1-24 愚者の選択Ⅲ
地は裂け、土塊が散乱し、うっすらと土煙が視界を汚している。
転がっているのは人間だった。
薄く半目を開けてはいるが、焦点が定まっていない。
意識を失っているようだった。
激しい戦闘が行われたことは明白であった。
累々と横たわる人間の中に、ただ一人だけ立っている男がいる。
黒い髪のその男は、十一人もの魔術師と大立ち回りを演じておきながら、息一つ乱してはいない。
「よくやった、シノ」
ユリアーネに驚きはない。
目前の光景を当然の結果として受け入れていた。
「これは……」
メルヴィナの呟きは宙に浮いた。
敵数は十一。
戦場は敵の本拠地。
戦士としては最悪に近い戦況にあって、独力にて殲滅を完遂。
勘定の合わない殲滅劇を表現する言葉を、メルヴィナは探せない。
先刻の戦闘を反芻しているうちに、二人は何事もなかったかのように先に進んでいる。
メルヴィナも慌てて後を追った。
少し進むと、開けた場所に出た。
広くはないが、育てられている植物は、丹念に手入れがされ、鑑賞を目的としていることが分かる。
「ほう、庭園か。オドリオソラにもこのような趣味があったとは意外だったな」
周りを建物に囲まれた中にある、天井のない限定的な空間。
何も知らずに出てきた間抜けな侵入者を仕留めるには、格好の場所だった。
心の奥底から、殺意が湧き上がってくる。
──いる。
殺さなければならないモノが、ここにいる。
「僕達も薄暗い城の中に篭っていては、気が滅入るというものですよ」
シノが警告をしようとした時、上から声が降ってきた。
外敵の迎撃用に設けられた出窓に、紅いローブの魔術師が腰掛けていた。
銀の髪の下には、よく知る人物の面影。
「アロイス・オドリオソラ……!」
メルヴィナがその名を口にする。
高所の優位性を捨て、アロイスが地に降り立った。
かなりの高さがあったが、着地は羽のように柔らかい。
「後ろから一刺しにすれば良かったものを。何故そうしなかった?」
「殿下に対して、そのような不敬な真似はできませんよ。いえ、今は殿下の偽物でしたね」
そう言って、アロイスは微笑んだ。
「正直に申しますと、予想外だったのです。『王女の槍』が一緒であるのは予想していましたが、そこの喪失者まで乗り込んで来るとは、計算違いでした。失敗だと分かっている奇襲をするほど、愚かではないつもりです。もし僕が仕掛けていたなら、そこの男に防がれていたでしょう。そして、彼の手の届く所に身を置いたが最後、シャルテル達と同じ結末を辿る」
「へぇ、買ってくれるじゃねぇか」
「勿論さ。君の強さはよく分かっているからね」
皮肉ではなく、心からの称賛だった。
「……そうか」
「しかし、困りましたね。流石に荷が重い。対象を絞らざるを得ません」
そう言って、アロイスはシノと正対する。
自然、ユリアーネとメルヴィナから、アロイスの意識は外れることになる。
「どういうつもりだ? 私とメルヴィは見逃すというのか?」
「父より受けた命令は、脅威の排撃です。現状、あなたとその槍は脅威にはなり得ません」
アロイスは目の前の敵にのみ集中する。
言外に、相手にならないと言われ、メルヴィナが目を怒らせるが、ユリアーネはそれを制した。
「私が、シノを置いて先に行くと思うのか?」
「殿下はお急ぎなのでは? 僭越ながら、全員を相手にしたとしても、事が済むまで釘付けにするくらいはできると思いますよ」
アロイスに虚勢はなく、淡々と事実を述べる。
「折角の申し出だ。ありがたく受けさせてもらう。オドリオソラが何をしようとしているのか、確かめさせてもらおう」
ユリアーネは奥へと足を踏み入れる。
「ご武運を」
逡巡し、シノを案じながら、メルヴィナも主人に続いた。
「さて。来るなと警告はしたつもりだったんだけどね」
「俺だって面倒はごめんだよ」
「初めて見た時から、君は妹の側に居るべきではないと感じていた。なぜなら──」
「なぜなら、俺たちは同類だから。お互い、碌な生き方をしてないみたいだな」
シノが言葉を引き取る。
アロイスが淡く笑った。
「でも俺は、人の目玉を抉り出したりはしなかったけどな。……多分。いや、きっと」
「なんだ、気付いていたんだね」
アロイスの笑みが一層、曖昧なものになる。
「行動と言葉の辻褄が合っていないのは、あんただけだった」
「余計な事を言ってしまっていたかい?」
「『目玉狩り』と接触した時、あんたはわずかな明かりの下、金髪女の傷を見ることもなく、切り傷だと言った。オドリオソラが止血していたし、傷は膝の裏だった。あんたの眼は、ドレスを着た人間の膝の裏まで見えるのか? 羨ましい限りだな」
