1-17 接敵
宴、というものは人を開放的にさせる。
特に貴族という人種はそうだ。
城での大規模なものとなれば尚更である。
例えば、人気のない街を人目を忍びながら、貴族の娘が一人で歩いていても、城を抜け出し、愛しい人が待つ逢引の場所へと急いでいるように見えるかもしれない。
しかし、眉間に皺を寄せて、槍を片手に堂々と城門の前で仁王立ちしていては、そういった色事を想像する事は出来そうもない。
より貴族の令嬢らしく見えるようにと、着たくもない、煌びやかなドレスを着せられている事も、少女を一層不機嫌にしていた。
「ごめーん、待った?」
「遅い!」
真紅のドレスに身を包んだメルヴィナ・ウォールズが、ようやく現れた黒髪の少年、シノ・グウェンを睨みつける。
「そこは、『ううん、今来た所よ』だろ?」
返事は鈍く光る槍の穂先だった。
「悪い、悪い。オドリオソラを撒くのに時間が掛かった」
「予定の時刻を過ぎています。早く行きましょう。槍を持ってください」
手にしていた槍をシノへ押し付ける。
思わず、シノが身を竦めた。
「どうしたんですか?」
「いや、刺されるのかと思って……」
「刺しませんよ。私が持っていては不自然です。グウェンさんが持っていれば、き……貴族の娘と従者の騎士に見えるでしょう」
僅かに耳を赤らめながら、メルヴィナは外出禁止令が出された、静かな城下町へと足を向けた。
「どこに行くんだ?」
メルヴィナの2、3歩後ろを歩きながら、シノが問いかけた。
「暫く街を回った後、郊外に向かいます。遮蔽物が多く、魔術師にとっては戦い辛い場所でしょう。それに、無関係な王都の民を巻き込む可能性も低い筈です」
勿論、同じ魔術師であるメルヴィナにとってもそうである筈だが、気にもしていない。
槍術と魔術を組み合わせた戦闘術に、メルヴィナは絶対の自信を持っていた。
「ふーん。まぁ、俺の出番がないのが一番いい。ぜひ頑張ってくれ」
きょろきょろと周りを見回しながら、自分の斜め後ろを歩き、気の抜けた返事をするシノを軽く睨む。
つい最近、『王女の槍』としての自信を多少揺らがせた張本人である。
「おー、すげえ。あれは何だ、どうやって光っているんだ? 魔術師が魔術をかけ続けているのか?
それとも永久化ってやつか?」
基本的にシュミートの学生は、夜間の外出は禁じられている。
完全に夜のイシュバーンをちゃんと目にするのは、シノにとってこれが初めてであった。
「蓄光石です。昼の間に吸収した光で、夜を照らしています」
「光って溜められるのか……」
感心したように、シノが蓄光石の灯りを見つめる。
初めて魔術を目にした子供のようだ。
メルヴィナが、心の中で小さくため息をついた。
どうにも、緊張感が足りませんね……。
街に出てからこっち、あれは何だこれは何だと気が散って仕方がない。
王女殿下直々の依頼、その意味と重さを理解しているのか。
そもそも、蓄光石なんかの日用品に驚くなんて、どんな生活をしてきたのだろうか……?
