1-21 黎明Ⅲ
城塞といってよい堅牢な王城にあって、一際高く聳え立つ主塔の4階に、ユリアーネ・ローゼンヴェルクの居室はある。
メルヴィナは、ユリアーネの側仕えである。
2人はユリアーネの自室のある主塔までは、労せずにたどり着くことができた。
「城内には、オドリオソラの手は入っていないみたいだな。王女を軟禁しようというのに、根回しが甘いな。急いで何をやろうとしてるんだ?」
「えぇ、そのようです。目的は分かりませんが、リアン様を監視している者はオドリオソラの魔術師でしょう」
メルヴィナの懸念通り、扉の前には二人の魔術師が両側を固めていた。
一人は戦歴の長そうな壮年の偉丈夫だが、その隣にいるのはかなり若い魔術師だ。
油断なく目を光らせ、魔力を身体に満たし、戦闘準備は万端。
メルヴィナの魔術は、雷を生成する過程において、どうしても音を立ててしまう。
隠れて使うには不向きだ。
槍をもってしても、2人の魔術師を仲間に交信させる事なく、同時に無力化させるのは、現実的ではない。
それに片方は、かなり手強そうだ。
メルヴィナの姿を見ると、言葉を交わすにはまだ距離があるにも関わらず、見張り達が身構えた。
「職務熱心なようで感心感心。見張ってるだけなのに、何であんなに緊張してるんだ?」
「無理もありません。リアン様ほどの魔術師の側に居るのです。無意識に居住まいを正してしまうというものです」
メルヴィナが重々しく頷いた。
「お前を見て、警戒してるんだよアレは。それに、あいつら見た顔だ。いつもアロイスと一緒にいる奴らか。丁度いい」
「グウェンさん、何か手があると言っていましたが、どうやって──」
傍らを歩くシノの方へと首を傾けたが、そこには誰も居なかった。
問いの答えは、2つ続いた衝突音によって明かされた。
「おい、早く来い。誰か来ると面倒だ」
ついさっきまで、石像のように立ちはだかっていた見張り達が地に伏せ、シノがメルヴィナを手招きしていた。
「すごい……」
思わず、メルヴィナが言葉を漏らした。
その様を目にして、メルヴィナには頼もしさよりも恐ろしさの方が先に立った。
彼らとて、王城付きの魔術師なのだ。
その戦闘能力は、並の魔術師など相手にならない。
アロイス・オドリオソラが重用している事からも、彼らが優秀な魔術師だと分かる。
それを、魔術の片鱗すら構築させる間も与えずに倒したこの男は何なのだろう。
再び、疑問が湧き上がったが、今はそれを振り払った。
メルヴィナが扉の取っ手に手を掛ける。
鍵は掛かっていなかった。
「遅かったな」
部屋に入った2人を出迎えたのは、人待ち顔のユリアーネだった。
ローブの上から、外衣を羽織っている。
「どこか出かける予定でもあったのか、王女さん」
予定外のシノの姿にも、ユリアーネは驚く様子はない。
「あぁ、お前も来ると思っていた。ご苦労だった、メルヴィ。それで、どうだった?」
「シェイラ・オドリオソラは、シュミートを出ました」
「やはりか。あの方の言っていた通りになったな。ならこちらも予定通り……。おいシノ、何をしている?」
シノが、外に倒れている2人を引きずって来ていた。
「外に転がしとく訳にもいかないし、ちょっと聞きたい事が……」
軽く頰を張ると、年長の方の魔術師が、呻きながら目を開けた。
「ん……。一体何が……ッ!」
自らを昏倒させた男の姿を見た魔術師が、声を上げるよりも早く、シノの右手が喉元を締め上げ、声を殺した。
「余計な事を喋るな。俺の質問にだけ答えろ。分かったら、頷け」
取り乱す事なく、男は首を縦に振った。
「よしよし。そういう魔術師は長生きが出来る。お前、名前は?」
「……アランだ」
「じゃあ、アラン。聞きたいことは一つだ。アロイス・オドリオソラはどこにいる?」
「……言える訳がなかろう」
「魔術師ってのは、嘘をつけないんだってな。質問を変えよう。アロイス・オドリオソラは城にいるのか?」
「……」
アランは唇を引き結び、答えない。
「どうしても俺は知る必要がある。言えないと言うのなら、言わせるまでだ」
「例え、痛めつけられようとも、主命に逆らう訳にはいかない。遅かれ早かれ、異常には気付かれる。お前たちとて、時間が無いのではないか?」
