1ー16 王女の依頼Ⅳ
王族らしからぬ殺風景な部屋で唯一、存在感を放つ大きな机を前にして、重厚な椅子に腰掛けたユリアーネが、シノを真正面に見据える。
真剣な眼差しに、自然、シノの背筋は伸びた。
「貴重なスクロールを使ってまでここに呼んだのは、頼みがあったからだ。本当は秘密裏に呼び出したかったのだが……」
部屋に入ると、すぐにユリアーネが話を切り出した。
机の脇に直立するメルヴィナの表情は、いつにも増して厳しいものになっている。
「頼み?」
「簡単に言うと、メルヴィナの護衛をして欲しい」
「護衛ぃ?」
メルヴィナに向けるシノの顔には、ありありと護衛なんか要らねぇだろ、と書かれていた。
「無論、理由あっての事だ」
「リアン様、やはり護衛などーー」
「言ったはずだぞ、メルヴィ。これが条件だと。それに……賭けを忘れたか?」
まだ何か言いたげだったが、メルヴィナは口を噤んだ。
「明日の夜、城で大規模な晩餐会が催される。多くの貴族が集まり、城下の守りは手薄になるだろう。『目玉狩り』にとっては絶好の夜となる筈だ。明日は平民、及び学生達には出歩かないようにとの王令が下されている。前回の事件からかなり経ってもいる。そろそろ腹が減っている頃合いだろう」
シノが得心がいった様子で頷いた。
「囮か」
「理解が早くて助かる。メルヴィには魔力を撒き散らしながら、歩き回ってもらう。釣れるかは分からないが……。今までヤツは、一人になった魔術師を襲っている。目撃者を恐れているのだろう。魔力を感知しながら、立ち回っていると思われる。魔力が無きに等しいお前は都合が良い。最初は私が一人で囮になる予定だったのだがーー」
「ダメです」
「この通り、許してくれなくてな」
ユリアーネが苦笑する。
「当たり前です、まったく……何を言っているんだか……」
メルヴィナの眉間に刻まれた皺がさらに深くなる。
「それで、やってくれるか?」
「いいよ、やろう」
「……それはオドリオソラの娘の為か?」
「……」
シノは答えない。
「引き受ける理由があの娘と言うのが、何故か気に入らないが。まぁ、受けてくれるのなら有難い。明日、同じ時刻に来てくれ。スクロールは使えないようだし、メルヴィが行くと目立ちすぎる」
「っ……!」
視線で射殺さんばかりに、メルヴィナがシノに向ける目に呪詛を込める。
「その代わり、質問に答えて欲しい」
「私に分かる事であれば」
ユリアーネが両手の指を組み、椅子に背を預けて、シノの言葉に耳を傾ける。
「カーラ、という名前に聞き覚えはあるか?」
「カーラ……。なるほどな。ある。10年程前に城に出入りしていた魔術師の名だな」
「……! 知っているのか?」
「子供の時分に、魔術の手ほどきを受けた事がある。とは言っても時々、城内に現れては、気まぐれにああしろ、こうしろと口だけだったがな。だが、その助言が実に的を射ていてな。魔術の基礎について、彼女から手ほどきを受けられたのは幸運だった」
「今何処にいるか分かるか?」
「いや……。なにせ城に入って来ていたのも、許可を得ていた訳ではなく、勝手に侵入していたのだ。何度咎められてもどこ吹く風でな。城の防御もまるで無意味だった。当時、王城の筆頭魔術師だったアレイスター・クロウリーも最後には諦めてしまった程だ。彼のあんな顔を見たのは、後にも先にもその時だけだな」
ユリアーネの声が少し弾んだ。
「だが、ぱったりと来なくなった。子供だった私の目から見ても、相当に高位の魔術師に見えた。この世界は彼女ほどの魔術師を隠せるほど広くはない。どこかで夭折したのかもしれんな」
「魔術師……だったんだな?」
「あぁ。実際に魔術を目の前で見た訳ではないが、あの偏屈な男が一目置いていた程だ。十中八九、魔術師だろう」
カーラは魔術師……。
なら、魔剣を持っていても何ら不思議はない。
魔力が無い俺には起動すら出来ない、ということか。
なら、この変な力は何処で……。
カーラという魔術師は魔力と精気、2つの技を極めていた、という事なのか。
……考えても仕方がないか。
「ありがとう。参考になった」
「帰りは歩いて帰った方がいいかもしれん。喪失者である事が影響しているのかは分からないが、うまく転移魔術が働かないようだからな。メルヴィ、城門まで案内してやれ」
「はい」
メルヴィナが部屋の扉へと向かう。
「シノ」
続こうとしたシノを、ユリアーネが呼び止めた。
「なんだよ」
「お前は、会ったことがないのか?」
ユリアーネの瞳は、感情に揺らめいている。
「カーラにか? 生憎、顔を見た記憶はないな」
「そうか……」
「それがどうかしたか?」
少し目を閉じ、再び開いた時には、その感情は消え去っていた。
「いや、少し確認しただけだ。もう行け」
外はすっかり暗くなっていたが、城内は『火』の魔術が永久化された松明が煌々と輝き、昼間のような明るさだ。
すれ違った哨戒中の守備兵が、メルヴィナに頭を下げる。
「受けるなんて意外でした」
それに応えながら、メルヴィナが静かに言った。
「そうか?」
メルヴィナが足を止めた。
「えぇ。そして、疑り深い私は、思ってしまいます」
「……何を?」
「グウェンさんじゃないんですよね?」
じっとシノの目を見つめる。
まるで何かを探り出そうとしているかのように。
メルヴィナは本気だった。
ツィスカとの決闘を見てから、疑念をより強くしていた。
観兵式の折、自分を軽くあしらったばかりか、『焔の魔術師』と謳われ、史上最年少で軍に入ったツィスカ・ザカリアスをも打倒している。
しかも、一切の魔術を使わずに、だ。
一学生に出来る芸当ではない。
喪失者だとされているが、妙な力を操っている。
この男ならあるいは、今世最高の魔術師の守りすらも破ってみせるのではないだろうか。
「こんなに純朴な男を捕まえて、まだ疑ってたのか、お前。俺じゃない。神に誓って」
神から魔力を与えられている魔術師、ひいてはこの王国の民にとって、『神に誓う』という言葉は重い意味を持つ。
偽りを紡いだ唇で、詠唱する事は出来ないからだ。
ただ、その口調は恐ろしく気軽なものだった。
「どうせ喪失者だから関係ないんだけどな。嘘なんてつき放題だ」
メルヴィナを追い越し、シノが笑った。
「まぁ……他のヤツの身の安全にも繋がる事だからな」
笑いを収め、シノが神妙な面持ちになる。
「え?」
「アイツだって分からないようにやってたんだ、俺がそうしたっておあいこだろ。おっ、あれが城門か?」
分厚い門扉の前には、屈強な門番が2人立っている。
メルヴィナに目を留めると、踵を揃えた。
「ウォールズ准将、ご苦労様ですっ! そちらの方は……」
「お疲れ様です。殿下の客人がお帰りです」
「分かりました」
二人の門番の目は、好奇心に満ちていたが、メルヴィナの険しい表情を目にすると、何も聞かずに城門を開ける。
「では、明日の夜、ここで待っています」
「あぁ」
重々しく軋みながら、再び、門がゆっくりと閉ざされた。
城内の物音は一切聞こえない。
「……なるようになるか」
すっかり陽は落ち、夜の帳が降りているが、まだ暖かさの残る城下町へと足を踏み出した。




