1-29 願いⅡ
身体が燃えるように熱い。
真っ赤に熱した鉄の棒を芯に通したような、熱感と激痛。
血潮は沸騰し、隅々まで流れている血管の存在を主張してくる。
そして沸き上がる激情。
持ち合わせている感情に当てはめるとしたら、怒りだろうか。
自分のものではない感情で満たされていくのは、ひどく不愉快だった。
ただ、力が漲ってくるのは分かった。
今まで経験したことのないほどの魔力の充溢。
自分の存在の果てすらも把握できない。
あぁ、お兄ちゃんはずっとこんなのに──。
でも、これで同じになったのかな。
これからは、護ってもらうだけじゃなく、護ってあげることが出来るんだろうか。
もし、本当にそうなら、身体を這いまわる不快感にも耐えられる。
明滅する思考の隙間に、ふと、黒い髪の青年が浮かんだ。
顔はぼやけて定かではない。
でも、身体を走る熱とは別の感覚で、確かな温度を感じた。
あれ……。
誰だっけ。
青年に思いを馳せた時、視界が切り替わる。
そこは見渡す限りの荒野だった。
曇天の灰色と、大地の褐色。
この二色で、景色が構成されていた。
死を連想させる見覚えのない光景の眼下では、沢山の人間が群れを成していた。
遠目ながら、土埃の激しさから戦っているのが分かる。
外側を囲むように、さらに陣が組まれていた。
絶え間なく炎や様々な色の閃光が踊り、荒寥たる大地に僅かではあるが、色彩を加えていた。
「魔術師……なの?」
姿形は疑いようもなく人間であるが、今のシェイラには得体の知れないモノに映った。
やがて、大きな人のうねりや魔術が、一方へ向いていることに気が付いた。
どうやら、何かと戦っているらしい。
少なくとも、見たことが無いほどの大規模な戦闘だ。
一体、何と……。
シェイラが目を凝らそうとした時、がくんと視界が揺れた。
地面が急速に近づいてくる。
急降下を始めたようだ。
目指す先は、戦闘が行われている真っ只中、一人の男だった。
灰色の髪を振り乱しながら、一心不乱に剣を振るっている。
男はその場を動かず、ただ襲い来る攻撃を受け流し、襲撃者を斬り伏せるのみだった。
戦闘力は圧倒的で負傷している様子はなく、囲みを斬り破って逃げるくらい、わけは無さそうに見えた。
距離が近づいてくると、その理由が分かった。
男の陰に、女が一人倒れている。
そのまま男の後方、死角から襲い掛かったが、次の瞬間、視界が回転し、目の前で渇いた砂に、角ばった石ころが埋まっていた。
視界の主は、あの男を襲ったが、あえなく這いつくばらされたようだ。
男は一瞬、確認をするように、こちらに視線を流した。
それで確信した。
髪は灰色に、双眸は紅く染まり、疲労感が目立つ殺気立った顔だったが、見間違えようがない。
見間違える訳がない。
だって、シノ・グウェンは、あたしの初恋なんだから。
胴体から引きちぎれそうなほどの強い力で手を引かれたが、シェイラは抵抗することなく身を預けた。
「おい、生きてるか?」
「もうちょっと優しく出来ないの? 腕が千切れるかと思ったわよ。それに抱き方も雑。心地が悪いったらないわ」
シノの右腕に抱えられたシェイラが、身じろぎをした。
文句を言いながらも、降りようとはしない。
「……元気そうで何よりだ。オドリオソラの文句が、こんなにも嬉しく思える日がくるとは」
「ねぇ、あたし、あんたに言わないといけない事が──」
「後で聞く。先に、あっちの処理をしないとな」
「え……」
シェイラは声を詰まらせた。
目の前に立っているのは、自分だった。
虚ろな顔で、立ち尽くしている。
「っ……!」
口元に手をやり、こみ上げてきた吐き気をやり過ごす。
「お前はもう休め。疲れてるだろ? 大丈夫、次に目を開けた時には、全部終わってるから」
シノがシェイラを寝かせ、右手を彼女の額に当てた。
シェイラが目を見開く。
目を開けてからずっと、顔ばかり見ていたから気付かなかったが、シノの左肩から先、そこにあるべきものが無かった。
「ちょっと待って、あんた──」
途中で言葉を放り出して、シェイラの意識が落ちる。
「って事だ、王女さん。俺の目的は果たせた。後はオドリオソラをここから連れ出すだけだ」
「まさか、このまま逃げ出そうとでも言うんですか?」
「そうだ、金髪。ただ、逃げるのはお前と王女さんだが」
「……囮になるつもりか?」
メルヴィナが口を開く前に、静かにユリアーネが問いかけた。
シェイラは取り戻したが、敵は依然として健在だ。
抜け殻のように立ち尽くすもう一人のシェイラ・オドリオソラの魔力にも、衰える気配はない。
「そういう言い方は好きじゃないな。時間を稼ぐ、それだけだ。ついでに倒してやってもいい」
シノは、目を閉じたシェイラを大事そうに抱え直し、メルヴィナへと引き渡した。
「お、同じ事じゃないですか! 絶対に承服できません!」
力の抜けたシェイラの身体を受け取りながらも、メルヴィナは頑として譲らない。
「さっきは任せたが、今は──」
「頼むよ」
そう言って、シノはただ笑った。
満ち足りた笑顔だった。
片腕を喪い、打開策は見つからず、間違いなく窮地だというのに、抜けるような笑顔だった。
ユリアーネには、それがとても神聖で、不可侵なモノのように感じられた。
魅入られたのだ。
──人は、こんなにも透き通った笑みを浮かべられるものか。
ユリアーネは、続く説得の言葉を見失った。
「……あぁ、分かった」
「リアン様っ!」
メルヴィナがユリアーネを非難したのは、これが初めてだった。
ユリアーネの言葉は、シノへの信頼から出た言葉ではない。
恐らくは、シノは生き延びられない。
そう分かった上で、彼女はシノの頼みを聞き入れたのだ。
「俺は別にお前らなんてどうでもいいんだぜ? そいつをここから出すのに足がいる、それだけの話だ」
「嘘です。私も残ります」
「王女さんが人間一人抱えて逃げる羽目になるが? 騎士道精神とやらで、全員を危険に晒すのか?」
「それは……」
「お前がオドリオソラを連れて、王女さんが露払い、俺はここで足止め。これが最善手だ。それともお前、あのじじいと戦えるのか?」
また屁理屈を、とは言えなかった。
「……分かりました」
渋々、メルヴィナが首を縦に振る。
「頼んだぞ、メルヴィナ・ウォールズ」
「名前、憶えていたんですね」
「記憶力は良い方だ。ここ、笑う所な」
メルヴィナがくるりと背を向ける。
「……ご武運を」
そして、一目散に走りだした。
「死ぬなよ。勝手に死んだら、命令違反で処刑してやる」
「分かった。最後に一つだけ。王女さんは、俺を知っていたのか?」
「あぁ、知っていた、というよりは聞いていた。確信したのは、ツィスカ・ザカリアスと決闘していた時だ。後で話してやる」
ユリアーネは、最後という言葉の意図には触れない。
「それは……気になるな」
実際の所、それほど関心があるわけではなかった。
もはや、意味のない事となった。
ただ、ユリアーネの気遣いは嬉しかったのだ。
「だから、絶対に生き延びろ! 外に出たら、すぐにナツィオを招集する」
「努力しよう」
ユリアーネとシノの視線が一瞬、絡まりあう。
振り切るようにユリアーネは視線を切って、メルヴィナに続いた。