「その通り、あまりのんびりしてはいられない。お前は吐かないかもしれないが、そっちはどうかな?」
シノが、まだ意識を失っている若い魔術師を顎でしゃくった。
「同じ事だ。我々の忠義は揺らがない」
「へぇ、試してみようか?」
シノの口の端に嗜虐的な笑みが浮かんだ。
「やってみせろ、オドリオソラの魔術師を侮るな」
「分かった」
シノが、うつ伏せで倒れている魔術師の方へ屈み込み、肘を膝で押さえると、関節とは逆方向に折り曲げた。
派手な音はしなかったが、ありえない方向へと曲がった腕が、全てを物語っていた。
「グウェンさん、それは──」
メルヴィナが、思わず目をそらす。
「──ッ!」
腕を折られた魔術師の身体が、痙攣したように一度跳ねた。
即座にシノの手が、反射的に悲鳴を上げようとする喉元を締め上げる。
「よぉ。 腕が折れたら、流石に起きるか」
痛みに脂汗を浮かせながらも、魔術師の目が忙しく周囲を観察する。
「よく訓練されているな。お前らが訓練されていればいるほど、俺の疑問は深くなっていく」
シノが魔術師の喉に掛けていた手を外す。
「アロイス・オドリオソラが何処にいるのかを知りたい。答えろ」
「そ、そんな事、お前に言う訳ないだろう」
苦痛に顔を歪めながらも、魔術師は頑として拒絶した。
「なんだ。そこの男が、お前に聞いてみろと言ったんだけどな。だから、言いやすくなるように、まずは腕を折ってみた」
酷薄に笑いながら、アランへと視線をやる。
「貴様、何を言っている……?」
愕然としたのはアランだ。
「聞き違いだったか? 拷問するならコイツで試してみろと、確かにお前言ったよな? 言っていないのなら、言っていないと言葉にすれば良い」
「貴様、謀ったな!」
「そんな馬鹿な事が──」
「なら見てみろよ。お前の腕は折られているが、あいつの腕は肘から真っ直ぐについている……。つまり、そういう事だよ」
「そんな、あり得ない……」
「貴様ぁ!」
喚き散らすアランを横目に、シノが男の耳元へ口を寄せ、囁いた。
「証拠に、ヤツは否定しないだろ? 俺は素直だからな。アイツの助言に従って、お前を責めることにする。なに、10分もあればいい。生きたまま、全身の骨がバラバラになっていくのは、どんな気分なんだろうな? 死にはしないだろうが、魔術で治癒したとしても元通りにはならない。魔術師として生きていくのは諦めろ」
「アロイス様は……」
熱に浮かされたように、小刻みに震える男の唇が動く。
襲い来る激痛と恐怖が、正常な思考能力を奪い去っていた。
「おい、やめろッ!」
「アロイス様は? 何処に行ったんだ? 言えば痛いのは終わる。楽になれるぞ……?」
「し、しかし……」
「報復が怖いか? でも、お前らはもう切り捨てられてるんだよ」
なおも逡巡する男に止めを刺すべく、言葉を連ねる。
「……へ?」
男の顔から色が消えた。
「だって、そうだろう? 我らがユリアーネ・ローゼンヴェルグ王女殿下は、不愉快な思いをなさっておられたようだ。ご尊顔を拝見するに、大層お怒りのご様子。殿下が、オドリオソラ家に抗議すれば、お前達の独断だと言うに違いない。誰が責任を取ることになると思う……?」
「そ、その様なことあるわけが──」
「現に城の人間は、殿下の状況なんか知らなかったみたいだぞ。そうじゃなきゃ、俺と金髪がここまで来ることなんか出来なかった」
「そ、そんな……」
「だが、ユリアーネ殿下は寛大なお方だ。仮に、殿下が許してくれたとしよう。でも、その配下までが同じだとは限らない。聞けば、殿下直属のナツィオという部隊は、血の気が多くて有名だそうじゃないか。それに皆、殿下に心酔しているとか。無事に秘密を守り通し、この場をやり過ごしたとしても、今まで通りに生きていけると、本気で思うのか?」
「でも、でも……!」
絶望の海に沈んだ男の側へ、シノが一筋の糸を垂らす。
「素直に協力すれば、お優しい王女殿下は、身の安全を保障すると仰っている」
「え……?」
軋む心の隙間に、シノの言葉は、渇いた砂に水が吸い込まれるが如く沁み込んだ。
「騙されるな! 分からないのか? 都合のいい虚言を並べ立てて、お前を懐柔しようとしているだけだ!」
