1-2 邂逅Ⅰ
翌日は休日だったが、校内のみならず、王都全体の人々がどこか落ち着かない様子だった。
勉学に集中できるようにと、敷地を高い壁で囲まれ、隔絶されたシュミートの校内も例外ではなかった。
今日は、一年の中でもそう多くない、外出許可日だ。
加えて、王都イスファーンで観兵式が行われる予定だった。
人々が『魔術と赤煉瓦の都』と呼ぶイスファーンは、国内唯一の王立教育機関、シュミート王立魔術学校がおかれているだけあって魔術研究が盛んである。
そして、今回の観兵式では、アイン・スソーラ王国第一王女、ユリアーネ・ローゼンヴェルク率いる魔術師部隊も参加することになっていた。
普段、あまり表に出ない貴人を見られるとあって、多くの観客が王城へと続く大通りに詰め掛けていた。
「なぜ俺が訳分からん、なんとかヴェルクを見にわざわざ人の多い大通りに来なければならないんだ……」
惰眠を決め込んでいたが、朝早くシェイラに叩き起こされたシノは、引きずられるようにして、王女の部隊が行進する予定の通りに連れ来られていた。
当然、不満たらたらである。
大通りは人でごった返し、朝だというのに辺りは熱気で包まれていた。
「なんだこの異様な空気は……。王女様とやらがどのくらい慕われているかは知らないけど、もはや宗教だな」
「シーッ! あまり不敬な事は言わないで。近衛にしょっ引かれるわよ。それに、これだけ人がいれば誰もあんたの魔力なんか気にしないわよ」
王女を見逃すまいと背伸びをしながらシェイラは、一定間隔で立っている近衛兵の方を見た。
どの兵士もきらびやかな紅い甲冑を見に纏い、厳めしい顔つきで周囲に目を光らせていた。
「試験が近いんだから、練習した方が良いんじゃなかったのか?」
シノが思ってもいない殊勝な言葉を口にする。
「ここまで来ておいて何言ってんのよ。それに、こんな機会めったにないんだから! ユリアーネ殿下は軍務でご多忙で、こういった行事にはめったに参加なさらないのよ。それに、殿下は卓越した魔術師であるのと同時に、自らの部隊も率いていらしてーー」
いつになく、シェイラは高揚している。
いかにユリアーネ王女が素晴らしいか、聞いてもいない王女の功績を喋り倒していた。
どうやら王女に対する思い入れの程は、この群衆と同じであるらしい。
俺にはピンとこない名前だ。
「どうでもいい……」
シノが嘆息すると、人々がどよめいた。
「いらしたわ! ほら! 見て、シノ・グウェン!」
さらに興奮した様子で、シェイラはピョンピョンと飛び跳ねていた。
大通りに目を向けると、丁度、前をユリアーネ王女と彼女の部隊が通過する所だった。
長く青みがかった髪を後ろに流した長身の女性が、鋭い目つきの槍を持った金髪の少女一人を従えて進んでいる。
王女の歳の頃は二十歳そこそこといったところだろうか。
毎朝鏡で見る自分の顔から判断するに、俺よりは年上のようだ。
もっとも、正確な自分の年齢なんて分からないが。
ユリアーネは至近距離に金髪の少女、後ろに隊員と思われる魔術師たちを従えて、時折、笑顔で群衆に手を振っている。
そのたびに大きな歓声が沸き起こった。
傍らに従っている少女は、仏頂面を崩さない。
「しかし、この雰囲気……。気味が悪いな」
いい加減、場の喧騒にうんざりしていたシノがふと、視線を感じた。
今しがた前を通り過ぎた、ユリアーネの傍らにいた金髪の少女がシノを見ている。
目つきが鋭いのは相変わらずだが、目に籠った感情は良いものではなかった。
そして、彼女は近くのユリアーネに何か耳打ちをした。
笑顔だったユリアーネが顔をしかめる。
ーー何かは分からないが、少なくとも楽しいことじゃなさそうだ。
「俺はもう行くぞ、オドリオソラ。もう十分見た」
ユリアーネがこちらを見る前に、シノは背を向けて、足早にその場を離れた。
「あっ、ちょっと待ちなさいよ! 行進が終わったら、この通りの学校側の入り口に集合だからね! 一人で帰っちゃダメ! 危ないんだから!」
立ち去るシノを見とがめたシェイラが声を上げた。
「俺は子供かよ……」
シェイラの大声を背に、シノは足早に手近な路地に入り、ようやく一息ついた。
背後への警戒も怠らない。
王女に顔は確認されなかったはずだ。
しかし、あの金髪女……俺の事を知っているのか……?
