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1-13 王女の依頼Ⅰ

「失礼する」


 聞いている者の気分を落ち込ませるような陰鬱な声と共に入ってきたのは、シュミートの長、アレイスター・クロウリーその人だった。


 入ってきた男の姿を目にした瞬間、シノは耐え難い破壊衝動に襲われた。


 古びた黒いローブの袖からは、細い腕が伸びている。


 白を基調とした色合いの、清浄な医務室には似つかわしくない。


 空間にこびりついた汚点のように見えた。


 顔には深い皺が刻まれ、間違いなく痩身の老人なのだが、目だけは爛々とギラついていた。


 野心溢れる若者が急激に年だけを取った、そんな印象を与えさせる。


「へぇ、意外な見舞いだな。ちゃんとドアから入れるじゃないか。それで? 死体でも見にきたのか? 残念ながら俺は生きてるけどな」


 凡そ学校の運営には興味を示さず、滅多に学生の前にも姿を現さない。


 自分の研究にしか興味の無い人間が、わざわざ見舞いの為に、自分を訪ねてくるとはシノには思えなかった。


 警戒から、自然と疑うような口調になる。


 いや、それだけではない。



まただ。


この男を目にすると、“早く殺さなければ”と急かされる。



 胸の奥から湧き上がる衝動を抑える為に、シノは奥歯を噛み締めた。


「無礼な生徒だ。最短在籍期間の新記録を作りたいようだな」


 シノの尋常ならない様子を察してか、クロウリーは入り口に留まり、それ以上入ってこようとはしない。


「在籍……」


学内決闘(メンズーア)を以って、シノ・グウェンはシュミート王立魔術学校の生徒となった。おめでとうと言っておこうか。しかし、どこまでも期待に応えん男だ。その剣を使えば、数秒で片が付いたろうに」


 クロウリーが指差した先には、黒い鞘の魔剣。



思えば、この男は最初からこの剣に拘っていた。



「この剣の事、なんか知ってるのか?」


「いいや、全ては憶測。だからこそ、その力の一端を目にする事が出来るやもしれぬと期待したのだ。理事どもが編入試験を決闘に、と言い出した時には僥倖だと思ったのだがな。オドを使う者に、マナの信奉者が相手では荷が重すぎたか」