「自分は傷付かないと分かっている人間の言葉など、聞く必要はない。さぁ、どうする? 言えば、殿下の庇護の下に生きる事が出来る。言わないというのなら、言わせるように、一応の努力をした後に、ナツィオに引き渡すとしよう」
「……」
「お前も貴族なら、家族がいるんじゃないのか?」
「ア……アロイス様は昨日、イスファーンを発たれた。理由は聞かされていない。ただ、王女殿下をお部屋から出すなと命じられていただけだ」
「口を閉じろ、裏切り者! 《我、内に眠りし──」
詠唱を発する喉に、吸い込まれるように槍の柄が叩き込まれ、アランは口の端に血の泡を吹いて、倒れ込んだ。
「うわぁ……。容赦ないな」
「別にグウェンさんがどうなろうと構わないのですが、もしリアン様に当たったらどうするのですか」
「どちらが悪役なのか分からんな。だが、これだけは言わせてくれ。私はそんなに狭量ではないし、この顔は元々だ。怒っている訳ではない」
再び地に伏したアランへ、ユリアーネが主張する。
勿論、それが彼に届くはずもないのだが。
「後は、お前だな」
シノが、くるりと腕を折った魔術師へと向き直る。
「ちゃんと喋ったじゃないか。嘘じゃない!」
怯えた魔術師が、尻を床に擦りながら後ろに下がり、すぐに背中が壁にぶつかった。
「分かってるよ。そこに転がってる片割れの焦りようを見て、事実だと確信した」
「なら──」
「人間は追い詰められると、信じたい言葉だけを信じるもの、らしいがその通りだったな。王女殿下は許すと仰るかもしれないけど、俺様はそんな事は仰らない」
「お前……騙したなっ!」
「俺に喋ったんだ。丁寧に聞かれれば、他の人間にも喋るって事じゃねぇか」
「シノ、欲しい情報は手に入ったのだろう? それくらいにしておけ」
「へいへい、分かりましたよ」
安堵し、ユリアーネに心底からの感謝を捧げた魔術師の頭を、シノが無造作に掴んだ。
「お、おい、何を──」
言葉を途中で投げ出したまま、魔術師の頭がカクン、と落ちた。
「意識を奪っただけだ。少しでも時間は稼ぐに越した事はない。だから、そんなに怖い顔をするな、金髪」
「ですがグウェンさん、少しやりすぎでは?」
「何を言ってる。これはこいつらの為でもあるんだぞ。もし無傷だったら、抵抗さえしなかったのかと主人の怒りを買うのはこいつらだ。俺は痛む心を抑えて、愛ある拳をくれてやったんだ」
メルヴィナが呆れたようにため息をついた。
「過ぎた事を言ってもしょうがない。前を見て生きていこうぜ」
「自分で言わないで下さい……」
「問題はオドリオソラがどこに行ったかということだけど、これはちょっとアテが外れたな。こいつらなら知ってると踏んでたのに」
「それならば、私にはアテがある」
そう言ってユリアーネが、ローブから古ぼけた羊皮紙を、大事そうに引っ張り出した。
余白が無いくらいに緻密に書き込まれた術式のインクの色は、すっかり色褪せてしまっている。
「スクロール……ですか? 凄まじい情報量ですね」
「あぁ、これでシェイラ・オドリオソラのいる場所へと行ける……らしい」
「ほんとに大丈夫か?」
シノが疑わしそうに、羊皮紙を摘まみ上げた。
メルヴィナも、少し心配そうな視線を主人に送る。
「これを作成したのは、カーラという魔術師だ。シノの口からその名が出てきた事があったな」
「これをカーラが……」
じっくりとスクロールを観察してみるが、魔術に疎いシノに何か分かる訳もない。
「彼女が私にこれを手渡す時に、こう言っていた。『侯爵は必ず牙を向ける。その時は、このスクロールを破れ。考えつく限りの条件を刻んである。解決の機会くらいは作れるだろう』とな。意味が分からなかったが、今なら分かる。今がその時だと」
「カーラという方には、先見の明があったのですね」
メルヴィナは感心しきりだった。
ユリアーネの師というだけで、崇敬の対象になっている。
「予知能力でもあったのか?」
「底の知れないお方ではあったがな。詳しいことは何も。まぁ、オドリオソラの領地まではかなり距離がある。侯爵とはいえ、元々は殺しの一族。与える領地には気を遣ったというわけだ」
「何でもいい。早く行こう」
「やる気ではないか。その理由の方は気に入らないが」
ユリアーネが広げたスクロールに、シノとメルヴィナが手を添える。
「行くぞ」