知っていたとしても、あの様子じゃロクな情報じゃなさそうだ。
最悪の場合、敵対関係だった、なんてことも有りうる。
彼女たちに確かめに行くのは、やめた方が良いだろう。
そう決めて、行進が終わるまでどこか人目につかない所に行こうとしたその時、
「少し、宜しいでしょうか?」
背後から声が投げかけられた。
鈴が転がるような美しい声だが、詰問するような響きがあった。
ある種の予感を持ちながら、シノはゆっくりと振り返る。
どうやってあの行進から抜け、後を追ってきたのか、声の主はさっきの金髪女だった。
手には槍を持っている。
槍を持つ手はきつく握られ、指の関節部分は白く変色していた。
話し合いに来た様子ではない。
オドリオソラよ、誰も俺の事なんか気にしないんじゃなかったのか。
一番面倒そうなやつに絡まれたぞ、まったく……。
「何か用か? あいにく、俺はこの辺の地理については疎い。聞きたい事があるなら、他を当たることをお勧めするね」
つとめて驚きを表に出さないように、シノが切り返した。
「随分と他人の視線に敏感なんですね。こんなところに隠れて、何をしているんですか?」
返答には反応せず、金髪の少女は問いを重ねた。
その口調はもはや尋問だった。
「別に何も。敢えて言うなら、女の子の熱烈な視線を感じて、恥ずかしくなってしまったというところだ。純情なんでね」
「正直に言うつもりはない、ということですか?」
少女は手に持った槍の柄で、トン、と地面を打った。
何がなんだかさっぱり分からないが、何かしらの嫌疑が掛けられているらしい。
しかも、王女の傍に侍っている者が、直接出向いてくる程のものが。
どうする、強行突破するか。
「随分と乱暴だな、こっちはただの学生だ。身に覚えがないんだけど」
行動を決めかねたシノが言葉を繋げる。
「確かにシュミート王立魔術学校のローブを着てはいますが、あなたからは魔力が不自然なほどに感じられません。確認したい事があるので、同行願います」
言葉面こそ丁寧だが、有無を言わさぬ迫力があった。
逃がしはしない、というように彼女の眼は油断なく、シノの動きを観察している。
「確認したい事? 彼女なら絶賛募集中だ。安心してくれ」
「最近、魔術師の方々が襲撃される事件が相次いでいます。被害者の方は、口にするのも憚れる状態です。調査によれば、下手人は高度な隠密の技を身に着けているそうです。例えば、自らの魔力を完璧に隠してみせる……とか」
シノの軽口は徹底的に無視をして、少女が話を続ける。
「興味深い話を聞いたな。お互い気を付けよう。じゃあな」
「どこへ行くのですか?」
立ち去ろうとしたシノを、少女は再度呼び止めた。
殺気を帯びた、鋭い声。
「残念ながら、俺とは無関係だ。それにこの後、人と約束があるんだ。すっぽかすと恐いし、何より知られたくない事情もある」
『喪失者』であることを明かすと、学校との誓約を破ることになる。
魔術的な誓約を反故にするとどうなるのかなんて、想像したくもない。
「事情……ですか。では、引きずってでも連れていくことにします」
「ナンパの次は誘拐かよ……」
「……」
シノが茶化したが、少女は何も言わず、槍を構えながら身を屈め、全身をしならせて前へと跳んだ。
間合いは、声を掛けた時から少女のものだった。
加えて目の前の男は、何の臨戦準備もできていない。
次の瞬間には自分の槍が男を捉えている、と若いながらも歴戦の少女は確信していた。
「ㇱッ!!」
短く鋭い気迫とともに繰り出された槍の穂先はしかし、シノに届くことはなかった。
彼女の攻撃は完全に躱されていた。
少し体を開くという、ほんの僅かな動作によって。
彼女が空振りに気付いた瞬間、シノが僅かに引いた拳を槍もろとも少女に打ち込んだ。
「キャッ!」
短い悲鳴を残して、少女の身体は宙を舞ったが、そのまま堕ちるという無様はせず、態勢を立て直し、綺麗に着地した。
