1-23 愚者の選択Ⅱ
「しかし解せないな。よくもアレイスター・クロウリーは、お前達が敷地に踏み入るのを許可したものだ。国議の場であっても、彼と侯爵が同じ空気を吸っているのを見た事がない程なのだが」
時間を稼ぎながら、素早く、しかし気取られないようにユリアーネが周囲に魔力を走らせ、敵の規模を探る。
「彼も分かっているのでしょう。いかに大英雄といえども、我らと敵対するのは得策ではないと」
シャルテルもゆっくりと歩を進めながら、間合いをはかる。
静かに魔術戦は始まっていた。
「……11人か。数が多いな。秘術を使われると厄介だ。全員氷像にしてやる。メルヴィ、離れていろ」
前方で槍を構えていたメルヴィナが下がり、シャルテルが魔術の射程に足を踏み入れた瞬間、ユリアーネが機先を制した。
「《マイム・シフト・レド・ポルザット》」
正確に紡がれた詠唱は、ユリアーネの意志を超低温の魔力によって顕現させる。
空気を凍らせながら放射状に走る魔力に対し、魔術師達は一糸乱れぬ動作で、一斉に詠唱を開始する。
「《我、内に眠りし殺意の刃を喚び起こさん》!!」
完璧に束ねられた秘術は、迫るユリアーネの魔術を容易く切り刻む。
細切れとなった冷気の魔力が、空中で氷の粒となり地に堕ちた。
これこそ、オドリオソラが必殺の刺客たる所以。
完全に同調した重唱は、大魔術師の詠唱に匹敵する。
「なるほど。『風』の魔術ではない。気がつけば首を落とされている、か。それがオドリオソラの秘術というわけだ」
「秘術とは隠されてこそ、その名に相応しいというものなのだがな。秘密というものは、どうしても漏れてしまうものだ。だが、今宵はその心配は無用。討ち漏らしなどあり得ない」
油断なく、ゆっくりと包囲を狭めていく。
圧倒的な有利な状況であっても、慢心などない。
「仕方がない。私がここを水の魔力で満たす。メルヴィの雷で──」
後ろに退路など無い。
焦りを滲ませながら、ユリアーネが再び魔術を構築しようとする。
「いや、俺が片付けよう。多分、俺がやった方が早い」
答えたのは、メルヴィナではなく、シノだった。
「来たか……ついに来たかッ!」
いつ出てくるのかと待ちわびていた。
シャルテルの胸は、期待で高鳴っている。
今だけは暗殺者としてではなく、一人の魔術師として、シャルテルは立っていた。
本来であれば、淘汰されるべき弱者の中の弱者。
向き合った自分に恐怖すら覚えさせ、主に退けと言わせるほどの喪失者。
そんな傑物と万全の態勢で相対する事ができようとは。
「各々の全力をもって、秘術を放て! 全身全霊で殺すのだ。一度で仕留めねば、我らの恥だと思え!」
いつになく高揚するシャルテルに当てられ、他の魔術師達も色めき立つ。
──知っている。
相手の魔術も不明、数においても圧倒されている。
そんな絶望的な戦況下での戦い方を、シノ・グウェンは確かに知っていた。
一人の強大な個を相手にするよりも、身に馴染んだ戦い方。
「下がれ」
シノはただ一人、前へと進み出た。
「グウェンさん……?」
「分かった。任せる」
困惑したようなメルヴィナと、信じ切ったように敵に背を向けるユリアーネ。
二人を背に、自身の内に流れる精気を外側へ向ける。
発散された精気は、瞬く間に戦場をのみ込んだ。
精気によって満たされた戦場は、それ自体がシノの一部となった。
解らない事などない。
空気の漣から、敵の息遣い一つに至るまで、手に取るように知覚できる。
──簡単な事だ。
「《我、内に眠りし殺意の刃を喚び起こさん》」
渾身の力を込め、先刻と同じように寸分違わず重ねられた詠唱は、標的へと不可視の刃を飛ばしたが、結果は真逆なものとなった。
僅かに2つ、足を進めたのみ。
放った魔術は、一つとして届かなかった。
「馬鹿な……!」