「……それだけかい?」
「アロイス・オドリオソラは、シェイラ・オドリオソラをとても大切に思っている」
「そうだね」
「オドリオソラと一緒にいただけで、脅しをかけてくるような人間が、『目玉狩り』に襲われたばかりだというのに、護衛を付けるでもなく、妹をただ帰したことが引っかかった。答えは簡単。もう襲われないと分かっていたからなんだろ? アロイス・オドリオソラが『目玉狩り』だったんだから」
「……なるほど、失敗したな。ただ訂正しておくと、護衛ならちゃんといたさ。君が最強の護りだと、身をもって知った後だったからね」
アロイスが頭を掻く。
「……その笑い方か」
「ん? なんだい?」
「シェイラが言っていたよ。あんたが無理して笑っているように見えるってさ」
「無理をして……か。あの子らしい解釈だね」
「そうだな。俺には、そんなに可愛らしいものには見えない」
「そうなのかい?」
「あぁ。自分で自分が許せず、かといってそこから抜け出す術も持たず、どうにもならなくなって、諦め顔で空虚に笑ってる、可哀相なヤツに見える」
「可哀相……だって……?」
アロイスの顔から、笑みが拭い去られた。
代わりに浮かび上がったのは、紛れもない怒り。
「そうだ。あんたは可哀相なヤツだ」
「君に……君に何が分かるッ! 選択の余地なんか、最初からなかったんだ! こうするしか! こうするしかシェイラを助けられなかった。また退廃地区に戻れば、もう二度と表側には行けない」
「それであんたが縛られてちゃ世話ないな。あいつがそれを望んでいるとでも?」
一瞬、後ろめたさが顔をのぞかせたが、すぐに引きずり込まれ、見えなくなった。
「シェイラはきっと、僕を許さないだろうね。でも、いいんだ。あの子が明るい所で生きていけるのなら。その為なら僕は、何でも出来る」
「……なんだそれ」
シノが微かな笑いを漏らす。
「おかしいかい?」
アロイスが、怒気をより鋭いものにする。
「兄妹揃って、似たようなことを言うんだな。要するにさ、お前らは身動きが取れないんだ」
「ここに来た時から、覚悟はしていた」
「俺なら、力になれるかもしれない」
僅かな期待を込め、シノは言葉を投げかける。
出来れば、シェイラの兄と争いたくはなかった。
しかし、アロイスは疲れたように、首を横に振った。
「それは無理だよ。彼は止まらないし、目的の為にはシェイラが必要だ」
「問題は、その目的とやらに利用された後、シェイラ・オドリオソラが前のままなのか、っていう所だ」
「前例が目の前にいるじゃないか」
アロイスの精気は希薄だった。
死を間近にした病人のように。
「……じゃあ、俺はあんた達を止めないといけないらしい」
「どういう意味かな?」
「気付いていないなら言ってやるが、あんたもう人間には見えないぜ」
「……精気か。まだ扱える人間がいたのか」
「倒してもいいけど、こっちも消耗するんでね。行かせてくれないか?」
「殿下達が心配かい?」
「それもある」
「全てを救おうとする君の欲深さには反吐が出るな。でも、殿下はこの後の世界に不可欠なお方だ。安心するといい」
「安心した。でも、俺は諦めたりしないんだ。あんたと違ってな」
見え透いた挑発が開戦の合図だった。
既に精気の展開は完了している。
アロイスの右手がひらめき、シノが獣の如き敏捷さで以って、発動された魔術の行使範囲から逃れた。
庭園の地面が削り取られ、根を張っていた樹木ごと、宙へと舞った。
精気による知覚領域内で、シノに隠し事は出来ない。
──糸なのか。
瞬時に、アロイスの魔術を看破する。
先程沈めた魔術師達は、刃を放っていたが、アロイスは魔力を撚り合わせ、操ることが出来るようだった。
高密度の魔力は、存在するだけで周囲の物質に影響を及ぼす。
触れれば、人体など分解されてしまうだろう。
形を武器に模さずとも、人間を殺すには必要十分な殺傷力。
「あの夜、僕は人間として君やウォールズ准将と戦った。だけど、今は違う。《神は誰の為にも機能しない》」
魔力の源である、神を否定する詠唱により、アロイスの魔力が変質し、凝縮される。
その変容は、別の存在となったかのような、劇的なものだった。
変化は在り様だけに留まらない。
アロイスの眼を見たシノの殺意は、吐き気を催すまでに強まっている。
アロイスの眼。
本来、白と瞳の色とで構成されているべきそれは、黒一色、濡れた黒い石がはめ込まれているような無機質さで、生気が感じられない。
まるで悪魔の眼だった。




