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1-19 黎明Ⅰ

 赤煉瓦と魔術の都、イスファーンは夕暮れ時が最も美しい。


 かすかに蒼さの残る空と、夜の王都の闇を照らす蓄光石の青白さを反射する赤煉瓦の色合いが対比され、赤色がより映えるのだ。


 高い城壁が貴族街から退廃地区まで、王都を構成する全てを抱き、台地に築かれた王城が、そこで暮らす人々を見下ろしている。


 一際高く聳え立つ主塔には、このアイン・スソーラを治めるローゼンヴェルグ家が君臨し、王都の民の誇りとなっていた。



 その王都イスファーンでは、先日までの張り詰めた緊張感は薄れてきている。


 日が暮れ、夜の闇が迫る時刻になっても、行き交う人の流れは絶えず、市場では客の呼び込みの声が喧しく飛び交っていた。


 シュミート王立魔術学校においても同様で、己の研鑽のみに没頭する日常の日々が戻ってきていた。


 前回の襲撃から『目玉狩り』は、息を潜めている。


 もっとも、その襲撃は大衆の耳に入ると様なものではなかったが。


 そして、シノにとっては有難くない事に、シェイラによる放課後の個人指導が、再び習慣となりつつあった。



 だがその日、シェイラはどこか上の空だった。


 時折、思いつめたような顔をして黙り込んでいる。


「おい、具合でも悪いのか? 今日、変だぞ」


「大丈夫よ」


 このやり取りも、部屋に入ってから、既に片手の指を数えている。


「ねぇ、どうして殿下に協力したの?」


 しばらくの沈黙の後、不意にシェイラが言葉を零した。


「急になんだ?」


「あの時、命令だって言ってたけど、もし嫌なら、アンタが素直に従うとは思えないわ。殊勝な忠誠心を持っているようには見えないし」


「うるせぇよ……金髪女から、なんか聞いたか?」


「ウォールズ? なんでアイツが出てくるのよ。あれから姿も見せないじゃない。それとも……あの後に会ったの?」


 シェイラがジロリとシノを睨む。


「まさか。俺も会ってないよ。お前の兄貴に怒られたんじゃねぇの? 様子を見る限りじゃ、好き勝手やっていたみたいだしな、あの王女さん」


「そう、ならいいわ」


「俺にも一応の愛国心らしきものがあったって事だな」


「……」


 シェイラは胡散臭そうに、目の前で軽薄に笑っている男を見つめる。



 そして、少し逡巡した後、意を決した様子で再び口を開いた。


「私ね、オドリオソラ家の実の娘じゃないの。養子なのよ、私とお兄ちゃんは」



 子に恵まれない貴族が、自らの家を存続させる為に、他家から養子を取る事は珍しくない。


 だが、オドリオソラ侯爵家の現当主がそもそも結婚もしていない、となると話は別だった。


 後継者の育成は、今後、自分の家が国に貢献していくための貴族の義務である。


 果たすべき義務を最初から放棄している。



「そうか」


「あんまり驚かないのね」


 シノの無関心ぶりに、シェイラは少し拗ねたように唇を尖らせる。


「なんか事情があるんだろうよ」



正直、興味もなかった。


今、目の前にいるのがシェイラ・オドリオソラだ。


過去なんてどうでもいい。



「そうね。あたしも慈善行為だとは思っていないわ。養子になってすぐ、貴族としての作法よりも先にオドリオソラの秘術を叩き込まれた。特にお兄ちゃんは嫡子だから、その深奥まで、会得させられたと聞いているわ。でも、お兄ちゃんはやり遂げた。短期間で、オドリオソラの跡取りに足る力を身につけた。王城に入り、オドリオソラの誇りを取り戻した」


「それがどういうもんなのか、俺には分からないけど、凄いな。妹への愛がなせる業か」



 家を継ぐ為に養子になったのなら当然、秘術も継承しなければならない。


 出来なければお払い箱になるだけだ。


 一族の秘術を中途半端に知る者を、放置しておくわけもない。



 アロイスの執念の源は、シノでも容易に想像できる。


 だが、対するシェイラの顔は痛みを堪えるようなものだった。


「でも、その頃から、お兄ちゃんの笑顔が無理をしているように見えるようになったの。あたしの知らない所で何かやらされているみたいだった。居なくなったと思ったら、怪我をして帰って来ることも多かったわ。オドリオソラは殺しの家系だって、あんたも知ってるでしょ」


