1-3 邂逅Ⅱ
「あっ、こんな所にいた! もう、どこに行ってたの! 探したんだから!」
メルヴィナから逃げ、路地から通りに出ると、すぐに探し人は見つかった。
どこかで買い物をしていたらしく、手に持った大きな袋を重そうに持ち上げながら、シノの許へ駆け寄った。
「ごめん。道に迷った」
遅れたのは不可抗力ではあるが、事情を話すとより面倒な事になりそうなので、シノは素直に謝罪した。
「まぁ、何もなかったのなら良いんだけど……。何、その恰好?」
シェイラに指摘されて、己の服を見下ろした。
学校指定のローブは土埃に塗れ、袖口に至っては焦げている。
「……転んだんだ」
シノは少し考えた後、至極真面目な顔で言い切った。
「そんなわけないでしょ。どうやって転んだら、ローブが焦げるの?」
即、シェイラが否定する。
「転んだんだ」
シノも譲らない。
「はぁ……、もういいわよ。ほら、これ持ってよ」
納得していない顔のまま、シェイラは手に持った袋をシノに押し付けた。
「何だこれ? 随分と重いな」
意外だな。
オドリオソラが、自分の荷物を他人に持たせるなんて。
「実家へのお土産よ。新鮮な魚介なんて、あまり手に入るものじゃないし」
「なるほど」
普段からシェイラには世話になっている身で、荷物持ちを断れるはずもない。
「シェイラ?」
傍を通りかかった銀髪の男が、シェイラに声を掛けた。
王城の魔術師である証である、深紅のローブを着て、左右に兵を従えている。
「お兄ちゃん! どうしてここに?」
シェイラが素っ頓狂な声を上げた。
「今回の観兵式は、ユリアーネ様が参加される特別なものだからね。近衛だけでなく、僕たち王城の魔術師も応援として動員されているんだ。おかげで折角の休みが台無しだよ。さっきも爆発騒ぎがあったし……」
シノは気まずそうに顔を背けた。
「爆発!? 大丈夫だったの?」
「あぁ……。大したことはなかったよ。それよりも、だ」
シェイラによく似た端正な顔が、悪戯っぽく微笑んだ。
「そっちの彼は僕に紹介してくれないのかい?」
「そっち?」
兄の視線を辿ったシェイラの白い肌が、朱に染まった。
「ちち違うわよっ! こいつは、ただのクラスメイトよ!」
慌てて兄の勘繰りを否定する。
「初めまして。アロイス・オドリオソラだ。見ての通り、そこのお転婆娘の兄だ。この子と付き合うのは大変だろう?」
慌てふためく妹には構わず、アロイスがにこやかにシノに手を差し出した。
シェイラを見る目は柔らかく、言葉に反して、その声色は優しい。
「いえ、付き合っているわけではありません。シノ・グウェンです。魔術を教えてもらっています。劣等生なもので」
否定しながら、シノも握手に応じた。
「へぇ、シェイラが人にものを教えてるのかい? その話、もう少し詳しくーー」
アロイスは意外そうに目を丸くした。
「お兄ちゃん!」
シェイラが鋭い声で遮り、シノを睨みつける。
余計な事を言わないでよ、と視線で脅していた。
「おっと、お怒りみたいだし、僕はもう行くよ。よければこれからも仲良くしてやってくれ」
「こいつは最近編入したばかりで、分からない事が多いから、面倒を見てるだけよ!」
持ち場に戻るアロイスの背中にシェイラが叫んだ。
「……なんだって?」
振り返ったアロイスの顔から、笑顔が急速に失われていく。
「そこの男は編入生なのかい? 最近入った?」
シノを見遣りながら、無機質な声で確認する。
「え、えぇ、そうよ。それがどうかした?」
返答を聞いたアロイスは、不思議そうなシェイラに早足で歩み寄ると、腕をつかみ、シノから引き離した。
「妹を連れていけ。あとで話がある。丁重にな」
背後に控えた兵士へと引き渡した。
「「分かりました」」
二人の兵士はシェイラの両脇に立った。
