表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/64

1-28 願いⅠ

 魔力(マナ)の壁の向こう側から投擲されたと思しき剣は、たやすく障壁を貫き、消滅させた。


「……!?」


 初めて侯爵が焦燥を露わにする。


 掌が裂けるのも構わずに刃を握り、剣を引き抜き、投げ捨てた。


「来たか……」



「随分大げさじゃねぇか。心臓に刺さった訳でもあるまいし、たかが剣一本だろ。さっさと治せよ。俺なんて左腕が千切れかかってんだぞ」


 程なくして、最奥に侵入を果たしたのは、能天気にぼやく黒髪の青年だった。


 投げ捨てられた剣は、青年の腰の鞘に戻っている。



「お前が来たということは、あの者は敗れたのだな」


 オドリオソラが敗北した事実を、侯爵はさほど興味が無さそうに確認した。


「あの者? なぁ、どっちの事だ? あの鼠は負かしてやったけど、アロイス・オドリオソラを屈服させることはできなかった」


「同じことだ」


 敗北に違いなどないと、侯爵は一言で断じる。



「遅かったな、シノ。……どうしたんだ、その腕」


 ユリアーネに、もう絶望感はない。


 案じているような声にも力が戻っていた。


「もうちょっとで腕無くすとこだったよ。これでも急いだんだぜ」


 軽口を叩きながら、気を失っているメルヴィナを、爪先でつつく。


「あれ……グウェンさん……?」


 身を起こそうとして、打たれた腹部を押さえ、顔を歪めた。


「お前、いつもやられてるな」


「そ、それは間が悪い──」


 言い返そうとしたメルヴィナだったが、シノの左腕を見て言葉を失った。


 無数の裂傷、創傷がつけられ、血に染まっていない素肌が見当たらないくらいだった。



「シェイラはどうなってんだ?」


 シノが顔をしかめた。



 シェイラを見ても殺意は感じない。


 狩るべき対象ではない事に、シノは少し安堵したが、その精気(オド)は間違いなく人間のものではなかった。



「力を与えられたらしい」


「あぁ、なるほど」


 ユリアーネの言葉に、シノが頷く。


「何か知ってるのか?」


「詳しいことは分からない。でも、碌でもない事だということは知ってるよ」


「それは私にも分かる」



「グウェンさん、腕、腕です!」


 メルヴィナが怪我の痛みも忘れて、大慌てでシノの目前に駆け寄った。


「腕がどうかしたか? 別に変わった所はない。女にしてはちょっと太いかもな」


 シノがメルヴィナの二の腕を凝視する。


「なっ、私のではありません。あなたのです!」


「あぁ、これか。ちょっとな」


 そう言って、肩を揺すると、だらりと垂れた左腕も揺られるままに、往復運動を繰り返した。


「ちょっとって、そんな……」


 呆れたように言葉を詰まらせると、メルヴィナは右手をシノの傷口にかざした。


「応急処置ですが」


「悪いな」


 メルヴィナの右手が仄かに光り、魔術の発動を証明しているが、シノの傷口には目立った変化はない。


「いえ……でも、魔力(マナ)の通りが悪いですね……」


 メルヴィナは額に汗を浮かべながら、焦るように呟いた。


「普通につけられた傷じゃないからかもな。もういい、ちょっと動かせるようになった」


 そう言って、左腕を動かしてみせた。



「何をしに来たのだ、お前は? ……聞くまでもないか」


「俺はシェイラの意思を確かめに来た」


「英雄でも気取っているつもりか? 引き返したまえ。儂の邪魔はさせん」


「大英雄に英雄気取りだと言われるなんて、ちょっと光栄だな。でも……そうだな。俺は世界を救うなんて大それた事は言わねぇよ。自分の周りの小さな世界が平和なら、それでいい」


「……」


 侯爵の表情は変わらないが、ユリアーネは聞き逃さなかった。


「大英雄だと? シノ、何を言ってる。……まさか──」


 アイン・スソーラに、こと魔術に造詣の深い大英雄は一人しかいない。


 押し黙る侯爵を見て、ユリアーネの表情が別の絶望感に沈んでいく。


「そんな……あり得ん!」


「アレイスター・クロウリーは、最上の魔術師だ。そんな事は誰でも知ってる。だから、彼の守りを何度も破れるのは、本人以外にいない。あんたは強過ぎる。何より──今俺は、あんたを殺したくて仕方がない」