「そういや、前に王女さんが何か言っていたような気もするが……。詳しくは知らないな」


 シノは正直に答えた。



 シェイラは誠実に話している。


 嘘でごまかす気にはなれなかった。



「ウソ……。いえ、だから最初からあたしを部屋に入れたのね。無知ゆえだったか……」


 シェイラが少し寂しげに笑う。


「初代オドリオソラ……その頃は侯爵位を受けてはいなかったけど、元々は先王の庶子だったそうよ。本来なら陽の当たらない所で、ひっそりと生きていく筈だった。ところが、秘術を編み出してしまい、それは人を殺すのに向いているものだった。丁度、『大災厄』の終息直後のことよ」


「『大災厄』の後、この国は混迷を極めたそうだな」


 シュミートでの学生生活において、何度聞かされたか分からない話を、シノが思い出しながら言った。



 異世界から現れた悪魔を退けたとはいえ、各国が受けた被害は甚大なものだった。


 大英雄召喚の地であるアイン・スソーラでは、それに加えて、特に大英雄の処遇に関して紛糾することになる。


 排除しようとする者、利用しようとする者、様々な思惑が入り乱れていた。


 一方、召喚に協力した他国は、アイン・スソーラが大英雄という巨大な戦力を独占する事に危機感を募らせていた。


 そういった勢力によるものか、それとも自分の意思なのかは分からないが、何人かの大英雄は姿を消し、その後の消息は知れない。


 結局、召喚に協力し合った3つの国は、力が均衡するように、大英雄の身柄を引き受けた。


 アイン・スソーラ王国に残った大英雄の一人が、現シュミート魔術学校校長、アレイスター・クロウリーだった。


 彼は特に軍事力としての魔剣の普及や、魔術体系の構築に力を注いだ。


 結果、この国の戦力はたった数年で十倍に跳ね上がったといわれている。



「その政治的混乱に乗じて、王位の簒奪を目論んだ輩もいた。でも、彼らは歴史の表舞台に出てくる事なく消えてしまったわ」


「それはオドリオソラの魔術師が?」


「えぇ。その功績が称えられ、侯爵位を叙爵したのよ」


「なるほどなぁ。じゃ、オドリオソラが要らん世話を焼くのは、俺に過去の自分でも重ねてるのか?」


「あたし、そんなに優しくもなければ、暇でもないわ。それについては本当にただの自己満足というか、義務というか……そんなようなものよ」


「そうかい」



話したくないみたいだな。


なら、無理に聞くこともない。



「それで、その……どう思った?」


「別になにも」



 得体の知れなさなら、負けてはいない。


 むしろ、自分の事すら分からない俺よりはマシだといえる。


 一体、今まで何をしてきたのかを考えると不安になる。


 やけに習熟した対魔術戦闘、クロウリーを前にした時の堪え難い殺意……。


 真っ当に生きてきたとは、到底思えない。



「何も?」



……何か言葉が欲しいのか。



「別にオドリオソラが殺して回ったんじゃないんだ。お節介な友達、それだけだろ?」


「……あんたの言う通りね。最近、考えちゃうのよ。一体、何の為にあたし達を引き取ったんだろうって……。ほら、魔術師って無駄な事はしないじゃない? それなりに大切なものも出来ちゃったし」


「これは俺の勝手な推測だけど」


「何よ」


「もし、今の話をする事で、助けを求めているつもりだったなら、他を当たった方がいい。あまりこういうことについては、役に立たん」


「……もし……もし、それでもあたしが、あんたに助けてと言ったら、どうする?」


「助けるよ。お前がどんな状況に陥っていようとも、一度は全力で助ける。それが “対価”なんだろ?」


 返答には一瞬の躊躇もない。


「ありがと。言ってみただけよ。……そんな勝手な事、あんたには頼めないわよ」


「そうか。では、ご用命の際は、是非この私めを」


 シノがおどけて、深々と一礼する。


「お姫様に仕える騎士みたいね」


「いや、賊の親分に(かしず)く子分ってとこだな」


「何ですって?」


「何でもありません」


「ふふっ、口は達者ね。魔術もそれくらいだったらいいのに。今日はここまでにしましょう。続きはまた明日」


「じゃあな」


「ええ」


 手早く片付けながら、シェイラが周囲の魔力(マナ)を探る。


 誰もいない事を確かめてから、シノの部屋を出た。



 扉が閉まり、室内には静寂が帰ってくる。


「頼めない、か……。頼まない、じゃないんだな、オドリオソラ。……ん?」


 シノは、この場所に相応しくない精気を感じ取り、顔を歪めた。


 血に汚れ、濁った精気(オド)だった。


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