出生、経歴、年齢、魔術属性、いずれも不明。
それどころか、よりによって魔力を持たない喪失者ときた。
程度の差はあれど、多くの王国民が魔力を扱うアイン・スソーラでは、喪失者はこの上ない異常だ。
そんな人物の詳細が分からない、などということはあり得ない。
ユリアーネ傘下の優秀な諜報員が担当したはずだが、結果は全てが『不明』と言う文字に埋め尽くされていた。
空欄の多い調査書を思い出し、メルヴィナは軽い頭痛を覚えた。
この際、分からないというのは構いません。
問題はそのような人物を、リアン様が近くに置きたがっている、という事です。
「それで、お前なんでそんな格好をしてるんだ? 戦う気、あるのか?」
人知れず悶々としているメルヴィナの後ろで、シノがドレスの裾を摘み上げた。
「っ! 無駄口を叩いていないで、ちゃんと──」
怒鳴りかけたメルヴィナが、続く言葉を飲み込んだ。
シノの表情が消えているのに気付いたからだ。
気配が冷たく鋭いものになり、好奇心に輝いていた黒い瞳は、今は奈落のように色を失くしていた。
あるのは純粋な殺意だけだ。
その殺意が自分に向いているものではないという事実に、メルヴィナは密かに安堵した。
「来たな」
「何を言って──」
「黙れ。このまま行け。俺はここまでだ」
シノの口調は、有無を言わせない。
無機質な言葉を残し、シノが足早に、疎らになった人家の間へと消えた。
「えっ、ちょっと、どこに行くんですか!」
極度に気迫な魔力は、すぐにメルヴィナにその居場所を見失わせる。
後を追おうとした時、身体をびくんと硬直させた。
──掛かった。
魔術師が一人、自分を意識の中心に据えている。
あの男は、これを察知して逃げたのか。
明確な害意を帯びた魔力が、チリチリとメルヴィナを刺激した。
やはり魔術師……。
あまり隠すつもりはないようですね。
濃密な魔力から、熟達した魔術師だと推測された。
此方が気付いた事に、相手は気付いている筈。
ここで仕掛けてこないのは、戦場は選ばせてやるという侮りでしょうか。
「上等です」
一つ呟くと、メルヴィナはゆっくりとイシュバーン郊外に向かう。
──あの男は、後でリアン様に報告ですね。
目を掛けた者が逃げた事実は、主人の顔を曇らせるだろうかと、メルヴィナは少し胸を痛めた。
やがて、人の営みの気配が完全に消え、木々が生い茂る王城の裏を進んだ先、イシュバーン郊外へと辿り着いた。
「いい加減、出てきたらどうですか? 気付いているんでしょう」
闇から溶け落ちるように、ゆらりと黒い影が現れる。
姿隠しの魔術により、全身が黒い靄に覆われている。
素顔はおろか、性別さえも判別できない。
枝の間から僅かに届く月光が、地面に不気味な影を落とした。
黒い影は、王城へと続く道を塞ぐように立ちはだかっている。
「確認しておきますが、あなたが魔術師を襲っている『目玉狩り』でしょうか?」
黒い影は答えない。
ただ、敵意は一層膨れ上がった。
「沈黙は肯定と受け取ります」
対峙するメルヴィナが、自身の魔力を高める。
「水と風のマナをここに──」
メルヴィナが詠唱を始めようとした時、黒い影の腕が風を切った。
丁度、なにかを投擲するような動きだ。
「肉体詠唱──!」
肉体詠唱と呼ばれる特殊技能。
本来は、頭の中のイメージをより鮮明なものとする為に補助的に使われるものだが、極めると唇を動かすことなく魔術を発動させる事ができる。
欠点として、発動のタイミングを読まれる事になるが、それを補って余りある即時性を持ち、好んで使用する魔術師は多い。
メルヴィナがその場を飛び退き、攻撃に備えるが、なにも起こらない。
腕の動きに気を取られた瞬間、黒い影はメルヴィナへと肉薄し、手にしていた短剣を振り上げた。
振り下ろされた剣を、メルヴィナが咄嗟に槍で受け止める。
ガキン、と耳障りな音とともに、火花が散った。
「小細工は達者なようですね。それに、ずいぶんと速い。もしかして、シノ・グウェンという名前だったりしませんか?」
ギリギリと刃を受け止める槍の下で、メルヴィナが歯を食いしばる。
──力では勝てませんね。
短剣を槍に滑らせるように受け流すと、黒い影が体勢を崩した。