 憶測、という言葉を発する時、クロウリーは屈辱に耐えるかのように、唇を噛んだ。



どうやらこの男にとっては、一介の生徒に無作法をされるよりも、知らない事を指摘される方が頭にくるらしい。


是非覚えておこう。



「……? 俺が勝てると思っていたのか?」


「必然だろう。魔術など、世界を欺いて創り出した幻影に過ぎん。世界そのものを材料に組み上げた実像と衝突すれば、どちらが消え失せるかなど、考察する価値もない」


「じゃあ、あんたはどうなんだ? 魔術師なんだろ」


 シノが好戦的に笑った。


「私なら、そもそも魔術師として、お前とは争わない。死神の相手は、死神にさせる」


 そして、不敵に口の端を歪ませる。


 この老魔術師が笑みを浮かべる事は珍しい。


 数秒、2人は視線を交錯させた。


「時間は有限だ。卒業は入学よりも遥かに難しい。この世界での居場所が欲しいのなら、励みたまえ」


 クロウリーがシノに背を向ける。


「大きなお世話だ」



「……まだ、目覚めてはいないようだな」


 ゆっくりと医務室の扉を閉めた後、クロウリーが呟いた。




「本当ですか!? シノの編入が決まったって」


「あぁ、教員向けに校長からもお話があったよ。でも、まずは身体を治してからだ。はしゃぐのも良いが、彼が怪我人だということを忘れないように」


「は、はしゃいでなんかいませんっ!」


 騒がしい声が近づいて来る。


「未だ目覚めないのなら、好都合だ。そろそろ、アレにも役に立って貰おうか」


 声の主たちの姿が見える直前、クロウリーの姿は転移により掻き消えた。






 晴れて、シノは、シュミートの三年生として、編入することとなった。


「おかしい、なぜだ……」


 喜ばしいはずの、正式な生徒としては初めての教室で、シノは頭を抱えていた。


 まだ包帯は取れないが、登校の許可が下りたのだ。


 しかし、クラスメイト達は、遠巻きにしているだけだった。


 合間の休憩時間の度に、シノの周囲の生徒は皆、席を立ち、次の授業の開始直前まで戻ってこない。


 他の生徒もちらちらと見てはいるものの、話し掛けたりする者はいなかった。



 異様な緊張感が、教室内に満ちている。


 端的に言えば、恐れられていた。


 急に現れた少年が、学生の身分にして、既に王城に入っている首席生徒を学内決闘で破った事実は、驚きというよりは、恐怖を色濃く伴って広まっていた。


 しかも、本人には大した魔力はないというから、最早怪談の類である。


「文句言わない。友達なんて、数人いればいいじゃないの」


 シェイラが、授業内容をノートにまとめ直しながらそう言った。


「そういう問題じゃない。別にお友達になりたいわけじゃない。居心地の問題だ。後1年近くコレなのか……。まだ前の方がマシだな。見ろ、今イステルですら目を逸らしたぞ」


 以前まで、事あるごとに絡んできていたイステルも、無視をしているような格好だ。


「じゃあ、仲良くなる努力をしてみたら? その捻くれた性格が、少しはマシになるかもしれないわよ?」


「言ったな? 手始めに隣のヤツを優しく攻略してやろうか」


「やめた方がいいと思うけど……」


 シェイラが小声で付け足したが、シノは聞こえないフリをする。


 精一杯の笑顔を貼り付けて、シノは、丁度立とうとしていた隣の男子生徒に話しかけた。


「ちょっといいか?」


「はっ……はいっ! なんでしょうか……?」


 逃げ遅れた気の毒な男子生徒は、狼狽えている。


「ノートを見せてくれ。さっきの授業、何喋ってるのか全く分からなかった」


「勿論ですっ! ……どうぞ」


 一瞬の躊躇の後、おずおずとノートを差し出した。


「すまんな」


「いえっ、もう…行ってもいいでしょうか……?」


「なんだ、トイレか? 好きにしろ」


 そそくさと席を立つと、早足でその場を離れて行った。


「どうだ? もうノートの貸し借りをする仲だ。魔術師にとって、こいつは大事なものなんだろ?」


 シノが、得意げにノートを掲げてみせる。


「脅し取ったようにしか見えなかったわよ。周りを見てみなさい」


「そんなはず……」


 見回すと、明らかに教室内の生徒の数が、減っていた。


「……ふむ。胃腸風邪が流行っているのか?」


「トイレに行った訳じゃないわよ。あんた、分かってるでしょ」


「なぜこうなるんだ……」


 シノが机に突っ伏した。


「学校最強の女生徒を殴り飛ばし、何故だかユリアーネ王女殿下から目を掛けられている。わざわざ練武場まで足を運ぶほどに。おまけに、魔術師にとっての財産である、大切な知恵を記録しているノートを奪い取る……怖がられるのも当然ね」