「もう、擬態の意味はないか」


 妄執に歪む老人の姿が、アイン・スソーラの大英雄にして、世界最高の魔術師のそれに変わる。



 驚愕の後、ユリアーネに押し寄せてきたのは憤りだった。


「どうして! どうしてよりによってあなたがっ!」


「世界を救う事が、我が使命だからだ。この世界に召喚された瞬間から、変わることはない」


 裏切りを糾弾する王女に、クロウリーは悪びれる様子もない。


「この国の発展に尽力した大英雄であるあなたが、民を犠牲にするというのかっ! 」


「私だからこそ、アイン・スソーラを贄とするのだ」


 ユリアーネには、クロウリーの言葉がまるで理解できなかった。


 自らが発展に力を尽くした国に、民に、仇なすに至る過程が、全く理解できない。



「私が成さんとしていることは、非道極まりなく、大英雄などという立ち位置とは対極に位置するものなのだろう」


「ならどうしてっ!」


「ならばこそ、良心の呵責という対価が必要なのだ」


 心の均衡を保つために、自らの愛する国の犠牲が必要だと、かつて世界を救った大英雄は言ったのだ。



「そんな自己満足の為に、あなたは!」


「たった一人の人間が世界を救うなどと、それこそが究極の自己満足であり、無謀で傲慢な挑戦だ。だが、必ず成功させなければならない」



「あー、話は終わりか? 俺はただ、シェイラを返して欲しいだけなんだけどな。そうすりゃ大人しく帰るよ」


 シェイラの精気(オド)は、いよいよ人外の魔力(マナ)に塗りつぶされ始めている。


「シノ!」


 ユリアーネがシノを睨むが、意に介した様子はない。


「怒ったってダメだ。シェイラの意思を確かめる。そのために協力しただろう? 」


「くっ……」


 無念そうに口を噤んだが、確かに切迫している。


 シェイラ・オドリオソラとて、守るべき民の一人なのだ。


「……分かった」


 一つ息を吐いて、ユリアーネが頷いた。


「あんたいい王女だよ」



「当たり前です」


 メルヴィナも、ユリアーネの隣に並ぶ。


「とりあえず、アレじゃあ、話にならないな。引き摺り出すか」



 シノが腰の剣に右手を掛ける。


「いけるか?」


(いつでも。それより、あんな女よりも、こっちの男の方が良いわ! 一口齧っただけだけれど、とっても美味しい! 懐かしい味だわ)


「そうか。でも、そいつは後回しだ」



 ゆらり、とシェイラが立ち上がる。


 観察するように、ゆっくりと見回し、シノに目を留めた。


 薄い光に照らされた顔には表情がなく、美貌が無気味さを浮き彫りにしていた。



「やはり、お前は……。そうか、そうだったのか! 見違えたな。人間らしくなったじゃないか」


 シノへ向ける言葉からは、隠しきれない喜色が滲み出ていた。


「なんだ、俺を知ってたのか。そりゃそうだよな。そうじゃなきゃ、わざわざ自分の学校に入れたりはしない。その辺りの話も是非聞きたいもんだ」


 クロウリーにはもはや、誰の言葉も耳に入っていない。


 気づいた事実に狂喜し、巡ってきた幸運を、信じてもいない神に感謝してもいい気分だった。


「運命、などというものを、私は全く信じていないが、少し改めよう。やはり、最後に我が眼前に立ちはだかるのは、お前達でなければな! 危険を承知で、迎え入れた甲斐があったというものだ」


「聞いちゃいねぇな」



 クロウリーを黙殺し、シノは再び弾丸となった。



 最優先すべきは、戻れなくなる前にシェイラの中の魔を滅する事だ。


 抜剣された剣が、中に潜む魔を切り裂かんとシェイラに迫るが、前進は呆気なく止められる。


 それも、剣を杖で受け止められるという、魔術師らしからぬ物理的な手段によって。


「爺さん、無理するなよ」


「その剣にも見覚えがある。その詳細については、深く知り得る機会がなかった。純粋に剣としては、全くの鈍らだな。だが……なるほど。あらゆる魔術干渉を受け付けないのは真実らしい。私が自壊を命じても、揺らぎひとつないとは」



「シノ、下がれ!」


 シノがクロウリーの前から飛び退くと同時に、ユリアーネが3本の氷槍を放った。



 シノの前進を止めるには、かなりの集中を要したはずだ。


 意識外からの攻撃なら、通用する──。



 狙いも虚しく、氷槍は何の手続きも、前触れもなく顕れた炎の壁によって蒸発した。



「殿下は独学で魔術を学ばれたようなので、ご存知ないかもしれないが、我がシュミートにおいて、魔術師はまず、こういう言葉を胸に刻んでもらう。『魔術は意志の具現化である』と。だが、その言葉を体現し、シュミートを去った者は、ただの一人もいない」


