのメルヴィナが槍を握りしめていた。
魔術師の一隊を引き連れている。
彼らの肩は激しく上下し、随分と城内を走り回っていたのが分かった。
「金髪女! 良かった、ちゃんと逃げられたんだな! オドリオソラは無事か?」
その名を聞くと、メルヴィナの殺気はいっそう峻烈なものとなる。
喜びや親しみといったものは微塵も感じ取れない。
「オドリオソラ……! <水と風のマナをここへ! 二を一にして、此れを雷と為さん>」
耳に心地よい声が紡いだのは、まぎれもなく攻撃魔術。
その魔術を、シノは覚えている。
メルヴィナと初めて会った時、その魔術で殺されかけたのだから。
だが、あの時とはシノとメルヴィナの関係は大きく変わっている。
何か事情があるのか。
王女さんの命令か、あるいは誰かを欺くための演技なのか。
目の前のメルヴィナが、自分を攻撃しようとしている状況についての憶測が渦巻いている間に、白色の雷が放たれる。
「おい、冗談だろ? 俺は──」
甘い考えは、雷に打たれた瞬間に吹き飛んだ。
自分が叫び声がどこか遠くに聞こえる。
視界が明滅し、頬に感じる鈍い痛みが、自分が倒れ込んだことを教えてくれる。
手足はもう動かない。
ただ、ひどく寒かった。
「ウォールズ准将が仕留めたぞ! 取り押さえろッ!」」
「何だってんだ……」
待機していた魔術師たちが群がり、耐えがたい重みを感じながら、シノは意識を手放した。
1章終了です。次回は、少し間が空くと思います。