「さぁ、行きましょう」
「ちょっとお兄ちゃん、どういうつもり!?」
二人の兵に挟まれたシェイラの声が遠ざかっていく。
「君は喪失者だね?」
シェイラが十分に離れたのを確認すると、アロイスが低い声で言った。
「誰から聞いたんだ?」
困惑していたシノの目が、すっと細められる。
誓約の事もある。
オドリオソラの兄ではあるが、最悪の場合……。
シノの拳が身体の横できつく握りしめられる。
「良くない目だな。それが君の本性か。神に見捨てられた咎人らしい目だね。魔術師である僕と君とでは、争いになんかならないと思うけど、今回は不問にしよう。でも……次、シェイラの傍にいるのを見たら……分かってるね? あぁ、心配しなくていい。君から聞いたわけじゃない。学校との誓約とは無関係だよ」
「喪失者というのは、そんなにも忌むべきものなのか?」
喪失者がそういう存在だということは知識と経験として知ってはいたが、元々記憶のないシノには実感が伴わなかった。
「君は何を言っているんだ? 当たり前じゃないか。この世界の誰もが、神から魔力という恩恵を授かって生まれてくる。咎人を除いてね。何が言いたいかというと、あの子だってれっきとしたオドリオソラの家名を背負った人間だ。君と一緒にいるとマズいんだ。理解してほしい」
アロイスはシノを貶めているというよりは、妹の心配をしているようだった。
「……分かった」
シノが短く返答する。
アロイスは小さく頷くと、シェイラと兵士たちが消えていった方へ向かい、やがて、人ごみに紛れて見えなくなった。
緊張が緩み、周りの喧騒がシノの耳に戻ってきた。
「俺も帰るか……」
汚れた格好は目立つのか、道行く人がシノを不審そうに見ていく。
目立って、さっきの金髪に見つかると面倒だ。
シノも足早にその場を後にした。
休日で料理担当が休みだったのか、その夜は夕飯の配達が無く、シノは悲し気に鳴く腹を抱えて眠ることになった。
王都イスファーンの中心に聳え立つ王城、スソーラ城は夕焼けに赤く染め上げられている。
リアン様に何て言いましょう……。
城の廊下をメルヴィナ・ウォールズが、憂鬱な心持ちで主人であるユリアーネの部屋に向かっていた。
その歩みは遅い。
昼間の件について報告に行くところだった。
ここ最近、主人を悩ませている『事件』の関係者であることを疑ったが、真偽を確かめる事はできなかった。
自分の軽率さについては後悔していたが、相手に軽くあしらわれた挙句、まんまと逃げられた事に対する屈辱の方が大きかった。
彼女は15歳でユリアーネの傍に在って、正式に騎士と認められる年齢になる今では、『王女の槍』と称される指折りの強者である。
相応の矜持を持ち合わせていた。
ーー確か、シノ・グウェンといいましたか。
自身に苦杯をなめさせた相手を思い返す。
ふざけた男だった。
にも関わらず、初撃から見切られ、致命的な隙を2度も晒してしまった。
互いに殺意があれば、死んでいたのは自分の方だっただろう。
自惚れるわけではないが、こと戦闘において自分を凌駕し得る学生は1人を除き、シュミートに存在するとは思えなかった。
それにあの奇妙な技……。
少なくとも、彼は断じてただの学生ではありません。
──再戦すれば、私は彼に勝てるでしょうか?
……不可能でしょうね。
魔術は使えないと言っていましたが、それでも私の魔術と槍では捉えられませんでした。
それにしても、完璧な間合いでの槍を躱し、彼の言葉を信じるなら、雷撃をものともせずに背後に回り込でみせた、あの奇術は一体なんでしょうか。
分かりません。
一つ確かなのは、シノ・グウェンのせいで、これから敬愛する主の前で恥をかくということだ。
メルヴィナの足が、とあろ部屋の前で止まる。
考え事をしているうちに、目的地に着いてしまった。