「魔術に、詠唱が……必要ないのか……?」



 大英雄という人間の認識を、ユリアーネは改めなければならなかった。


 英雄譚とは、虚飾入り混じるものだが、たった24人で世界を救ったという力は本物だった。


 その存在を巡って、世界中で戦争が起こりかけたというのも納得が出来る。



「然り。魔術師とは、言葉によって世界を誑かす詐欺師ではない。その奇跡によって、世界を侵す征服者なのだ。魔術を行使するのに、下らない詠唱も、束縛じみた理論も必要ない。『そこに在れ』と、命じるだけで事は足りる」



 そんなモノ、もはやヒトではない。


 攻撃に必要な手順を、完全に無視出来るということは、それが出来ないユリアーネ・ローゼンヴェルクには、勝ち筋など一つもないということを意味する。


 だが、とユリアーネは気を持ち直し、顔を上げ、前を向く。


 先には、その根拠たる、未だ戦意を失っていない黒髪の青年。


 最も劣等の魔術師が、最上の魔術師に対しての希望になるとは、何の皮肉かと、ユリアーネは少し笑みを浮かべた。



「いいぞ、少し興が乗った」


 クロウリーの魔力(マナ)は冷気に変わり、氷の槍が形成される。


「模倣は趣味ではないのだがな。同じ魔術で競ってやるのも悪くない」



 時をおかず、完成した2本の槍が射出される。


 即座にシノが、剣を振るって切り払った。


 剣身に触れた瞬間、文字通り氷槍は消滅する。



「理解し難い」


 己の魔術の末路を、クロウリーはそう評した。


 魔剣とは、特定の魔力(マナ)を帯びさせた剣だ。


 能力の劣る雑兵を、限定的にではあるが、詠唱を必要としない魔術師に仕立て上げる道具。


 そう定義し、設計したのは彼自身である。


 だが、あの黒い魔剣は定義から逸脱している。


 動力源たる魔力(マナ)を纏わず、あまつさえ魔力(マナ)を消滅させ、無効化してしまう。


 そもそも魔力(マナ)を源に、予め仕組まれた魔術を発動する魔剣という武器において、あってはならない矛盾だ。


 不可解な力の源、魔術無効化の原理、それらを説明する材料を、クロウリーは何一つ持っていない。



「試しておくか」


 障害の迅速な排除よりも、未知の魔剣の分析を優先することにした。


 クロウリーの周りに再び、氷槍が構築される。


 その数は三十を超えていた。


 狙いはシノ・グウェンただ一人。


 ユリアーネとメルヴィナが、迎撃に必要な魔術を用意する前に、クロウリーの魔術は完結する。


 間髪入れずに、槍の雨が降り注いだ。



 精気(オド)を展開するまでもなく、存在を誇示する強力な魔力(マナ)の捕捉は容易い。


 棒切れを振り回すように、無造作に剣を振り、斬るというよりは、はたき落とすように襲いくる魔術を無力化していく。



(いやぁ! もう少しちゃんと振るいなさいよ! レディの扱いがなってないわね。あっ、ちょっと刃の向きが逆よ、逆! 自分に向けてどうするの! 痛い! そっちは攻撃を受ける方じゃないの!)


 魔剣の悲鳴が身体を走るが、シノがそれに答えたのは、全てを無効化した後だった。


「あんなにいっぱい飛んでくるのに、刃の向きなんぞいちいち気にしていられるか。細かい事はいいんだよ」


(細かくないわよ! あなたお腹で攻撃を受けたりする!? しないわよね? ね?)