間髪入れずに、返す槍でメルヴィナが無防備になった影の胴体へ突き入れるが、崩れた体勢そのままに、黒い影が上へと浮かび上がる。
予備動作も何もない、人体の構造を無視した機動力だった。
そのまま放物線を描き、元いたところへ着地する。
「魔術で重力に干渉しているのですか……」
メルヴィナの頬を汗が伝う。
重力とは、一種の空間の歪みである。
その空間まるごと書き換えるためには、部分的、一時的とはいえ、星そのものを上書きしなくてはならない。
重力場への干渉魔術は、『地』に属する最高位の魔術であるが、これほどの規模のものを目にするのは初めてだった。
強大な重力は、光すらも捻じ曲げるという。
魔術比べをしても勝てないであろう事は、メルヴィナが一番よく分かっていた。
それに先程の魔術……。
詠唱に集中する時間はありませんでした。
つまり、槍を受けながら、強大な魔術を発動させる為の詠唱を完成させた、という事になる。
対峙している敵は、間違いなくメルヴィナが今まで戦ってきた中では最強の魔術師だった。
だが、短剣の扱いにはさほど習熟してはいない。
あの短剣は、追い詰めた獲物にとどめを刺す時か、目玉を抉り出す為に使われるのだろう。
ですが、速度において、雷に勝るものはありません。
メルヴィナに勝機があるとすれば、相手よりも早く詠唱を完結させ、接近戦にて決着を図る。
最速の槍と、最速の魔術。
これがメルヴィナの武器である。
「雷よ!」
槍を構えたまま、左手を振り上げ、マナを練り上げる事に全力を傾ける。
僅かな詠唱で顕現した何条もの白色の雷光が、メルヴィナを中心に雷鳴を轟かせた。
精密には狙えないが、問題はない。
その為に、人の居ない郊外を選んだのだから。
黒い影の腕が、今度は何かを引き寄せるような軌跡を描く。
「また小細工を!」
雷撃を放つべく、振り上げた左手を影に向けようとしたが、果たされることは無かった。
「──え?」
メルヴィナの視界の高さが、一段ストンと落ちたのだ。
膝をついたのだと気付くのに数秒の時間を要した。
対象から意識が逸れ、同時に白色光も輝きを失う。
右膝の裏に押し寄せてきた焼けるような激痛に、メルヴィナが事態を悟った。
「切られた……?」
馬鹿な。
こんな芸当が出来るのは、『風』に属する魔術だ。
だが、目の前の魔術師は先刻、『地』の魔術を見せたのではなかったか。
激痛に濁る意識の中で、メルヴィナは違和感を覚えた。
相反する二つの属性を、身体に宿すことは出来ない。
『目玉狩り』は、少なくとも2人いるという事か、そもそも相手の魔術を見誤っていたか。
いや、そもそもこの国で魔術師を志したのなら、自らの魔術を隠すなんて事はしない。
『目玉狩り』は他国の魔術師か、正規の教育を受けていない魔術師か。
──主に伝えなければ、この情報を。
動けない獲物へと黒い殺人鬼が、再び短剣を手に疾走を開始する。
「リアン様に情けない死体を見せる事はできません……!」
メルヴィナは槍を突き立て、力を振り絞り、立ち上がった。
渾身の魔力を眼に走らせる。
『目玉狩り』の狙いは、眼だ。
やった事は無いが、魔眼の真似事で、せめてもの抵抗を──。
恐れずに迫る影を見据え、反撃のタイミングを計る。
──その時。
メルヴィナは背中が粟立つのを感じた。
眼前に迫る襲撃者に対する恐怖ではない。
背後に忽然と出現した、目前の敵など霞んでしまう程の殺気に、である。
やはり、仲間が──。
死を予感し、身体を強張らせるメルヴィナの顔を掠めるように、襲撃者へと掌底が叩き込まれていた。
硬いものと肉がぶつかり合う鈍い音がした。
飛び込んできた黒い影は、一瞬身体をぐらつかせたが、二度目が打ち込まれる前に後方へ跳んだ。
「仕留めたと思ったけど、硬いな。どうも手応えがない。あーあ、次はこんなんかよ。お前もよりによって今日出てくるなよ。もっと察しろよ、色々と」
「……」
訓練された凶手らしく、『目玉狩り』は呻き声一つ漏らさない。
身を低くして、突如現れた新たな敵を警戒していた。
メルヴィナが後ろを振り返ると、痺れを取るように腕を揺らすシノが立っていた。
軽い口調とは裏腹に、凍るような殺気は鋭さを増すばかりだ。
