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1-15 王女の依頼Ⅲ

「お待たせしました、リアン様。シノ・グウェンを連れて来ました。折悪く、オドリオソラの長女、『焔の魔術師』が、同室にいた為に手間取りました」


ユリアーネの自室に転移したメルヴィナが、部屋の主に軽く頭を下げる。


しかし、当のユリアーネは黙ったままだ。


不自然さに気付き、メルヴィナが顔を上げた。


「……そのシノ・グウェンの姿が見当たらないが」


「えっ!? あれっ? 転移場所がズレた……?」


 メルヴィナが慌てて、部屋の机の下や、衣装棚の中を見る。


「犬猫ではあるまいし、そんな所に入らないだろう。メルヴィ、まさか忘れてきたのか……」


「違います! 一緒にスクロールを破りました。ほら、見てくださいっ!」


 メルヴィナが失態の疑いを晴らそうと、羊皮紙の切れ端をユリアーネの目の前で揺らした。


「スクロールの座標が狂っていたか……。しかし、メルヴィは正確にここに転移できているが」



スクロールに刻んだ魔術式に誤りはない。


魔術は正常に起動している。



「探してきます! 変な所に出てしまっていたら、大変な事に…」



喪失者である為に、魔力探知も意味を成さない。


加えて、どうもあの少年は厄介ごとに巻き込まれるきらいがある。



 メルヴィナは嫌な予感がしていた。


「待て、私も行こう」


 ユリアーネが腰を上げた。





 胃が捩れるような、気分が悪くなる感覚が続き、シノは何か硬く、冷たいものに叩きつけられた。


「いってぇな……。おい、金髪女、お前絶対わざとーー」


 赤くなった額をさすりながら、床にへばりつかされたシノが立ち上がったが、そこにいたのはメルヴィナでも、ユリアーネでもなかった。


 飾り立てられた豪奢な部屋の中には、薄い蒼色の髪の少女が立っていた。



自分よりは年下だろうか。


強張ってはいるが、顔立ちはどことなくユリアーネに似ている。



 状況は分からないが、シノは瞬時に理解した。


 少なくとも、ここは自分が居ていい場所ではないのだと。


「や、やぁ、初めまして。良い部屋だな。急にこんなとこに放り出されて、困ったもんだ」


 ぎこちない笑みを顔に貼り付ける。



 起こった事に理解が追いついていないのか、少女は驚いた表情そのままに、口をあんぐりと開けている。


「口を開けて、大きく呼吸するのは健康に良いそうだ。馬鹿みたいに見える、という欠点があるけどな、ハハハハ……ハ……」


 シノの笑い声が虚しく響いた。


「……」


 部屋の主人が、大きく息を吸い込んだ。


「待て待て、俺は怪しい者じゃない。これを見ろ」


スクロールの切れ端を示すが、そんなものでいきなり室内に転移してきた者に対する警戒が解かれるはずもない。


「キャァァァァアッ!」


 しっかりと息が吸い込まれた悲鳴は、凄まじい声量だった。



……ふむ。


しっかりと鍛えているようだな。



 悲鳴を聞きながら、シノはそんな事を考えていた。


「殿下っ、いかがなされた!」


 悲鳴から間もなく、ドアを蹴破るようにして、数人の兵を引き連れた一人の騎士が、飛び込んできた。


 急いでいたのか、近衛の証である赤いガントレットのみを身に着け、抜き身の剣を手にしている。


 シノよりは幾分年長に見えるが、十分に若いと言っていい騎士である。


 その騎士が目にしたのは、紙切れを突き出しながら、怯える少女に迫るシノの姿だった。


「不埒者!!」


 恐ろしい怒号と共に、騎士は瞬時にシノと少女の間に割って入る。


 荒いが、鍛え抜かれた所作だった。


「無断で御寝所に侵入するなど、それだけで斬り捨てるに値するが、殺す前に一つ聞いておこう。どうやって入った?」


 シノの首筋に剣を突きつけ、問いただした。


「落ち着け。多分、スクロールがーー」


「スクロールだと……!」


 弁解の言葉は、火に油を注ぐだけだった。



 城内に転移するスクロールなど、手に入れられるはずもない。


 それは王族と少数の貴族だけが使用を許され、公務に必要と判断される場合にのみ、王城付きの高位魔術師が都度、作製するものだ。


 当然、作成日、使用用途は全て厳重に管理されている。


 そもそも、作れるだけの技量を持つ者が、一握りの魔術師だけだ。



「答える気がないのならば構わない」


 言い捨てると同時に、突きつけていた剣を大きく横に薙いだ。


「おっと!」


 無慈悲に首を落としにきた白刃を仰け反りながら、すんでの所で躱し、そのまま騎士の足を払った。


 もんどりうって、地に倒れ伏す騎士を飛び越えると、少女の背後を取った。


 瞬きする間の出来事である。


 2人の兵士は、反応すら叶わなかった。


「俺が不埒者なら、今この瞬間に、この女は害されていると思わないか?」


 少女の頭を軽く叩いた。


「貴様ぁ!」


 体勢を立て直した騎士が、歯噛みする。


 顔は紅潮し、激怒の程が窺えた。


 付き従う兵士も剣を抜く。


「だから、落ち着けって。俺はユリアーネ王女に招かれた客だ。むしろ、菓子でも出してもてなせよ」


「もう少しマシな嘘をつけ! ユリアーネ殿下をも愚弄するかっ!」


 シノを見つけた時よりも激しい怒りを燃やし、騎士が目を剥いた。


 騎士が手にしている剣が、不穏な魔力を帯びる。


「また魔剣か」


 シノは腰の魔剣へ目を落とすが、大人しく()かれている。