「はいはい気をつけるよ」



 付き合いは極々短いが、分かったことが一つある。


 この剣は口うるさい。



「なるほど。空間を介して、無効化は出来ない、あくまでも剣身と接触した魔力(マナ)のみというわけか。ならばこれはどうだ?」


 瞬間、部屋の内部が紅く染まる。


 呼吸をする肺が、焼けるよう熱い。



 顕現した炎は見上げる3人を呑み込まんと、巨大な赤い舌を伸ばすが、シノの一振りで、全てが無に帰した。


「一括りにされた魔術なら、規模は無関係か。やはり、解らないな。なぜ、魔術によって生じた熱までも消えるのか。まるで最初から無かったかのように……」


 目の前の敵など眼中に無いように、クロウリーは落ち着きなく歩き回る。



「シノ、数秒でも彼をあの場に留められたら、お前はシェイラの所までたどり着けるか?」


「そんな事が出来るのか? 邪魔が入らないなら、瞬き一つ分で十分だ」


魔力(マナ)を水で染めてくれれば、だが」


「ヤツに水の魔術を使わせればいいって事か?」


「そうだ。容易くはないが──」


「おい、金髪。あと一回、あの雷が撃てるか?」


 メルヴィナが目を瞬かせる。


「は、はい。それは可能ですが、恐らく届かないかと」


「構わない。準備を」


 シノの言葉には、有無を言わせない、不思議な力があった。


 メルヴィナが目を閉じ、魔力(マナ)を現実に落とし込む為の集中に入った。


 クロウリーはなおも、思索に耽っている。



「シノ、何を考えている?」


「王女さんの魔力(マナ)は奪ったが、金髪の魔術に対しては、身を躱し、盾を創るに留めていた。魔力(マナ)を奪えるのなら、そうした筈だ。なぜそうしなかった?」


「確かに……」


「しなかったのではなく、出来なかった。幾ら何でも飛んでくる雷に対しては、即応出来ないんだろう。金髪の魔術は発動が早い。初めて会った時、俺もそうだった。間合いに入っていれば、勘に頼った体捌きでもって避けるしか、方法が無かったからな」


「……待て、なぜそんな事を知っている? さてはお前、見ていたな。メルヴィナの言っていた通りだ」


「『いいや、十分だった』」


「似てないぞ」


「王女さんも、分かってただろ?」


「はぁ……。何となくそんな気がしただけだ」



「準備完了です」


 メルヴィナは限界まで魔力(マナ)を生成しているのか、顔が引き攣っている。


「始めるぞ、あの間抜け面を引っ叩いてやろう」


 返事の代わりに、ユリアーネの極寒の魔力(マナ)が空間に満ちる。



「雷よ!」


 メルヴィナの右手が上がるとともに、引き絞られた弓から矢が放たれるが如く、白色の雷光がクロウリーを襲う。


「邪魔だ」


 意識を向けていなくとも、クロウリーは反応してみせた。


 手順をなぞるように、ユリアーネから奪った水の魔力(マナ)で身を守る。


 そして結果も変わらず、メルヴィナ渾身の魔術は、僅かに盾を削り取っただけ。



「よし。任せたぜ、王女さん」


 剣が鞘を走る音と共に、シノが走り出す。


 クロウリーが、再び杖を構えようとした時だった。



「《マイム・シフト・レド・ブライニクル》」


 ユリアーネの魔術が、クロウリーの纏った水の盾を、真っ白に凍り付かせていく。


「なんだ、これは……」



 同じ魔術で競うと明言した以上、これを違えることは、史上最高の魔術師の自尊心に傷をつける。


 だが、この魔術は見慣れないものだった。


 全く知らない法則によって、魔力(マナ)が固定されている。


 原理が分からなければ、これを否定出来ない。


 反属性による消却でしか、対処する方法がない。



「炎よ、在れ!」


 顕現した紅炎は、跡形もなくユリアーネの魔術を焼き払った。



 クロウリーが、自尊心を克服するのに要した僅かな時間で、シノには十分だった。


「よぉ、顔色悪いぜ?」


「……」


 シェイラに、言葉で反応する様子はない。


「もう引き下がれないか。でも、俺も引き下がれねぇ。まだ、お前の意思を聞いてないんだからな」


「貴様!」


 余裕などかなぐり捨てて、クロウリーが炎をシノへと向ける。


 それよりも速く、魔剣がシェイラを貫いた。



 瞬間、莫大な魔力(マナ)の奔流で溢れかえる。


「くそったれ……!」


 剣を抑える右腕に激痛を感じながら、シノが剣を押し込む。


(離れなさい! あなたが保たない!)


「構うものか! 絶対諦めねぇぞ!」


 魔剣の警告を無視し、左手でシェイラの手を掴み取る。



 僅かに残る、慣れ親しんだ精気を手繰り寄せる。


 それは氾濫する巨大な水流に腕を突っ込み、人間一人を探し当てる行為だ。


 だが、諦める訳にはいかなかった。


 諦められる訳がない。


 今握りしめているものは、この世界でのたった一つの縁なのだから。


「戻って……来いっ!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