シャルテルは無意識に一歩、後退した。
「怖いか?」
言葉には揶揄するような響きがある。
更に下がろうとする脚に力を込め、シャルテルは踏み止まった。
「恐怖の本質ってのは、予測ができない事にある。解らないモノは怖い。それが警戒を生み出す。攻めを一手遅らせる。何とか立て直した時には既に──」
シノの姿がかき消え、一番近くにいた魔術師の鼻先に現れる。
「手遅れだ」
声を上げる間も無く、魔術師が紙屑のように転がった。
「大人しく道を譲るというのなら、見逃してやる。どうする?」
安っぽい挑発だった。
だが、常に相手よりも優位に立ち回ってきたオドリオソラの魔術師達にとっては、これ以上ない侮辱となる。
「侮るなよ、喪失者。我々の秘術は、お前に見切られるほど甘くはない。これまで積み上げてきた屍と、今なお人々を恐怖させるオドリオソラの名が、その証だ!」
相手は喪失者。
いや、例え魔術師であっても、視えてはいないはずだ。
なら、仕留める方法など幾らでもある。
「《我、内に眠りし殺意の刃を喚び起こさん》」
言葉など交わさずとも、再び魔術を紡ぎ出したシャルテルの意図を汲み、他の魔術師達も己の秘術を顕現させる。
輪唱の様に完結された詠唱は、時間差でシノを襲ったが、体を捻り、反らし、跳び、結局、攻撃の全てが空を切った。
そして次の瞬間、また一人魔術師が崩れ落ちる。
「怯むな! 続けろ!」
シャルテルが、食いしばった歯の間から、指示を飛ばす。
……美しいな。
命のやり取りをする戦場にあって、ユリアーネはそんな益体も無い事を考えていた。
生と死の瀬戸際で踊る様は、狂おしい程に感動的だ。
間断なく訪れる死神を、紙一重で躱していくシノの所作は、まるで城の舞踏会にでも出ているかのよう。
全く無駄がなく、間違いもなく、自分が生き延び、相手は無力化される選択肢を選び続ける姿は、未来でも見えているのかと錯覚しそうになる。
ただ一つ残念なのは、その美しさを一番間近で感じた者が、次の瞬間には意識を失い、記憶に留めておけるのか分からない、という事だった。
──また一人、魔術師が戦線から離脱した。
「何なのだ、こやつは……!?」
歴戦のオドリオソラの魔術師でも、こんな相手は初めてだった。
これまで複数人で囲みながら、狩れなかった獲物などいなかった。
疑いようもなく、ここは我らの狩場だ。
獲物は四方八方から襲いかかる刃によって、逃げる間もなく、瞬時に両断される。
シャルテルは、そんな結末を思い描いていたし、予想が覆された事もない。
しかし、実際はどうだ。
両断するどころか、掠り傷ひとつ負わせることが出来ていない。
戦っているのは1人だけだというのに、刻一刻と此方の数だけが減らされていく。
この男、我らの魔術が見えているとでも言うのか──!
難なく斬撃を躱し、手近な所にいた魔術師の身体にシノの手が触れた。
触れられた魔術師は、声もなく崩れ落ちる。
魔術で記録した映像を再生するかのように、同じ光景が何度となく繰り返された。
──打撃は必要ない。
無力化するには、魔力を少し乱してやるだけでいい。
時間もない。
最短時間、最小の動作で、対象を殲滅する。
──いいや、視えているのだ、この男には。
正面から戦っていい相手ではないと、気付いた時には全てが手遅れだった。
形勢は入れ替わっている。
シャルテルが悟った時、親しい友人に挨拶をするような気安さで、肩にシノの手が乗った。
敵にこれ程の接近を許したことはない。
オドリオソラの魔術師となって、初めて感じる狩られる側の恐怖。
魔術師となる前は、嫌という程経験してきた、臓腑を這い上ってくるような悪寒。
「薄汚い鼠が、戦士の真似事とは笑わせる。お前の敗因は、弁えなかった事だな」
僅かな圧力を右肩に感じた瞬間、シャルテルの意識は喪失した。