 ツィスカ・ザカリアスと対した時の様な反応はない。


「……よく分からないヤツだな」


 盾にしている格好の少女を隅へ押しやり、身体に精気(オド)を満たす。



「陛下より下賜されし魔剣は、国の敵に向けるものである。学生を威嚇する道具ではない、フェルテン卿」


 開け放たれた入り口から、どこか艶を感じさせる声が入ってきた。


「ユリアーネ様っ!」


 剣を構えていた騎士が即座に剣を鞘に納め、跪く。


 従えている兵士もそれに倣った。


 ユリアーネの後ろでは、メルヴィナが額に手を当て、やっぱり……などと呟いている。


 ユリアーネがシノを指差す。


「そこの男は、私がメルヴィに連れて来させた者だ」


「は……?」


 思わず顔を上げたフェルテンは、喉に何か詰まったような顔をした。


「先日の決闘の話を聞きたくてな」


「決闘……!? では、この者が……?」



 先日の決闘の模様は、イシュバーンのみならず、王城の兵士たちにも届いていた。


 しかし、フェルテンがシノに向ける目には、鬱屈した敵意が漲っていた。


「スクロールを作ってみたのだが、不完全だったようだ。驚かせてすまない、オリア」


 ユリアーネは謝罪するが、オリアと呼ばれた少女は目を合わせようとしない。


「大丈夫です、お姉様」


 目を伏せたまま、消え入りそうな声で答えた。


「お姉様……?」


 どこか姉妹らしくないやり取りが行われる中、シノは盾代りにした少女の方を見て、顔を青くした。


「オリア・ローゼンヴェルグと申します、騎士殿」


 オリアが上品にスカートの裾を摘んだ。


「ローゼンヴェルグ……。あー、殿下におかれましてはご機嫌麗しく……ご尊顔を拝し、何たる光栄ーー」


「取ってつけたような棒読みはやめろ。オリア、そいつは騎士ではない。前に話したシノ・グウェンだ」


「まぁ、では貴方がお姉様の誘いを断ったという」


 心なしか嬉しそうに、オリアが微笑んだ。


「ははは……」


 なんと答えたものか、シノが曖昧に笑う。


「断られたのではない。まだ、私のものになっていないだけだ。来い、シノ。続きは部屋でしよう」


「殿下は……この男をご自分の騎士になさるおつもりですか?」


フェルテンが跪いたまま、硬い声でユリアーネを呼び止めた。



 一定の年齢に達した王位継承権を持つ者は、身を守るという意味でも、専任の騎士を一人指名するのが習わしだ。


 指名された騎士は王によって任命される。


 ユリアーネは、直属の部隊を従えているため、専属の騎士は置かなかった。


 メルヴィナはあくまで側仕えであり、王によって任命される王女の騎士ではない。


 貴族の子女が、他の家に仕え、経験を積む事はよく行われていた。


「仮にそうだとしても、お前に関係あるのか?」


「私にも大貴族の跡取りとしての矜持が御座います。ユリアーネ殿下は次代の王の重責を担われるお方。それほどの方の騎士であれば、実力、家格共に相応しい者でなくてはなりません」


「つまり、お前を騎士にしろと? オリアの騎士では不満だと?」


 ユリアーネが不快そうに目を細める。


「滅相もありません。ただ、そこの男はどちらも満たしてはおりません」


 ユリアーネが渇いた笑い声を上げた。


「なにか……?」


「確かに、シノは下の下だなと思ってな。なにしろ、出自も、年齢すらも定かではない」


「ならばーー」


「だが、そこの目つきの悪い男は、下手をすれば大英雄より強いかもしれんぞ」


 ユリアーネが力を込めて、言葉にした。


「なん……」


「え……」


 驚いたのは、フェルテンだけではなかった。


 初めて、オリアがユリアーネの顔をまっすぐに見つめる。


 姉がそんな冗談を言わない事は、オリアが一番よく知っていた。


 驚いている二人を見て、ユリアーネが満足げに相好を崩した。



「ふっ……まぁな。照れるぜ」


 シノが気障ったらしく前髪を掻き上げた。


「それよりも……いつまでオリアの寝所にいるつもりだ?」


「……失礼します。戻るぞ」


 肩を震わせ、溢れそうになる感情を堪えながら、最後にシノを一瞥し、兵を後ろに従えて、退室していった。


「近衛の騎士には向いていないな。あれは野心家だ」


 扉の方を見ながら、ユリアーネが誰にともなく所感を述べた。


「お母様が、公爵家に面目が立たないからって……。そもそも、お姉様がお断りになるから……」


 少し非難めいた言葉の後、オリアは再び俯いた。


「あんなのに四六時中側に張り付かれるなんて、ゾッとする。まだ悪魔に取り憑かれる方がマシだな。ーーいくぞ、シノ」


 ユリアーネがシノを促した。




 部屋に一人になったオリアは、ベッドに飛び込むように身を投げ出し、枕に顔を埋めた。


「……どいつもこいつもユリアーネ様、ユリアーネ様……ふざけやがって」




「珍しいですね、リアン様が冗談なんて」


 ユリアーネの自室に向かう途中、メルヴィナがシノに耳打ちをした。


「俺も意外だった。そんな性格には見えなかったからな。でもまぁ、俺の株が上がる分には問題ない」


 シノも頷く。


 ユリアーネの指先が、空中に複雑な紋様を描き、ごく短い言葉を呟くと、ドアが開いた。


「それとな、私は冗談が嫌いだ」


 シノとメルヴィナを招き入れながら、ユリアーネがきっぱりと言った。



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