シノはその場から一歩も動くことなく、飛び込んできた槍手を捌いてみせた。
「お見事。良い軽業師になるな」
パチパチ、とシノが気の抜けた拍手をした。
「やはり、只者ではないようですね……。初撃で見切られたのは初めてです」
「今の、避けないと心臓に刺さってたけどな。心臓に刺さってたら、話を聞くどころじゃないと思うんだけど……」
シノは非難するような目を少女へ向けた。
「か、躱されることも想定の範囲内だったんです! 躱しきれずに、適当な所に刺さったら丁度いいと思ったんですッ!」
彼女も言い訳がましく、弁解した。
「お前さっき、初撃を見切られたのは初めて、って言ってただろ」
「だ、大体、あなたが大人しくついてくれば、こんな事にはなっていません」
「暴論だな……」
「と、とにかく、あなたの実力の程は分かりました。私は全力でかからなければならないようです」
そう言って、少女は槍を構えなおした。
「腰の剣は使わないのですか? そちらもただの剣には見えませんが」
少女に指摘され、シノは己の腰に佩いている黒い鞘に入った剣に目を落とした。
柄に手を掛け、引き抜いてみるが、全く抜ける気配はない。
シノが首を横に振る。
「ダメだ、これは使えない」
「なら、使わせてみせましょう」
「勿体ぶってるわけじゃないんだが……。少しだけ、人間の動きが読めるってだけなんだ。俺は史上最弱も最弱の魔術師だよ。だから、全力なんてやめようぜ。疲れるだろ。ここらで手打ちにする、っていうのはどうだ?」
シノは、半ば諦め顔で提案してみたが、対する返答はメルヴィナの宣戦布告だった。
「ユリアーネ王女殿下が『槍』、メルヴィナ・ウォールズ、参ります!」
目の前の男を強敵と認め、金髪の少女、メルヴィナが名乗りをあげた。
「……んっ」
名乗りを受けたシノが突っ立っていると、お前も言え、というように顎をしゃくる。
「形から入るヤツだな。……シノ・グウェンだ」
「<水と風のマナをここへ! 二を一にして、此れを雷と為さん>」
シノが名乗るやいなや、メルヴィナは魔術を発動させた。
2属性の複合魔術による雷撃は、正確にシノが立っている位置を狙い、着弾と同時に小規模な爆発を引き起こした。
衝撃による土埃や、破壊された路地の破片がもうもうと舞い上がる。
「やり過ぎました……。生きてますか?」
後悔を顔に滲ませながら、いまだ晴れない土埃に向かって問いかけた。
「なんだお前、魔術師だったのか」
緊張感の欠片もない、意外そうな声は彼女の前方からではなく、背後から発せられた。
「いつの間に……。まさか、空間制御術ですか?」
振り返ったメルヴィナは驚愕を隠せない。
「それこそまさか、だな。走って回り込んだんだよ。おかげで明日は筋肉痛だ。……っと、さすがに騒ぎになるよな」
「動くな! そこで何をしているッ!」
爆発音を聞きつけた近衛兵達が集まってきた。
「こ、これはウォールズ准将」
メルヴィナの姿を認め、隊長格の男が姿勢を正す。
「丁度良い所でした。今すぐそこの男をーー」
途中まで言いかけて、メルヴィナは言葉を飲み込んだ。
先程まで立っていたシノの姿が消えていた。
「どうかされましたか?」
近衛の男が、不思議そうにメルヴィナの視線の先に目を向けた。
「そこに立っていた黒髪の男がどこに行ったか知りませんか?」
前のめりになりながら、メルヴィナが確かめた。
「男……ですか? 私は気付きませんでしたが……」
自分が何か失態を犯したのではないか、と近衛の男が恐る恐る答えた。
「逃げましたねッ! あの男!」
普段は冷静沈着なメルヴィナが、地団太を踏んで悔しがる様子に駆けつけてきた近衛兵たちは顔を見合わせた。
「絶対に捕まえてやりますからぁ!」
悔し気な声が、寂しい路地に響き渡ったが、勿論それに答える者は居なかった。