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1-30 願いⅢ

「別れの挨拶が終わるまで待ってくれるなんて、意外とあんたも律儀なんだな」


「下らん! 下らん、下らん下らん! 全くもって意味が分からん! なぜお前は私の前に立つ? あの娘に懸想でもしているのか?」


「貰ったもんを返しただけだ。使い物にならない左手一本で返せたのなら、悪くない取引だろ?」


「理由を聞いているのだ。人として欠けてはならぬものをも代償に、なぜそこまで献身出来る?」


「シェイラ・オドリオソラは、俺の存在証明だからだ」



 それは自分勝手な理由だった。


 自分を助ける為に、人間が一人、それも友人が犠牲になったと知れば、シェイラ・オドリオソラは深く傷つくだろう。


 もしかしたら、生涯にわたって消えない傷痕が残るかもしれない。


 心のどこかで、そうなることを望んでいるのかもしれない。


 それでも、存在証明という言葉で取り繕ってまで、彼女に生きていて欲しいと思ったのは、浅ましく、おこがましく、そして絶対に叶えなければならない願いだった。



──これじゃあ、アロイスと同じだな。



「お前たちは……お前たちは、同じ言葉を吐くのだな。あの時も、私には理解が出来なかった……」


 どこか遠い目でクロウリーは、そう呟いた。


 その様子が妙に人間臭く、シノは思わず尋ねていた。


「じゃあ、あんたどうして世界を救おうとするんだ? 大英雄から、ただの反逆者に身を落としてまで」


「それが、私の使命だからだ」


「似たようなもんじゃねぇか。俺に言わせりゃ、そっちの方が気持ち悪いぜ」


「……なるほど、同類か。ならば、私とお前が相争うのは必然であった。もし、お前が私の下へ生まれ落ちていれば、得難い理解者となったかもしれんな」


「何言ってるのか分からねぇな。仮定の話に何の意味が?」



 シノが、全身に精気(オド)を通し、言外に宣戦布告をする。


「そうか。そうだな。そんなものには、何の意味もない。では、始めようか。──魔術師、アレイスター・クロウリー」



 杖を掲げ、ただの魔術師としての名乗り。


 共存し得ない互いの目的の為に戦う、これは紛れもなく決闘だった。



「シノ・グウェン」


 望むものを得る為に全てを懸けて、シノは自分のものかも確かではない名を口にする。


 時間を稼ごうなどという小賢しい打算は微塵もない。



 先に動いたのは、シノだった。


 間接的な攻撃手段を持たない方が、先手の優位を得ようとするのは当然だ。


 一息にクロウリーの目前へと迫り、脳を揺らすべく、拳が下顎を狙う。


 視認すらも困難な速度を伴った打撃は、突き出された老人の右手一つで防がれた。



 やせ細った老人の膂力は如何程(いかほど)のものか。


 拳はクロウリーの手に接触すらしていない。


 その身に届く直前で、阻まれたのだ。


 クロウリーの唇が動く。


「炎よ──」


(離れなさい!)


 魔剣の忠告を聞くまでもなく、シノは全力でもって、後方へと跳んだ。


「──在れ」


 火柱が、回避行動に移ったシノを舐めるように吹き上がる。


 炎はすぐに方向を変え、捉え損ねた獲物を呑み込まんとその巨体を横たえるが、既にシノの手には魔剣が握られている。


 切っ先に触れた瞬間、理不尽に炎を消し去った。



「なんだ、今のは? 空気でも固めたのか?」


 剣を鞘に納め、目に光を戻す。



(恐らく、『風』の魔術で密度を操作したのではないかしら。 圧縮した大気を使って、後に発動させた炎も増幅させる。二属性同時行使の成せる技ね)


 どれほどの魔力(マナ)が流されれば実体のない空気に、精気(オド)を帯び、強化された拳を防ぐほどの硬度を持たせることが出来るのか、想像もつかない。



「戦い慣れてるな。流石、大英雄様ってわけだ。でも、これではっきりした。魔術属性は、『風』と『炎』だ」


(どうするの?)