シノの体内で飽和し、溢れた精気がメルヴィナの魔力を削り取っていった。
「大丈夫か?」
シノがメルヴィナを気遣うが、目線は『目玉狩り』を捉えたままだ。
思わぬ闖入者に、メルヴィナが目を見開く。
「逃げたのではなかったのですか?」
「そんな事言ってないだろ。一緒に居るのはここまでだと言っただけだ。それより、ひどいじゃねぇか。まだ疑ってたのかよ」
「……ではずっと見ていたと?」
「あぁ、見ていたとも」
シノがさらりと白状する。
「もちっと弱らせてくれてれば、防御の上からでも打ち抜けたかもな」
「あなたという人は……」
死を目前にし、極度に緊張していた身体から力が抜け、メルヴィナは槍に身を預けた。
「怒るなよ、金髪。文句は後で受け付ける。でも、俺はメルヴィナ・ウォールズを守れと言う王女さんと、自分でやると言ったお前の両方を立てたつもりだぜ? ……それに、こういうのは、目的を果たそうとした瞬間が、一番気が緩むんだよ」
「一応、お礼を言っておきます。それよりも気を付けてください。重力を操る手練れの『地』の魔術師です。それに、他に仲間がいる可能性があります」
血を流し、座り込んだまま、メルヴィナが忠告した。
「チッ、その通りだな。まぁ、仲間ではないと思うが。諦めの悪い奴だな」
シノが悪態を吐く。
影がジリジリと後退を始めた。
「リアン様の命は、『目玉狩り』の捕縛。グウェンさん、追って下さい」
「お前は?」
「私には構わず。これくらい、どうということはありません」
痛みに顔を歪めながら、メルヴィナは強がる。
「そうだな。その程度では死なん」
それ以上は聞かず、シノの姿が僅かな土埃を残し、かき消えた。
脚に精気を巡らせ、加速したのだ。
影も即座に飛び上がった。
そして、そのまま、手が届かない空中で静止する。
「はぁ!? そんなのありかよ。空も飛べるのか。すげえな魔術師」
捉えるべき対象を失った拳を下ろし、シノが素っ頓狂な声を上げた。
「そんな訳はありません。重力を操っているんです。此方の攻撃は届きません。雷撃も無意味でしょう」
「そうか。まぁ、それほど上がれないようだし、問題ない。要はあそこまでたどり着けばいい話だ」
地を踏みしめ、精気を再び活性化させる。
宙に浮いている黒い影の右手が上がった。
「『風』の魔術です! 」
「散らしてやるよ!」
固めたシノの拳に、大地から発せられた精気が纏わりつく。
強大な『地』の気に『風』の魔力を宿すメルヴィナが激しく咳き込んだ。
相反する属性の精気がメルヴィナの体内を走る魔力の循環を寸断した。
「おい、大丈夫か?」
「はぁ……はぁ……。あなたの……せいです! なんて、力……」
「もう少し我慢してくれ。すぐに終わらせる」
シノが地を蹴ろうとしたが、影は上げた腕を下ろした。
「あんだけでかい音たてれば、そりゃ気付くよな」
「シノ・グウェン、あんた、何やってんのよ!」
「来るな!」
「来ないで下さい!」
夜の闇の中にあっても、銀の髪は輝いていた。
二人の叫び声も耳に入らず、向こう側から全速力で駆けてくるのは、シェイラ・オドリオソラだった。
『目玉狩り』は完全にシェイラへと顔を向けている。
「クソっ!」
脚の精気を解放し、弾丸となったシノが、影をめがけて突進するが、杞憂に終わった。
空中で身を翻して躱すと、黒い影はそのまま木々の間を縫うように飛び去った。
シノが影の痕跡を追うが、全く感じ取れない。
「これも魔術か……。用意周到な事で。それにしてもなんで逃げたんだ、あいつは」
目の前に無防備な魔術師、絶好の獲物だと思ったけど……。
考え込むシノの腕を、シェイラが強く掴んだ。
「あんた……なにやってるの?」
「お散歩……」
「ちゃんと答えなさい!」
親に叱られた子供のように、シノが身を縮こまらせる。
「あー、うん、まぁ偶然な」
シノが口ごもる。
「私が……頼んだのです」
メルヴィナが口を挟んだ。
苦しげに息を乱している。
深紅のドレスは、さらに深い紅に染まっていた。
「ウォールズ、怪我してるの!?」
地面に広がる赤い水溜りを目にすると、シェイラが転がるように駆け寄った。
「酷い……。取り敢えず、傷を塞がなくちゃ」
