1-32 愚者の結末Ⅱ
「お前は……本当に人間か? 『死』すらも、お前を殺すことは出来ないというのか……!」
『死』に身を晒し、それでも地をしっかりと踏みしめて立つシノに、クロウリーは畏敬の念に震えた。
それは、彼が乗り越えられずにいるものだ。
「俺はお前みたいに、世界を救うことも出来なければ、その想いを背負うことも出来ない。そんな能力もない。荷が重すぎる。……でも、恩人見捨てたら、それはただの人でなしだろうがっ! 俺がこの場に立ってるのはな、シェイラ・オドリオソラの身が危険に晒されているという、この一点に尽きるんだよ」
「お前は既に人ではない。禁忌に身を染めた、魔人の類だ」
「それで喪わずに済むのなら、構わない。いてほしい人間が、これからも存在し続けてくれるなら、いくらでもくれてやる!」
「どこまでも……どこまでも同じ言葉を! お前達は、また私の邪魔をするのかッ!」
感情のままに発現した魔術は、大気を刃と化してシノを襲ったが、剣の一振りで形を無くした。
「ここまでだ」
紅い双眸が、クロウリーを睨み据える。
「……!」
命を光源にしながら紅く揺らめくその眼に、クロウリーは『死』を見た。
魔人となった身体にさえ、死の恐怖を刻みつけるほどの力。
本当に恐ろしいのは『死』そのものではなく、それを受け入れる決意を固めた者だった。
終われない。
こんな所で、また失敗するわけにはいかない。
何よりシノ・グウェンに屈服することだけは、絶対にしてはならない。
自分に世界を救うなどという枷をはめた女の幻影に、敗れるなどあってはならん!
魔剣を携え、シノは地を蹴っている。
最短距離で着実に迫る『死』に対し、クロウリーが取れる手段は多くない。
眼前に水の盾を展開し、炎の鞭と風の刃をシノへと放つ。
三つの魔術を同時に行使し、いずれも回避の可能性を摘み取った魔術の絶技だった。
──身を守る必要はない。
炎がシノの全身を灼き、不可視の刃が背を深く切り裂いた。
精気の流れを操作し、痛みを感覚から切り離す。
全ては一瞬でも早く、クロウリーに魔剣を突き立てるため。
ただ前へと突き出された魔剣は、水の盾を容易く貫き、クロウリーの身体に吸い込まれる。
「喰え!」
シノの命令通りに魔剣は魔力を食い荒らす。
「貴様あぁ……」
消えゆく魔力を必死にかき集め、シノへと手を伸ばした。
だが、魔術が発動されることはなかった。
ひりつくような殺意は引いている。
クロウリーはもうただの人間で、ただの大英雄で、元魔術師だ。
「生きてる……のか?」
腕一本動かすのさえ苦労する有様だったが、確かに生きていた。
(そうね。私の全力を引き出して、話しかけてきた担い手は初めてだわ)
「……合点がいった。意志でもって外側の現実を侵略するは魔術師の業だが、お前達は、意志によって内側を変革するのか。魔術師にとっては、まさに死神だったわけだ。なぜ、二度も私が敗れたのか、ようやく分かった」
「これであんたは、魔術師として死んだ」
「そうだな。今回も、お前達の勝ちだ。あとどれほど用意しているのか知らないが、次に会った時は気を付けよう」
「次があると思っているのか?」
「あるとも。私が在る限り、次はあり続ける。お前はもう使い物にならないだろう。武器というモノは、目的がなければ戦えん。だが、役目は十分に果たしたといえよう。私を敗北させたのだから」
敗北を認めるクロウリーに絶望、落胆といったものは全く見受けられない。
宿す執念は、より強くなったようにさえ感じられる。
剣が紅い灯を落とし、鞘へと戻る。
「あんた一人始末するくらいはできる」
精気は尽き、意識を保つだけで精いっぱいだった。
「私一人ならな」
「やぁやぁ! イイものを見せてもらったヨ!」
調子の外れた底抜けに明るい声が響き渡った。
大げさな笑みを浮かべた肥満体の男がそこにいた。
傍には大剣を背負った、紅い髪の小柄な少女。
「ザカリアス……」
学内決闘で相対した時の痛みを思い出す。
「おンや? ボクを知っているのかナ? おかしいナ〜、もし見たら、絶対に忘れないと思うんだけどナ〜」
シノを眺め回しながら、男が首を捻る。
クロウリーが顔をしかめた。
「仕事だ、ヴォルフラム・ザカリアス。ふざけるのは後にしろ」
「あぁーッ! そんなに怖い顔したって駄目だヨー? 分かってるんだから。今はボクの方が強いんだからネ!」
「こいつ、何言ってんだ」
シノが、まだ話の通じそうなツィスカへ問いかける。
「……さぁ。シノの腕、なくなっちゃった……」
心なしか落胆した様子で、ツィスカがあるべきものが無くなったシノの左肩を指さす。
「いいんだ」
無表情にツィスカは首を傾げた。
「辛くは、ない?」
「そうだな」
「ふぅん」
今度は、分からない、というように表情を曇らせた。
「分かった、分かりましたヨ! これでも魔術師だからネ、契約は守るサ。ツィスカ、彼を処分して」
ヴォルフラムは芝居掛かった様子で肩をすくめ、ツィスカへ命令を下した。
「……殺す、の?」
「んぅ? 気に入ったのかい? なら、死体を持って帰ろうヨ! 後で蘇生できるかも──」
「駄目だ。その男は完全に抹消しなければならない」
「だってさ。仕方ないネ。その代わり、分かっているよネ?」
「オドリオソラの秘術の全てを詳らかにすると約束しよう」
「よし、ツィスカ、やっちゃってヨ!」
好奇心に目を輝かせながら、ツィスカをけしかける。
「……」
ツィスカが無言で背負った大剣を外し、片手でそれを担いだ。
魔剣だということは、すぐに分かった。
長大で、武骨に過ぎるその武器は、小柄な少女が握るには恐ろしく不似合いだ。
「クソ……! よりによってお前かよ……!」
せめて武器は構えようと、魔剣に手を掛けるが、肉体はとうに限界だった。
近づいてくるツィスカから、逃げることもできない。
ここが、死に場所か……。
でも、いい死に様なんだろうか……?
「なに?」
(驚いた)
はっきりと感情のこめられた、不機嫌そうなツィスカの声と、魔剣の驚嘆とが重なった。
シノを背に、シェイラのカタチをした神がツィスカの行く手を遮っていた。
「馬鹿な!」
まだ意志を持たないはずの神が、自発的な行動をとったという異常性に気づいたのは、クロウリーだけだ。
「……分かってる」
ツィスカと神は意思の疎通ができるのか、不機嫌そうにツィスカが頷いた。
「準備して」
ツィスカの言葉と共に、大剣は剣身に風が渦巻き、唸りを上げる。
叫び声のような風鳴りが響く中、ツィスカが暴風を束ねる巨大な剣を天に掲げた。
そのまま振り下ろせば、神を両断するだろう。
中身はなくとも、シェイラ・オドリオソラの姿をしたモノが、目の前で切り裂かれるのを見たくはない。
ここを生き延びるなど望むべくもないが、大人しく見ていてやる義理もない。
アレを凌げば、一撃を入れるくらいはできるかもしれない。
「変成せよ──」
シノが自らを魔術に溶かし込むべく、精気を身体に通そうとしたが、ツィスカの魔剣の準備が整う方が圧倒的に早い。
──間に合わないか。
振り下ろされる魔剣が、やけにゆっくり見えた。