「炎には水を、だろ? シュミートで習った」


 シノの右腕が、濃紺の精気(オド)を纏う。


 濃密な水の精気(オド)を帯びた打撃。



「水よ、在れ」


 手の内を晒した上、仕留め切れなかった代償を支払わせるはずの拳は、直前に構築された水の盾を打ち破る。


「おい、嘘だろ──」


涓滴(けんてき)、穿て!」


 同属性の精気(オド)の衝突によって、魔力(マナ)による結合を解かれた水滴は、魔術によって速度を得る。


 加速された水滴は、さながら(やじり)のようにシノへと撃ち込まれた。


 剣を抜く暇もなく血の跡を残しながら、無様に地に転がった。


「痛ってぇ……。今のは『水』か……。あんたの創った学校、嘘教えてるぞ……」


「相反属性の矛盾を言っているのなら、私には関係のない法則だ。私の魔術は神よりも速く、神にも否定させないと言っただろう。神が押し付けた法則になど、従う道理はない」



(ボロボロね)


「あぁ、ちょっとまずい。目が霞んできた」


 精気(オド)が損耗し、身体は悲鳴を上げていた。



「神というモノは、ただの装置に過ぎん。世界が破綻せぬように、予め組み込まれた自然律を守り、それが侵されないかを監視し、もし侵されれば、即座に修正する。ただそれのみを粛々と遂行する、意志を持たぬ魔力(マナ)の塊。それが、この世界での神の正体だ」


「詳しいな。会った事でもあるのか?」


「その中の一柱にはシノ・グウェン、お前も会っている。それどころか、王女とその従者も」


「は?」


「神ならそこに堕ちている」


 クロウリーはそう言って、未だ虚ろに立ったままの、シェイラの顔をした何かを指で差す。


「これが神……」


「そうだ。何かを拠り所にしなければ、自らのカタチさえ定める事が出来ない、醜悪な上位存在だ。だが、魔力源としてはこれ以上ない逸材となる。ほぼ無限だといってよい」


「つまり今のあんたは、神と対等ということか」


「対等ではない。支配し、支配される関係だ」



 訂正してもらった所で、絶望的な状況には変わりがない。


(勝てるの?)


「勝つさ、どんな手を使ってでもな」



「勝つ? 私には、勝敗などというものはもはや関係がない。戦友のよしみだ。共に世界を救おうというのなら、迎え入れる用意がある」


「へぇ。それは意外だ。あんたはそういう性格には見えなかったがな」


「唯一無二の奇跡を持つ者だけが、魔術師と呼ぶに値する。その意味で、お前は魔術師だ」


「……オドリオソラはどうなる?」


「引き剥がされたとはいえ、一度は神と混じり合ったのだ。神は、既にこの世界での在り方を定めた。存在を確定させる為に、自己の原型を求め始める」


「なら俺はあんたの敵だ。神がオドリオソラを脅かすというのなら、叩き潰すだけだ」



 際限のない魔力(マナ)を得た魔術師に対して、消耗戦は無意味だ。


 勝つためには、純然たる出力で上回るしか方法はない。


 世界は、そう都合よく出来てはいない。


 日々の研鑽、努力、幸運、然るべき手順を踏んだ者だけが、極々小さな可能性を掴み取る資格を得られる。


 それらを踏み飛ばして、奇跡を起こそうというのなら、法外な利息と対価を覚悟しなければならない。



──あぁ分かってるさ、そんな事。


だからどうした。


覚悟なら、とっくに終わっていただろう?



「足りないのなら、持ってくればいい。他力上等だ。お前、腐る程持ってるんだろう?」


 言葉は腰の魔剣に向けられたものだ。


(さっきの言葉に嘘はない?)


「俺は安易に他人の力を借りるのに、抵抗はない男だ」


(そっちじゃないわ、もっと前。あの娘を助けた時。あなた、自分の身なんてどうでもいいと、そう言った。あの言葉に、嘘はない?)


「あぁ、ない!」


(……そう、なら方法があるわ。あなたの命と引き換えにね)


「えぇ……死ぬのか?」


(なに? 嫌なの?)



──出来るわけないわ。



 腕一本喪うのとは、話が違う。


 これまでもそうだった。


 沢山の人間が自分を手に取り、振るい、戦った。


 英雄となった者、願い届かずに朽ちて死んだ者。


 裏切られ、自らの剣を奪われ、その剣で殺された者もいた。


 あの時は、持ち主を自分で殺すという背徳感に酔いしれた。


 末路は様々だったが、共通しているのは、最期は我が身が可愛いと言う事だ。


 世界が違っても、そこにいる人間はなにも変わらない。


 人の為だ、正義の為だと剣を振るってはいても、いざ死地に入れば、自らの生命を優先する。


 自分の手を借りて、散々殺しておきながら、死ぬ間際には助けてくれと懇願し、それが叶わないと知ると今度は役立たずだと、喧しく喚き散らす。


 馬鹿(例外)だったのは、たった一人。



だから、この子も。


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