ザックリと切り裂かれ、赤黒く腫れ上がった傷口を見て、シェイラが息を呑んだ。
患部を指でなぞりながら、魔力を練り上げる。
「……終わったわ。傷口は縫い合わせた。後は治癒術師の仕事ね」
滴り落ちる汗を拭い、シェイラが息をついた。
「へぇ、器用なもんだな」
「ありがとうございます。……くっ!」
メルヴィナが恐る恐る立とうと試みるが、激痛に呻き声を漏らした。
「まだ駄目よ! 表面を塞いだだけなんだから。中はズタズタよ。筋肉やら腱やら、くっつけてもらわないと。ほら、つかまって」
シェイラがメルヴィナに肩を貸す。
「とにかく、イシュバーンに帰りましょう。中に入れば、ここよりは安全よ。シノ・グウェン、周囲の警戒をしておきなさい」
「りょーかい」
「あんたは何ともないの?」
「大丈夫だ」
「そう、良かった」
安堵し、シェイラとメルヴィナが歩き出す。
シノも後ろを守りながら続いた。
「止まれ。3人近付いてくる。魔術師だな」
イシュバーンまであと少しという所だった。
シノの声に、前を歩くシェイラも脚を止める。
「さっきのヤツかしら……」
シェイラがメルヴィナを庇うように、前へ出る。
メルヴィナは力なく槍を構えた。
程なくして、前方に明かりが見えた。
紅いローブの魔術師が、2人の兵士を従えている。
兵も紅い甲冑を身に纏っていた。
真紅は近衛に属する者である事を示している。
手にしている明かりが、魔術師の銀色の髪を浮かび上がらせた。
「さて……何故、君達がこんな所にいるのか、話を聞かなければいけないな。外出は控えるよう、王令が出されているはずだが」
「お兄ちゃん!」
穏やかな声の主は、アロイス・オドリオソラだった。
「晩餐会の最中、急に雷鳴が鳴り響いてね……。様子を見にきた訳さ。ウォールズ准将、さっきの雷は君か?」
「はい」
シェイラの肩から手を離し、ふらつきながらも直立する。
「怪我をしているようだね。城で治療して貰うと良い。切り傷に効く、良い薬がある。君がいるという事は、今回の件は、直接殿下に聞いた方が話が早そうだ」
メルヴィナが無言で頭を下げる。
「シェイラとそこの男は帰りなさい。出歩いて良い時間じゃないだろう?」
「お兄ちゃん、一体どうなっているの?」
シェイラはその場から動かない。
「それはシェイラが知らなくても良い事だよ」
アロイスは優しげに妹を諭したが、態度は毅然としたものだった。
シェイラは不満げに兄を睨むが、引き下がるしかなかった。
「良い子だ。おやすみ」
口を閉じたシェイラの頭を軽く撫でると、アロイスは最後までシノを見ることなく、メルヴィナを連れて城へと帰還した。
「……変だな」
シノは遠ざかっていく、メルヴィナの背中を見つめている。
「どうしたの、怖い顔をして……」
「別になんでもない」
「それより、説明しなさい! さっきのアレはどういうことなの! 戦っていたの!?」
兄の姿が完全に見えなくなると、掴みかからんばかりの勢いでシノに迫った。
「アレがここ最近、魔術師を襲っている『目玉狩り』らしい」
つい先ほどまで、自分が接近していたモノの正体を知って、シェイラは悪寒を覚えた。
そして、次に浮かんできたのは、怒りだった。
「また危ない事して!」
「ユリアーネ王女の命令だったんだ。仕方ないだろ」
シノが肩をすくめる。
命令ではなかったのだが、言わずにおく事にした。
「殿下の……? 何を考えていらっしゃるのかしら。最近、やけにシノにご執心じゃない……」
そもそもユリアーネ王女は、ナツィオと呼ばれる直属の精鋭部隊を従えている。
表向きは近衛に属する一部隊だが、その実態は殆ど彼女の私兵だ。
緊張状態にある他国との争いの中でも、最前線に出て行く王女を、幾度となく守ってきた歴戦の勇士たち。
大切な部下を守らせるのなら、ただの学生ではなく、彼らを動かせばよい。
「ほら、早く行くぞ。まだうろついているかもしれないし」
「あっ、待ちなさい! まだ話は終わってないわよ!」
夜も更けて、すっかり冷たくなった街を2人が騒がしくシュミートに向かって歩いて行く。
指先に刺さった棘のような小さな違和感が、シノの心に居座り続けた。