 ユリアーネの話をする時に、シェイラが顔をしかめた。


「言うじゃないか。そういうオドリオソラはどうなんだ? あまり友人が多そうには見えないが? さぞかし上手くやるんだろうな」


 シェイラが一緒にいる友達らしい友達といえば、スサナくらいしか思い浮かばなかった。


「当たり前でしょ。伊達に侯爵家の娘やってないわよ。ほら、授業が分からなかったのなら、そんなものより、こっちを見なさい」


 シノが借りたノートを取り上げ、代わりに自分のノートを押しやった。


「お前が一番酷くないか……?」


 次の授業開始時間が近くなると、生徒が戻ってくる。


 先ほどの男子生徒も、恐る恐る自分の席に戻ってきた。


 シェイラが、にっこりと笑いながら、優しく話しかける。


「さっきはごめんなさい。彼は、平民の生活が長いものだから、物言いが乱暴なの。どうか、許してあげてね」


「そんな、オドリオソラさんが謝るような事じゃ…」


 忙しく体の前で両手を振りながら、鼻の下が伸びていた。


「どっから声出してんだ、気色悪っ! おえぇっ」


 隣でシノが口に手を当てて、吐く真似をする。


「ありがとう。これ、返すわ」


 机の下でシノの足を踏みつけながら、ノートを手渡した。


 渡す際に、相手の手を握ることも忘れない。


 恐怖はすっかり消え去り、男子生徒は締まりのない笑みを浮かべながら、授業の準備を始めた。


「ふふん、まぁこんなもんよね」


「詐欺師め」


「世渡り上手と言って欲しいわね。……それに、貴族なんてみんな詐欺師よ」


 シェイラの表情は暗い。



……踏み込んではいけない話題だったか。



「そっか。ノート、ありがとう。返すよ」


「早いわね。どう? 分かった?」


「あぁ、分からんという事が分かったよ」


「そ。なら、後で補習ね」


「……え?」


「何よ」


「まだ……やるのか?」


 シノが露骨に嫌そうな顔をした。


「当たり前でしょ」


「いやぁ、試験も終わったし、もういいかなぁって………」


「あのね、入っただけじゃ意味ないのよ。ちゃんと卒業しなくちゃ」


 クロウリーと似たような事を言う。


「でも、時間を取らせるのも悪いし……」


「今さら何言ってんのよ。人に教えるって、良い復習になるのよ。新しく気付く事もあるし」


 シェイラは乗り気だった。


「そうだ、お前の兄貴に近づくなって言われてるしっ。いやー、近衛の人間に目をつけられるのは怖いなー」


 何とか、言い訳を探そうとするが、シェイラは明るく目論見を打ち砕いた。


「それなら心配ないわ。勝手にさせて貰うって言ってやったもの」


「え?」


「うちの家はね、この学校の理事でもあるの。あんな無謀な編入試験の画策にも一枚噛んでるの。そして、あんたは試験をくぐり抜けた」


 なぜかシェイラが、得意げに胸を張った。


「だから、俺が喪失者だと知っていたのか」


 シノは合点がいった。


「それはそれで面倒そうだな…」


 あの時のアロイスの顔を思い出し、シノはげんなりとしながら、のろのろと教科書を引っ張り出した。


 しかし、教室での居心地の悪さなど、その日の夕方に起きる出来事に比べたら、他愛ないものだったと、シノは思い知る事になる。






「ふーん。あの小屋から出ても、あんまり代わり映えしないわね。せめて机くらい置きなさいよ。勉強する気あるの?」


シュミートの正式な生徒となった事で、与えられた寮の部屋を見回して、シェイラはそんな感想を言った。


床に置かれていた毛布がベッドの上に移り、黒い魔剣は変わらず無造作に立てかけられている。


中の様子は、掘っ建て小屋に住んでいた時とさほど変わらなかった。


「ほっとけ」



「さぁ、始めるわよ。魔力が無いんだから、せめて理論は詰めておかなくちゃ」


仕方なく床に教材を広げながら、シェイラが隣をポンと叩いた。




「そういやさ」


「なに、休憩? まだ早いわよ」


「門限ギリギリまでこんな所に来てて、何にも言われねぇの?」


「お兄ちゃんの事? 昼間言ったでしょ」


「違う。変な事件が起きてるのに、出歩くな、とか。一応、侯爵の一人娘なんだろ?」


「そういえば言われないわね…」


シェイラは、合間に自分の復習をしながら、上の空だった。





「そういえばさ」


 門限が近づき、外の街灯が目立つようになってきた頃、今度はシェイラが口を開く。


 何気ない風を装ってはいるものの、意識は目の前の少年に集中していた。


 この間、王女の事で一悶着あったばかりである。


 何の話かと、シノが少し身構える。


「なんだよ」


「あんた、そういえばスサナの事は名前で呼んでたわよね。付き合いは私の方が長いんだからーー」



コンコン。




 話し出そうとした時、扉が控えめにノックされた。


 シェイラは鬱陶しそうに、入口の方を睨み、軽く舌打ちをした。


「なに、来客? あんた、訪ねてくるような相手なんかいたのね」


「あ……当たり前だろ。オドリオソラは、隠れた方がいいんじゃないか?」


「えぇ、そうね。面倒はごめんだわ」


 こんな所を見られたら、きっと明日にはラブロマンスストーリーが1本出来ていることだろう。


 シェイラは入り口からは見えない所へと移動した。


 手慣れた様子で、荷物は勿論、魔術の痕跡、自身の魔力の残滓をも周到に隠す事を忘れない。


 ほんの数秒で、部屋からシェイラの痕跡は完璧に抹消された。


 それを確認し、シノがドアを開ける。


「げっ……」


 立っていたのは、メルヴィナ・ウォールズとツィスカ・ザカリアスだった。


 片や路地裏でいきなり襲われ、片や決闘で殺されかけている。


 不吉すぎる組み合わせに、シノは顔を引きつらせた。


「失礼します。何ですか、その顔は」


「……」


 一歩中へ入ったメルヴィナが眉をひそめ、ツィスカは無表情で無言だった。


「何の用?」


 シノの背後から声が飛んだ。


 攻撃的な口調からして、友好的なものではない。


 隠れている筈のシェイラが出てきていた。


 シノが自分の後ろになるように身を置き、二人の前に立ちはだかった。


 その鋭い視線は主に、赤髪の少女、ツィスカへと向けられている。


「……お見舞い?」


 向けられる敵意に動じることなく、ツィスカが首を傾げながら、ボソリと呟いた。


 気の抜けた返事にシェイラの目がますます鋭くなる。


「巫山戯ているの? こいつを殺そうとしたくせに」


「……」


 何も答えずに、ツィスカはシェイラの横を通り抜け、シノの腕に手を置いた。


 ローブを捲り、腕を確認する。


 まだ包帯は巻かれてはいたが、殆ど完治といっていい状態だ。


 流れるような一連の動作には、シェイラが反応する隙もない。


「もう、いいの?」



傷のことか。



「あ、あぁ、大丈夫みたいだ。跡も残らないみたいだな。治癒の魔術は凄いな」


「そう……」


 しょんぼりとツィスカが肩を落とした。


 ツィスカの声が少し残念そうに聞こえたのは、シノだけではなかった。


「なに、怪我が治ると困る事でもあるの?」


 シェイラがツィスカの言葉に噛み付く。


 一瞬、向けられる敵意の主に目をやったが、シノの腕を掴み直しただけで、それきり黙り込んでしまった。


 つまりは無視をしたのだ。


「ちょっとーー」


「あの、すみません」


 さらにシェイラが言い募ろうとした時、成り行きを見守っていたメルヴィナが進み出た。


「私は王女殿下の名代として来ています。そちらのシノ・グウェンさんに話があるのですが」


「……上がりなさい」


 渋々といった様子で、シェイラが許可を出した。


 ユリアーネ王女の名代と言われれば、そう言わざるを得なかった。


「ここ、俺の部屋なんだけど」


 シノの言葉を聞く者は、腕に纏わりついているツィスカ・ザカリアスだけだった。

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